よいタイトルが思いつきませんでした。 -3ページ目

鳥の唄—歌えない歌姫—(4)

 
 -7-

 2010年、9月23日。

『はい。谷川衛です。どなた様でしょうか?』

 高校生にしてはやや高めな声質、しかしひどく冷めた声が俺の携帯から聞こえてきた。

 ——谷川衛。

 森野美鳥の家庭に一時期、同居していたという情報から、その名を調査して調べた結果、出て来たのは次のような新聞記事だった。

■GW最中の悲劇。高速道路にて、玉突き事故発生。死傷者も。

 5月5日、20時36分頃、首都高速にて大型トラックが乗用車に追突。前方を走る大型トレーラーに挟まれる形となった乗用車に乗る谷川剛さん(34)、妻の晶さん(29)が死亡。息子の衛くん(9)は軽傷。事故原因は、トラック運転手の居眠り運転とみられている。


 また、こんな女性誌の記事も。

■母の愛、息子救う! GW大惨事サンドイッチ玉突き事故の中での奇跡!

 もはや毎年の恒例行事と化しているGW・Uターンラッシュ時のトラブルだが、今年は例年以上の凄惨な事故が発生した。渋滞中の首都高にて、大型トラックが谷川さん一家が乗る乗用車に追突。追突の衝撃で、乗用車は前方の大型トレーラーに激突。ふたつの大型車にサンドイッチ状に挟み込まれた形の乗用車は、完全に原型を留めないグチャグチャな状態に! 運転席の剛さんは、全身複雑骨折による内臓破裂で即死。後部座席に座っていた妻の晶さんも、全身打撲による重傷で、病院に搬送後死亡が確認された。このような非常に凄惨な事故となったわけだが、ひとつの希望も。亡くなったふたりの一人息子の衛くんは、奇跡的に命を取り留めたのだ! 事故発生の瞬間に、母親の晶さんが包み込むように衛くんを庇ったことが生存に繋がった。まさに、母の愛は強しというわけだ。一方で、事故を起こしたトラック運転手は過度の労働により、全く睡眠が取れない状態だったらしい。トラック運転手在籍の運送会社への責任追及も行われる模様だ。



 よくある事故だ。どこにでもある、平凡な事故と言っていいだろう。しかし、この事故が生還者である少年の運命を変えた。彼は、悲劇の中の奇跡の体現者として、世間にセンセーショナルに報道された。調査の結果として、いくつかのワイドショー番組のVTRが俺のもとに届いた。事故現場にて、「なんと、お子さんの衛くんの生存が確認されました! 奇跡です! 奇跡です!」と売れない劇団の三文芝居のように「奇跡です!」と、繰り返し叫ぶ女性リポーター。「いやあ本当によかった」と、予定調和の作り笑顔で、それに返すスタジオの司会者。「このお母様は、本当に素晴らしい方です!」と醜い顔で泣き崩れる女性コメンテーター。よくできたエンターテイメントの世界が、そこに広がっていた。人々は、その世界に酔いしれたが、彼のその後には全く関心など無いのだ。事故以降、谷川衛の名は、新聞記事やテレビメディアに登場することは、いっさい無かった。

「まったく、この事故被害者の少年を引き取った家の娘が歌手デビューとは。運命とは、なかなか面白いものですね。使い方次第じゃ、いい効果が期待できますよ」と、調査結果を見たスタッフは笑顔で俺に報告した。

「そうだな。だがまず、美鳥は正統派の売り方でいきたいと考えている。デビュー曲の数字次第だろうな、変則的なプロモーションは」

 スキャンダルも、見方を変えればおいしいってね。まったく、俺たち業界人はろくでもない。森野美鳥に関する身辺調査は、期待以上の結果を伴ってひとまず終了した。

 その結果報告とちょっとした連絡事項のため、一般的な学生が祝日である今日、谷川衛に電話したわけだが……

『もしもし、どちら様です? 返事がないなら、切りますよ』

 少々、考えすぎていたらしい。しかし、なかなか気が立っているようだな。大方、まもなく帰郷する美鳥のためになにか準備でもしているのだろうが。

「失礼。怪しい者ではないといっても、信用してくれないだろうから率直に自己紹介しよう。俺は、ベイマックス社員の古井隆介。森野美鳥のマネージャーだ。よろしく、谷川衛くん」

『知らない電話番号だったんで、誰かと思いましたよ。美鳥のマネージャーさんですか。どうも、美鳥がいつもお世話になってます』

 素性を明かしたことで、声色からあからさまな敵意はなくなったが、それでも警戒は解いてないらしい。なかなか、ふてぶてしいじゃないか。俺は、こういうヤツは嫌いじゃない。

