宮城県産ドラマー、石川洋のブログ。 -5ページ目

宮城県産ドラマー、石川洋のブログ。

宮城出身、都内中心、全国で活動中のドラマー、石川洋のブログです。ライブサポート、レコーディング、ドラムレッスン等行っています。

今年であれから七年。

 

 

今年もこの日を宮城で過ごすことができました。

 

母と二人でまずは亡くなった従姉妹の墓参りへ。

 

 

 

改めて字で見ると、平成23年て凄い昔な感じもします。

 

でも、たった七年前。

 

 

 

その後、南三陸の母の実家へと行きました。

 

 

叔母夫婦といつものように話していたら、亡くなった従姉妹と仲が良かった方が線香をあげに。

 

 

その方は恐山に行って、イタコを通じて亡くなった従姉妹と少し話したと泣きながら言っていました。

 

 

普通の話をしている時はみんな普通なのですが、そういう話になった途端に涙が出てきます。

 

7年経って、忙しい日々やらで辛い気持ちが心の奥の方に行ったとしても、ふとしたことですぐに鮮明に思い出してしまうんだなと感じました。

 

自分ですらそうなんだから、親戚達は間違いなくその何倍も辛いでしょうし、きっと一生そうなんだろうなと思います。

 

 

 

母の実家の高いところから見た海と車。

 

 

近くに昔よく遊んだ砂浜の海水浴場があったのですが、かなり護岸されていて、砂浜がほとんどなくなっていたのが残念でした。

 

 

近くの養護施設に入っている祖母に会ってから、時間があったのでさんさん商店街へ。

 

 

2017年の夏は忙しくて南三陸の街に行けなかったのですが、新しいさんさん商店街が想像以上に凄くてびっくりしました。

 

 

 

そして、やっと夏に南三陸にスーパーが出来ていました。

 

ガソリンスタンドや薬局やホームセンターは割とすぐ出来たのに、スーパー作るのに6年もかかんのかよとも思いますが(採算がとれるかどうかで長引いたらしいですが…)、ようやくこれで多少便利になりましたねー。

 

ただ、南三陸といっても広いので、もっと店舗も増えるといいなと思います。

 

 

 

この日は時々凄く曇ったり、雨が降ったりしていたのですが、夜に東京に出発しようと思ったら凄く晴れていて星がキレイでした。

 

 

 

 

写真撮ってみたけど、全く分かりませんね(笑)

 

 

 

 

不定期かつ超微力ですが、自分の記事を読んだ方が現地のことを考えたり、他の日本各地で起こるかもしれない震災等に対してのことや、日常について考えるきっかけになれればと思っていますので、今後も宮城について書いていきたいと思います。

 

 

最後になりますが、過去の震災、宮城関連の記事です。

 

長い物も多いですが、震災直後の部分だけでもお時間ある時にでも読んで頂ければ幸いです。

 

 

2011年3月11日
 

2011年3月12日

 

2011年3月13日、14日

 

2011年3月15日、16日

 

2011年3月17日、18日

 

2011年3月19日~21日

 

震災で行方不明だった親戚

 

2013年3月11日

 

従兄弟の話

 

お盆in宮城

 

震災から3年

 

帰省からの南三陸

 

2015年3月11日

 

2015年お盆in宮城

 

2016年3月11日

 

2017年3月11日

 

 

それでは。

またすっかりご無沙汰のブログ更新になってしまいました…orz

 

 

今年も3月11日は宮城で過ごすことができました。

 

元々は普通に実家や親戚の家で過ごそうと思っていたのですが、去年知り合ったシンガーソングライターの鈴木あいちゃんが、定期的に都内で復興支援ライブをやったり気仙沼でもライブをやっているということで声をかけてくれて、今年は気仙沼でライブをすることになりました。

 

まずは南三陸の街を通って、老人ホームにいるばあちゃんのところへ。

 

 

相変わらず元気そうなので、100歳まで余裕でいけそうだなと思いました(^^)

 

実家から南三陸の街を通るときには防災庁舎の跡が見えていたのですが、盛り土やら新しい道路で全然見えなくなってました。

 

 

 

 

 

さんさん商店街も仮設での営業が終了し、新しい商店街ができたようなのですが、今回は時間がなく行けずだったので次回は必ず寄りたいと思います!

 

 

その後、亡くなった従姉妹のお墓参りをしてから、みんな集まっている母の実家へ。

 

 

親戚達と色々話したりしていたら、14時46分になったので、黙祷。

 

 

亡くなった従姉妹の子供が、6年前は小さい子供だったのに、すっかり大人びて従姉妹に似てきていてびっくりしました。

 

 

母の実家の下の港。

 

 

 

 

 

 

 

道路はまだ直ってなかったり、作ってる途中の所が多いけど、ここはすっかりキレイになりました。

 

 

親戚達と話をして、ご飯も頂いてから気仙沼へ。

 

 

 

会場の方や、色々な素敵な関係者の方たちに出会い、無事ライブを終えました。

 

 

打ち上げは気仙沼の屋台村に向かい、そこでもまた楽しい出会いもありました。

 

 

屋台村は間もなく閉じてしまうようですが、とても素敵な雰囲気だったのでまた新しくああいう雰囲気の飲み屋横丁ができればいいなぁと思いました!

