人生色々。


未熟者の僕にとっては『とても音楽どころではない』事態が発生してしまい、“音楽断ち”しておりました。

2006年3月、バンド活動はもとより、個人練習、基礎練習全てやめました。

意志が弱い僕のこと、音楽断ちをするには徹底的に断ち切らなければならない。

スネアもスティックもペダルも全部片付けたり、尊敬するドラマーの方々に貸し出したりして手元には何も無い状態にしました。

CDやDVDも全部片付けました。“ドラム断ち”ではなく“音楽断ち”ですから。

そのくらい自分を追い込んで、仕事に集中する環境を作らないと状況は打破できないと思ったのです。

そういうワケで、この『おっさんドラマーの日記』からも離れておりました。


その状況は1年続けました。2007年4月、“音楽断ち”→“ドラム断ち”に変更しました。

その頃、ココにも1度書いたんだけど、続きませんでした。

やっぱり気軽に音楽と付き合える状態ではなかったですからね。


今日、思い出したようにココを開いてみると。。。まだあった!

てか、2年前に1度だけ書いたその日記は今読んでも暗い!暗すぎる!

とりあえずその日記は削除しました。あんな日記はいらん。


て事で、毎日コツコツが苦手な僕ですが、またチョコチョコ書き始めるつもりです。

あ、ドラム断ちは4ヵ月前に解除しましたが、現在活動はしてません。

「おっさんドラマーの日記」をスタートした時は30代でしたが、現在42歳になっちゃいました。初老ですよ、初老。(泣)


でわでわ~。

20tour

今更ですが、1/9のドリームシアター広島公演に行ってきました。

岩国で音楽やってる人なら知らない人はいないんじゃないかというくらい色んな意味で有名なバンド、ディープレガシーのドラマー、東郷さんと一緒に行きました。

東郷さんのマイクポートノイへの入れ込みようは激しく、自宅のドラムセットはガムランのようになり、集めたCD&DVDもかなりマニアックです。

そのDVDを毎晩欠かさず見てるそうなのです。

しかも、本人が毎日見るものだから子供までもがポートノイファンになってしまっているそうです。

僕もドリームシアターは好きだし、マイクポートノイも大好きで、LIVEや教則DVDから、ドラムクリニックの海賊ビデオなんかも見て研究しました。

だけど、サイモンフィリップスと比べると、平面っぽい気がして、やっぱ僕はサイモンの方がカッコ良く感じてしまうのです。

ちなみにドリームシアターの元のキーボーディスト、デレクシェリニアンのソロアルバムではサイモンフィリップスがドラムを叩いています。

derek


さて、それはそうと、コンサート当日。

17時からっちゅう、えらい早い時間からのスタートでした。

友人を通じて予約をしていた僕達は関係者窓口へ直行。

「すみません。○○さんに頼んでたんですけど。」

「ちょっと待って下さいね。・・・あ、じゃぁ隣の窓口に行って下さい。」

と、言われた。

隣の窓口って当日券の販売窓口じゃん。

え?と思いながらも

「すみません。○○さんに頼んでたんですけど。」

と同じように言った。

「はい。20列になります。」

・・・目が点になった。

「は?20列?それって当日券じゃん!○○さんに頼んどいたっつっとるじゃん!」

「え?ちょっとお待ちください。。。」

慌てて調べに行く。

しばらくして戻ってきて

「すみません。17列のこの席ならご用意できるのですが。。。」

「は?ソレ、端っこじゃん!」

「いやぁ、頼まれたのが遅くてココしか空いてないんですよ。。。」

「なんでや!9月から頼んどったわい!」

「そうですか。。。少しお待ちください。。。」

今度は無線や携帯で何やら話している。

しばらくして

「すみません。14列目ならご準備できます。」

「。。。わかりました。ごめんなさいね。わがまま言って。」

と、ホントは3列目以内を期待してただけにショックだったが、○○さんに迷惑をかける訳にもいかず、ここらが潮時だろうと妥協した。

会場に入ってグッズ売り場に直行。

僕はTシャツを一枚買った。

東郷さんはというとTシャツ数枚と子供のTシャツとパンフレットなど、2万円くらい買っていた。そんなに買わんでも。。。と思ったが、なにしろ彼はマニアですからね。

t-shirt

タバコを吸って会場に入ってみると、14列目は中段の前から2列目だった。

音楽ホールなのでこの位置なら前のヤツが邪魔になる事もない。

しかも真ん中の通路側で、通路の向こうはPAという、音的にも視覚的にもけっこう良い場所だった。

「東郷さん、ワシら文句言うとったけど、一番前よりココんがええんじゃない?」

「ほうじゃろ!僕も今、そう思っとったんよ!ココならドラムもぶち見えるじゃろう!」

席に着いて、僕がさっき買ったTシャツを着はじめると

「え?今着るの?」

「え?そうですよ!今着んと意味無いじゃないですか。コレ着とったら、もしかしてメンバーと目が合った時、何かしてもらえるかもしれんじゃないですか。」

「あ!そうか!」

と、東郷さんも着はじめた。

そんな事をしてると会場が暗くなりSEが流れ始める。

ダカダカダンダダンダダン!