「そりゃあ番号を教えた覚えのないヤツから電話が来たら驚くよなあ。いや、ウチが美鳥と契約するにあたってちょっと色々調べてたんだが、その中に肉親でも親戚でもない男と一時期同居していたという情報があってね。オーディション応募時の書類には、こんなことは書かれてなかったし、また合格後の美鳥との面接でも家族の話は聞いたんだが、年の近い男と暮らしてたなんて話はいっさいしなかったんだ。で、ここで一応、確認しときたいんだが、君が美鳥の家で一時期暮らしていたというのは、事実かね?」

 淡々と尋問していると、昔はこうやって手掛けたアイドルが隠れて作った彼氏によく抜き打ちで電話してたもんだと、なんだか感慨深くなってくる。相手が同じ芸能人なら、事務所同士の密談となるが、素人の場合はこうして俺がちょちょいと電話して脅しを掛ければ、たいていはビビって逃げていく。ノリで始まるガキの恋愛なんて、所詮こんなもんで簡単に終わりを告げるんもんなんだよ。さあ、谷川衛くんはどうくるかね。せいぜい、俺を楽しませてくれよ?

『バーカ! バーカ!』

「な、なんだとお!」

 しまった。

 冷静に尋問しなければいけない立場の俺が、動揺してどうする。しかし、こんなリアクションで返してきたヤツは初めてだった。いまのは、ボイスチェンジャーかなにかか? 普通の声とは違ったが。

『すいません失礼しました。いまのは知人、いや知鳥のインコの声なんで、気にしないでください』

 インコ? なんの冗談だ……と思ったが、確か美鳥の家でインコを飼っていたんだったな。オーディション優勝時の新聞インタビューで、素朴な美鳥にしては意外なほど饒舌に答えていた話だったと記憶している。つまり……、

「なるほど、君はいま美鳥の家にいるわけか。谷川くんは高校に上がる際に、家を出たと聞いていたが……」

 それは嘘で、ずっと美鳥と暮らしていた? 経済的にも、高校生ひとりが自活するには厳しい時代だしな。

『そうですよ。いまはひとり暮らしですよ。今日も午前中はバイトでした。ただ最近は、万里子さん……美鳥のお母さんに誘われて寝泊まりしてるんです。おれ、年上には意外にモテるんですよ。バイト先でも、先輩のおっさん連中には妙に優しくされますから』

 臆することなく、俺を挑発してくるか。今回の電話の意図は理解しているようだな。

「美鳥は、ひとりで生活することになった母親のことをよく心配しているよ。また、誕生日も近い。いまは誕生日パーティーの準備もあるし、一時的に美鳥の家に戻っているということかな?」

『なんだ、全部お見通しか。さすが東京の芸能界の方ですね。おれたち田舎の様子も全部把握してるんじゃないですか?』

 まあな。『森野美鳥プロジェクト』は、ウチの社運を賭けた企画だし、多少予算を掛けてでも念入りに調査はしておくさ。ネット時代の最近は、些細なことがきっかけで天国から地獄に陥る芸能人が多いからね。今回の企画は、失敗できない。だから、余計な虫が飛び回っていたら、即刻潰すってね。

「さすがに監視カメラまで設置して君らの生活を覗き見るようなことはしていないが、まあ法的に可能なレベルでは徹底的に調査したな。じゃあ、そろそろ本題に入るとしよう。谷川衛くん、君は長いこと美鳥と一緒に暮らしていたようだが……」

 なぜ美鳥が、(俺たちが調べれば簡単にわかるのに)谷川衛の存在をひた隠しにしていたのか。

「君は、彼女に恋心は持っているか?」

 ……それは、美鳥が谷川衛に恋しているからだ。



 -8-

 2010年、9月23日、22時。

『君は、彼女に恋心を抱いているか?』

 電話口から聞こえてくるおっさんの声は、下手くそな俳優の演技みたいに妙に力みがあった。たぶん、こんな感じで担当するアイドルたちの彼氏を脅してきたんだろうなと、簡単に想像できる。さすが芸能界、なんて恐ろしいところ! と、普通ならなるのかもしれないが、残念ながらおれはわけあって不感症気味なんで 、この程度の脅しじゃ、なんにも感じないのだ。

