読み歩き、食べ歩き、一人歩き(757) 西の宗教、東の宗教(3) | DrOgriのブログ

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おやじが暇にまかせて勝手なことを書くブログです。日々の雑記や感想にすぎません。ちらっとでものぞいてくだされば幸せです。

日本宗教学会最終日の午後は、実証研究の第5部会へ。
パネルテーマは、「国を越えた共通の宗教的信念はあるのか?」
 
今年の3月に国際的な調査が行われました。
8ヶ国(日・米・韓・台湾・伊・露・印・土)
対象者は20~59歳の男女。
各国500人ずつ。ただし、統計に基づいて年齢・性別を層化したそうです。
調査方法はインターネット。
回収数は、4298人。
 
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 質問は、なんと90項目。
それでも、以前の調査より絞り込んだそうです。
 
今回のパネル報告は、4年間にわたる科学研究費による研究「生命主義と普遍宗教性による多元主義の展開――国際データによる理論と実証の接合」(代表:星野啓慈・大正大学教授)に基づいています。
かなり巨大な研究プロジェクトのようです。
幾度も予備調査を繰り返して、精緻化してきたことが伺えます。
キリスト教圏(米、伊、露)とイスラム教圏(トルコ)、仏教圏(日、タイ、韓国)、その他(印)といった多様な宗教文化圏を対象にしています。
 
今回のパネルは、そうした「原研究」からのデータを因子分析にかけ、各国に共通の構造が宗教的信念について見つかったという結論を導いています。
 
インターネットを通じた各国語による質問項目は、宗教的「信念」に関わるものでした。
それぞれに「賛成/反対」を尋ねています。
賛成の率が高かった質問は、以下のようなものです。
「人生のあらゆることの価値は、自分自身がそれをどう意味づけるかで決まる」(66%)
「人間は誰でも救われる可能性を有する」(66%)
「超能力や奇跡はある」(64%)
・・・「「神」はこの世界の中のどこにでも常に存在している」(58%)
・・・「「神」は、宇宙と一体の大生命である」(54%)
・・・
報告でも言われていましたが、一番困難だったのは、「用語」です。
「神(God)」や「魂(Soul)」という言葉を自分なりに置き換えて考えるよう但し書きをつけたそうです。
他にも、特定の宗教文化に属する用語は平易に言い換えています。
輪廻転生=「人は生まれ変わる」
終末=「世界には終わりがある」
 
 
 
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質問どうしで「賛成」「どちらとも言えない」「反対」(実際は3段階ではなく5段階)の相関が高いものと低いものとを分類し、共通因子(一種の潜在的な変数)を抽出し、8か国に共通する「第一因子」を発見したとのことです。それは、「神」や「魂」など宗教的な存在に関するものでした。渡辺光一先生は、それを「直接性」の次元と呼んでいます。

 

しかし、単一のベクトルが見出されたことで「単一の宗教信念の構造」が見出されたと述べることにはどうも違和感が拭えません。その「原研究」の研究分担者であり、今回の共同報告者でもある島薗進先生も同様の疑問を示しました。

そもそも、インターネットにアクセスできて、90もの質問に答える人って、何か特別のような気がします。日米伊韓のような国と、印土(トルコ)のような国では回答者の(相対的な)階層的位置が異るのではないでしょうか。フロアからある先生(タイ国研究の専門家?)からもありましたが、「インテリの共通の宗教理解」が現れているだけではないかなあ。

 

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大きなプロジェクトで宗教学者と統計学者がいっしょに仕事をしているのですから、質的な問題意識(差異や個性)と量的な技法の洗練(何らかの統一か一般化)という点で方向性の違いが出てきても不思議はないでしょう。

島薗先生はご自身が質問文の選定にあまり関わっていないというご発言をなさっていますが、もしそうなら残念なことです。

質問調査(いわゆるアンケート)は、どうしても質問の「表現」に依存してしまいます。この報告の調査は「宗教信念」という観念的な内容を尋ねるものでした。しかも、各国の言葉に翻訳し、加えて文化的・宗教的背景を「脱色」した表現で訊いています。さらには対象者がインターネットユーザーですから、質問に対する知的な解釈が対象者の側でなされるでしょう。

 

ただ、渡辺先生のご説明にもありましたが、(比較的)「宗教的」な人々と「宗教的でない」人々の双方に同じ構造があるというのは興味深いです。また、日本の回答者は他国と比べて「宗教性」が低いとういうのも面白い結果です。

 

自分がアイヌ調査をしてきた経験があるのでそう思うのかもしれませんが、民族性や宗教性(そういうものがあるとして)については、観念的な表現に対する態度よりも「行動」や「習慣」の方が重要な気がしています。むしろ、定義上、そうした要素が必須だと思うのです。

今回のご報告は、そうした意味では限界のあるものではありますが、異なった宗教文化圏の横断調査という大胆な試みとして、たいへん大きな意義があると思います。

今後の展開に期待したいと思います。

 

国際比較といえば、林知己夫先生と真鍋一史先生でしょう。

真鍋先生はこの報告の「原研究」に参加していらっしゃるようです。

 

 

 

 

 

 

最近、(ちょい古いですが)「哲学的人間学」に凝ってます。

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