おぉ~っ!やっぱ最新作のオクタヴァリウムの1曲目からじゃ!

ダカダカダンダダンダダン!

フラッシュライトに照らされたジョーダンルーデスとマイクポートノイ!カッコええ~っ!

てか、ポートノイは向かって左側のセットのフロアタム側で立奏していて椅子には座っていなかった。

ソコにいるのはローディーか誰かだろうと思った僕は

「おらんじゃんっ!」

とか思ってしまった。

演奏中に立ったり歩いたり落ち着きの無い彼だが、そこがカッコイイ!

だけど、最初は座っとけよ!

やっぱレコ発ワールドツアーなので前半と後半はオクタヴァリウムの曲中心だったが、中盤は往年の名曲が演奏された。

途中で休憩時間があるという異例の公演スケジュールだったが、終わったのは20時半前だったので3時間以上の演奏!

終始立ちっぱなしだったので腰が痛くなった。

が、立ってるだけでこんなに疲れとるのに、あの人達、演奏してますからねぇ!タフじゃわ~。

octavarium

驚いたのは、会場が明るくなって客が帰り始めた途端、ドラムのバラしに入った事。

まだ客がいるのにバラし始める。

そりゃそうよね。あんなにデカいセット、バラしてケースに入れるだけでも何時間かかるんじゃろう。

シンバルケースって何個いるんかな?

mikedrums

それにしてもジョーダンルーデスのクルクル回るキーボードスタンド、カッコええわぁ!

アレって売ってるのかな?

外側向いたり、前向いたり、ポートノイと激しいユニゾン合戦の時にはドラムの方を向いたり。

ウチもキーボードソロの時にドラムとユニゾンする事がよくあるので、向かい合ってやってたらカッコええよね!

買ってくれんかな~、ウチのキーボーディスト。

マイクポートノイは演奏中にツバ吐き過ぎね。それがまた、すんごい遠くまで飛ぶのよ。

「ドラムを叩きながらツバを吐いて、一体何メートル飛ばせるか選手権」っかっちゅうくらい飛ばしてた。

汚いっちゅうの。

それにスティックを会場に投げる時、前の席の姉ちゃんにばっか投げとったじゃろう!

だいたい、一番前の列の姉ちゃんにスティックを取らせるために、ボーカルの足元あたりに投げて転がすっちゅうのは一体どういう事や!

女房子供もおるっちゅうのに、もぅ最低!

おっさんの方にも投げれっ!

帰りに「田の久」でお好み食って帰りました。

おっさん二人、ドリームシアターのTシャツをペアルックで着て、お好みを食う。

う~ん。周りの人からは十分怪しい関係に見えたかも。

wax

silvesterさん のブログ記事『フォーム改造計画』 を読みました。

良いですよね!こういうの!

同じ趣味の方の練習方法とか、苦手な事とか、苦労話とか、裏技とか、こういう話は楽しいっ!


実は僕も脱力にはかなり苦労しました。

速いフレーズってどうしても力んでしまって、ソコだけテンポがズレたりしてカッコ悪かったりするんですよね。

シングルの方がロックぽいよね~とか思っても、力んでしまうからダブルで逃げたりしてました。

バディリッチのシングルの速さなんて並じゃないでしょ。スゴすぎる!

どうやったらあんなに叩けるんや?とか悩んでました。


数年前、すんごい高速ストロークの人にどうやってリバウンドを拾っているのか訊いたところ、決定的な違いが有りました!
僕は二十数年間、人差し指と親指を支点にスティックを握ってましたが、その人は手全体でやさしく包む感じで持ってるそうなのです。
支点はどちらかと言うと中指でした。ただ、そんなにピンポイントの支点じゃないんです。
リバウンドで自然に跳ねてるのが、真っ直ぐ上がるように支えてる程度なのです。
コレは練習しました!けっこう変わりますよ!効果有り!


次にジルジャンスティックワックス
コレは買ってきてグリップに塗るだけ。塗るというかこすり付けるというか。
最初はロウソクを触ってるみたいでイヤな感じかなと思ったけど、振ってみてビックリ!
極端な事を言うと、手の力を全部抜いてても摩擦でスティックが飛んでいかない感じです。
シングルストロークもダブルストロークも絶対速くなります!

