私が医師になった理由 | 女医の国際精神保健

女医の国際精神保健

精神保健および公衆衛生を軸に、韓国、ロンドン、ジュネーブ、ニース、フィジー、赤道ギニア、東京、インド。
他にも、旅行、馬術、音楽、写真などについて記載しています。

「なんで医者になったの?」
よく聞かれる質問なので、ここにも書いてみます。

元来、(馬に乗っていたことなどもあり)私の希望は獣医になることでした。
野生動物の生態や、絶滅危惧種の保護などに関われたらいいなあと夢をみていました。

世界を舞台に仕事することにも漠然と憧れていました。
世界を舞台って国連機関とかかなあ?程度の漠然として、分かりやすいものしか思いつきませんでした。
スウェーデンに住んでいた経験、帰国子女としての経験も、影響しているかもしれません。

学校で「男女雇用機会均等法」 について学びました。
「どうやら、社会にでると、オトコとオンナの格差がありそうだぞ」
「でも、そんなことに、自分の選択や希望を邪魔されたくないぞ」
「そうだ、専門家ならオトコもオンナも関係ないかも?」

こんなことを考えながら、高校生の時に、獣医学部を調べ始めました。
しかし、進路などをみると、ペット関連や家畜関連、場合によっては動物園くらいしか勤務先が見当たりません。
野生動物関連は、獣医の仕事ではないのでしょうか?
今から思えば、獣医になって、アラスカでもケニアでも行ってしまえば良いのだとは思いますが、高校生の小さな脳みそでは、そこまで考えが及びませんでした。

でも、受験の季節もきたので、獣医学部を受験しました。
しかし、不合格となり、浪人することになりました。

「一年あるねえ。自分が何をしたいのか、よーく考えてみよう」
予備校に通うにあたり、同じ理系でも、行きたい学部によって少しずつコースが分かれています。
医学部、獣医学部、薬学部、国立、私立などなど。

「昨日自分が食べたものを覚えてるって不思議だなあ」
「手が動くのも不思議~」
と野生動物の次に興味があるのは、人体であるなあと考えるようになりました。

「医者なんて適当に仕事してるんじゃないか?説明もそこそこに薬くれるよ」
と、父が医療へ不信感をもらすこともありました。
「確かに、自分の体を誰かに任せるのって怖いなあ」

祖父は、医師でしたが、臨床ではなく、基礎医学を専門にしていて、生理学や公衆衛生に取り組んでいました。
「そうか、医者って言ってもいろんな仕事があるなあ」

「本を読むと、国連関連の仕事は、獣医の文字はあまりないけれど、医師の文字はあるなあ。確かに、人間が住んでるところは、どこでも医者が必要だなあ」
「よし!医学部目指してみよう!!」

と、こんな訳で、自分の興味、その可能性の広さ、不信感などから、医師の道を選びました。

その後、無事合格し、いろいろ悩みながら、無事医師として勤務しました。

実際なってみると、医師の社会的責任の重さ、専門性の高さ、などに圧倒されることも多いですが、実際の勉学が誰かの人生に役に立っていると実感できるのは本当に嬉しいです。
医者になってからの方が勉強していると思います。

また、いわゆる資格職のため、育児など様々な理由で最前線を離れても、また仕事に戻れるのは非常に大きな自由を与えてくれます。

そして、何より、この広い医学の世界はどこまで行っても探究心を保つことができ、本当に楽しく仕事に向うことができます。
医者になって、本当に良かったです。