「アホー!」

 サブローが、おれを見て鳴く。心なしか、心配しているように見えなくもない。

 大丈夫。うまく、やってみるさ。美鳥に迷惑は掛けられないからね。

「恋心? なんのことですか? 美鳥は、おれにとって妹みたいなもんです。家族ですね」

『なるほど。森野美鳥は、君にとっては家族のようなもの。これが返答ということでいいかね?』

 またもや売れない俳優然なノリで、念押しするおっさん。しつこいよ。酔ってんのか。

「そうですよ。あんたが心配しているようなことは、これまでもこれからもいっさいないから大丈夫です」

 おれが、家を出るまで夜は美鳥と一緒の布団で寝てたとかは、たぶんカウントされないから大丈夫だよな? まだ美鳥も、子供だったし。

『それを聞いて安心した。ふう。中には反抗的なヤツがいるからね。俺が担当するアイドルの仕事先に現れて、バイクで強引に彼女であるアイドルを連れ去っていくヤツとかな。結局、そのまま駆け落ちしてそのアイドルは引退さ』

 おっさん、本当に安心したのか、声のトーンが落ち着いたと思ったら、今度は聞いてもない過去話をグダグダ話してきたぞ。なんなんだ、このおっさん。

『まあ、俺も駆け出しのときは担当するアイドルに手を出しちまって、しばらく業界から追われたとかあったな。紆余曲折あって、それがいまの嫁さんなんだが……はっはっはっ!』

「バーカ! バーカ!」

 さてと、もうすぐ日付も変わるし、そろそろ寝る準備しないとな。今日は、余計なおっさんのせいで練習があんまり出来なかったから、明日は頑張らないと。

『谷川くん。念のために確認だ』

 確認? 途中から、おっさんの自分語りが延々と続いたんで聞き流していた。

『森野美鳥と君の関係は、実の兄妹のようなもので、そこに恋愛感情は全くない』

「はい」

 正直、全くないわけはないのだが、ここで否定すると全てが台無しだからな。

『君から森野美鳥に連絡を取ることは、いっさいしない。逆も同様。しかし、森野美鳥の『家族』として、協力してもらう機会はあるかもしれない』

「はい」

 連絡したくとも、美鳥の携帯の番号も知らないしな。こっち(東北)にいたときは、美鳥は携帯なんて持ってなかったし。

『もう24時か……長いこと済まなかったな。最後にちょっとしたプレゼントだ。美鳥のデビュー曲、大手化粧品メーカーのタイアップ付きだ。とりあえずサビの部分は出来たので、機会があれば是非感想が欲しいところだ 。それじゃ』

 携帯のディスプレイに、「メールが一通届きました」の表示。携帯番号だけじゃなく、メールアドレスまであちらさんは把握してるらしい。本当に法的な範囲内で調査したのかよ、って話だ。電話のほうは、一方的に切られた。あんだけ好き放題長話しといて、まったく、なにからなにまで一方的なおっさんだぜ。

 メールには、音楽ファイルひとつ添付されてるのみ。さっそく開けてみると、聞き覚えのある歌声が携帯のスピーカーから聞こえてきた。




 さよなら さよなら わたしの憧れのひと

 さよなら さよなら わたしのたいせつなひと


 夢を叶えるため

 わたしは旅に出るよ


 ありがとう わたしのたいせつなひと

 さようなら わたしのあいするひと


 さよなら さよなら さようなら

 わたしのあいするひと




鳥の唄—歌えない歌姫—(3)


 -5-

 2010年、9月21日。

 俺が美鳥と会って、3週間が経った。しかしこの3週間ばかりで、美鳥は見違えるほど美しくなった。理由はいくつかある。東北の田舎町から東京に出て来て、刺激を受けたこと。単純に、プロのスタイリストやメイクやらの力もある。しかし、そんな外面だけでは図れない美しさを 美鳥は身に纏[まと]うようになっていた。それは何故か。

「なあ小島くん。森野はどうだい?」

 ベイマックスの喫煙室で、気怠そうに煙草をふかしていたメイクの小島(32歳女性、未婚)に俺は話し掛ける。

「どうだい? って、なにがですか?」

「なにがって……森野の感想だよ。我が社の期待の新人だからね。今後の参考にでも、聞いておこうと思ったのさ」

「あー。まあ、いいんじゃないっすかあ。まだJCですから、肌も荒れてませんし、メイクするウチとしては楽っすわー」

 めんどくさそうに小島は答えた。

「そうか。変わったとは、思わないか?」

「変わった? まあ、最初に会ったときに比べるとだんだん大人しくなってきたかな? メイクするときも、ベラベラあたしに喋ってきてたんすが、最近はめっきり大人しいっすね。ホームシックってやつ?」

