お盆に帰れなかったので、その分もゆっくりしてきました!(初日に寝違えてずっと首痛かったけどw)
東京も涼しかったみたいだけど、宮城は最早寒かった!!
去年9月に仕事で帰ってきた時は暑かったから、半そでしか持っていかなかったらまさかの寒さで、ずっと高校に行ってる甥っ子の長袖を勝手に来てました(笑)
で、最終日の昼間に南三陸の祖母の家に行ってきました。
まず行く途中の志津川の街がびっくり!!
道路がめっちゃ変わってました。




前来た時には、土を盛り始めていたんだけど、今回は盛り土の上に新しい道路が出来ていました!
だから今までと道が変わってて、一瞬テンパりました(*_*)
今後あの辺りは全部こうなるんだろうなぁと思うと、防災の為には安心だけど、なんかまた一つ思い出の場所が無くなる気がして少し寂しかったです。
祖母はデイサービスに行っていたのでいなかったけど、伯母と伯父とまた世間話をしてきました。
話の中で一つ気になったのが、医療施設のことでした。
志津川にあった病院が津波で無くなったので、例えば救急車を呼んだら、石巻か登米まで行かなければならないそうで。
救急車が到着してから移動するとなると、やっぱり1時間はかかるんですよね。
それだけかかると、助かる人も助からないことが多々あるだろうなぁと思うので、早く新しい病院の建設が進むことを願います。
いつもの祖母の家の下の防波堤。




少しずつですが、高さが上がった防波堤が出来つつあります。
従兄弟もまだ仮設住宅だけど漁に行けているようだし、まだまだ問題だらけだけど、少しずつ、少しずつ戻っているように見えます。
そういえば今回は偶然にしては出来すぎたことがありまして。
帰った日の夜テレビのチャンネルを回していたら、偶然震災で無くなった従姉妹の娘が出ていました。
途中からだったので良く分からない部分もあるのですが、剣道の県大会か何かの密着取材で。
亡くなった従姉妹が送り迎えをしてくれた剣道だから、頑張っていると。
従姉妹の写真も出てきました。
見たことが無い写真だったけど、笑顔でいい写真だったなぁ。
遺体も骨も見ているのに、何かまだ会えそうな気がするんだよなぁ。
そして次の日またニュースを見ていたら、今度は漁師の従姉妹の息子が出ていました。
中学校の校庭の時計が止まっていて、新しく寄贈されたということで、生徒代表としてお礼の手紙を読んでいました。
まあ実際子供たちは結構な回数取材されたりテレビに出たりしているらしいのですが、帰省のタイミングで二人を見ることができて、何か嬉しかったです。
そしてその流れで広島の土砂災害のニュースも見たのですが、やはり悲しいですね。
一刻も早く安心できる暮らしに戻れることを祈ります。
以下、以前の震災関連の記事ですので、まだ読んだことが無くてお時間ある方は読んでみてください。
自分の震災関連の記事のリンクです。
2011年3月11日
2011年3月12日
2011年3月13日、14日
2011年3月15日、16日
2011年3月17日、18日
2011年3月19日~21日
震災で行方不明だった親戚
2013年3月11日
従兄弟の話
お盆in宮城
震災から3年
生きることが出来ていることに感謝しながら、また気を引き締めなおして暮らしていきます。
読んで頂いて、ありがとうございます。
それでは。

