「全ての学びはメンターを探すための手段かもしれない」なんて思ったりする時があります。
本を読むこと、経験を積むこと、人と対話すること。そのすべてが、自分にとっての道しるべを探す過程なのかもしれません。そして、時にはその「メンター」は、誰かからの学びを通じて初めて姿を現すこともあったりしますからね。
そして何かをする際に、メンターとなる存在を持つことは、自分の進む道をより確かにし、迷いを減らしてくれます。
それが「人」であっても、「考え方」や「理念」であっても、指針があるかないかで、選ぶ行動や思考の深さに違いが出てきます。
まず、人をメンターとする場合について考えます。これは、実際に関わることができる人物であり、自分よりも経験や知識のある相手です。直接会話ができるため、対話を通じて自分の考えを整理することができます。また、違う視点から助言をもらうことで、見えていなかった選択肢に気づくこともあります。加えて、メンターは時に自分にとって耳が痛いような指摘もしてくれる存在です。そのような厳しさが、自分を次の段階へと押し上げる力になります。
一方、人ではなく「指針」や「理念」のような抽象的なものをメンターとする場合もあります。
たとえば、「常に誠実であろう」という信条や、「失敗を恐れず挑戦する」といった価値観が、それに当たります。
これらは、自分の内面に深く根付いた基準であり、どんな場面でも立ち返ることができる「拠り所」となります。目の前の状況に迷いそうになったとき、こうした理念が道を示してくれるのです。
メンターがいることの大きな意味は、自分の意思決定に一貫性と深さを与えることです。何をするにしても、自分一人の価値観だけで判断していると、視野が狭くなったり、感情に流されたりしがちです。メンターという存在を通して、自分とは違うものの見方や、生き方の型に触れることで、より多面的に物事を捉えることができるようになります。
また、人生は常に順調とは限らず、壁にぶつかることも多いものです。そうしたとき、メンターは支えや励ましになるだけでなく、現実的な道筋を見出すためのヒントにもなります。自分の足元を照らしてくれる灯のような存在だと言えるでしょう。
なんらかのメンターを持つというのは、それ自体を探すほうが大変だなんて意見も有りそうですが、楽しみながら探して行けたらと思っています。
でわ