 とっとと話を切り上げたいという顔で、小島が答えた。

「そうだな。確かにあいつは大人しくなった。なあ小島くんよ、例えばの話をしよう。失ってから、初めて気付く想い。そういうものもあるとは、思わないかね?」

「酔ってんすかぁ、古井さん」

 ハエを払いのけるような仕草をしながら、俺を見る小島。

「俺は仕事絡みじゃ、飲まない主義だ。まあ単刀直入に言えば、会えなくなったことで強まる恋心もあるんじゃないかってことだ」

「出たぁ。古井流の恋愛講座だ! やっぱ、どう考えても酔ってんじゃないすか。そうやって、恋愛に至る女の心理はなんちゃら言って、最終的にマイナーなグラビアアイドルと駆け落ちした若き日の古井さんの武勇伝になるパターンは、もういい加減聞き飽きたっすよ」

 うんざりした顔で、小島が言った。

「おい俺の嫁はマイナーじゃないぞ! 一応オリコンの8位までいったアイドルグループの一員だ!」

「そういうのを世間じゃマイナーって言うんですよ」

 結局、ろくに持論を語ることもできぬまま俺は喫煙室から締め出されたのだった。

 時計を見るに、この時間、美鳥はボイスレッスン中だな。ちょっと様子でも見に行くかと、思った矢先におぼつかない足取りで廊下を歩く本人と出くわす。

「よう」

「こんにちわ……じゃなかった、おはようございます」

 業界じゃ、昼でも夜でも最初に会ったときは「おはようございます」と挨拶するルールを律儀に守っているらしかった。

「マネージャーの俺にまで、わざわざ挨拶に気を使わなくてもいいんだぜ? 調子はどうだ? 少し、痩せたみたいだな」

 デビューするに当たって、体重を絞るのはいいことだが、これはちょっと痩せすぎかもな。美鳥の実家は貧しいほうだと聞いていたが、なかなかどうして食生活に関しては母親はしっかりしていたらしい。オーディション当時の美鳥は、痩せすぎでもなく太りすぎでもないバランスのよい体型だった。

「あんまり食欲がないんです」

「やっぱり、実家のお母さんの食事がいいか? こっちで出す飯は、カロリー計算とか細かくやってるから少々味気ないかもしれないな」

 体型、ちょっと難あり。このままじゃ、メディアに出た際に不健康な印象が目立つ。改善の余地あり、と。しかし、憂いを帯びたその表情は以前の美鳥には無かったものだ。この雰囲気は、悪くない。

「お母さんの作ってくれた料理が、懐かしいです」

 どこか遠いところを見ながら、美鳥が呟いた。

「懐かしいといっても、上京してからまだ3週間しか経ってないぞ。今の生活に、少しずつ慣れていくしかないな」

「はい、すいませんです」

 機械的に答える、その様子にはまったく覇気がない。レッスンやら雑誌メディアのインタビューやらの過密スケジュールに、かなり参ってるみたいだな。

「まあ誕生日には、地元に戻れるからな。それまで、我慢してくれや。お母さんの、美味しい料理が待ってるぞ!」

「やったー」

 出会った頃のような、素朴で年相応な明るい笑顔で美鳥がバンザイポーズをする。

「で、あとはデビュー曲についてだな。歌詞はもう、頭に入ってるか?」

「は、はいです……」

 バンザイポーズのまま、青白い顔で固まる美鳥。

 俺の予感は的中ってとこだな。

 恋をすること、正確には恋心を自覚することで女は美しくなるってね。



 -6-

 2010年、9月23日。

 連日連夜、未亡人に「わたし寂しいのよ」と懇願され、そのお宅に泊まっていくというけしからん男子高校生。こうして書くと、デキの悪い官能小説のプロットみたいだが、要するに美鳥の誕生パーティーの下準備のために、おれが万里子さんの家に泊まっているということである。まあ、中学の頃までは住んでたとこだし、泊まるというかは実家に戻ってきたという感覚だな。

