DEF LEPPARD
「ADRENALIZE」 (1992)
- アドレナライズ/デフ・レパード
- ¥2,200
- Amazon.co.jp
プロ野球史上最強の強打者といえば言うまでもなく王貞治です。
王の現役時代を知らない若い人でも、その王が残した偉大な記録の数々を見れば誰も異を唱えないはずです。
王といえば通算868本塁打の世界記録です。2位の野村克也が657本で200本以上の大差をつけ、メジャーの記録のバリー・ボンズよりも100本多く、伝説のホームランバッターベーブ・ルースの714本よりも150本多く本塁打を打っています。
王はプロ入り3年目の1961年のシーズンオフにトレードマークでもある一本足打法をマスターし、翌1962年に38本塁打85打点で二冠王。
そしてこの年から13年連続の本塁打王(通算15回)、19年連続30本塁打、途中8年連続40本塁打(通算13回)、19年間の平均本塁打が43.7本、歴代で9人しかいないシーズン50本塁打という大記録も、1人で3シーズン達成するという、他の追随を許さない圧倒的な成績を残しました。
同時代にはホームラン・アーチストの異名をとる阪神の田淵幸一もいましたが、その田淵でさえも王という高い壁の前に1度しか本塁打王のタイトルを獲得出来なかったくらい、王の実力は抜きん出ていました。
他にも首位打者5回、打点王13回、打撃三冠王2回、シーズンMVP9回というタイトルの数々に、
本塁打だけでなく通算2170打点と通算2390四球は歴代1位、通算2786安打と通算2831試合は歴代3位、通算打率も301で3割以上をキープと多くの通算成績の上位にその名を連ねています。
そして王はただ打撃成績を残しただけではなく、王が所属していた読売ジャイアンツは現役の22年中、14回のリーグ優勝、そして前人未到の日本シリーズ9連覇を含む11度の日本一を果たしました。
しかも打つだけではなく守備の名手に送られるダイヤモンド・グラブ賞(現在のゴールデン・グラブ賞)も設立された72年から引退年の80年までの9年すべて受賞し、一塁手としては歴代でも1、2を争う名手と言われています。
そして現役最後の年となった1980年にも40歳でしたが30本塁打打ちながら、
「王貞治としてのバッティングができなくなった」
との言葉を残して引退をしました。
まだまだ第一線でやれたと思うし、この後も現役にしがみついていたら残り132本となった1000本塁打も十分に達成できたかもしれませんが、そんな記録には固執することなく自らの美学を優先していさぎよく散りました。
この偉大な足跡の数々を見れば王貞治が歴代最強の打者であることは疑いようのない事実のはずなのですが、それでも王は現役当時決してNo. 1の打者という評価だったわけではありません。
そう同じ時代に同じチームに、プロ野球歴代No. 1のスーパースターと言われている長島茂雄という5歳年上の先輩がいたからです。
王がどれだけ圧倒的な成績を残しタイトルを独占し続けようとも、長島は無類の勝負強さからくるここ一番での印象的な一打の数々によって、ファンからの支持も、チーム内での信頼度も、対戦チームからの警戒度などでも王は長島の後塵を拝し、
チームの中心の証でもある4番打者の座にも中々就くことが出来ませんでした。
そして求道者としての侍然としたキャラから暗いというイメージの持ち主だった王は、どこまでも明るく華やかで強烈な光を放っていた長島の影に隠れる形になってしまっていました。
王はそんな長島に対抗するために、とにかく数字というものにこだわりました。
長島さんが記憶に残るプレーヤーなのだとしたら、自分はそういうあやふやなものではなく、形としてしっかりと後世まで残る成績において圧倒的な数字を残す。
それが王貞治という選手のアイデンティティであり、その結果が圧倒的な記録の数々です。
長島茂雄という人の凄さは、同時代を生きた人たちにとっては強烈なものとして残ってはいますが、残念ながら同時代を生きていない若い世代にとってはピンときにくいものです。
残念ながらあと数十年もして長島茂雄本人を始め、長島の現役時代を見ていた人たちが次々にお亡くなりになってしまうようになると、長島の凄さというものはますます分からなくなってしまいます。
