こうあるべきだ、強め」から
「そんな自分をゆるしてお金持ち*」
優雅な星へ導く
お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。
わたしは現在、ゆっくりゆるめて
ゆるすお手伝いをモットーに
心理カウンセリングのお仕事をしています。
理由はあれど・・・・・・・
「言いたいことが
ほんとに伝えたい相手に言えない」
そんなとき
誰かが自分の言いたいことを
言ってくれてスカッとした!
でかした!と
その後ろからガッツポーズ
本人はなんにも言ってないので
現実そのものに変化はなく
我に返ったときむなしさが募る
・・・・というときってありませんか?
わたしも
とてもとても、そんな面が強かったです。
一生直らないと思っていました。
でも、ほぼほぼ、今はないのです。
・・・・・どこへいったんだ?
そしてそれは
一体どのタイミングで
薄まって行ったのだろう?
『NOが言えないとき、
本音を誰かに言わせていた』の話
よろしくお付き合いくださいね。
昔から、とにかくどうでもいいことや
人の気を引くがらみなら
何でも話せるのに
わたしは
「いや」「やめて!」という
毅然とした態度が取れない子供でした。
誰かなんとかしてくれないかなぁ
誰かわたしを守ってくれないかなぁ
このままやり過ごせないものか・・・
その夢だけを追い続け、
そこがゴールだと思っていたので
叶わない現実に
いつも怒りと失望がありました。
30代中盤で
ああ、これはもしかしたら
根本がずれているのかも?と、
やっと腹をくくり
その後自分に向き合うため
心理カウンセリングの勉強をするようになり
ことなかれ主義の
他力本願の奥には
本音を伝えることで
リスクを追う痛みから逃れたいという
自分がいたことに気づきました。
長年当たり前だと思いこんでいたことは
当たり前ではないのかも?
抑圧していたものが
せきをきったように
口からこぼれるようになりました。
言ったあと、怖くなって変なフォローして
お茶を濁したりもしていました。
同調圧力が怖かった頃の名残は出ます。
それでも自分の中にある
まだ小さいけど、とても大事な声の灯を
消してしまうことだけはしたくなくて
懲りずに「伝える」はやりつづけました。
時にキレられたりもしましたが
相手を変えたい!とも違う動機なので
一歩踏み出した自分にはなまるです。
そんな繰り返しの日々が続き
自分比ではちょっとずつ
思ったことが言えるようになりました。
ちなみにまだ、男性性女性性のことなど
勉強する前だったので
とにかくバッキバキに
逆をやるという、捨て身の時期でした。
やりながら気づくこともさらにあり
どうもわたしは
NOという種類の自分の意見
思いを口に出すことは
「人に逆らう」「摩擦を生む」
という恐れがあったようで
心にゆっくり問いかけてみると
『親のルールに背くこと』
という思い込みがあることに気づきました。
もっと言えば安全欲求です。
自分の命をそこに預けていたわけです。
だから上手に立ち回り自己主張もせず
やんわり迎合、服従することで
みんな仲良し
自分の居場所も確保できる
いいことづくめのようだけど
いつもわたしはそこに居なかった。
子供なりのサバイバルの
仕方だったのでしょうが
大人のわたしにはもうお腹いっぱいかなぁ??
軽くみられる
なめられているような気がするなど
ずっとうまく言葉にできなかった
感覚の正体が見えたようでした。
誰も、よくも悪くもないはなしです。
反して、だからこそ
「他人の顔色を気にせず
思いを口にできるひと」がいると
敵を倒すスーパーマンみたいに見え
憧れていたんだなぁ、と。
その昔(野球の野村監督の奥さん)
野村沙知代さんがすきだったのは
その辺があったからかもしれません。
わたしは自分の命綱を
誰かに預けていたから
NOを伝えること=リスクが怖かった
というのもあるのですが
今の今なら、もうひとつその先にあるものの
存在を知らなかっただけ
なのかも?と思っています。
最初から敵なんかいなかったのです。
親のルールを越えたとき
『わたし』を誰か任せにするのをやめたとき
もうひとつ先の扉の存在に
気づくのかもしれません。
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