 それで、なにを準備しているかというと、おれたちは歌っているのである。練習しているのである。

「ハッピーバースデートゥーユゥーー」

「バーカ!」

 ワンフレーズ歌った時点で、サブローからダメ出しをくらってしまった。

「マモルくんは、音程がズレてるのよ~。わたしが、お手本を見せてあげるわ」

 世間に認められた天才少女歌手の母親の実力、とくと拝見ってとこだな。

「ハッピーバースデーフォーユゥーーーー」

「アホーー!」

「万里子さん、歌詞間違ってるうえに最後、無意味に間延びしてますから!」

 美鳥の歌唱力に、万里子さんのDNAは貢献してないようだった。

「わたし、歌は聴く方専門だから~。あっ、今日は懐メロ特番があるんだった」

「いいっすよ。おれはサブローと一緒に練習してますから。万里子さんは、ごゆっくり」

 おれはサブローが入った鳥籠片手に、2階にある自室へ向かう。

「せっかくふたりで練習してたのに、わたしだけ悪いわね」

「いえいえ、全然問題ないっす」

 むしろサブローとふたりだけのほうが、色々と都合がよかったりする。



 今はもう、独立して一人暮らしをしているのに自室というのは妙な感じだが、おれがこの家を出た9ヶ月前と全く変わってないのだから仕方ない。

 いや、正確には変わっている場所がひとつあった。

 おれが、この部屋で再び寝泊まりするに当たり、厳重に押し入れの奥のほうに隠していた重要機密文献を確認したのだが、なんとこれがとんでもないことになっていた! 総天然色、色鮮やかな写真を集めた素晴らしい書物たちが、なんとマジックでイタズラ書きされまくり、見るも無惨な事態になっていたのである!

 回りくどい言い方をしたが、要するにおれが密かに隠していたエロ本コレクションが誰かに見つかり、実用性の全くない使えないしろものにされていたということである。あのアイドルの顔にはヒゲを生やされたり、額には肉と書かれるし、あの水着グラドルの胸元には『バカ』、股間には『エロ』と書かれ、生まれたままの姿を晒したアイドルの写真集に至っては昭和のビニ(ール袋で包装されていたエロ本)本のごとく、大事な箇所がことごとく黒塗りされているのである。また見開き2ぺージに渡って「へんたいへんたいドスケベドスケベへんたいへんたいドスケベドスケベ」と耳なし芳一の写経のごとく殴り書きされているのを見たときは、正直戦慄した。しかし、某グループアイドル人気ナンバーワンの水着グラビアに『わたしのほうが全然かわいいし』と、やけに自信あり気な丸文字で書かれてるのを見たときは、ちょっと微笑ましい気分になった。

 本来ならかなりヘコむ事件だったが、美鳥が側にいない今は、こんなイタズラでさえもおれは妙に嬉しくなってしまうのだった。

「アホーー」

 おっと、ボーッとしてたらサブローにツッコまれてしまった。美鳥の誕生日まで、あと2週間を切ったし、のんびりしてる暇はないってか。

「ハッピーバースデートゥーユー ハッピーバースデートゥーユー はい!」

 サブローの目の前で歌って、お前も真似してみろとやってみる。

「ハ、ハ、ハッ……バーカ!」

「くそ、ダメかぁ~。やっぱ単語と違って、歌は難しいのか?」

 プロ歌手(予定)の美鳥の前で素人ふたりが歌ってもイマイチ面白みがないということで、サブローにも歌わせてみるという企画を思い付いたのだが、これを実現させるにはまだまだ時間が必要だ。

「ブーメラン! ブーメラン!」

「おおっ、なんだぁ!?」

 唐突にサブローが、おれが教えた覚えのない言葉を喋ったのでびびったが、なんてことはない。階下で万里子さんが見てる、懐メロ番組の中で流れてる歌を真似したのだ。

「へー。部分的とはいえ、歌も一応歌えるんだな」

 おれが教えた言葉以外を喋るのは、ちょっと悔しいけど。でも、これなら美鳥を祝う歌もなんとか歌えるかもしれない
な。



「ハーッピバースデーィートゥーユー、はい!」

「ハーハピバー」

「おっ、サブローいいぞ! その調子だ!」

「……ユーフォー!」

「おいおい、おれたちは手を合わせる暇も見つめ合ってる暇もないんだぜ?」

 万里子さんは、懐メロ系の番組が大のお気に入りなのである。美鳥が幼い頃、おれがこの家に入る前から、この手の番組が放映されるたびに一緒になって見ていたらしい。それが英才教育となって、美鳥が歌手デビューするってんだから、万里子さんの懐古趣味も馬鹿にはできないってね。

「コーイービトヨー ボケハ ヤクダツー」

 それに、昔の曲は歌詞とメロディーが洗練されていて、よいんだ。いまサブローが真似してんのは、70年代に大ヒットしたアイドルの曲だ(微妙に歌詞ちがうけど)。都会に上京した男と田舎に残った女、ふたりの恋人同士は時が過ぎるにつれ、すれ違い、最後は別れを選ぶという哀しい歌だ。