試してみてください。

GASLIVE

すみません。

またまた、こんなに間が開いてしまいました。

仕事が始まると多分こうなると思ったので、休みの間にGASは完結しとくつもりでしたが、いつもの

「まぁ、明日で良いよ。明日やろう。」

で、こんなに延びちゃいました。

さて、当日です。

昼過ぎに福重君から電話。

「今日どうやって来る?車じゃったら帰りに連れて帰ってよ。」

「え?良いですけど、福重君、終わった後、打ち上げ行くんじゃないんです?」

「いや、俺、終わったら帰ろうかと思ってるんよ。」

「わかりました。」

夕方近くなり、出掛ける準備にかかる。

「どんな格好をして行けばええんかな?」

とりあえず昔のライダースを出してみる。

「コレだけじゃぁバランスが悪いよねぇ。」

レザー(フェイク)のパンツを履いて、スパンコールのドクロが正面にドデカくデザインされているマスターマインド(ニセ物)のTシャツを着て、ライダースを着て、鋲の打ってあるブレスをしてみた。

「う~ん...ワシ、来年40なんじゃが...ちょっと大人げ無いよね...?」

とりあえず、ブレスはやめた。

友人の木原を車で迎えに行き、ネオポリスホールへ向かった。

19時半頃駐車場に車を入れ、店に向かった。店の有るビルの下で福重君とバッタリ出会った。

「うぇっす~!」

「おぉ~!今日、帰り頼むね。」

「了解です。」

「今メシ食って来たんよ。」

「出番何時からなんすか?」

「どうじゃろ?21時くらいじゃない?」

「えぇ!?もうちょい後でしょう!」

「あぁ、押すかね?ほいじゃ、21時半かね?」

「う~ん、どうですかね?僕はもうちょい後じゃと思いますけど。」

「はぁ~!待っとるのが長いわ~!」

「ですよね!ちょい僕らもメシ食ってきますわ。」

店に上がらずメシを食いに行ったが、良い所が見付からずラーメンを食った。

あっという間に食ってしまい、時間が思いっきり余ってしまった。

「どうする?もう行く?」

「いやぁ、早いじゃろ!ずっと中じゃしんどいで!」

「ほーじゃね。」

と、本屋やCD屋をウロウロしてみるが、日頃セカセカした生活をしているせいか、有り余った時間を有効に使う方法を知らない中年オヤジ二人組み。

仕方なく広島駅の珈琲館に入った。

日曜の夜だというのに、けっこう人がいる。

喫煙席の空いた席が、カップル専用のような小さなテーブルしか無い!

「おいっ!マジか!」

と言いながらも座るおっさん二人。しかもヘンな格好をしているワシ。

「お前のぉ、その格好...レイザーラモンじゃないか!ワシら、ヘンな関係じゃないかと疑われるわ!」

「仕方ないじゃん!外は寒いし!ええわい、別に!」

hg

...とか言いながら、やっと21時半が近付き、店に向かった。


ビルの下まで行くと畑中君が機嫌悪そうに立っていた。

「うぇ~っす!」

「おぉ~...」

「どうしたんすか。」

「もう、待っとるのが長いんよ!」

「あぁ、そうっすね。でもこれからでしょ?」

「おぉ。やっとの。」

「ま、期待しとりますけぇ!」

「お!ありがとの!」

エレベーターが開くと爆音が流れ込む。

MISERY のガイさんがいたので挨拶して

「AKIちゃん、もう入ってます?」

「おぉ!来とったよ!」

中に入った。

けっこういっぱいいる。

PUNKだけに、一曲がすごく短い。入った時のバンドはすぐ終わり、フロアが明るくなった。

うわ~!

頭がとんがってるのとか、刺さったら痛そうなの着てるのとか、体に模様がはいってるのとかでいっぱいじゃ!

こりゃ後ろで見よう。

と、思ったら...4LOOPS の羽村君がいる。


4loops


「うっす!」

「あ!お疲れっす!」

「わしゃ怖い人がいっぱいおるけぇ後ろで見るで。」

「今日は僕もおとなしくしてますよ。」

「なんでや。モッシュせんのんか?」

「いや~、じっくり見たいですね!しっかり聴きたいですよ!」

「ほぉか。昨日畑中君から聞いたけど、復活っちゅうか、レコ発の今回こっきりらしいで。」

「でしょ!だから尚更じっくり聴きたいですよ。」

その後いくつかのバンドが出て、ついにGAS!

パイプオルガンのSEから始まって、爆音!

ナルミさんも当時の髪型で、すっげーっ!

TATSUYAさんのドラム!音デカい!速い!

畑中君の頭!なんじゃそりゃ!みたいなモヒカンなのにドレッド!

演奏中に次から次にダイヴ!ダイヴ!ダイヴ!

途中からヴォーカルが狂平さんに代わり、自殺レーベル時代の曲。

♪くっされ脳みそー! くっされ脳みそー!

「うわー!有ったねぇ!こんな曲!ウチにソノシート有るわ。」

「えっ!持ってるんですか!? 今、すっごい高いんですよ!」

「ほー!」

終盤にドラムが福重君に代わってツインペダル。パワーはTATSUYAさんにはかなわないけど、落ち着いてて上手い!

