シリアルアントレプレナー 「3度目の起業」と「初めての子育て」 -129ページ目

上杉謙信と武田信玄

僕は歴史は全く詳しくないが、上杉謙信と武田信玄の話しで、とても共感を覚えた話しがある。

武田信玄の領土は甲州や信州だったため、「塩」は他の領主(領土)から「輸入」する必要があった。

信玄が塩を「輸入」していたところは、今川氏と北条氏が統治している領土だったらしいが、ある時、彼らは信玄の領土に塩を「輸出」することをストップしてしまったらしい。

そのことを伝え聞いた上杉謙信は、「武将というもの、戦場で雌雄を決するのがあるべき姿であり、塩を送ることを止めた今川氏と北条氏は卑怯である」と言って、宿敵の武田信玄が統治する領土に塩を共有したという。

話しはちょっと異なるが、インターネットリサーチの黎明期に、インフォプラントの大谷さんと僕とで発起人となり、業界全体の発展に寄与するべく、インターネットリサーチ研究会という組織を設立した。

そこで、ビジネス上の競合関係を超えて業界全体の利益を考え、様々な活動をしてきたが、そのことが結局は、インフォプラントにもインタースコープにも利益をもたらしたと思う。

その逆のパターンが「談合」であろう。

常に「大局観」を持ち、フェアな勝負をしたいと思う。

花・枝・幹・根

今日(厳密には昨夜)、仕事関係者と食事をしてきた店に、僕の好きな「相田みつを」の日めくりカレンダーがあった。

今日の「書(ひとこと)」は、「花を支えるのは枝、枝を支えるのは幹、幹を支えるのは根。根は見えないんだな」というものだった。

「大事なものは、見えないところにある」ということは、よく聞くことだが、そのとおりだと思う。

企業経営で言えば、形式知化できない領域にこそ、価値があったりする。

物事の本質を見極める「目と心」を持ちたいと思う。

言葉は「誤解」を生む。

「沈黙は金なり」という言葉で検索してみた。すると、とても意味深いコラムが出て来た。

「言葉は短くなることで記憶に残るが、短くし過ぎると本来の意味が薄れてしまうことがある」という。

そして、「言葉を短くすると意味が発散して分からなくなります。そこには思いこみだけが生まれ、正しい理解は遠ざかります。コミュニケーションも同じです。必要な言葉で済ますのではなくて、十分な言葉を添えなければなりません」と書いてある。

たしかにそう思う。そのことを、身をもって経験したことがある。

僕が昨年、あるところで講演した際のことだ。

「お金があると、実は『お金では買えないもの』を守ることができる」という僕の発言に対して、ある方のブログで痛烈に批判をされていた。

このブログでも何度か書いたとおり、僕は物凄い貧乏な生活もしてきたが、その方は、僕がそんな人生を歩んできたことは知る由もなく、ステージで講演している僕のことしか知らないわけで、拝金主義の鼻持ちならぬ輩だと思われたのだろう。

「人に何かを伝えるというのは、とても難しい」いうことを、改めて考えさせられた。

さらに難しいのは、誤解を恐れて当たり障りのない、あるいは、万人に受け入れられるような話しや表現をしていては「相手の印象には残りにくい」ということである。

そもそも僕は、リスクを取って生きることを選択しているわけで、周囲の批判を恐れていては思い切ったことはできないと思う。

しかし、それも、僕の「表現力の無さ」かもしれないし、あるいは、その時の僕の中に「奢り」や「慢心」があり、それが言葉に出ていたのかもしれない。

ところで、このエントリーを書いていて、亡くなった母が僕に言っていた言葉を思い出した。

「あなたは味方も1,000人つくるけど、敵も1,000人つくる人だから、そのことは覚えておきなさい」と母は言っていた。

実際、同じ講演に対して、「とても素晴らしかった」とコメントをくれた方もいる。

すべては「自業自得」。批判も含めて、すべてを受け入れていこうと思う。

オプトの鉢嶺氏との出会い。

先日のエントリーでも書いたが、9/25(月)、オプトの鉢嶺氏(ハチ)にゲスト講師としていらして頂き、法政大学ビジネススクールとの共催によるオープン講座の第4回目を開催する。