「ハンパチーズ クーサイクサーイ」

 都会に染まった男はもう田舎には戻れないと告げる、そしてこれまで都会からの男のプレゼントを拒否してきた女が最後に涙吹くハンカチーフをくださいと告げて歌は終わる。遠距離恋愛って悲しいよな。形を変えれば、まるでいまのおれと美鳥のようじゃないか。

 って、おいおい。

 美鳥は、歌手としての夢を叶えるために上京していったんだ。おれがどうこういえる立場じゃない。本音をいうと、まさかこんなにも早く離ればなれになるとは思ってもいなかったけど。もう少し側にいたかった。でも、いずれ美鳥がおれから旅立っていくことは、最初からわかっていたじゃないか。美鳥が歌うのを初めて見た、あのときから。

 それは、もう7年も前の話だ。両親を交通事故で亡くして、おれが美鳥のうちに来たばっかりの頃。おれを不安にさせまいと、やたら陽気に振る舞う様子が空回りしていた万里子さん。おとなしくてなにを考えてるかわからず、ひとことも口を聞いてなかった幼い美鳥。そんな、いびつな家族で迎える毎日の夕食。あれは夏に毎年やってる、チャリティー番組だ。マラソンランナーを励ます、お馴染みの曲。夭折した女性歌手の歌。亡くなったら、それまで売上がイマイチの旧譜も爆発的に売れたという、あの歌手の代表曲。それがテレビから流れて来た。もうすぐゴールに着くランナーのために、スタジオの出演者から観覧者までが一体になって歌っていたんだ。おれは、それを冷めた顔で見てたんだけど、突然、それまで黙ってた美鳥が歌い出した。

 おれは、震えた。美鳥の歌は、音程もろくにとれてないようなたどたどしいものだったけど、だけどそれは、おれを励ますどんな声よりも心に響いたのだ。そのとき、おれはこいつは絶対将来すごいやつになると確信したのだ。



「プルルルル プルルル」

「おいサブロー、ややこしいだろ着信音の真似すんなよ」

 と思ったら、本当に電話が来ていた。知らない番号から。

鳥の唄—歌えない歌姫—(2)

 
 -3-

 俺が初めて森野美鳥と出会ったのは、今から2年前の9月1日のことだった。東京駅地下、銀の鈴広場の前でただひとり呆けた顔で例の巨大な鈴を見上げていた少女。それが、森野美鳥だった。

「よう。東京に来るのは初めてか? そんなに、その鈴が面白いか?」

 俺は、動物園のパンダでも見るかのようにオブジェの鈴を見る美鳥の姿が面白くて、自己紹介するのも忘れて話し掛けていた。

「ドラえもんの付けてる鈴みたいだな~って、思ってました」

「そうか。本来は、そこに巨大なドラえもん像を作る予定だったんだが予算がなくて鈴だけになったんだ。ほら、昔の駅の再現とかで今工事してるだろ? そっちに予算を持っていかれてね」

「そうなんですか!? へ~」

 目を見開かせて、俺の顔を見た後、再びまじまじと鈴を舐め回すように眺める美鳥。どうやら、俺のホラ話を本気にしているようだった。

「ふ~ん、は~、へ~、ほぉ~。あれ、これってもしかしてナンパとかいうやつですか?」

 ひとしきり鈴を眺めて満足したのか美鳥は、唐突に俺の方に顔を向け、こう言った。

「そうだよ。ベイマックスという芸能事務所から、君をナンパしにきた古井隆介という者だ。ほら名刺だ」

 ナンパと間違われても困るので、手っ取り早く名刺を渡す俺。俺が迎えに行くという話は、既に前もって伝えてある。

「ありがとうございます。わたしからも、はい、名刺です」

 卒業式で校長から卒業証書を受け取るかのごとく、うやうやしく名刺を受け取った後、美鳥は俺にもなんか紙切れを渡してきた。なんだこれ?