アンコールの最後(だったかな?)にSWEET EMOTION。

そして、最後に後藤が歌うスリーピースのバンドが数曲やって終了ー!

久々にストレートなノリで、満足しました。

楽屋に入って畑中君と話す時、せっかくなので4LOOPS の羽村君を連れて行って紹介しました。

畑中君が今やってるバンド「FLESH FOR FLANKENSTEIN」 で、彼らが東京行ったり、畑中君が広島来た時に一緒にブッキングしてもらえるように頼みました。

福重君と狂平さんがすぐ帰ると言うので、僕も早々に引き上げました。

帰りの車の中で、狂平さんが

「ワシものぉ、この歳になって♪くっされ脳みそっちゅうて叫ぶとは思わんかったわ。」

車内爆笑!

「いやぁ、ソレですよ。実はそのレコード出た時、畑中君がレコード作ったっちゅう事で、ステレオの前で親と一緒に聴いたんですよ。そしたら ♪くっされ脳みそー! とか ♪サリドマイドー! とか叫びよるじゃないですか。もう、親は唖然としてますしね。僕、どうしようか思いましたよ!」

「わははは!アレは親に聴かせちゃいけんのぉ!」

「そうでしょ!でも、聴くまでわからんじゃないですか!あせりましたよね!」

「わははは!」

「けど、あのソノシートって、今すごい高いらしいですよ?」

「そうらしいのぉ。なんか、外国でジャパニーズハードコアとかって集めとるのがおるらしいで。」

「へー。なんか、よぅわからんけど、すごいっすね。」

「ほーじゃのぉ。」

「狂平、そう言えば、今回のCD。誰かに配った?」

「バカたれ!恥ずかしゅうて人に聴かせられるか!」

「わはははは!」

最高に楽しい一日でした。

gas1

okonomimura


さて、LIVE前日。

福重君から前日リハで、並木通りに有るスタジオ「STUDIO25」に16時から入るという予定は聞いていたので、夕方から並木通り付近に向かっていました。

すると友人から

「おい!お好み村 に早く来い!畑中君、もう酔っぱらっとるで。」

「おぅ、わかった。もうすぐ着くけぇ。」

皆さん、お好み焼きで腹ごしらえ中のようです。

お好み村 について4Fまで上がってみると、ちょっと怪しそうな感じの人達の集団が...。

とりあえず福重君のトコに行って

「おつかれっす!」

「おぉ~!久しぶりじゃね!どうしてココがわかったん?」

「木原から連絡もらったんよ。」

「あぁ、ほうなん。」

「...どこに畑中君がおるん?」

「え?畑中?そこ。」


...ん?畑中君?

そう言えば20年ぶりに会うんだよね。

「おぉぉっ!わからんかったわぁ!」

「?...ヤスか?」

「そうそう。覚えとる?ボーイスカウト一緒じゃったじゃん。」

「お前!えらいオッサンになったのぉっ!」

「まぁね。畑中君は若いね。」

「そりゃそうよ!オレ、まだイケイケだよ!こないだ40になったけど。」

と、昔話をしながら近況を話したりしました。


MISERY のガイさん(Ex.愚鈍)もいました。

「昨日、ミザリーでチケット買ったんですよ!ローソンチケット、ギリギリすぎて終わってたんで。慌ててミザリー電話したらまだ有るっちゅう事で。」

「あぁ、そうらしいね。嫁が言うとったわ。」


そんな中で話してみた。

「僕ねぇ、一回誘われとるんよ。覚えとる?」

「ほぅかいの?」

「ほーよ。じゃけど昔、パンクって怖かったじゃん。畑中君ら、クエストのライブ予定表に火を点けたりしよったんじゃろ?」

「わはははは!」

「あと、外国の話かわからんけど、豚の頭を投げたり、ライヴ中に斧で手首を切って投げたりしよったんじゃろ?」

「えぇっ!そんなん知らんで!」

「いや、そういう話が噂で有ったんよ!」

「そんなん、オレだってイヤよ!さすがに手首はイヤじゃいや!」

...そうか。そりゃそうよね。

「ま、発炎筒は盗んだりしよったけどのぉ。福重!お前と一緒に盗みに行ったじゃろ!」

「えぇっ!ワシ、知らんよ!」

「行ったじゃないか!お前はオレにダマされて行ったんよ!」

...そうか。やっぱり断って良かった。


そしてメンバーはスタジオへ、僕は仕事の残りを片付けに別れました。

(つづく)