しかし王貞治の凄さは、単純にプロ野球においての記録の数々をちょっと見れば、プロ野球が存続する限り誰でもすぐに分かるものです。
ただしそんな王貞治ですが、皮肉にも引退後に自分の記録に苦しめられることになります。
それは王貞治が1964年に記録したシーズン55本塁打という記録です。
まず最初の問題は引退から5年後の85年に、阪神の最強の助っ人外国人のランディ・バースがこの記録に挑もうとした時です。
バースは残り2試合で54本塁打として王の記録まであと1本に迫ったところで、その2試合とも王貞治が監督を務める巨人との対戦となりました。
そしてその試合の1試合目こそは江川が真っ向勝負を挑んで本塁打を許さなかったものの、最終戦は完全な敬遠攻めで、結局バースは54本止まりでした。
それから時が過ぎ01年、今度は近鉄のタフィ・ローズがこの記録に挑むことになりました。
ローズは残り5試合で55本塁打を記録して王の記録に並んだものの、ここでまたも王監督率いるダイエーホークスとの1戦となり、
16年前の悪夢再びとばかり敬遠攻めにあい、結局は55本塁打のタイ記録で終わりました。
しかも翌02年にも今度は西武のカブレラが挑むことになりました。
この年もカブレラは残り5試合の時点で王、ローズの持つ55本塁打に並んだものの、やはり王監督率いるダイエーとの対戦となり、
二度あることは三度あるとばかりの敬遠攻めで、またも新記録達成はならずでした。
この時に王監督は敬遠の指示は出していないと言ってますが、当時所属していた外国人投手が敬遠の指示はあったとも言っています。
ローズの時にはハッキリとコーチが、新記録を達成させないために敬遠したと言ってますしね。
このシーズン終盤のタイトルを取るための醜い敬遠合戦はプロ野球の悪しき風習の一つですが、その最たる例としてたびたび議論の的になっているのが、この3回に渡るシーズン最多本塁打の新記録阻止です。
とりあえず敬遠の是非は置いといておいらがこの手の事件を見るたびに思うことは、まぁお前は何様だよ!って話ですが、皮肉な運命に翻弄される王貞治という男の人間ドラマが見ていて面白いというと語弊があるけど、本当に興味深いドラマだなと。
最初に書いたように長島茂雄に勝つためにひたすら数字というものにこだわってきた男が、逆に引退後に今度は自らの作った数字によって苦しめられ、あまつさえ己の評価を落とす破目になろうとは。
おいらが勝手にイメージしている王貞治という人は、自分のそんなちっぽけな記録なんかに固執するような小さい人間じゃないし、例えバースやローズやカブレラが新記録を更新しようともそれを素直に祝福出来る人格者だと思ってるけど、
結局周りにいる人間が変に神格化して必要以上に持ち上げてしまって、ひとつの聖域として祭り上げてしまうことによって、
いつしか55本塁打という記録がアンタッチャブルレコードと化してしまったのですね。
こういうことに関してこれだから日本のプロ野球は。。。というメジャーファンなんかもいたりしますが、メジャーにもかつてのベーブ・ルースのシーズン60本塁打という記録を神聖視してしまって、
この記録を破ってしまったロジャー・マリスに対して風当たりが強かったことがありました。
もっとも日本の場合は人種差別問題というものも関わっていたりしますが、マリスなんかは同じアメリカ人で同じヤンキース所属選手でありながら当時はひどいバッシングを受けて、
信じられないことにルースの時代とマリスの時代では年間試合数が違うからと、しばらくマリスの61本塁打は参考記録とされていたりしたくらいですからね~。
どっちがマシとも言えないけれど、不謹慎な話かもしれませんがまだ外国人に新記録は達成させたくない!って感情の方が理解はしやすいんじゃないかな~と思ったり。
それに差別で言えばベーブ・ルースの714本塁打をハンク・アーロンが更新しようとした時には、黒人に記録を破らせるなっていうのがありましたしね~。
だから王貞治の敬遠も許されるというわけではなく、結局はどこでも起こる万国共通な事件なんだなと。