ハチとは古い付き合いだが、彼をゲストとしてお招きするにあたり、僕自身もインタビューされたことのあるプレジデントビジョンでの彼のインタビュー記事を改めて読んでみた。

そこで、再発見したことがいくつかある。

ひとつは、先日も書いた「ナイル川」の話し。

エジプトに行くまでは、「(起業して)食えなくなったらどうしよう?」というのが悩みだったらしいが、ナイル川の岸辺で洗濯をしながら生活をしている人達を見て、「自分はなんてちっぽけな事で悩んでいたんだろう」と思ったそうである。

ふたつ目は、統計的には設立して10年後も生き残っている会社は「数%」という現実を知り、「潰れる」のが分かっていて(覚悟して)会社を創ったということ。

3つ目は、「人と会うことの効用」を大切にしてきたこと。

4つ目は、自分が良いと思ったことは、紙に書いて壁にペタペタと貼っている(貼ることが好き)ということ。

そう言えば、オプトが、まだ、FAX DM の事業をしていた頃、オフィスに「目指せ座布団」という言葉が貼ってあった。要するに、座布団のように会社のベースとなって、経営が安定するような収益源を創る、という意味だ。当時の僕にとって、その意味は、痛い程、よく分かった。

また、彼が好きな言葉に「金を残すのは下、事業を残すのは中、人を残すのが上である。されど金がなければ事業が出来ない、事業がなければ人はつくれず」というものがあるそうだ。僕もこの言葉を、数ヶ月前に知った。痛く共感する。

こうして、ハチのインタビュー記事を読んでみると、彼の生き方から学ぶことが多い。

法政大学とのオープン講座から最も多くのことを学ばせてもらっているのは、ひょっとしたら主催者である僕かもしれない。

このような機会を提供してくれている法政大学ビジネススクールの皆さんとゲスト講師の方々、そして、受講生の方々に感謝をしなければと思う。

「明確な戦略」と「曖昧な戦術」と「経営判断」。

王子製紙による北越製紙へのTOBの結末に関するコラムが、今朝(9/5)の日経新聞に載っていた。

僕は、この事件(?)を注意深く見ていたわけではないので概要しか知らないが、このコラムを読んで印象に残ったことがある。

それは、「明確な戦略」と「曖昧な戦術」という表現(キーワード)だ。

僕は上場企業の経営をしたこともないし、もちろん、TOBをしたこともない。なので、当事者の立場や考え方は分からない。しかし、「明確な戦略」と「曖昧な戦術」という指摘は、企業活動のみならず、自分自身の人生を顧みた時にもヒントが隠されているような気がした。

コラムによれば、北越製紙の経営陣は「有利発行」の疑いもある低価格での第三者割当増資を行い、法的なグレーゾンも辞さず、遮二無二買収防衛策に走ったそうである。

一方、買収によって市場支配力を高め収益基盤の強化を狙うという「明確な戦略」のもとにTOBを仕掛けた王子製紙の経営陣は、そのことによる「企業イメージの悪化」を嫌い、結果的には「曖昧な戦術」を選択し、「明確な戦略」は実現することはなかった。

極めて日本人的な価値観である「体裁・遠慮・しがらみ・情緒」というものを持ち、その一方で「経済合理性」を求められる会社経営を仕事としている自分自身を振り返った時、今回の一件は他人事ではないと思う。

自分が正しいと思ったことであれば周囲の批判を恐れない「強い精神力」と、自分自身の選択により生じ得る「批判や摩擦」を事前に整理できる「知力」の両方が、今の自分にはまだまだ足りないということを改めて認識するに充分なコラムだった。

慶応大学ビジネススクール(KBS)での講義。

今月28日(木)、慶応大学ビジネススクールで講義をすることになった。

講演のテーマは「起業」。

具体的には、

・なぜ起業したのか?
・起業するにあたって考えたこと。
・どうやって起業したのか?(アイディア、資金、人、etc.)
・連続して起業することになった経緯。
・起業のおもしろさ、難しさは?
・なぜ、結果を出せたのか?他の人達との違いは?
・起業できる(成功する)人間と、そうでない人間の違いは?
・MBAの学生へのアドバイス