皆様、あけましておめでとうございます。


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さて、前回からの続きです。

10月の最初の頃かな?友人から電話がかかってきて

「おい!GASが復活するらしいで!」

「え?マジで?」

「おぉ。CD出して広島来るらしいで。」

「ホンマに?どこでやるんや?」

「どうかね?ジャンクションかネオポリじゃないの?」

「ウッソー!メンバーは?」

「いや、当時のメンバーらしいんじゃが...」

「それ、誰からの情報?」

「後藤から電話があったんよ。」

後藤とは当時、自我というバンドのギタリストでGASのレコーディングにも参加しています。

GASの初代ヴォーカルの狂平さんが、GASの後に加入したのが自我です。

「あ、そう。んじゃホントなんじゃろうねぇ。ほいじゃ、福重君に電話して訊いてみるわ。」

福重君とはGASの初代ドラマーで、後期のドラマーでもあります。

今はコッチに帰って来ていて仕事をしながらバンドもやっています。

コッチに戻ってきているといっても、やっぱ上手いですよね。

「福重君?ちょっと聞いたんだけど、今度GAS復活するってホント?」

「お!よく知ってるね!そうそう。ネオポリでやるんよ。」


へぇ~!おもろいじゃん!

早速、岩国のこの手のバンドといえば、スキンズのストロングクラウド

strongcrowd

リーダーのAKIちゃんに電話してみた。

「AKIちゃん?あのねぇ、昔ハードコアパンクでGASっておったんじゃけど知ってる?」

「あぁ、知ってますよ。」

「それがねぇ、今度復活するらしいんじゃけど...」

「えぇ、知ってますよ。11月27日のネオポリでしょ?」

「あれ?何で知ってるん?」

「いや、この辺ではかなり話題になってますよ。僕も行きますよ。」

「え!?そうなん!」

「えぇ。コッチからもかなり行くんじゃないですか?」

「あ、ほんまぁ。へぇ~。でもソイツら、GAS知ってんの?」

「そりゃ知ってますよ!あんな有名なバンド!」

「え!そんなに有名なん?すんげぇ前のバンドよ!?」

「いや、知ってますよ!広島のパンクバンドは皆行くんじゃないですか?」

「へぇ~!ワシらみたいな当時の者で今はオッサンっちゅうのが同窓会みたいに集まるんかと思うとったわ。」

「いやいや~、行きますよ~!」

「ほ~。GASのリーダーって畑中君っつって、ワシの先輩なんじゃけど。」

「えーっ!マジっすかーっ!」

「うん。自我って知ってる?後藤っちゅうてギターなんじゃけど。今はフードブレインっちゅう服屋やっとるみたいなんじゃけど。」

「へー。フードブレインも知ってるんですか?」

「後藤とカバちゃん(ウチのギター)は同じ高校の同級生よ。」

「マジっすかーっ!」


とりあえず彼のいる岩国のライヴハウス「club SQUAD 」に行き、畑中君のインタビューが載っているというDOLL8月号を一緒に見ました。

「おぉ~!載っとるなぁ~!4ページもとってあるで~!」

「ですねぇ~!」

へぇ~。GASってスゴいんじゃね。

(更につづく)

GASCD

久々のブログです。

さて、皆さんは「GAS 」っていうバンドを知っていますか?

ご存知かどうかわかりませんが、約20年前にハードコアパンクの頂点と言われたGASが当時の音源をCDで再発した記念に、当時のメンバーで再結成してのLIVEがあり、行きました。

広島→東京→名古屋→大阪の4日だけのイベント です。

肉弾やガスタンク、ラフィンノーズ、ウィラードなんかが精力的に活動していた時期に、ハードコアパンクの頂点と言われながら、突然の解散。

宝島などでは「GAS!謎の解散!」などと騒がれました。


実はこのGASのリーダー、ZOMBIEこと畑中君 は小学校の頃からの先輩なのです。

広島県大竹市に住んでいた僕達は近所でした。

大竹市は山口県に隣接しており、畑中君は山口県の高校に進学し、僕は広島の高校に進学しました。

これまでのブログにも書いたように僕はメタル~AOR~フュージョン~とジャンルは変遷していくのですが、あまりにも直線的なイメージの強いパンクはあまり好きではなく、聴いてもいませんでした。

でも、GASが広島のライヴハウス「クエスト」や「ウッディーストリート」にどんどん出て活躍している事は知っていました。


そんな或る日、家に電話がかかってきて

「ヤス(僕の事)、お前ドラム叩きよるんじゃろ。どんなんやりよるんや。」

「僕、AC/DC、メイデン、ヴァンヘイレン、ジューダスとかのメタルや、TOTOやジャーニーとかのコピーしよるよ。」

「ほぅか。まぁええ。お前のぉ、今度ウチでドラム叩け。」

「はぁ?」

「今度のぉ、ウチのドラムが抜けるけぇお前が入れ。」

「だって畑中君とこ、パンクじゃん。僕、パンクとかやった事ないよ。」

「ええけぇ。すぐ出来るけぇ。パンクはどんなん聴いた事あるんや?」

「ほとんど聴いてない。カムズとかギズムとか...」

「よし。お前、カムズをコピーして来い。今度の○曜に大竹の○○で練習しよるけぇ来い。」

と一方的に決められてしまいました。


その頃のパンクは激しくて、LIVEの途中でカミソリで腕を切ったり、他のバンドのライヴを乗っ取ったり、対バンや客ともめてケンカになったりと、ムチャクチャなイメージを持ってました。

だいたい、このカムズだって、高校の同級生でハンギョと呼ばれていた田中君から

「コレ、良いから聴いてみて!」

とテープを渡され、家に帰って聴いてみると


♪何でもいいからカネをくれ~!


