古都鎌倉へ行ってきました~建長寺編③~
法堂(はっとう)は、法を説くための堂です。
当初の法堂は、1275年(建治元年)、建長寺開基で五代執権の北条時頼十三回忌のときに創建されました。
(今あるのが最初じゃないんだあ。)
現在の法堂は、1814年(文化11年)に再建(上棟)されたもので、関東一の大きさ。
鎌倉で法堂が残されているのは建長寺のみ。 (←どちらにしても貴重な遺跡ですね~!)
法堂は、住職が説法をする場所であることから、仏殿のように仏像を安置しないのが通常でありましたが、次第に涅槃会・降誕会(花まつり)・開山忌などの儀式が執り行われる堂となっていったんだそうです。
釈迦苦行像です。 仏教の開祖・釈迦は、29歳で出家し、約6年間にわたって断食と坐禅の日々を送り、35歳の時に菩提樹の下で悟りをひらいた。釈迦が悟りをひらいた事を「成道」(じょうどう)と呼び、成道の日とされる12月8日には「成道会」が行われる。 建長寺の釈迦苦行像は、釈迦が極限の苦行・禁欲(断食)をしている姿を現しているもので、ガンダーラ文明の遺産でラホール中央博物館に安置されている像の模造。 2005年(平成17年)の愛知万博に陳列された後、パキスタン国より建長寺に寄贈された。 |
建長寺法堂の天井画「雲龍図」は、2000年(平成12年)、建長寺創建750年記念事業の一環として、十二所の日本画家・小泉淳作によって描かれたものです。
足かけ3年に亘る大作。
龍は仏の教えを人々に伝えるといわれ、天井に龍を描くのは修行僧に「法(教え)の雨を降らす」という意味があるのだという。
また、「火災から護る」という意味もあるらしい。
2009年(平成21年)4月、堂内に華厳小宝塔が安置されました。
吉田管長の願いにより諏訪の宮大工が製作したもの。
建長寺には創建当初より華厳塔が建立されていたが、度重なる火災によって焼失し、以後再建されていません。
この塔の製作には、大華厳塔復興の願いが込められている。
建長寺法堂に掲げられている「海東法窟」の額は、かつては東外門に掲げてあったものです。
「中国・宋から海を渡って仏法が伝えられた寺」という意味があります。
西外門に掲げられている「天下禅林」の額と同じく竹西によって書かれた。
宝物風入で拓本を拝観することができます。
「収蔵庫」
こちらは、2015年に竣工した収蔵庫で、寺宝を守るため耐火性を強化しています。大庫裡の裏手にあります。
やはり貴重な遺跡のお宝が入っているのですね!見たいなあ~!
建長寺の方丈の正門は、「唐門」(からもん)と呼ばれております。
屋根が唐破風になっている門という意味。
禅宗寺院の方丈に唐門を配置するようになったのは後世のことで、創建当時から唐門だったかどうかは不明。
何だか位の高い大名が、出てきそうな感じ。
唐門前は、様々な花が楽しめる場所でもありますが、5月ですのでほとんどの花は散っておりました。
唐門は、徳川家の菩提寺増上寺の崇源院御霊屋(おたまや)の中門だったもので、1647年(正保4年)に仏殿や西来庵中門とともに建長寺へ移築されました。
2011年(平成23年)に保存修理が完了し、全面に飾金具が付けられていた華美な姿が復元されています。