勉強不足だから仕方ないか・・・
家族社会学会と同時開催とは思いませんでした。
偶然、知り合いの先生と出版社の社長さんにお会いしました。
どちらも家族社会学会で来ていました。
宗教学会の報告時間は相変わらずタイトです。
2日目の目当てはニーチェとドイツ観念論だったのですが、ニーチェは聴けなくて残念。
ドイツ観念論の「自然宗教」に関する報告は聴けました。
弘前大学の師岡道比古先生の報告「ドイツ観念論における自然宗教について」がそれです。
たいへん勉強になりました。
私にとって「西の宗教」であるキリスト教は、哲学はもちろん社会学にも大きく深い影響を与えてきましたし、今でも与えています。
近代初期(17-18世紀)から、ドイツの思想家たちはプロテスタント(特にルター派)以後の理想宗教を探究していました。ドイツ観念論と言われる一連の思想家たちはその先鋒でした。師岡先生は、そうした思想家の間にあった自然的宗教(Naturreligion)と積極的宗教(positive Religion)という二分法に注目します。
ここでの「自然」宗教は、原始宗教ではなく、理想の宗教であり、人間の本源的な理性にかなった宗教を指します。
「積極」宗教は、自然宗教の対概念で、歴史的な特定の宗教であり、「啓示」によるか「教祖」がいるかする宗教です。師岡先生は「積極的」と訳しますが、私はやはり「実定」宗教か「既成」宗教の方が分かりやすいと思いました。
ただ、師岡報告では、ドイツ観念論の複数の思想家を互いに比較してその異同を論じていますので、共通のニュアンスに悩んだ結果なのでしょう。「自然法(natural law)」に対する「実定法(positive law)」の対照と通じるところがありますね。
報告ではレッシング、カント、フィヒテ、シュライエルマッハー、シェリング、ヘーゲルを取り上げます。これらの思想家たちは、自然宗教が「本来」の宗教であり、積極的(実定)宗教は「乗り越え」られるか自然宗教に「回帰する」かするべき「非本来的」宗教と見ています。
レッシングは、理性未発達な原始宗教から進歩するためにキリスト教という積極的(実定)宗教が現れたのだが、人類は始原的な自然的宗教に回帰するべきだとします。カントは、信仰と宗教を区別します。信仰は多様でも、宗教は本来一つです。多様な信仰形態を含む積極的(実定)宗教は、唯一の道徳的・理性的宗教の「乗り物」に過ぎません。
「道徳的」宗教の重視は、カントからフィヒテに引き継がれます。
「理性的」宗教の重視は、フィヒテ、シェリングを経てヘーゲルに至ります。
シュライエルマッハーの「直観と感情」としての宗教という思想も、「人間本性」による宗教を希求しています。
この報告では、自然的宗教に対する各思想家の志向が列挙され、積極的(実定)宗教がどの程度「容認」され位置付けられているかの差異が述べられているにすぎません。フロアからも、「結局、結論は?」という質問が出ました。私もその点が疑問でしたが、報告者はドイツ観念論の始まりがイマヌエル・カントなのかどうかという古くから言われてきた問題で締めくくっていました。
<ドイツ観念論がらみ>
読み書き、食べ歩き、一人歩き(482) ドイツ観念論の美味しい食べ方
読み歩き、食べ歩き、一人歩き(709) ドイツ観念論の美味しい食べ方、その2
ながら勉強(3) 読んで、書く、ただそれだけ。
読み歩き、食べ歩き、一人歩き(461) ヘーゲルとベーグル
読み歩き、食べ歩き、一人歩き(465) ヘーゲルとベーグル(2)
「西の宗教」の「自己の普遍化」または「普遍性の自賛」がほの見えてきたご報告でした。
それに対して、「東の宗教」に関して聴いた報告(群)は、「訓詁学」でした。
最終日の午前中の第7部会は、さながら「日蓮」部会の様相でした。
これについては、また後日。