「こんなこともあろうかと名刺作製機で作ってきた、わたしの名刺です! どうですか?」

 その安っぽい紙切れには、派手々々しい蛍光色の丸文字で「森野みどり」と印刷してある。どうやら、プリクラの亜種の名刺作製機で作ったらしい。喧嘩を売ってんのかと美鳥の顔を見るも、その瞳は真っ直ぐに俺を見つめ、肯定的なリアクションが返ってくるのを期待しているようだった。

「ああ、ありがとう。わざわざ作ってくれたんだな。でも、今から会う社長には渡さないでいいからな」

 社長の杉浦は、こういう冗談が嫌いなほうではないんだが、今は経営不振でピリピリしているからな。

「社長さんにも会うんですか! 凄いですね!」

「ああ。おまえは、とりあえずニコニコしてりゃいいから。おまえの歌手としての実力に、ウチの社長も期待してるんだ」

 いくつかのメディアにも出てたが、歌手『森野美鳥』のデビューが社運を賭けたプロジェクトだってのは、本当の話だ。実は、地方大会のボーカリストオーディションが開催された時点で、最終的に美鳥が優勝することは決定していた。美鳥以外の参加者には悪いが、あの決勝大会は完全にデキレースだったのだ。

 決勝大会の意味、それは華々しい新人歌手誕生という、単なる演出上のものでしかない。

「社長さんと会って、なにを話すんですか?」

 ウキウキとスキップをしながら俺の横を歩く美鳥は、とても中学生には見えない。どうみても小学生だ。まあ、マネジメントする若いアイドルと歩いてると、陰で「あれって援交じゃない」と道行くマダムから囁かれること多数の俺だ。美鳥なら、娘と歩いてる父親のようにしか見えないから警察に通報される心配はないだろう。

「なあに、たいしたことはない。どんな歌手になりたいとか、デビュー曲のプロモーションについてとかだな」

「もうデビュー曲の話しちゃうんですか!?」

 天然キャラらしい美鳥も、さすがの急展開に目を丸くしていた。

「ああ。もうデビュー曲の、タイトルも歌詞も決まってる。曲は複数案あって今から決めるとこだけどな」

「そうなんですか~。うわ~凄いな~」

 これから待ち受ける未来も知らずに、美鳥は両の目を期待で輝かせていた。



 ——あのフェイクの決勝大会には、実はもうひとつの意味がある。「保険」としての意味だ。

 地方大会で優勝後の美鳥の身辺を、俺たちベイマックスは徹底的に調査した。美鳥の生い立ち、非行歴、犯罪歴は無いか、はたまた学校のクラスメートの噂話まで。デビューして売れっ子になれば、いずれマスコミの連中が嗅ぎ回ることだ。実はヤンキーだった過去とか、派手に男遊びしていた過去がゴシップ誌に発掘されたらCDの売り上げにも響くからな。鉄は熱いうちに打て。石橋を叩いて渡るのが、俺がアイドルをプロモーションするに当たっての信条だった。

 調査の結果、問題は特に無し。仮に問題があった場合は、決勝大会に出場した別の誰かに適当にグランプリを贈るが、プロジェクトとしては縮小するという手筈だったので、俺たちベイマックス陣はひと安心。

 しかし、ひとつの懸念材料があった。美鳥の特殊な生い立ちの中に、その要素が隠れているというのが俺の見立て。まあ、 不要なモノは潰せばいいだけ。それが、俺のやり方だ。



「デビュー曲のタイトルって、なんですか?」

「『さよなら』さ。デビュー曲にして、こんなタイトルなんて変わってるだろう?」

 幼なじみの少年に別れを告げ、新しい世界へ旅立っていく少女、美鳥に用意されたデビュー曲『さよなら』はそんな歌詞の歌だ。

 まったく、俺たち業界の人間はろくでもない。



 -4-

 2010年、9月8日。

 おれと美鳥は兄妹のような関係だ。というのは、誇張でもなんでもなく事実そんな関係なのである。おれの両親は、おれが小3のときに交通事故死した。それで孤児院に入る予定だったおれを無理言って引き取ったのが、死んだ母さんの親友だった万里子さん。既に旦那さんを亡くして、美鳥ひとりを育てるのだって大変なはずなのにおれを引き取ってくれたのだ。おれは、万里子さん以上に優しい人をこの世でほかに知らない。朝から晩まで、パートを2つ掛け持ちしておれと美鳥のふたりをここまで育てくれたのだ。だからおれは、万里子さんと美鳥になにかあったときは命がけで守る気でいる。

 そんなわけで、美鳥が上京した後おれは毎日、万里子さんのもとに挨拶に行くようにしている。本当は挨拶だけのつもりだったのだが、万里子さんなぜかわざわざご丁寧に食事まで用意してくれてるので、おれはありがたくいただくことにしている。いいのか、これで。