王の運命の皮肉と書いたのは他にもあって、何でよりによって王が監督を務めている時のライバルチームにばかりそういう選手が現れて、
しかも必ず新記録が掛かった状態で直接対決があるのか?ってことですね。
王貞治が監督を務めたのは1984年~1988年の巨人での5年間と、1995年~2008年のホークスでの14年間ですが。
例えば王が監督をやっていない時期の89年に近鉄のブライアントがこの記録に挑んでいたら、王さんは何の利害もなく素直に新記録達成を見守ってるだけで良かったですし、
王さんが監督をしていた時でも、例えば84年のパリーグの阪急のブーマーや、05年にウッズが挑んでいたら、
直接対決は無いわけですから、やっぱりただそれを見守っていただけで済んだでしょう。
もしくは巨人監督時代のクロマティやホークス時代のズレータが挑むことになっていたらどうしていたのか?とも考えます。
もちろん松井とか松中とか小久保とか日本人打者が挑んでいたらどうしたのだろうとも思いますし。
いずれにせよ現実としてあったのは、いずれも自分が監督をやっていた時代のライバルチームの外国人打者が自らの記録に挑もうとした上に、すべて直接対決があったということ、
そして周りの人間が変に気をきかして勝負から逃げたという事実です。
まぁバースはともかく、ローズとカブレラは王さんのチーム以外との試合も沢山あった上での新記録逃しですからね~(周りの新記録達成するなという空気感で諦めたという可能性もあるけれど)。
個人的には誰かがこのアンタッチャブルレコードを早く破って王さんを楽にしてあげて欲しいと思っていたけれど、でもやっぱりどうせなら日本人にこの記録は破ってほしかったというのが正直なところです。
松井秀喜はこのアンタッチャブル・レコードを更新してからアメリカに行くべきだったと、ず~っと根に持っていますし。
最近でも中村剛也という化け物がせっかく現れながら、『飛ばないボール』の採用で新記録達成は夢のまた夢になってしまいましたからね~。
『飛ばないボール』を使いながら48本塁も打った2011年に、従来通りのボールを使っていたら何本打ったのやらと本当に悔しく思います。
王貞治のシーズン最多本塁打記録更新と長嶋茂雄の国民栄誉賞受賞。
2人が元気な内にこの2つを果たしてあげて欲しいとずっと思いながらも正直難しいかな?と思っていましたが、皆さまご存じの通りようやく今年同時に達成されたわけです。
今シーズンのバレンティンは開幕から12試合ケガで休んでいましたが、復帰後驚異的なハイペースで打ちまくり、
残り33試合の時点で早くも50本塁打の大台に乗せてしまい、もはや新記録達成は時間の問題となりました。
この後も相変わらず打ちまくり残り22試合残した時点で遂に王、ローズ、カブレラと並ぶ55本塁打のシーズンタイ記録を達成し、
それから4試合後に遂に新記録となるシーズン56本塁打を達成しました。
王の記録から実に半世紀ぶりの記録更新の上に、最終的に60本の大台にも乗せてしまいました。
正直これに関してのおいらの感想は、ハッキリいって微妙です。
プロ野球の記録マニアなので、偉大な記録が塗り替えられてしまったことによる寂しさは素直にありますし、もちろんこれでやっと王さんの肩に乗っかっていた重たい重たい荷物が無くなったことによる安堵感もあります。
それでもバレンティンがフルシーズン働いていないのに達成してしまったこととか、過去の記録を大幅に塗り替える本数まで伸ばしてしまったことによる割り切れなさもあります。
70年以上の長い歴史によって、ある程度プロ野球のファンの中での常識的な数字というものがあるのに、1~2本程度上回ったのであればまだしも、一気に5本も増やして初の60本塁打到達までいってしまうというのは何かおかしいんじゃないか?と
それこそかつてのメジャーでマグワイアやソーサがそれまで誰も破れなかった61本塁打という記録を2人揃って破ってしまったこととか、その上遥かにオーバーする70本塁打まで伸ばしてしまったことに対しての何とも言えぬモヤモヤ感がありました。
記録ってのはそれまでの長い歴史において培ってきたものなので、それを突然大幅に塗り替えてしまうような大記録に対しては、変に勘繰ってしまうのですね。
