早いもので震災から2年が経過しました。
幸いにも、去年も今年も宮城で3月11日を過ごせています。
仕事が入ってしまったら仕方ないですが、可能な限りこの日は宮城で過ごしたいと思っています。
時間の経過と共に、起こった出来事に対しての温度が冷めたり、周りとの温度差が生じるのは人間として自然なことだと思います。
自分の立場からすれば、この震災には自分自身や家族、親戚一同も関係しています。
このブログを読んでくださっている皆さんは、様々な方がいると思います。
直接自分を知っている人、自分がサポートしているアーティストのファンの方、何となくたどり着いた方。
いずれにしろ、自分という個人がここで何かを発信するということは、少なくともTVのニュースで見たり、インターネットのニュースサイトで見るよりは、みなさんに距離が近いと思います。
その分、少しでも何かを感じてもらえればなぁと思い、記事を書いています。
だからと言って、「宮城(東北)に募金をしてくれ」とか「現地に観光に行ってお金を使ってくれ」とかが言いたい訳ではなく(個人的に観光に行ってくれたら嬉しいですが)、あの日地震を感じた地域の人なら感じたであろう様々な気持ちを忘れて欲しくないという気持ちや、それを思い出すことによって周りの人々に少しでも優しくできたり、自分の人生を大事に過ごすことができたりしたらなぁという思いがほとんどです。
そして何より、自分自身の為にも、今後も機会があるごとに宮城に関しては触れていきたいと思います。
今回も南三陸にある母の実家に行きました。
自分の実家から南三陸に行く途中、必ず峠道を通ります。
峠を越えて下ると、南三陸町の志津川(骨組みの防災庁舎が残っている町です)があるのですが、ここ2年間で何回通っても、津波直後に見た街の景色が甦ってきます。
泥の黒と、雪の白しかない、水浸しの街。
今はガレキはそれなりに片付き(まだ山積みになった車などはありますが)、新しくコンビニができたり、地元の水産業者が新しく工場を作ったりというのも少しずつ見られます。
ただ、今回の津波で完全に流されたエリアに建設したりしているので、高台に建設して欲しい自治体とは連携が取れていないんだなぁと感じました。
聞いた話ですが、住宅や商業施設の建設は基本的に高台に移転しないと補助がでないそうで、かと言って実際問題海から離れると水産業の人は不便で。海で仕事する人達にとっては、海の近くにコンビニがあった方が当然便利で。
法律で今回の浸水地域に建物を造ることが規制されている訳ではないらしいので、自分達のリスクで、また海の近くに建物を造ったりしているようです。
きっと補助も出ない上に、津波の保険等も入れないでしょうし、完全に自己責任ですよね。
でも、気持ちとしてはとても分かる話なので、何とも難しい問題だなと思います。
南三陸町というのは、元々志津川町と歌津町という別の2つの町が合併した町なので、その地域でも意見の差はあるでしょうし、すぐには解決できない問題だと思います。
今回は亡くなった従姉妹のお墓参りに行ってきました。
各地で法要が行われていたようで、様々なナンバーの車がいました。
お墓参りを終え、母の実家へ。
親戚達と話をし、食事をして、お土産を渡して出発。
母の実家のすぐ下の港です。
旧歌津町の泊浜という場所です。
ここから30mも坂を上らないところに母の実家はあります。
チリ地震よりも昔の大昔からある家で、漁師の家系だったので、高い崖の上に家があります。
きっと昔の人は津波を恐れて高い場所に家を作ったんだと思いますが、比較的新しく家を作った方々は、あまりそういうことを気にせずに低い場所に家を作ったりしたので、流されたりしたそうです。
この港は1mほど地盤沈下してしまい、常に波が波止場の上まで来る状態になってしまったので、高さを上げています。
写真の奥に見えるのが、元々あった防波堤の先端です。
港内部に波がこないようにあったのですが、津波で流されて先端だけが残っています。
写真だと分かりにくいですが、新しい部分とは100mくらい離れています。
またいずれ繋がるのかな。
そして帰りに撮った旧志津川町の街。
防災庁舎には沢山の人やマスコミがいました。
この写真の奥に見えるのが、亡くなった従姉妹が働いていた養護施設です。
発見されたのもこの付近だったそうです。
2年が経って、色んな意味で自分も含め、みんな慣れてきたのでしょう。
言葉が悪いかもしれませんが、被災地では「支援されること」に慣れてしまって感謝が薄れている空気感も多少感じられましたし、Twitter等のSNSでは、慣用句のように3月11日近辺だけは震災に対してのコメントが多くなり。
それとは真逆に、支援に本当に感謝し、家族や仕事、家を失っても日々頑張って生きている人や、公には何も言わなくとも、地道に東北以外から支援活動を行っている人達を知っている自分は、何か違和感を感じずにはいられませんでした。
きっと誰も最初から悪意があってそうなるのでは無いと思いますし、別にそういう人達を責めるつもりも権利もないですし、自分が何か大したことが出来ているわけでもありません。
ただ、きっと最初は本当に感謝していたし、心配する側も本当に心配していたのが、時間が経って、慣れてしまい、また普段通り、一番の関心の対象が自分になった、ただそれだけのことだと思います。
だから、感謝はしているけど、どこかしらに傲慢さが現れたり、心配しているけど、それよりも自分が周りにどう見られているかといった部分に意識が行ったりするんだと思います。
あの時の気持ちを思い出して、またフラットに物事を、相手を考えられたら素敵だと思うし、自分も出来る限りそうありたいと、改めて思いました。
当たり前なことなんて何もないんだから。
一旦これで終わりますが、今日はもう一つブログ更新します。
それでは。