みたいな歌詞で叫びまくってて

「なんなんや!コレ!」

と、あまり興味もなかったんです。


そんな僕ですから、行くのをすごくためらいましたが、先輩の言うことですからねぇ。行きましたよ。

ソコは元のドラムの人の家でした。

中に入ると先輩やGASのメンバーの人がいて、タバコを吸ってました。

{うわぁ、不良の溜まり場じゃん!)

勘弁してよ...と思いながら立っていると

「おい、ヤス!お前、叩いてみぃ!」

と言われ叩きました。

と言っても、パンクですからねぇ。パワー全開、スピード全開で


ツッター ンドター ドッター ンドター ツッター ンドター ダカダカダカダカ


と一生懸命叩くだけです。

「よし。ほいでお前、ワシらと一緒にやるか?」

と訊かれました。

「いや、僕、ちょっと、他にもバンドやってるし...」

みたいな腰抜けムードを漂わせながら断りました。


だってねぇ、その頃のハードコアパンクのライヴって、ステージから豚の頭を客に投げたり、後ろの方で女がレイプされたり、外国のバンドなんかヴォーカルがベースアンプの上で自分の手首を斧で切り落として客に投げたりみたいな噂が有ったのです。

「じゃ、今度のライヴでヤス!お前、腕を切れ!」

とか言われたらイヤじゃん!

一人だけ後輩って、絶対マズいでしょ!必死で断りましたよ。

(つづく)

今朝やっと届きました。

aidaniarumono

12月7日発売なのに、約一週間遅れてる。

村上広一のブログ でも流通が遅れている旨のことは書いてあったのだが、楽しみにしていた僕にとっては長かった。

が、12月に入って仕事の上での大きな山場がいくつか有り、気持ちに余裕も無かったのでちょうど良かったのかもしれない。

村上広一については前回の記事で書いた通りです。

3月に目黒倉庫で、このアルバムの音源を聴かせてもらった。

その時既に作り込まれていて、

『これ、どんな発想でこんなアレンジになるんや?』

と根掘り葉掘り訊かせてもらいました。

今朝届いたばかりのCDをかけて驚きました!

『うわっ!音、ぶち綺麗!』

全体的なミックスはその時のと変わってないように感じた。最後の曲は違うのかな?

けどマスタリングしなおすとこんなに変わるのか!

レンジがとにかく広い。しかもナチュラル。

音色と声にこだわりたかったと言っていたけど、この完成版が彼の頭の中に有った音そのものじゃないかな?

すごいわぁ。感動!

SOONのアルバムや自主制作のアルバムも聴いてきたけど、間違いなく今回のが最高!

セルフプロデュースでこんなにクオリティが高いアルバムは最近出てないんじゃないかな?


一曲目の「ムスビメ」という曲のシャッフルのグルーブは爽快です。

ドラマーとしてコピーしたくなる一曲です。

アルバム全般通してボーカルの処理がすごくカッコ良い。

特に三曲目の「フリージア」や四曲目の「乱反射」についてはボーカルの重ね方が上手い。

目黒倉庫でも同じ事は感じて、

「これ、どうやっとるんや?何のハーモナイザー使ったらこんなに自然になるんや?VOCALIST?」

vocalist

と質問したところ、

「ハーモナイザーなんか使ってないよ。全部歌っとるんよ。」

との事。

「えぇっ!ピッチが違うのにこんなに同じように歌えるんか!?」

と、アマチュア全開で驚いてしまいました。

でも七曲目の「朱ね色の雨粒」は多分ハーモナイザーじゃろうと思うけど。コレも自声っつったらスゴすぎでしょう。


僕はこのアルバムを聴いて懐かしいブリティッシュの空気を感じました。特にビートルズ。

僕はビートルズは好きなのですが、リンゴスターのあのヤボったいドラムが大嫌いでした。

今でこそ誰のどんな曲を聴いても、CDに収められているアレンジや各パートのフレーズは、その曲を表現した或る一面でしか無いと思って受け止めてるけど、ビートルズの曲は音楽がわからない頃からずっと聴いてた事もあり、曲とセットで心に刻み込まれています。あのヘンなフレーズは、確かに曲にマッチしていると思います。

だけどドラムのフレーズはほとんどポールが考えていたという説も有るし、特にドラマーとしてこの人のタイム感は理解出来ないとずっと思っていました。

「Ticket To Ride」のアレは、ホントにアレで良いのか!?

