パチスロ人生 3
一発セブンの出玉に魅せられた十代のおのれは、その後もビギナーズラックというか、勝ち続けた。右打ちしている時の優越感は、羽根モノでは味わえない何かがあった。しかしそんなに都合のいい事がいつまでも続くわけがなかった。気が付けば二万、三万負けれるマヒしたおのれがいた。
そうして痛い目にあい続け、また羽根モノ生活に戻るのであった。ただ、一発セブンを体験したことで、その後は普通のセブン機もたまに、打つようになった。そしてまだ、この頃パチスロには全く無関心である。
そうして痛い目にあい続け、また羽根モノ生活に戻るのであった。ただ、一発セブンを体験したことで、その後は普通のセブン機もたまに、打つようになった。そしてまだ、この頃パチスロには全く無関心である。
パチスロ人生 2
羽根モノで一喜一憂してパチンコを純粋に楽しんでいた時代に転換期がおとずれたのはそれからすぐであった。その日も夕方から打ち、閉店間際まで打っていた。換金しても千円にも満たない出玉が手元にあり、手っ取り早くのまそうと、今まで打った事のないセブン機へ移動した。少しルール違反ではあったのだが。
そして打ち始めて出玉がなくなりかけたその時7のリーチがかかる。まさかと思ってみていたが、そろってしまったではないか。しかし玉はなくパンクしてがっかりしているところへ店員が箱を二つ持ってくる。そしてデジタル下のチューリップに玉を入れ、右打ちするよう説明を受ける。閉店が近いということもあり、本来出るべき出玉を出してくれる。今までに出したことのない出玉。換金すると一万三千円ちょっと。一万円以上の勝ちは初めてであり少しドキドキした。
その時打った台は、三洋のダブルアップという一発セブンであり、それからその台にハマるまでには時間を要さなかった。
この店は、デジタルが揃い、下のチューリップに玉が入らなくても出玉を保証してくれるといった良心的な店であった。
一回の大当たりでこの出玉。いままでにない魅力を感じずにはいられなかった。
そして打ち始めて出玉がなくなりかけたその時7のリーチがかかる。まさかと思ってみていたが、そろってしまったではないか。しかし玉はなくパンクしてがっかりしているところへ店員が箱を二つ持ってくる。そしてデジタル下のチューリップに玉を入れ、右打ちするよう説明を受ける。閉店が近いということもあり、本来出るべき出玉を出してくれる。今までに出したことのない出玉。換金すると一万三千円ちょっと。一万円以上の勝ちは初めてであり少しドキドキした。
その時打った台は、三洋のダブルアップという一発セブンであり、それからその台にハマるまでには時間を要さなかった。
この店は、デジタルが揃い、下のチューリップに玉が入らなくても出玉を保証してくれるといった良心的な店であった。
一回の大当たりでこの出玉。いままでにない魅力を感じずにはいられなかった。
パチスロ人生 1
これから、しばらくパチスロ人生を過去から現在に至るまで赤裸々に書きたいと思います。
時は平成三年、大学生になった自分は、パチンコを打ちたくてしょうがなかった。当時パチスロには興味がなくパチンコを打ちたくてしょうがなかった。しかしそこは貧乏学生、向かうシマは羽根モノコーナー。三、四時間打って、四、五千円勝った、負けたで一喜一憂していた。まだ一万円以上の金額を両替したことのないウブな青年であった。しかし当時からパチンコはプロが存在する以上、なにかしろ努力すれば喰えるまでになれると思っていた。勝つ術を知らずしても、当時はそう思っていた。
その当時、打った機種
サメざんす、ファンシー、ミスターフォール、どっかん島、うちのポチなどすべて羽根モノ。
時は平成三年、大学生になった自分は、パチンコを打ちたくてしょうがなかった。当時パチスロには興味がなくパチンコを打ちたくてしょうがなかった。しかしそこは貧乏学生、向かうシマは羽根モノコーナー。三、四時間打って、四、五千円勝った、負けたで一喜一憂していた。まだ一万円以上の金額を両替したことのないウブな青年であった。しかし当時からパチンコはプロが存在する以上、なにかしろ努力すれば喰えるまでになれると思っていた。勝つ術を知らずしても、当時はそう思っていた。
その当時、打った機種
サメざんす、ファンシー、ミスターフォール、どっかん島、うちのポチなどすべて羽根モノ。