■腰をあげる勇気がなくってただ批評に走っていた | マウントされる女やめる大学

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どんなに自己肯定感が低くても
熱量集中心理カウンセラー☆マリチャンヌ学長が
あなたの人生を文明開化!
人生の照明を当ててみせます!

 
 
 
「こうあるべきだ、強め」から
「そんな自分をゆるしてお金持ち*」
優雅な星へ導く
お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。
 
 
わたしは別名
『ゆっくりゆるめてゆるす
お手伝い心理カウンセラー』を
名乗るくらいです。
 
 
ずいぶん細かくギューギューした
こうあるべきが私のなかには
山ほどありました。
 
 
わがことではないのに
 
すぐ良い悪いとジャッジをする癖です。
 
 
 
というのは先日、
多分悪意はないと思うのですが
 
 
頼んでないのに
感想と言う名の批評をしてくるひとに
かなり久々に会いました。
 
 
多分無意識だと思います。
 
 
お話しを聞くと
すごい人になりたかったけどなれなかったが
あるとおっしゃってました。
 
 
えー、というか
へーーしか思わず
 
一拍おいて
「あーわたしもそれ、前あった~~!」
 
 
過去形で言えるということは
わたしも通ってきた当事者でもあるということ。
 
 
いつかの自分とよく似た人は
そこから
自分の現在地を再確認できる
きっかけになるのですよ。
 
 
そこで今日は
 
「腰をあげる勇気がなくって
ただ批評に走っていた」
 
 
よかったら最後までお付き合いください。
 
 
 
 
わたしはこれがよい/これはダサいなど
自分物差しははっきりあるほうで
 
 
それを『率直』なわたし素敵!とすら
長年思い込んでいる向きがありました。
 
 
悪い言い方をすれば『辻斬り』です。
 
 
「だってほんとのことだし~
言って何が悪いのーー??」が口癖で
NOは言えないのに
こういうことはペラペラ言う面があり
 
 
今振り返れば
土下座行脚じゃ足りないくらい
思ったことをすぐ口にして
他人を裁いて歩いていました。
 
 
だからといって
満足しているわけでもなく
いつも不足感がありました。
 
 
その生き方で強制終了がかかり
重い腰をあげたとき
ある疑問が沸きました。
 
 
 
わたしはわたしに厳しいのは
いったいどこから来ているのだろう?
 
 
このハードル設定の異常な高さは
なんなんだろう?
 
 
いつまでたっても満足できないのは
なんでだろう?
 
 
 
その奥にはこんな本音があったのです。
 
・結果がすべて
・過程はどうでもいい
・他人になめられないよう生きる
 
 
他人から一目おかれる者でなければ
人間として価値はない!
 
 
強い思い込みがあるので
結果と評価がすべて。
物事の上っ面しか見なかった
 
 
見る以外の力が
視点がなかった・・・
 
 
やさしい気持ちを育ててこなかったわたしは
自分自身に対し
ずいぶん悲しい思いをさせてきたようです。
 
 
自分が自分に対しジャッジが厳しいぶん
満足できないフラストレーションを
 
他人を裁くことで
解消していた気になっていただけなのでした。
 
 
今思うとどうかしていたのですが
 
とにかく他人から
一切文句言われない人生を送ることが
しあわせ、という
親譲りの価値観がありました。
 
 
周りからはすごーいと思われたくて
 
 
他人の目中心に回っていた
わたしというひと個人の自信は
そのたびに空洞化が加速していってのかも
しれません。
 
 
うっすらうっすら
積み重なるように。
 
無力感というのでしょうか?
 
 
その気持ちが批評家、つまりは良い悪いで
他人を裁く癖を作っていったのかもしれません。
 
 
よし、気づいたからには
裁く人生とはおさらばだ!と
一念発起しますが
自分のことは自分ではさっぱりわからず
 
・意見を言う
・思いを伝える
・他人を裁く
 
これらの違いがさっぱりわからず
何か言うたびに
 
これまた(苦い話ですが)
同じタイプの人に
 
「またジャッジしてるよ!」と
ジャッジされるという出来事も多く
イライラする日々は続きました。
 
 
陰陽、量子力学の話が
大きなきっかけになり
男女性の話と共に
わたしのなかで一本につながり
 
 
そこからしばらくして
上記の違いは自然と
感覚の違いでわかるようになりました。
 
 
同時期、同時平行で
「やなことやめてやりたいことをやる!」
をこわごわですが触りだしてもいました。
 
 
おもしろいことに!
それは今までとは
真逆の生き方を歩み始めたということでもありました。
 
 
批評家時代は、批評されるの嫌だから
やりたいことがあっても
トライしませんでした。
 
 
でも、やりたいからやってみる~!というのは
評価目的ではないので
子どもが泥を触りたいから
泥んこ遊びをしているのと同じです
 
 
のびのびたのしー!
それだけです。
 
 
そして忌み嫌っていた
「競争」のからくりも
わたしのなかではすっかり定義が変わり
 
 
大きく気が楽になったのは
これがかなり大きいです。
 
 
逆に批評家めいた人に出会うと
 
なんとなく思考回路はみえるけど
いまの自分には正直あんまり
どうでもいいことだなぁ~って。
 
 
もちろん人間だし、記憶はあるので
反応じたいはありますよ!
 
 
その上で長引く時間が減りました。
 
 
す~っと素通りして行く感覚でしょうか?
 
 
 
 
批評ぐせをやめようと思って
やりだしたことではない角度から
ホロホロ鎖はほどけていったという
 
 
ほんにふしぎなはなしです。
 
 
 
 

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