日本宗教学会に入会した動機の一つは、日蓮教学について勉強したいと思ったことにあります。昨年の学術大会から、日蓮について、様々な立場や視点から学びたいと思い始めました。
「日蓮学」(そういう言い方があるかどうか知りませんが)は、立正大学が権威として君臨しています。にもかかわらず、立正大学の日蓮研究者と知り合う機会はありませんでした。社会学でも望月哲也先生(故人)の謦咳に接したことがあるくらいで、あまり知り合いはいませんでした。
最終日(9/11)の第7部会(「日蓮部屋」)で聴けた報告は5つ。
「日蓮聖人における「以信代慧」をめぐって」(立正大学、水谷進良先生)
「日蓮『撰時抄』と『注法華経』の関連について」(立正大学、関戸堯海先生)
「日蓮著『立正安国論』に対する科段分けをめぐって」(立正大学、先吹康英先生)
「『録内御書』の写本について」(日蓮正宗教学研鑽所、堀部正円先生)
「『四信五品鈔』の真蹟と日法・日目写本」(立正大学、中村宣悠先生)
関連する御書(日蓮遺文)は、「四信五品抄」(1277)、「撰時抄」(1275)、「立正安国論」(1260)、そして「録内御書」(遺文集)。
日蓮(1222-1282)は、日本の宗祖開祖のなかでも例外的に文書を多く残している人です。
そこで、いきおい真筆か書写か、真作か偽作かという問題が生じてきます。
宗祖研究が多くの「訓詁学」や「書誌学」を含んでいることはよく見られることでしょうが、日蓮の場合も例外ではありません。
関戸先生のお話で、私は(恥ずかしながら)『注法華経』という日蓮文書が存在し、国の重要文化財に指定されていることを初めて知りました。『注法華経』とは、妙法蓮華経開結十巻に日蓮が自筆で注釈を書き込んだものです。静岡県三島市の妙法華寺に所蔵されています。ご報告は、「撰時抄」と参照・引用した法華経原典との対照が主な内容でした。
矢吹先生のご報告では、『立正安国論』の10の科段それぞれを「序分」「正宗分」「流通分」のどれに当てはめるかについて幾多の解釈を分類していました。ご報告では、まず「序分」「正宗分」「流通分」という区分について辞典などを多数引用してその定義を列挙します。この3つは、そもそも天台の法華経解釈で用いられた概念です。それが『立正安国論』解釈で応用されたのでしょう。
その後に、6通りの区分タイプを列挙します。「主人」が「旅客」との対話のなかで他宗を破折していく段を「序分」とし、法華経の一善に帰するよう勧める段を「流通分」としますが、「正宗分」の解釈が様々あるようです。報告者の矢吹先生自身は第9段だけを「正宗分」とするお考えのようです。ただ、そうする「根拠」がほとんど述べられませんでした。「序分」「正宗分」「流通分」のどのような定義にしたがって、どのような理由でそれぞれの段を分類しているのか、ご自身の理由は何か・・・。フロアからもそれに類した質問がありました。
日蓮の遺文集、いわゆる「御書」は、日蓮没後一年を経てから老僧を中心に編纂されたという伝説がありました。それが「録内御書」です。しかし、実際は日蓮死後100年以上たってから編纂されたのだろうということが定説になっています。日蓮遺文は、真蹟、写本、刊本という3つの種類が論じられてきました。堀部先生は近世の「刊本」について研究していらっしゃるようです。現物調査を含む、純粋に書誌学的な研究がご専門のようです。
ご報告の内容に関して何か言えるほどの知識も理解もないのですが、日蓮遺文研究の困難について述べていらっしゃったのが印象的でした。真蹟や曽本(かつて真蹟があったが今は写本しかないもの)だけでなく、希少な刊本も、各寺院に所蔵されて閲覧が制限されている現状があります。
最後にお聴きした中村先生のご報告は、『四信五品鈔(抄)』の真筆・写本比較でした。述作年代、題号、台密批判など、興味深い異同が見られました。述作年代は真蹟が1277年、日目写本が1278年となっています。1278年は、書写した年なのでしょうとのことです。題号は、真蹟では見られないことを初めて知りました。真蹟の富木常任の注記には「末代法花行者位並用心書」とあります。
興味深いのは台密批判です。真蹟では天台の学者が慧心の説を用いることを批判して「一閻浮提第一の大事」としているのに対して、日法写本では「閻浮提第一の大事」とはありますが、その内容については「面謁之次」(会った時に)伝えるとのみあります。日目写本ではそれ自体記述がありません。当時、日蓮は台密批判について慎重だったのだろうというのが結論にありました。
報告後の質疑応答で、「重大事は口頭で」ということはよくあったのでないかという指摘もされました。ただ、真蹟では厳しい台密批判があるのですから、慎重だったのは日蓮本人よりはむしろ弟子たちの方では?というのが私の印象です。
日蓮部会に参加するに際して、私の疑問は一点だけ。
日蓮の「口伝」をどう扱うかということです。
せっかく質問・発言する権利を得たのに、あまりに専門の詳細にわたる報告ばかりで口を出す機会を逃しました。
終了後、堀部先生にあえて個人的におききしました。
「御義口伝や百六箇抄、御講聞書などの口伝はどう扱うのですか?」
「書誌学の範疇ではないですから・・・」
「文体分析をなさったらいかがですか? 『三大秘法禀承事』が統計による国語学分析にかけられらたように。信仰や宗学とは離れて、客観的な方法をもっと取り入れた方が、貴宗派にとってもよいのでは?」
書誌学者でいらっしゃるので当然かもしれませんが、はかばかしいお返事は聞かれませんでした。
もうひとつ、フロアにいらっしゃった立正大学の先生と思しき方が『立正安国論』に関する矢吹先生の報告について「国体にも関係する問題」とおっしゃっていたのが気になりました。「国体」・・・? やけに「懐かしい」響きですね。私のような民主主義と人間主義という戦後のリベラルな環境で『立正安国論』を読んできた者としては、多少違和感のある言葉でした。
来年こそは、もう少し勉強して、多少は発言したいと思います。
<会場は早稲田大学戸山校舎>


