宮城県産ドラマー、石川洋のブログ。 -8ページ目

宮城県産ドラマー、石川洋のブログ。

宮城出身、都内中心、全国で活動中のドラマー、石川洋のブログです。ライブサポート、レコーディング、ドラムレッスン等行っています。

今日が9.11だからとか、震災から三年半後だからということでもないのですが。


そういう年齢なのかもしれないけど、最近「普通に生きる」って凄い大変なことだし、尊いことなんだなぁと思わされることが多い。


そもそも「生きる」という言葉が何なのかって話なんですけど。


「最低限の衣食住があって、多少の娯楽や趣味もある状態での生活」


これは最早かなり上出来なのではないでしょうか。


「趣味も無く、友達もおらず、毎日つらいけど、家族の為に生きている」


これも「生きる」ですよね。



「家も無く、身よりも無く、空き缶を集めたりして何とか生きている」


も生きているし、


「仕事ができる状態だけど、役所をうまいこと騙して生活保護を受けてパチンコや酒に入り浸っている」


も生きているし、


「月200時間残業させられて、他になにもできる時間もないのに、月給15万円で心身ともに限界」


も生きています。




極端な例も書きましたが、「生きる」のにも色々とありますよね。



生活や収入にもレベルや格差があるように、「生きる」という言葉にもそれぞれの人によって相当の差があると思います。


役所っぽい言い方をしたら、「生命を維持することが可能で、最低限の文化的な生活が…」とかになるんでしょうけど、実際そんなのは現代の日本ではキレイごとですよね。



収入の格差は二極化して、社会もギスギスし始めて、犯罪や鬱も昔より大分身近になった気がします。


こういう内容はしばらく昔から言われていますが、「物質面」の充実は飽和状態で、今後は「精神面」や「内面」の充足を図るべきだと。



それはその通りだと思うんですが、もっと事態は深刻な気がしてます。



精神面を充実させるのが、音楽でも宗教でも合コンでもなんでもいいんですけど、もっと社会全体でそういった部分に目を向けていかないといけない段階だなぁと。


国がどうにかしてくれたらなぁとは思いますが、最初っから期待はしていませんので、まずは各々ができるレベルで周りに気を配ったり。


もちろん自分のことで手一杯だったりするとは思うんですけど、少しでも余裕があれば周りの人に目を配れたら、思いやれたら、多少は変わってくると思うんです。


何でも手伝ってあげたり、馴れ合うということではなく、一言二言、その人と話すだけでも変わることってあると思うんです。



何とか、もっと温かい社会になればなぁと思います。


ヌルいのじゃなくてね。



正直者や努力している人がバカを見るのを端から見ているのも、そろそろお腹いっぱいだし、クソみたいな奴らが何度再犯してもまた同じようなことを繰り返すのを見るのもお腹いっぱい。



まずは近くの人を少し思いやるところから、色々変わる気がしますっつーか、それしか無いと思います。



大分甘っちょろい理想論だけどねー。



でも、おれはそう信じて生きています(^^)




それでは、長文失礼しましたm(__)m



P.S ちょっと病んでる風に見えるかもしれませんが、おれは全く病んでませんのでご心配なくm(__)m
ちょっと家族の用事なんかで、数日間帰省してました(^^)


お盆に帰れなかったので、その分もゆっくりしてきました!(初日に寝違えてずっと首痛かったけどw)


東京も涼しかったみたいだけど、宮城は最早寒かった!!


去年9月に仕事で帰ってきた時は暑かったから、半そでしか持っていかなかったらまさかの寒さで、ずっと高校に行ってる甥っ子の長袖を勝手に来てました(笑)


で、最終日の昼間に南三陸の祖母の家に行ってきました。



まず行く途中の志津川の街がびっくり!!


道路がめっちゃ変わってました。













前来た時には、土を盛り始めていたんだけど、今回は盛り土の上に新しい道路が出来ていました!