というものである。

過去の外部講演者とテーマは、

★グロービス 堀さん  「日本におけるベンチャーキャピタルの課題」
★伊藤忠商事 丹羽さん 「リーダーの役割と責任」

だという。

このおふたりの後で話すのは相当なプレッシャーを感じるが、幸いにしてテーマは僕の人生そのものだ。
KBSの皆さんにとって少しでも役に立つ話しができればと思う。

TOWNWORK(タウンワーク)

リクルートから発行されている「TOWNWORK(タウンワーク)」というアルバイト情報誌(フリーペーパー)がある。

今朝、出勤途中の青山通りで、TOWNWORKというロゴの入ったポロシャツを着ている60才過ぎと思われる男性を見かけた。額に汗をかきながら忙しそうに、TOWNWORKというロゴがプリントされた軽自動車に戻っていった。

おそらく、リクルートから委託を受けている会社の社員として働いているのだろう。年齢的に再就職かな?と思った。

リクルートと言えば「人材輩出企業」として認知されており、華々しいイメージがあるが、その彼らの業績を支えているのは、僕が今朝、見かけたような人々なのかもしれない。

僕がまだ30才を過ぎたばかりの頃、ある仕事で知り合った元マッキンゼーの池末さんという方が、ある会社のビジネスモデルのことを「コンサルティング的な仕事(業務)に価値があるのではなく、エクセキューション(実行できる仕組み)に価値がある」と評価していたことを思い出した。

表に出ている華やかなことの陰には、必ずと言っていいほど、それを支えている人々や仕組みがあるということだろう。

何気ない朝の風景で、そんなことを思った。

西郷山公園のGreen Cafe で、この半年を振り返る。

9月になって初めての日曜日。今日は午後から赤ちゃん本舗に買い物に行き、その後、目黒区青葉台にある「西郷山公園」の Green Cafe に行った。ここ最近のお気に入りである。

子供が母乳を飲んでいた頃は、授乳室が充実しているという理由で「六本木ヒルズ」がお気に入りだったが、母乳からミルクに切り替えてからは、西郷山公園の中にあるオープンカフェ(Green Cafe)に行くようになった。

週末は、妻が臨床心理関係のボランティアに行くのを車で送っていったり、ミルクや離乳食、おむつなどの子供関連の買い物や一週間分の食料の買い物等と何だかんだと慌ただしくしているが、僕ら夫婦のリフレッシュも兼ねて、日曜日のランチは外で食べるようにしている。そんな生活が数ヶ月になる。

ところで、ドリームビジョンを立ち上げてから(2006年3月4日)、ちょうど半年が過ぎた。

2000年にインタースコープを立ち上げた時は、とにかく「生活のすべてがインタースコープ」であり、毎日、朝から深夜まで仕事をして、土日もどちらかは会社に出るという、怒濤のような生活をしていたが、今回は「子育て」という大きな仕事と同時並行で進めていることもあり、同じ忙しさでも「種類」が異なる。

食べ物に例えれば、インタースコープの時は「単品メニュー」のようなものだったが、今回は「コースメニュー」のような感じで、材料も多岐に渡るし、料理の仕方も異なる。慌ただしくしているうちに、気がついたら時間が過ぎている。

この6ヶ月間を振り返ってみると、3月にETICのイベントでドリームビジョン設立を発表し、キャリアをテーマとした「SNS」をスタート。5月にはドリームビジョン「設立記念のレセプション」を行い、ネットベンチャー業界を中心に120名以上の方々にご出席頂いた。6月にはマネックスの松本さんをお呼びして「対談形式のセミナー」を開催。そして、7月26日には、アップルコンピュータ日本法人の代表取締役を退任したばかりの前刀さんをゲストとしてお招きし、法政大学ビジネススクールとの提携によるオープン講座の第1回目を開催した。8月28日には2004年のウーマン・オブ・ザ・イヤーを受賞した小室さんを、9月1日にはグロービス・キャピタル・パートナーズの小林さんを、それぞれゲスト講師としてお招きした。3回とも大勢の受講生に参加して頂き、僕自身、とても勉強になった。また、それらと並行して、ある新規事業開発のコンサルティングと資金調達活動のサポートを続けてきた。