ポールに「お前はこう叩け」とあのヘンなフレーズを押し付けられて、ふて腐れて叩いたんじゃないかな?

だいたい「涙の乗車券」っちゅう邦題のセンスも理解出来ない。

(もっと言うとポールマッカートニーの「No More Lonely Night」がなんで「ひとりぼっちのロンリーナイト」みたいな邦題なのか?大好きな曲なだけに残念!)

と、こんな文句を言ってもそれは、理解する技量が僕に無いだけなのかもしれない。

今月のドラムマガジンは「ブリティッシュロックドラマー」の特集。

drummagazine

ちょっとしっかり読んで、もう一回研究してみようかな。

村上 広一(ムラカミ コウイチ)


12月7日にBellwood Records からアルバム『アイダニアルモノ』 が発売されます。

murakami

知ってる人もいるだろうし「誰?」って人もいるでしょう。

元々数年前まで『SOON』 というユニットで歌っていました。

東芝EMIからマキシやフルアルバムも数枚発売され、このまま順調にいくのかなと思っていた矢先、突然の解散。

そんな彼がインディーズ『RAGAN』を経て、この度『村上広一』 でデビューします。


実は高校の同級生なのです。

その高校には『音楽部』っていうのがあって、彼も僕もそこに入部しました。

僕が音楽活動を始めて、最初のベーシストが彼。

で、最初にコピーした曲はAC/DC『悪魔の招待状』 に入っている『Let's Get It Up』。

ACDC

あの頃は、この部室でよく練習していました。

朝7時半頃から授業が始まるまで朝練、昼休みの昼練、放課後の練習、家に帰ってから個人練習。

一日何時間叩いていたのでしょう。楽しくて楽しくてしかたなかったですね。

当時はH/M H/Rを中心に洋楽全盛の時代でした。VAN HALENやMSG、IRON MAIDEN、TOTOなんかも沢山コピーしました。

IRON MAIDENはラスチャイルドやトランシルバニアという曲がカッコ良くて、だけど難しくてよく練習したように覚えています。

彼は最初から上手かったですね。

彼がスラップ(当時はチョッパーと呼んでいました)を弾けるようになった頃からフュージョンを始めました。

その頃はカシオペアやスクエアが流行っていて、カシオペアではアサヤケやギャラクティックファンク、スクエアではマジックやハローグッドバイ等をコピーしました。

そしてデュランデュラン等が流行って、それもコピーしましたね。

その頃から高校生の間で有名になってきて、お互いどこかのバンドにヘルプで誘われるようになり、特定のバンドに加入しない活動を始めました。

その頃はパーマネントバンドのマンネリ感がイヤでしたし、「上手いから」と声を掛けてもらえる優越感と、知らない人達と音を出す緊張感がたまらなく楽しかったですね。

その頃の僕はセッションドラマー気分で、俗に言うテングでした。当時のテープはまだ残っていて、たまに聴くとホントに恥ずかしいですね。

最後に彼と演奏したのは、アンルイスのコピーバンドにお互い誘われて、その当時は広島の登竜門とされていたライヴハウス『ウッディーストリート』に出た時だと思います。


高校卒業と同時に会う事も無くなりました。時々は電話で話す事は有ったのですが、だんだんとその回数も減ってきた数年後の或る日、突然電話がかかってきて

「今度東京に行く事になった。そのライヴが有るから来て!」

その頃の広島ではKABACHI(カバチ)というパンクバンド(になるのかな?)が有名で、ソニーからCDを発売する事になり、それで上京するというのです。

久々に見た村上の演奏は、ガラッと変わってました。覚えたてのテクを披露していたあの頃とは全然違う、ホントに上手い人の演奏でした。

これからプロとしてやっていこうかというのだから、当たり前か。

実はこの時、初めて「負けた」と思いました。

まぁ、音楽は勝ち負けじゃないのですが、同級生の彼がホントの音楽を掴んで(メジャーデビューという意味ではなく、曲に対する求められた演奏をしているという意味です)いるのに対し、自分はまだコピーバンドで、狭い世界で誉められて喜んでいる。

この頃から自分で曲を作るようになりました。


しばらくしてKABACHI解散。どうしてるのかなと思っていた頃にSOONで活動開始。

数年前に電話が有り「今度広島に行くから会おう」との事。

ハゲて太ってしまった僕にくらべ、昔とあまり変わってない村上。さすが、芸能人って感じでした。

お互いの近況を話しながら、懐かしい思い出話もしながら時間はあっという間に過ぎました。

僕はSOONの『ロードムービー』という曲が大好きで、その曲について色々話してもらいました。

SOONとして最後のアルバムになった「白夜」発売直後、SOON突然の解散。


その後の彼の活動は、RAGANのサイトと、時々のメールで知っていました。

そして今年の3月、僕が東京に出張の際、久々の再会。

「目黒倉庫」と称する彼のスタジオで数時間、話をしました。

音楽に対する考え方や姿勢に圧倒されていると「お前の仕事はどんなん?」と聞かれ、ベラベラ喋りました。

そして彼が一言。

「そうか。良かった。安心した。すごく自信を持って、楽しんでやってるんだね。お前にとっての仕事と、俺にとっての音楽は同じなんだよ。」

「会社の存在意義や理念が有るように、“やりたい事”よりも自分の中で“やっちゃいけない事”や“絶対にやりたくない事”の方が多いんだ。そうやって周りに流されず自分の音楽を追求していってるんだ。」