だから今までと道が変わってて、一瞬テンパりました(*_*)


今後あの辺りは全部こうなるんだろうなぁと思うと、防災の為には安心だけど、なんかまた一つ思い出の場所が無くなる気がして少し寂しかったです。



祖母はデイサービスに行っていたのでいなかったけど、伯母と伯父とまた世間話をしてきました。


話の中で一つ気になったのが、医療施設のことでした。


志津川にあった病院が津波で無くなったので、例えば救急車を呼んだら、石巻か登米まで行かなければならないそうで。


救急車が到着してから移動するとなると、やっぱり1時間はかかるんですよね。


それだけかかると、助かる人も助からないことが多々あるだろうなぁと思うので、早く新しい病院の建設が進むことを願います。



いつもの祖母の家の下の防波堤。













少しずつですが、高さが上がった防波堤が出来つつあります。


従兄弟もまだ仮設住宅だけど漁に行けているようだし、まだまだ問題だらけだけど、少しずつ、少しずつ戻っているように見えます。



そういえば今回は偶然にしては出来すぎたことがありまして。


帰った日の夜テレビのチャンネルを回していたら、偶然震災で無くなった従姉妹の娘が出ていました。


途中からだったので良く分からない部分もあるのですが、剣道の県大会か何かの密着取材で。


亡くなった従姉妹が送り迎えをしてくれた剣道だから、頑張っていると。


従姉妹の写真も出てきました。


見たことが無い写真だったけど、笑顔でいい写真だったなぁ。


遺体も骨も見ているのに、何かまだ会えそうな気がするんだよなぁ。




そして次の日またニュースを見ていたら、今度は漁師の従姉妹の息子が出ていました。

中学校の校庭の時計が止まっていて、新しく寄贈されたということで、生徒代表としてお礼の手紙を読んでいました。


まあ実際子供たちは結構な回数取材されたりテレビに出たりしているらしいのですが、帰省のタイミングで二人を見ることができて、何か嬉しかったです。



そしてその流れで広島の土砂災害のニュースも見たのですが、やはり悲しいですね。


一刻も早く安心できる暮らしに戻れることを祈ります。




以下、以前の震災関連の記事ですので、まだ読んだことが無くてお時間ある方は読んでみてください。



自分の震災関連の記事のリンクです。




2011年3月11日

2011年3月12日

2011年3月13日、14日

2011年3月15日、16日

2011年3月17日、18日

2011年3月19日~21日

震災で行方不明だった親戚

2013年3月11日

従兄弟の話

お盆in宮城

震災から3年


生きることが出来ていることに感謝しながら、また気を引き締めなおして暮らしていきます。



読んで頂いて、ありがとうございます。


それでは。
もう4日経ってしまいましたが…


5/4は田澤孝介アニキのワンマンでした(^^)


毎年ソロでワンマンは田澤さんの誕生日に行われているのですが、今年はソロも増やして行きたいということで、5月にもライブをすることができました♪


今回はピアノ、キーボードに都啓一さん、ギターにいつもの石井のいっしーと、ベースに癒し系の嶺くんという編成でした!


いつもピアノ、キーボードで参加している裕太くんも恐ろしく素晴らしいミュージシャンなのですが、今回都さんと演奏することが出来て、また色々なことを感じることができました(^^)


やはりSOPHIAやRayflowerといったバンドや、様々な経験で培ってこられたであろう物を色々と感じました。







色々な方のサポートをしていますが、田澤さんのライブは何か独特で、凄い集中力を求められます。


いや、他で集中してないっていうことじゃないんですけど(笑)



そして、歌はもちろん、田澤さんという人が人間としてとても好きだなぁと再確認できた1日でした(^^)


回数を重ねるごとにサポートメンバーとも息が合ってきていると思うし、どんどん田澤さんが表現したい世界観を汲み取って、もっとサポートできるように精進したいと思います!!



あと、ギターの練習をしておこうと思いました(笑)




次のライブが楽しみ(^^)




ではまたー\(^o^)/