というか、年度すらまたいでしまったorz
少し時間が経ってしまいましたが、振り返って3月11日のお話をm(__)m
今年も3月11日は実家で過ごすことができました!
正月はちょっと親戚の不幸があったりで挨拶に回れなかったので、少し久しぶりに南三陸に行ってきました(^^)
南三陸の志津川あたりはかなり造成の盛り土が進んでいました!
おかげで道路が一瞬わからなくなるくらいです(+_+)
テレビに良く出る防災庁舎は完全に低い場所にあるので、今後移すことになりそうだという話でした。
車が多すぎて停められなそうだったので、車から。

家を流されて新しく家を作った親戚の家もそうなんですが、基本的には山を削って造成して高いところに家を作っています。
その家を作っているのがほとんど大手のハウスメーカーなのですが、そうすると労働力も県外から来たりすることが多いようで、結果潤うのは本社がある東京だったりするんですよね。
どうせ復興するなら、地元が潤うようにやれるやり方があるはずなのに、まあ業界の暗黙のルールというか、政治があるんでしょうね。
何の業界でも、そういったパワーバランスや政治があるのは理解できますが、こういったケースでもそういう感じなのは残念だなぁと思います。
街を通過して母の実家に行く前に、途中にある祖母がお世話になってる老人ホームに寄ってみました。
現在95歳、中々にボケているので、おれのことを思い出す確率は毎回50パーセントくらいなのですが(笑)、今回はすぐに思い出してくれました!
「今何歳なのー?」って聞いたら「誕生日来たら95だー」って答えたので、「何年生まれなのー?」って聞いたら、それは分からないとのことでした(笑)
でも名前を思い出してもらえると嬉しいですね(^^)
帰り際も車いすを器用に動かしながら、玄関まで見送ってくれました(^^)

おれの顔がやたら眠そうなのは気にしないでください(笑)
ばあちゃんはチリ地震も経験してるし、5年前の震災も経験してるんだなぁと思うと、海で生きるっていうのは本当に大変だよなぁと改めて思いました。
ばあちゃんからすると震災で孫が亡くなった訳だけど、もうその時にはボケはじめてたから、亡くなった事実もそこまできちんと理解できてないかもしれなくて。
凄く不謹慎かも知れないけど、本当に理解したらすごく悲しいと思うから、それはそれで良かったのかななんて少し思います。
その後母の実家に行って、いつも通りお話。
行く度に写真を撮っている、家のすぐ下の防波堤。



どのくらい家が海に近いかっていうのが分かるように、同じ場所から後ろを撮ってみました。

崖の上に家があるんだけど、あの家のすぐ近くまで津波が来たんです。
かなり古い家だから、津波の怖さを知っているから高い所に作ってあるんですよね。
そして、亡くなった従姉妹のお墓参りをしてから、亡くなった時に働いていた場所に献花に。
そこから海方面を見た景色です。

5年前に来たときは、泥と雪で全部白黒だったなぁ。
ちょうど献花が終わったころに14時46分になったので、放送での町長の挨拶の後、サイレンに合わせて黙祷。
終わって、帰ろうとすると、
「え?これから黙祷するんじゃないの?」と母。
何年やってんだよ(笑)
おれが時々抜けてるのはきっと母の遺伝です(笑)
以下、自分の震災関連の記事ですので、まだ読んだことが無くてお時間ある方は、是非読んでみてください。
2011年3月11日
2011年3月12日
2011年3月13日、14日
2011年3月15日、16日
2011年3月17日、18日
2011年3月19日~21日
震災で行方不明だった親戚
2013年3月11日
従兄弟の話
お盆in宮城
震災から3年
帰省からの南三陸
2015年3月11日
2015年お盆in宮城
お読み頂きありがとうございましたm(__)m
また近況は改めてブログ書きます♪
ではでは(^^)


