■メモばかりとっていたのは、落ちこぼれたくなかったから | マウントされる女やめる大学

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どんなに自己肯定感が低くても
熱量集中心理カウンセラー☆マリチャンヌ学長が
あなたの人生を文明開化!
人生の照明を当ててみせます!

◆◇「 溺れたくないから、消せる魔法のボールペンを選んでいた」の記事を

新規加筆しました 

 

 

「こうあるべきだ、強め」から

 

「そんな自分をゆるしてお金持ち*」

 

 

優雅な星へ導く

お手伝い心理カウンセラー・

 

マリチャンヌです。

 

 

 

 

わたしは現在カウンセリングという形で

ゆっくりゆるめて自分をゆるし

 

そして未来を思い出すお手伝いという

お仕事をさせていただいています。

 

 

 

 

ワークショップやイベント、勉強会

たくさんのひとがお話しを聞きにくる

場所に行くと

 

 

黙々とメモを取っておられる方と

(それがお仕事である場合もありますが)

 

単純に場を楽しんでおられる方と

いらっしゃるようです。

 

 

 

ひとによって

楽しみ方、目的は違うのかもしれないなぁと

思う反面

 

 

そういえば・・わたしも

ある時期まで、ガッツリ分厚いノートに

一言一句こぼさぬように

文字を書きとめていた時期があったなーと

思い出しました。

 

 

 

そこで今日は

 

『メモばかりとっていたのは、落ちこぼれたくなかったから』

 

のお話しを書きます。

 

 

 

よろしければ少しお付き合いくださいね。

 

 

 

 

 

わたしはすぐ聞いてすぐ覚えるというのが

得意ではなく

 

 

兎にも角にも

メモメモメモメモ!

 

 

とりあえず誰かが言うことを

全部メモっておこう!という癖がありました。

 

 

特に、派遣のバイトでは大活躍!

 

「本当にわかっている人は

メモって取らないんだよ・・」

 

 

異口同音に言われることもあり

 

 

いっとき、メモをやめてみましたが

メモってないことからの緊急事態は

『やはり』起こり

 

 

以降は、我流を通していきました。

 

 

ちなみにメモることに必死なので

相手の話を聞く余裕はありません。

 

 

いつも書き終わると

「ああまたやってしまった・・」と

イヤ〜な気持ちがよぎったものです。

 

 

 

ちなみにターニングポイントとなったのは

心理の講座を卒業し

ある先生の単発講座に数回通っている時でした。

 

 

「メモやめて、僕の話を聞いて」

 

派遣の時と同じことを言われました。

 

 

ずっとその癖に違和感を持っていたので

あ、バレてる!ととても恥ずかしい気持ちになりました。

 

 

だけど藁をもすがる思いで講座に来ているわたしは

「メモを取らなければ、帰る頃には肝心なコトは

全部忘れている・・」

 

 

その思いが強くあり先生が背を向けている隙に

コソコソ、書くのをやめませんでした。

 

 

そして、悲しいかな・・

 

『わたし・・損したくないんだ』

 

 

同時に、本音に気づく羽目にもなりました。

 

 

落ちこぼれること、振り落とされることの

奥にあるものですね。

 

 

 

もし、メモを取るのをやめたら

わたしはどうなるんだろう・・?

 

 

補助輪をとって、補助無し自転車に乗る人の気分と

似ているかもしれません。

 

 

 

わたしは毎月の心理のお話会でも

メモを取るのをやめることにしました。

 

 

それは一番恐れていた

『わからない状態の中にいるわたし』という

大損に飛び込むことでもありました。

 

 

最初はムズムズしましたが

幾度かやって見ることでわかったのですが

意外と本当にハートにヒットしていることって

何年経っても記憶しているんですよ。

 

 

衝撃でした。

 

 

 

ほどなく知り合いの先輩に

遊びに連れていってもらった際言われました。

 

 

「まりちゃん、全身で感じるんだよ」

「五感で感じて」

 

 

心細さから、おしゃべりばかりして

せっかくのこの空間を味わっていないじゃない?

という意味だったと思います。

 

 

 

その場では、言ってる意味はわかるけど

怖くてできませんでした。

 

 

ということは、それがわたしが

一番恐れていたことだったということでもあります。

 

 

 

『手放しで自分の心を、ただ感じる』

 

 

 

うちに帰ってから

 

足の裏が床を伝って感じる冷たさ

頬を暖房がかすめ

襟が髪に触れる感触を味わってみました。

 

 

 

 

感謝が、ただそこにある。

 

 

 

アレレレ???

先輩が言ってたのはこのことか!

 

 

補助輪を外して自転車に乗ってみたら

意外な拾いものに出会った感覚です。

 

 

 

「メモらず人の話をきけないのは

聞いたことを忘れてしまうわたしが

イヤだった・・・」

 

 

それは建前です。

 

 

本当は、丸腰=忘れてしまうことで

 

みんなはもらえるのに

「自分だけがもらえない状況」を

回避したかったのです。

 

 

『幸せは誰かに与えてもらうもの』

 

 

その思い込みがあったから

安心を手に入れるためには

 

 

*わたしはどうしたかった?

 

*わたしはどう感じた?

 

何より大事な自分の本音に

蓋をしてでも

適応していかなければならないという思い込み。

 

 

前提が狂っていたのです。

 

 

 

受け身で物事を捉える視点しかなく

ものを習うという現場に置かれると

ついつい、こういうかたちで表に出るようです。

 

 

気づけること自体、ありがたいことです!

 

 

 

「早わかりしなければならない。

間違えても許されるのは2、3回まで」

 

 

それを超えたら存在そのものを否定される

「ほうらどうせお前はダメだ」

 

 

確かにそんなふうに言われて

育ってもきていたので

自分も真に受けていたのも

 

偏りができる理由の

一つではあったかもしれません。

 

 

でも、あの頃とは

大切だと思うことはもう違う

 

 

 

 

今のわたしは

楽しむ場でメモを取ることはなくなりました。

 

もちろん取りたければ取ってもいい。

 

 

だけどあまり書く気が起こらないのです

 

 

 

 

ほんに不思議ですねー・・・

 

 

 

 

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