2017-3-25 オペラ「人道の桜」 | Dream Journeyのブログ

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長い間休止していたブログですが、最近の趣味であるクラシックのコンサートの感想をアップしていきたいと思います。不定期かつバックデートになることが多いと思いますが、気が向いたときに読んでいただければ幸いです。

 

3月25日の午後は新宿文化センター大ホールで開催されたオペラ「人道の桜」に足を運びました。昼夜公演の昼の部ということになります。戦前にリトアニアのカウナスという街において外交官として赴任されていて、いわゆる「命のビザ」と言われるビザをユダヤ人に対して発行し、6000人の命を救ったと言われる杉原千畝さんの生涯をオペラ化したものとなります。出演者につきましてはアップした通りです。

オペラではありますが、オリジナルの作品であり、上演回数が2回目ということになると思いますので、全体的な流れを踏まえながらアップしていきたいと思います。
先ほどの通りに、戦前に外交官として活躍された杉原千畝さんの生涯を描いたもので、2幕形式となっていました。

1幕は千畝氏の妻である幸子さんの語りによるところから物語が始まり、千畝氏が上京して早稲田大学に入学するところから、新聞配達や塾講師のアルバイトをしながら苦学を経て、留学生としての試験に合格し、満州へ派遣されてロシアとの交渉で大きな手柄をたてるも、満州における実情に幻滅して帰国、その際に妻となる幸子さんと出会い結婚、そしてリトアニアに赴任するまでが、場面場面をピックアップするように描かれていました。セットはシンプルに、背景には扇の形の画面に桜色の景色が描かれているよな形で、千畝氏及び幸子さんにとっての象徴でもあったらしい桜を印象的に表現されていました。
そして、様々な経緯を経てリトアニアのカウナスに赴任して、ポーランドから逃れてきたユダヤ人たちと出会い、交流を経てビザの発給を要請されるに至るところが描かれていました。当初は政府の許可を得ればという考えだったみたいですが、当時の情勢から許可が下りず、最大の決断が迫れることとなります。オペラでも描かれておりましたが、きっと大きな葛藤の中にあったのでしょう、外交官として国の任務に忠実であるべきという思いと目の前にいる苦境に立たされている人々を見て見殺しにしていいのかという思いの中で、国の命に背いて信念を持ってビザを発給する決断をするところが描かれておりました。ただし、当時の情勢の中で彼に退去命令が出されており、その限られた時間の中でギリギリまでビザを発給して、いよいよカウナスを離れることとなり、そこで多くのユダヤ人たちと将来の再会を約束するところまでが第1幕となっておりました。

2幕は日本の敦賀の様子から。英語が禁止され、徐々に窮屈になっていく時勢が表現されておりましたが、そこに千畝氏から発給されたビザのおかげでロシア経由で日本に逃れることができたユダヤ人たちが到着、着の身着のままの彼らに対して温かく迎えた敦賀の住民の様子が描かれておりました。この時はまだ太平洋戦争の開戦前であったこともあると思いますが、日本においては歴史的に反ユダヤの感情がないこと、古き良き日本人の持つ温かさというものもあったのでしょうし、いろいろと言われる軍国主義に走る頃の日本政府ではありますが、ナチスドイツの要請にも毅然とした対応で突っぱねて人道的な対応をした事実はあるみたいです。オペラでは描かれておりませんでしたが、この後に彼らをアメリカまで輸送をしたという事実もあるみたいですね。
危機を逃れて日本で一息をつくことができたユダヤ人たちに対して、千畝氏と幸子さんはかなり大変な戦中戦後だったみたいです。欧州を転々として、戦後にようやく帰国するも公職追放により外務省を追われ、さらに息子の1人を病で失い、苦労する様子も描かれておりました。
その後にアメリカやイスラエルで新たな生活をスタートし、夢を実現していったユダヤ人たちが描かれて、外務省にユダヤ人たちから千畝氏を探す電話があるも、彼が海外では(本来の「ちうね」ではなく)「せんぽ」と名乗っていたために外務省にもいないと突っぱねられて時間が経っていき、1968年になってようやく再会を果たし、さらには1985年に千畝氏がイスラエルより外国人としてユダヤ人の命を救うために貢献したとのことで勲章を受章が大きく取り上げられておりました。ただし、この時点では千畝氏は日本においては無名の存在で、公職追放の名誉も回復されておりませんでした。その点についても強調されておりましたね。
その翌年に千畝氏が死去、日本政府から正式に名誉回復がなされたのはさらに時間が経っての2000年になってからという事実を幸子さんによる紹介がなされての終演でした。

