アメリカのA Happy New Year(2) | 中島旻保の大人の絵日記

中島旻保の大人の絵日記

医療者でありながら一方では、政治経済のことになると言いたい事が沢山あるそんな中島旻保のコラムとも言える絵日記


中島旻保の大人の絵日記-No.16 -アメリカ編-3


【アメリカ編】
前回の号で車の強奪という悪いアメリカの姿を見た後、自由の女神像(Statue of Liberty)を見に行くにはちょっと抵抗があったが、ともかくマンハッタンのニューヨーク港の乗り場よりフェリーでリバティー島へ向かった。フェリーといっても1階と2階のフロアしかなく、沢山の人を乗船させるだけの目的で造られているため最上階はただっ広くなっていた。ただ観光のためなので、最初は遠くなるロウワー・マンハッタンを、そして自由の女神像の正面を、最後に2つのセットをどこからでも観られるように考えられた設計の船である。我々4人は子供のようにはしゃぎ、ペチャクチャペチャクチャしゃべりながら自由の女神像に近づいた。ニューヨークの自由の女神像はアメリカの独立100周年を記念して、1886年にフランスから贈られた。像は左手に1776年7月4日と刻印した独立宣誓書を抱え、右手に高々とトーチを掲げている。よく映画や絵葉書に出てくるので、私はアメリカに行ったら必ず観たいとひそかに思っていただけに、実際の自由の女神像は素晴らしいと感じた。

中島旻保の大人の絵日記-No.16 -アメリカ編-2


ディーブと弟のダンが先導役で展望台までの案内をしてくれ、たくさんの観光客と一緒に台座頂上部の展望台までエレベーターであがった。そこから観るニューヨークのロウワー・マンハッタンには感動した。するとディーブが「ここはまだ自由の女神の足元だよ。この上の王冠のところまで上らないとマンハッタン全体が観えないんだ」と教えてくれた。そこで我々は171段の螺旋階段を汗水たらしながら上った。ディーブが言うように、やはり王冠の展望より観る眺めは最高であった。ああ、アメリカに来たんだなあという意識にかられた。この島に2時間程いて、また再度フェリーでマンハッタンに戻った。その夜、我々はディーブの両親と合流し、おじさんの案内でニューヨークのチャイナタウンに行った。「一番おいしい店に連れてくよ」というおじさんの行きつけの中華飯店に入った。

中島旻保の大人の絵日記-No.16 -アメリカ編-



地下にある店のただっ広い部屋、中央の円卓に我々は席を取った。店は食事時だったので満席だった。北京ダックを始めフカヒレ、八宝菜など中華料理の定番が所狭しと並べられた。貧乏生活の私には夢のようであった。ただ、ここでまたハプニングが起こった。それは、当時アメリカ人にはあまりチョップスティックスの使い方が浸透していなく、私の真似をして食べようとすると料理をみな落としてしまう。それは私自身が東洋人でありながら箸の持ち方が小さい時から下手で、人差し指と中指を上にして持って食べるために、他の東洋人の箸の使い方と違う。それをみんなが真似をするので私は立ち上がって「私の真似をしないでくれ」と哀願した。その時ばかりは恥ずかしさのあまり赤面した。だけどフランクなアメリカ人はあまり気にしなかったようだった。ともかく、おいしい料理を食べてからアメリカでも有名なマディソンスクエアガーデンのクリスマスツリーを見に行った。そこではたくさんの人がスケートを楽しんでいた。そして、年越しのカウントダウンが始まった。ああ、留学して1年ちょっと、勉強などで辛いこともあったが、この年越しですべて苦労した思いも消し飛んだ。さあ、何日か後にはパーマー大のあるダベンポートに戻らなければならない。次の学期も頑張るぞ!と気持ちを新たにした。

中島旻保の大人の絵日記-No.16 -アメリカ編-4



Dr.中島の回想録(16)


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