「美鳥ちゃん、昨日の『ワッコにおまかせ』に出てたわよね~。マモルくんも見た~?」

 熱々のご飯と味噌汁を乗せたお盆を持ちながら、おっとりした調子で嬉しそうに万里子さんが言う。

「見ましたよ。番組の放映時間には、バイトしてたんでYouTubeでですけどね」

「『ゆう中部?』って、なにかしら? 中部地方の番組?」

 万里子さんは、機械にうとい。携帯も持たないし、当然パソコンなんか無い。ビデオは一応あるが、録画とかの操作関連は全ておれの担当だ。

「ネットでテレビ番組を後から見れるようなのがあるんですよ。それにしても美鳥のやつ、あのワッコに向かって堂々としてましたね」

 芸能界の女番長と呼ばれる、あのワッコの前で彼女の代表曲『あの蟹を食べるのはあなた』をアカペラで歌ってみせたのだ。短気なワッコを怒らせやしないだろうかと、リアルタイムでもないのにヒヤヒヤもののおれだったが、結果は想像以上のものだった。涙流してワッコは大感激。

「おまえは立派な歌い手になるでー」と、赤白歌合戦常連の歌手から直々に太鼓判を押されたのである。

「『赤白歌合戦で待ってる』ってワッコさん、言ってたわよね! どうしよう、ビデオをまたマモルくんにお願いしないと~」

 箸に取ったたくあんを味噌汁の中に落としながら、慌てた調子で万里子さんが言う。

「慌てなくて大丈夫ですよ万里子さん。美鳥のデビューは年末だから、赤白に出るのはたぶん来年になると思います」

「よかった~」

 サンマの塩焼きにソースをぶちまけながら、安心した調子で万里子さんが言う。

「それでですね。おれ、こうしてまた飯までご厄介になってるわけですし、来月の美鳥の誕生日にはなんか盛大なパーティーでもしてやりたいと思ってるんです」

 高校に上がるのを機に、おれは美鳥の家から出たのだが、久々に食べる万里子さんの手料理はやはり美味い。しかし、ひとつに減ったとはいえ、いまだパート生活の万里子さんにおれの分の食料費まで出させて、のうのうとしているわけにはいかない。せめて、派手に美鳥の誕生日を盛り上げてやろう。おれは考えていた。

「じゃあ、わたしは美味しい料理を作ってあげよっと!」

 味噌汁をぶっかけたご飯をかき混ぜながら、元気に万里子さんが答えた。

「じゃあ、おれは……どうしようかな?」

 派手に誕生日を盛り上げようと思っても、貧乏バイト生活のおれには皆目見当がつかないのであった。

「そういうのは、深く考えなくていいのよ~。マモルくんらしい方法で、美鳥ちゃんを祝ってあげたらいいのよ~」

 普段、何も考えてなさそうな万里子さんのおれに対するアドバイスだった。

「おれらしい方法……」

 食事を中断して、思案するおれ。

「バーカ! バーカ!」

 考える人のポーズで、考えていたら頭が痛くなってきた。つうかリアルにガチ痛ぇぞ! 顔を上げたら、目の前にはふざけたツラをしたインコが一匹。ふざけた言葉を繰り返しながら、頭を突っついてきやがったのだ。

「バーカ! バーカ!」

 ガツン! ガツン! と、おれの頭を嘴[くちばし]で突っつく音が狭い部屋にこだまする。

「こら! 痛いから! この野郎しつこいぞ、焼き鳥にするぞ!」

 ひっ捕まえようと思ったら、天井のほうまで逃げて、おれを見下しながら「バーカ」「バーカ」と連呼しやがる。誰だよ、こんな言葉インコに教えた奴は! ……おれだった。

「まったくサブローちゃんも困った鳥ねえ。マモルくんが、わたしの手料理を食べないでボーッとしてるから怒っちゃったのかしら」

 人様を小馬鹿にするような頭の良い鳥でも、さすがに閉められた籠から脱走できるはずはない。ニコニコと笑顔で、人と鳥の異種格闘戦を眺める万里子さんが試合の仕掛け人なのは間違いなかった。仏様のような顔して、万里子さんは怒らせると怖いのである。

「でも不思議ねえ。わたしや美鳥ちゃんが、言葉を教えても全然喋らなかったのに、マモルくんが教える言葉はすぐに覚えるのよ」

 ソースが掛かったサンマを平然と食べつつ、珍獣でも見るような顔でおれを眺めながら万里子さんが言った。

 本当に伝えたい言葉は、口で言えなかったりする。じゃあ、どうすればいい?

 美鳥の誕生日を目前に控えながら、おれはそんなことばかり考えていたのである。