オペラではありますが、良い意味で叙事的な劇の要素もあり、感動的なところが強調されたりすることなく、できるだけ史実に忠実に描こうというストーリーは説得力があり、また見応えのあるものでした。セリフも含めて全て日本語による上演で、さくらさくらなど日本のメロディも取り入れながらもワルツのようなメロディもあり、レスタチーボのような部分もあって、歌の部分も聴き応えがありました。
以前にも投稿しておりますが、私はたまたま10年前にリトアニアを含むバルト三国を旅行したことがありました。それ以前から杉原千畝氏のことは知っていましたが、それほど詳しく知っていたわけでもなく、またリトアニアを訪れたのも(時間の関係もありますが、訪れたのは首都ヴィリニュスだけでカウナスは訪問しておらず)彼が目的ではありません。ただ、訪れたことのある国において日本人が行ったことがこういう形でオペラとして取り上げられるというのは個人的に感慨深いものがありました。私が旅行した頃の日本ではそれほど杉原千畝氏の知名度はなかったはずです。また、命のビザという言葉もなかったように思います。当時の呼ばれ方は映画「シンドラーのリスト」にちなんで「日本のシンドラー」というものでした。ただ、シンドラーが多くのユダヤ人を救ったのは彼自身の経済的な利益のため(もちろん、人道的な側面もあったはずです)でもあり、いわばギブアンドテイクの関係だったと思われます。それに対して杉原千畝氏については純粋に人としての信念に基づく行動で、事実戦後は公職追放され、さらにはオペラでも取り上げられていましたが「あいつはユダヤ人から金をもらった」などという心無い噂もたてられたとのことです。しかも、生前には名誉回復されなかったわけですから、これもまた事実ではありますね。

例によって長くなってしまいましたが、幸子役の新南田さんは台本と作詞もされ、このオペラの生みの親でもあります。歌声は以前に1度だけ聞いたことがありますが、今回はその思いも含めて素晴らしい歌声と語りと制作に感動しました。
千畝役の大貫さんは初めてだと思いますが、生い立ちから幸子さんとの出会い、カウナスにおける人生の決断、さらに戦後から再会に至るまでの生涯をとても素晴らしく演技されているのが印象的でした。
カウナスのユダヤ人の商店主として登場されたサラの勝倉さんはかなり久しぶりに歌声を聴く機会となりました。当時のユダヤ人の苦悩と必死な思いが伝わる演技と歌声がとても印象的でした。
そのサラの知人のベンジャミン役の中村さんは先週に引き続きでした。役柄は大きく違いますが、今回は命からがらポーランドからカウナスに逃れ、日本を経てアメリカでダンサーとして成功する様子を印象的に演技されておりました。
同じくユダヤ人のアンナ役の辰巳さんは昨年のハロウィンコンサート以来になると思います。ビザを受け取る時期は少女だったのでしょうか、そして戦後には結婚して子供が生まれて幸せな人生を歩む様子を印象的に演技されておりました。
それ以外の出演者、合唱の方々も含めて素晴らしかったと思います。こういう史実に完全に基づく作品と言うのはなかなかないと思いますが、それだけにとても心に深く刻まれるものがありました。会場も1階席が満席で、2階席も若干の当日券があった程度という大入りだったということも素晴らしいことだったと思います。