バレンティンが何か不正をやったなんて別に思っちゃいませんけど、そういう疑惑の目が向けられてしまっても仕方ないくらいの数字を出してしまいましたからね~。
歴史好きにとってあまりのバランスブレイカーな存在は、素直に歓待できるものではない性分なのです
ただ逆に不正をやっていないバレンティンが何故にこんなバランスブレイカーになってしまったかというと、
もちろん元々2年連続本塁打王を獲得していた上に日本野球にますます慣れ、更に『去年よりも飛ぶボール』が採用されたことによって、
過去2年間タイトルを取ったとは言っても『飛ばないボール』のせいで、しょぼい数字だったりしましたが、
今年は諸々の条件がプラスに動いたことによっての新記録達成ではあります。
ただそれ以上に今年のバレンティンを見て思うのは、セリーグ投手陣の情けなさと同時に、世の中が醜い記録阻止のための敬遠を良しとしない風潮というのが確かにありました。
だからといって敬遠を全くしちゃいけない!っていうのは違うんじゃないかなと。
バレンティンの新記録更新が現実的なものとなってきた夏場の8月に、日本プロ野球新記録の18本塁打という驚異的なハイペースで打ちまくってしまいましたが、
対戦するピッチャーがどいつもこいつも何の工夫もなくいたずらに勝負してしまって、ムダにホームランを量産してしまったのがこの新記録達成の主たる原因ですからね~。
パリーグ球団から何で厳しい内角攻めをしないんだ?という指摘もありましたし、ハッキリ言ってしまえばしょぼいピッチャーは素直に敬遠してろよ!って話です。
確かに記録阻止のための醜い敬遠は見たくはないですが、それ以上に見たくないのはへぼピッチャーが何の工夫もなく戦って、あっさりと打たれまくってるみっともない姿ですね。
かつて1989年に、シーズン終盤に当時優勝の常連で最強チームと呼ばれていた西武と近鉄が激しい優勝争いをしていました。
そしてシーズン終盤の天王山と言える直接対決のダブルヘッダーの初戦で近鉄の4番ブライアントが、西武のエース渡辺久信と郭泰源の2人から1試合3本塁打と打ちまくり、
次の第2試合でも更に打って4連続本塁打まで伸ばして、結果この日近鉄がブライアントのお陰で2戦とも勝利したことによって、この年のリーグ優勝を果たしました。
この試合について後に落合博満は、「自分が監督だったらブライアントは全打席敬遠する(`・ω・´)」と言いきっていました。
この落合発言に関して批判する人もいるとは思いますが、勝負の世界なわけですから勝つために最大限の努力をするのは当然のことですし、敬遠で逃げるというのはルールとしてきちんと認められた作戦なわけですから、勝つためにそれを使うことが許されないなんてことはありません。
年間に50本以上も本塁打を打つような強打者相手に、まともに勝負しないなんてのは新記録阻止とか、タイトル阻止とかとは別の次元において、勝つための常とう手段です。
もちろんそういう強打者相手に真っ向勝負して抑えるということが出来れば格好いいですし言うことなしですが、
それが出来ないようなへぼピッチャーだったら、くだらんプライドなんか捨てて黙って敬遠してブーイング浴びてろって話です。
そして今シーズンはへぼピッチャーどもがバレンティンの新記録達成をアシストし過ぎましたからね~。
厳しい内角攻めや敬遠攻めをかいくぐった上での新記録達成だったら素直に祝福できたと思うんですけど、
何か今回は世間様のそろそろバレンティンに新記録更新させろという空気感が漂っていて、その空気感で敬遠するに出来なかったって感じがして、
これはこれで茶番に見えてしまって、何か冷めるんですよね~。
バレンティンを非難するつもりはまったくないんですけど、何か色々と運が良かったよねと。まぁ運も実力なわけですが。
バレンティンを否定するポイントが1つあるとするなら、おいらはどれだけ凄い個人成績を残そうと、それがチームの勝利に結びつかないのであれば大して価値はないと思っているので、
いくらバレンティンがバカみたいに打とうがチームが最下位では価値も半減だなと。
