いつでもハロウ!
元イラストレーター25年歴/
頑張りすぎる人間関係専門カウンセラー
もりわきまりこです
【自己紹介 ①】不登校になるまで
【自己紹介 ②】働く引きこもりイラストレーター
【自己紹介 ③】自分を棚に上げたままでカウンセラーになりました(最終話)
(ありがとうございます)
毎日をぬるい励ましでやり過ごし続けたい、その生き方をやめたくないという方にはただただ、刺さる動画のようです。
見ていただければ一目瞭然ですが、わたしもめぐちゃんも、自分にとってのちょうどいいを「世界共通の正しさ」だと思って
悩める人の首を、こちらにぎゅーぎゅー引っ張っていきたい!は皆無です。
きつい言い回しでもないのに、どうして刺さるのかというと
見たくない自分に向き合うことを無視している自分を自覚することからしか、人生第二章は始まらないということを、無意識ながらこれより前からすでに、自覚があったから目を逸らしたくなったのかなあと。
自分のこと、デブだなあーと思っていても、他人にデブだねって言われたらキレるのと同じ原理です。
キレさせるのが目的じゃないですよ。
当たり前だと思って選んでいるものが自分を苦しい生き方に運んでいるのなら、自分の現在地を自覚することが先決。
人生の前半部分で習得しちゃった、ちょっとした誤解、ボタンの掛け違いを、今の大人年齢の自分に沿った位置に掛け替えてあげるだけで
ここではないどこかへ高飛びしなくても、いつものメンバーの中にいても、無理を背負わない自分としてのびのび存在している自分に気づけるようになります。
わたしたちも経験者だから言えることがあります。
行きつ戻りつで、カッコ悪いまま「苦しいと名付けた自分」と仲直りしてきました。
ひとりぼっちじゃ、ほんっっっとに困難なんです。
自己啓発本読んで超えられましたって人の方がレアです。
わたしも、厨二病的こじらせが長かったので、自分をレア組だと思い込み自力で超えられると粘った口です。
45歳で自分をやっと凡人だと認め(←ここが最重要)心理塾行ってから、ドミノ式に自分にとって不要な価値基準がパタパタと倒れていきました。
サポートや、他人との関わりがどれだけ必要だったかが今ならよくわかります。
(関わる人の見極め方もね)
自分比で生きづらさが緩和したからといって、完璧ななにかになっているわけでもないし、そんなもの自体この世にはありません。
「わたし」が「わたし」として、せっかく生まれてきたのだから楽しんで生きていかない?って声を掛けているだけ。
若かりし頃、わたしは「自分がある人」に心底憧れながら、自分が「自分がある人」(主体性のことね)になっちゃうと、意固地で頑固で強情な人になる恐怖がありました。
うちのお母さんがイメージモデルね。
いえいえ、あれは、拗ねてる上での凝り固まり。
拗らせたところを中庸にまで持っていってあげれば、ニュートラルの上で自然に自分はどうしたい?が出ます。
それは、強情じゃあないです。
自尊心です。
主体性も自尊心も行きつ戻りつしながら、出来上がっていくもの。
当てる焦点を間違えなければ、誰でも(人間だから)持ち味生かして日々を嬉しく生きられます。
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