こうして振り返ってみると、かなり内容の濃い6ヶ月間だったと思う。また、それらを僕を含めて「たった3人(常勤)」のスタッフで具現化してきたことを考えると、よくやってきたと思う。僕らを支えてくれている周囲の方々のお陰である。

ところで、9月1日は、ドリームビジョンにとって、新たなスタートの日になった。

初めてのことで見よう見真似で準備をしてきた「有料職業斡旋事業(人材紹介)」のライセンスが無事、認可されたという連絡が入った。安田くんの準備のお陰である。

この半年間は、誰も知らないドリームビジョンという会社の「認知と理解」を獲得するべく、「自分らしい生き方とキャリアデザインを考える」というスローガンのもと、「キャリア・起業・生き方・イノベーション」をテーマとした様々なコンテンツを企画し、発信してきた。Pre-Marketing 期間だったと言ってもよい。

これからは、「自分らしい生き方」の中でも「ベンチャーで働く」ということにフォーカスし、「ゼロからイチを創る」ことの尊さ、「可能性に賭ける(挑戦する)」ことの尊さ、「失敗しても挑戦し続ける」ことの尊さを、社会に訴えて行こうと思っている。

僕のドリームビジョンとしての「夢の実現(挑戦)」は、まだまだ始まったばかりである。

乞うご期待!!!

オプトの鉢嶺氏

オプトの鉢嶺氏とは、かれこれ13~14年の付き合いになる。彼のことは仲間内ではハチと呼んでいる。

そのハチをゲストに迎えて、9/25(月)、4回目になる法政大学ビジネススクール(イノベーション・マネジメント研究科)との提携によるオープン講座を開催することになった。

彼はとにかく謙虚な人間で、自分が経営する会社がJASDAQの公開企業になっても、以前と何ら変わることがない。

オプトの前身であるデカレッグスという有限会社を経営していた頃のハチのままだ。

そのハチに関して、是非、紹介したいエピソードがある。

それは、彼が何故、起業したか?についてである。

僕の記憶が正しければ、彼が大学生の頃の話だと思うが、アフリカに旅行に行った時、ナイル川の両岸に住んでいる人たちが、ハチのような観光客に対して食べ物やお金をせびってくる姿をみて、とても考えさせられたという。

「自分たちは、こうして何不自由の無い生活をしているが、それは自分たちの努力の結果ではなく、自分たちの親にあたる世代が、戦後の復興期に、それこそ血みどろの努力をしてきた結果であり、自分たちはその恩恵に与っているに過ぎない」と思ったそうである。

そして、「自分も世の中に対して価値を生み出す人間になり、より良い社会の実現に貢献したい」と思い、そのために「起業」という選択肢を選んだそうである。

因みに、彼の自作の座右の銘は、「先義後利」である。

果たすべき「義務」を先に果たせば、自ずと「利益」はついてくる、という意味だそうである。

先日、久しぶりに彼を社長室に訪ねた時も、筆で書かれた「先義後利」という文字が掲げてあった。

彼とのセッションが楽しみである。

僕も彼のような人間になれるよう、精進を重ねようと思う。

母からの手紙。

先月まで当社でインターンをしていた山田くんという学生のお母さんから手紙が届いた。僕の母親からではない。

彼はアメリカの大学を休学してドリームビジョンでインターンをしてくれていたが、大学に復学するために、2週間前にアメリカに戻った。

当社のインターンを辞める時に、カギを返却するのを忘れて実家に持って帰ってしまったので、彼がお母さんに当社にカギを送ってくれと頼んだのだろう。

そのカギと一緒に山田くんのお母さんの直筆の手紙が入っていた。

「御社でのインターンを通じてたくさんの方々と出会い、様々なことを経験し、息子はとても成長したと思います。ありがとうございました」と書いてあった。

何とも言えない嬉しさがこみ上げてきた。

「出会いと気づき」が人間を成長させるのだろう。

人々の成長につながる「出会いと気づき」を提供していきたい。