バースもローズもカブレラもいずれもその打った年にチームは優勝してるわけだからね(実は王さんが55本打った年は巨人は3位で、そういう意味ではあまり評価してないんだけど、まぁこの年は王さんのキャリアハイの年じゃないし、他の年で優勝しまくってるわけだし)。
あと今年はバレンティンだけではなく、もう1つとんでもない記録が生まれました。
そう楽天のエースの田中将大が開幕から無傷の24連勝を達成して、前年からだと28連勝というとんでもない記録を出しました。
これに関しても田中が凄いということ以上に、正直他のチームが不甲斐ないという気持ちの方が強いです。
本来ならばケチの付けようがないはずの田中の記録なんですけど、残念ながらこの偏屈野郎は素直にこれすらも称賛できなかったりするんですね~。
なぜなら今年の田中はWBC出場の関係から開幕投手を辞退したため、他球団とのエースとの投げ合いを回避してしまった1年だったからなんですね。
例えば楽天戦9連勝中で楽天キラーと呼ばれているソフトバンクのエースの摂津ですが、当然ですが田中とは今シーズン1度も対戦していない上での記録です。
正直田中に投げ勝ってから楽天キラーを名乗れよと思うし、途中で何とか微調整して田中にぶつけて欲しかったものです。
あとは今シーズン14勝8敗、防御率1.96という田中がいなければ沢村賞だったというほどの好成績を残して、191奪三振で田中のタイトル独占を阻止したオリックスのエースの金子千尋ですが、
この金子とも今シーズン1度も投げ合っていません。
ついでにいうと交流戦で現在のセリーグNo. 1投手の前田健太とも当たりませんでしたね。
もちろんこれは全然田中が悪いわけではなく、正直オリックスやソフトバンクに何とかして欲しかったと思いますが、
本当に今シーズンの田中の全試合の対戦相手の先発投手を見ると、しょぼい面々ばっかりだな~と感じてしまうんですよね~。
それでも全部勝つっていうのはムチャクチャ凄いことではあるのですが、ただ一昨年ひたすらダルビッシュと投げ合っていた時の方が例え負けても凄かったよな~って思いますし、
正直負けなしのままでメジャーに勝ち逃げされてしまうことに対しての不満は結構ありますね。
まぁ田中に関しても、運が良かったよな~と。さすがは神の子、持ってますね。
田中にしてもバレンティンにしても、今年これだけのバカみたいな記録が2つも生まれてしまった原因はどちらも同じで、
結局はプロ野球の低レベル化がかな~りヤバいことになってしまってるってぇことですね。
ちょっと前までは特にパリーグの方に優秀な投手が多数揃っていたというのに、気がついたら本当にまともな投手がセパどちらにも見当たらなくなってしまいました。
もちろん野手の方もかなり厳しい状態です。
理由は言わずもがな優秀なトップ選手がみんなアメリカに行ってしまって歯止めが効かない状態が続いてしまっているからで、今年田中までもがアメリカに行ってしまったらまた更に低レベル化に拍車を駆けることになりますね。
今年はルーキーの当たり年でしたが、正直凄いルーキーが沢山いたというよりも、全体のレベルが低くなってしまっているからこそルーキーでも活躍してしまっただけのように見えますし。
前に触れた通り今年は王のシーズン本塁打記録の更新と、長嶋の国民栄誉賞受賞という2つの大きな事件がありました。
これでONコンビの2人に重くのしかかっていた重荷がようやく取れたようで、同時にプロ野球界を支えてきた偉大なツートップの時代に一区切りを打ったようにも見えます。
2人が現役を去ってから33年、なんだかんだで引退後もこの2人がプロ野球の中心にいる状態が続いていました。
しかもユニフォームを脱いだ後ですら何かと表舞台に引っ張り出されてしまうことが多かった2人ですが、もうこれを期にゆっくりとさせて挙げた方が良いように思えます。
これからON無き新たな時代の幕開けとなって欲しいと思いますが、決して滅びの第一歩にならないようにと切に思います。
長くなったな~
今回はプロ野球の記録というものについて書きましたが、HM/HRで記録と切っても切れない関係にあるのがデフ・レパードですかね。