 

 

翌日は海の市でライブをして、ここでもまた素敵な方たちに出会い、楽しい時間を過ごせました。

 

みなさん、本当にありがとうございましたm(__)m

 

 

 

 

「復興支援ライブ」というのは、中々自分にとって複雑というか、どう向き合っていいものかずっと考えていました。

 

自分が超有名人だったら、もの凄い経済効果を生み出すこともできるかもしれないけど、今の自分では大したことはできないし、かと言って安易に自己満足な「復興支援」も違う気がする。

 

元が多少ひねくれている性格なもので(笑)、ポーズだけの復興支援の言葉なんかにも辟易していたこともありますし。

 

だからとりあえずは自分の手の届く範囲のできることだけはやろうというのがスタンスでした。

 

震災直後に宮城に帰っていたから地元の気持ちも分かるし、離れた場所の人たちの「何かしたい」という気持ちもなんとなく理解できる立場だったから、ずっとモヤモヤしていたのですが、今回誘ってもらったことで一つすっきりしました。

 

 

大きいことができるに越したことはないけど、そうじゃなくても自分にできることをしていけばいいな、と。

 

それで少しでも自分に興味を持ってくれた人が震災のことや被災地の現状に興味を持ってくれたら素晴らしいし、身の回りの物事や人々にさらに感謝できるようになったら素敵だなと。

 

今後はそういう考えで、長くやっていけたらなと思っています。

 

誘ってくれた鈴木あいちゃん、出会ってくれた気仙沼のみなさんに感謝です。

 

 

 

以下、自分の震災関連の記事ですので、まだ読んだことが無くてお時間ある方は、是非読んでみてください。

 

2011年3月11日
 

2011年3月12日

 

2011年3月13日、14日

 

2011年3月15日、16日

 

2011年3月17日、18日

 

2011年3月19日~21日

 

震災で行方不明だった親戚

 

2013年3月11日

 

従兄弟の話

 

お盆in宮城

 

震災から3年

 

帰省からの南三陸

 

2015年3月11日

 

2015年お盆in宮城

 

2016年3月11日

 

 

長文お読み頂きありがとうございましたm(__)m

月をまたいでの更新になってしまいました(+_+)


というか、年度すらまたいでしまったorz



少し時間が経ってしまいましたが、振り返って3月11日のお話をm(__)m





今年も3月11日は実家で過ごすことができました!



正月はちょっと親戚の不幸があったりで挨拶に回れなかったので、少し久しぶりに南三陸に行ってきました(^^)


南三陸の志津川あたりはかなり造成の盛り土が進んでいました!


おかげで道路が一瞬わからなくなるくらいです(+_+)


テレビに良く出る防災庁舎は完全に低い場所にあるので、今後移すことになりそうだという話でした。


車が多すぎて停められなそうだったので、車から。








家を流されて新しく家を作った親戚の家もそうなんですが、基本的には山を削って造成して高いところに家を作っています。


その家を作っているのがほとんど大手のハウスメーカーなのですが、そうすると労働力も県外から来たりすることが多いようで、結果潤うのは本社がある東京だったりするんですよね。

どうせ復興するなら、地元が潤うようにやれるやり方があるはずなのに、まあ業界の暗黙のルールというか、政治があるんでしょうね。


何の業界でも、そういったパワーバランスや政治があるのは理解できますが、こういったケースでもそういう感じなのは残念だなぁと思います。



街を通過して母の実家に行く前に、途中にある祖母がお世話になってる老人ホームに寄ってみました。


現在95歳、中々にボケているので、おれのことを思い出す確率は毎回50パーセントくらいなのですが(笑)、今回はすぐに思い出してくれました!


「今何歳なのー?」って聞いたら「誕生日来たら95だー」って答えたので、「何年生まれなのー?」って聞いたら、それは分からないとのことでした(笑)


でも名前を思い出してもらえると嬉しいですね(^^)



帰り際も車いすを器用に動かしながら、玄関まで見送ってくれました(^^)





おれの顔がやたら眠そうなのは気にしないでください(笑)


ばあちゃんはチリ地震も経験してるし、5年前の震災も経験してるんだなぁと思うと、海で生きるっていうのは本当に大変だよなぁと改めて思いました。


ばあちゃんからすると震災で孫が亡くなった訳だけど、もうその時にはボケはじめてたから、亡くなった事実もそこまできちんと理解できてないかもしれなくて。


凄く不謹慎かも知れないけど、本当に理解したらすごく悲しいと思うから、それはそれで良かったのかななんて少し思います。




その後母の実家に行って、いつも通りお話。




行く度に写真を撮っている、家のすぐ下の防波堤。











どのくらい家が海に近いかっていうのが分かるように、同じ場所から後ろを撮ってみました。






崖の上に家があるんだけど、あの家のすぐ近くまで津波が来たんです。



かなり古い家だから、津波の怖さを知っているから高い所に作ってあるんですよね。




そして、亡くなった従姉妹のお墓参りをしてから、亡くなった時に働いていた場所に献花に。




そこから海方面を見た景色です。





5年前に来たときは、泥と雪で全部白黒だったなぁ。





ちょうど献花が終わったころに14時46分になったので、放送での町長の挨拶の後、サイレンに合わせて黙祷。




終わって、帰ろうとすると、


「え?これから黙祷するんじゃないの?」と母。


何年やってんだよ(笑)


おれが時々抜けてるのはきっと母の遺伝です(笑)





以下、自分の震災関連の記事ですので、まだ読んだことが無くてお時間ある方は、是非読んでみてください。




2011年3月11日

2011年3月12日

2011年3月13日、14日

2011年3月15日、16日

2011年3月17日、18日

2011年3月19日~21日

震災で行方不明だった親戚

2013年3月11日

従兄弟の話

お盆in宮城

震災から3年

帰省からの南三陸

2015年3月11日

2015年お盆in宮城



お読み頂きありがとうございましたm(__)m


また近況は改めてブログ書きます♪



ではでは(^^)