もう、ぶっ飛ばされましたね。

社会人として、彼の方が真剣に考えているし、揺るがないものを持っている。

彼との数時間を過ごした後の数ヶ月。自分の会社や仕事を見つめなおしました。


だんだん話の中身が逸れてきちゃいました。

もしかして本人の目に触れると、恥ずかしがったりイヤがったりすることもあると思いますので、この辺でやめておきます。高校時代の話など、既にイヤがっていると思います。(すまん→村上)


そんな彼が12月7日にBellwood Records からデビュー、アルバム『アイダニアルモノ』 が発売されます。

このアルバム発売を永い間、待っていた昔からのファンも多いみたいですが、聴いた事の無い方は一度聴いてみてください。


村上広一オフィシャルサイト

村上広一ブログ


《アルバム予約サイト》

@TOWER

HMV

Amazon.co.jp

トラックバックステーション 」の今週のお題が「一番感動したコンサート、ライブ」との事。

このタイトルを見て一番最初に頭に浮かんだのが、もう10数年前に見たアイアンメイデン のライヴでした。

広島アステールプラザにアイアンメイデンがやって来る!

「フィアオブザダーク」のアルバムが発売された時のツアーです。

fearofthedark

日曜のある朝、ボーッとテレビを見ていたらCMでメイデンの曲が...。

「あ!メイデンが来るんじゃ!いつ?チケット発売は...げ!今日じゃん!」

しまった!チケット取り扱いのプレイガイドを見逃した!

時計を見ると10時半。もう一般プレイガイドでは発売始まってる。

当時はインターネットがそんなに普及しておらず、雑誌で調べたり、仲間に電話して知ってるヤツを探したりと、現代では人海戦術となった方法が一般的だった。

でもそんな時間は無い!

広島のデオデオか、楽器センターなら売ってるだろう。だけど、今から広島まで買いに行ったのでは間に合わないかもしれない。

イチかバチか賭けてみた。

岩国には米軍基地があるからか、スズヤという小さなレコード屋で外タレのチケットを売ってる事がある。

車に飛び乗って岩国に向かった!

「すみません!アイアンメイデンのチケットって有ります?」

「有るよ。」

マ、マジで!? 俺って冴えてる~っ!

座席表を見ると、一枚も売れてなかった。一番前は...7列目!しかもセンターより少し右の通路脇。

ラッキー!

「コレ!2枚ください!」

小学校時代からの友人で、高校時代に一緒にバンドを始めたヤツもアイアンメイデンが大好きで、どうせアイツも行くに決まっとる。

ちなみにコイツの音楽ジャンルはヘヴィーメタルしか無く、四半世紀メタルしか聴いていない。


さて、ライヴの当日。

友人と一緒に会場入りした僕達は、スーツだった。この頃はJRで通勤していたので着替えを持って行かなかった。

とりあえずTシャツは買ったが、ワイシャツの上に着るのはもっとカッコ悪い気がして着なかった。

真っ暗なステージにSEがドヨ~ンと流れる中、ソレは突然始まった!


タタタタタタタタ!


スネアの音が鳴り響いたかと思うと、


バーン!


と演奏が始まった。と同時にステージ上が一気に明るくなった。

弦楽器のメンバーがコッチに向かって走って来てる!


「ウワーッ!」


会場全体が一気に熱くなった!もう、両手の拳を突き上げて立ち上がりました!

一曲目は最新アルバム「フィアオブザダーク」から「Be Quick Or Be Dead 」です。

このアルバムからギターのエイドリアンスミスが抜けてヤニックガーズに変わりました。

それには賛否両論ありましたが、僕はヤニックが入って正解だと思ってました。

僕らの正面はスティーブハリスでした。コロガシに足をかけてベースのヘッドを客席に向けて弾く、挑戦的な独特のスタイル。マジでカッコえぇっ!

腕がダルくなっても振り続けました。声が出なくなっても叫び続けました。

僕が一番カッコイイと思っているヴォーカリスト、ブルースディキンソンは生でもやっぱりカッコ良かった!

ニコマクブレインの山のようなドラムセットもカッコ良かった!

友人はディブマレーのファンで、位置が反対側だったので少し残念そうでした。

風船のエディーも見たし、本当に満足しました。

あの一発目の感動は今思い出しても鳥肌が立ってきます。

meidenlive

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コレはエイドリアンが写っているので、少し前のLIVEですね。