デフ・レパードと言えば、まだヘヴィメタルブーム前夜の83年に3rd「パイロマニア」を発売し、これがかのマイケル・ジャクソンの「スリラー」がいたお陰で全米1位こそ逃したものの全米2位の大成功を収め、600万枚という当時としては驚異的な売り上げを見せました。
この年はその後にクワイエット・ライオットが発表した「メタル・ヘルス」が全米1位を獲得して、HM/HRムーブメントを起こすことになったわけですが、
これも一足先にデフレパが火を点けたからといっていいでしょう。
クワライは残念ながら翌84年に次のアルバムでこけてしまって一発屋の烙印を押されてしまいましたが、
デフレパは「パイロマニア」発表から4年間もの長きに渡ってインターバルを置いてじっくりとアルバム制作に勤め(ドラマーのリック・アレンの事故もありましたが)、
87年に出した「ヒステリア」は初速こそ伸びなかったものの、シングル7枚が全米チャートインして「Love Bites」が全米1位を獲得したことなどもあって、
発売から1年後に見事にアルバムも全米1位を獲得し、全米だけで1200万枚、全世界で2000万枚という大成功を収め、
「パイロマニア」の高い高いハードルを超える更なる大成功を収めました。
「ヒステリア」で天文学的な大成功を収めてしまったことによって、次の作品はどういった内容になるかの注目は高まりましたが、バンドのプレッシャーはとてつもなかったことでしょう。
今度も4年8ヶ月という長いインターバルを置き、途中またもギターのスティーヴ・クラークの死という悲劇に見舞われたりもしましたが、無事に5th「アドレナライズ」が発売されました。
「アドレナライズ」は「ヒステリア」路線ではあるものの、異常に作り込んでHM/HRの領域からも外れてしまっていたような「ヒステリア」ほどではなくもう少しストレートでオーセンティックなロックアルバムでもあって、
「パイロマニア」の方に近くもあるものの、やっぱり「ヒステリア」を通過したデフレパの音でもあって両者の中間といった感じの音ともいえますが、それだけではなくこの2枚よりももっとポップでキャッチーな良質のハードロックアルバムになりました。
当時はグランジ・オルタナがちょうど勢いに乗ってきていた時代ではあったものの、まだHM/HRの方にも輝きがあった最後の時期であったこともあって、
見事に全米、全英を始め26ヶ国で1位を獲得し、さすがに「ヒステリア」には及ばないものの全米300万枚の成功を収めました。
ただ確かに当時は十分な大成功を収めたアルバムですが、今となってはどうにも地味な扱いのアルバムになってしまっています。
「パイロマニア」と「ヒステリア」という大ヒットアルバムとなった代表作の後に出した2番煎じ的な作品で、問題作「スラング」の前に出したどうにも中途半端な位置づけの作品です。
ただ「パイロマニア」路線のオーセンティックなハードロックでありながら、「ヒステリア」的な作り込んだ音の要素もしっかりと生かされているという点では、
実はデフレパの全作品中、もっともデフレパらしさの詰まったアルバムではないかとも思うのですね。
①”Let’s Get Rocked”や③”Make Love Like A Man”といったライヴ向きのキャッチーな名曲はスティーヴの死のショックを感じさせないというか、それを吹き飛ばすべく思いっきりはじけているようにも聴こえますし、
一方で④”Tonight”や⑪”Miss You In A Heartbeat”といったバラード系の聴かせる曲も素晴らしいです。
どこを切り取ってもデフレパらしい良いアルバムだとは思うし、捨て曲はない反面、ただやっぱり「パイロマニア」や「ヒステリア」の超名曲の嵐でもある神掛かった名盤中の名盤に比べると、残念だけどやっぱり楽曲面でちょっと劣るかー。
デフレパは「パイロマニア」でとんでもないビッグヒットを飛ばしました。
普通ならこれ以上の成功を収めることは至難の業のはずなのに、続く「ヒステリア」で遥かに超える大成功を収めることに成功しました。
しかし正直「ヒステリア」以上の成功を手にするには、それこそマイケル・ジャクソンの「スリラー」並みの世界中の誰もが知ってるほどの大成功を収めるしかないのでしょう。
実際「ヒステリア」が天文学的に売れたとは言っても、当時のおいらはマイケル・ジャクソンは知っててもデフ・レパードのデの字も知らなかったわけですから、更なる上を目指そうと思ったらこのレベルにまで行くしかないのかなと。
実際に「ヒステリア」路線を更に突き詰めて本当にHM/HRとお別れしてしまったら、もしかしたらデフレパだったらその域にいけたのかも知れないと思ったりするものの(ロッド・スチュアートやピーター・ガブリエルやフィル・コリンズのような)、
結果的に彼らが求めたのは「ヒステリア」を生かしつつの原点回帰でした。
自分達はあくまでロックバンドであるということを証命したともいえると同時に、2打席連続でどデカいホームランを狙っていたのに手堅くヒット狙いに切り替えた保守的な作品のようにも見えます。
結果的にはこのHM/HRにとって過渡期に当たる時期に中途半端な作品を出してしまったことによって、この後迷走に入ってしまった感があります。
以前にちょっと指摘しましたが、もし92年という年に「アドレナライズ」ではなく「スラング」路線のシンプルな作品を出していたら。
「スラング」を発表した96年という年はすっかりグランジ・オルタナによってHM/HRは壊滅状態にあった焼け野原状態だった上に、多くのバンドがグランジ化、もしくはパンテラ化に路線変更して失敗し醜態を晒していた後で、
「スラング」という作品はデフレパお前もか。。。と思わせてしまった作品で、見事に不評を買ってしまいました。
しかもグランジブーム自体はもう末期だったこともあって、そっち路線の新規開拓もまったく出来なかったし。
この92年という年にもし「スラング」路線で、なお且つ楽曲のクオリティも高いアルバムを出していたら(「スラング」は音楽性以前の問題として楽曲そのものが弱かった)、
「スラング」ほどはあからさまな便乗という風にも見えず、でもオルタナブームの波にもうまく乗っかることが出来て、
それ以上にデフレパ版メタリカの「ブラックアルバム」といった位置付けになったでしょうし、「ヒステリア」のような緻密に作り込んだ作品の次だからこそ、そういう作品が逆に受けそうでもあり、
うまくすればメタリカのような感じで90年代も生き残っていたかもしれないんですよね。
あとはボン・ジョヴィのように90年代は潜伏してやり過ごして、もう1回HM/HRの時代の波が来るのを読んだ方が良かったのでしょうか。
何にせよ結果的にデフレパは90年代に失敗してしまって、そのため00年代に入ってもそこから巻き返すことが出来ず、なんとなくなつメロバンド的なポジションに落ち着いてしまったように見えるんだよな~。
もうすぐ来るヨーロッパよりは少しマシだけど、同じような感じのポジションになってしまったかな~。
そうなってしまったのはこの92年に「アドレナライズ」という中途半端な作品を作ってしまったことによって、確かにこの時は成功を収めることが出来て、とりあえず大ヒット作の次の作品としては合格点ではあったものの、
振り返って見ればここがポイントだったように見えます。
正直ここで「アドレナライズ」という作品を出してしまった後の96年という年に、仮に「スラング」路線で完璧な作品を出そうが便乗イメージは拭えず、
従来のファンに見捨てられた上に、変にデフレパのイメージが確立されてしまっているから新規ファンの開拓も出来ないという、にっちもさっちもいかない状況だったと思うし。
かといってこの96年という年にデフレパらしい作品を出しても時代的にウケにくかったと思うし難しいですね~。
ただデフレパファンのおいらとしては、ここでデフ・レパードは自分達はあくまでロックバンドなんだということを証明してくれたというのは大きかったと思うし、
この後色々あって浮き沈みは激しくなってしまいましたが、それでも変わらずデフ・レパードのことはずっと好きなバンドで居続けることは出来たのも、逆にこの頃のスタンスが良かったのかな~と。
ある意味では売れるという呪縛から解き放たれた00年代以降の活動こそ、デフ・レパードのメンバーにとっては心地よい時代なのかもと思ったり。
元々ジョー・エリオットって筋金入りの音楽マニアな人ですし、あまり売ることにこだわらず気楽なスタンスでの音楽活動の方があってそうなんですよね。