のだま(野球)カンタービレ -132ページ目

太田哲也氏、来たる!

本日、カーレーサーの太田哲也氏が大船渡市に救援に駆け付けてくれました。

日本一のフェラーリ遣いと異名をとり、ル・マン24時間耐久レースにも出場、輝かしいレース歴を刻んできた方です。

不幸にも全日本GT選手権の多重事故に巻き込まれ乗車中のフェラーリが炎上、しかし全身火傷を負いつつ救出され、奇跡的に一命を取り留めました。

数十回に及ぶ手術に耐え、再度レースに出場するまで復活しました!

「クラッシュ」「リバース」等の著書多数、その映画化もされました。

私は高校の同級生でもある彼の生き様に共感し、彼のレーシングチームに所属させて頂いております。

今日の昼過ぎ、

「大船渡に来たんだけど」

とtel。

ビックリ!

トラックに救援物資を満載してきました。

市内在住のもう一人のチーム員、Uさんと共に市役所まで案内し、自転車、車椅子、長靴などの貴重な物資を頂きました。

是非、彼のHPもご覧になってください。

太田哲也、でググってもらえればご覧になれます。

3月15(火)

相変わらず寒い。
ガソリン、灯油は底をついている。

固定電話、携帯は全く機能していないので情報収集ができない。

市役所内の災害対策本部に日参し、問題点を洗い出し、次の日の行動を決める。

避難所では発熱者が出始めているとの事。

困った事にインフルエンザの判定キットが不足している。

災害対策本部はその日の対応で手一杯となっており、 まだその事に気付いていない。

急ぎ、市役所に集められている緊急支援薬剤をチェックする。

タミフル、リレンザ等の抗インフルエンザ薬は山と積まれている。
でも、

肝心の判定キットが20人分しか無い。

診断ができずに治療をするのは危険だ。

衛星電話を使い、最優先事項として国に判定キット供給の手続きをする。

可及的速やかに送るがいつ到着するか判らないとの返事。

この時期になると緊急医療支援チーム(DMAT)は慢性疾患治療チームと名前を変え、避難所への巡回診療がメインとなる。

武蔵野日赤、佐久、自治医大、その他のチームが次々と到着、診療を開始する。

有り難い。

何とか繋げる事ができた。

しかしインフルエンザへの対応体制が不十分なため避難所通いは続く。

外部医療チームが避難所に巡回していても診療を受けられない人達もいる。

日中は瓦礫の片付け、行方不明の家族の捜索、遺体安置所廻りで不在の人達が多いのだ。

医療チームが帰った後に具合が悪くなる人もいる。

私が担当する3つの避難所。

その中で一番医療が手薄と思われるK小学校に指示を出す。

発熱者は保健室に隔離し、一定の時間が経過した後にインフルエンザの判定をする。

陽性ならその場で即治療。

濃厚接触をしていた家族には発熱していなくてもタミフルの半量予防投与をして感染の拡大を防止する。

陰性なら感冒薬と解熱剤、必要であれば抗生剤を処方し、皆のところに戻ってもらう。

その他脱水症状への点滴、感染性胃腸炎への対応、不眠を訴える方への処方とやるべき事は多い。

薬の補充のために市役所に寄ると医師会の事務の方にバッタリ。

「おー、ご無事でしたか。」

しかし信じられない言葉が…

私の所属している医師会…

医師会長、副医師会長を含め4人のドクターが行方不明だと。

今の時点で連絡が取れないのは覚悟をする必要があり、医師会長代理の人選に入っていると。

痛恨、絶句、思考停止。

また、地域医療の最前線となるクリニック群は津波で壊滅状態、医師会は崩壊状態に陥っていると。

我が医師会長の安否が不明なのは知っていた。

でも連絡手段、交通手段が無いだけで じき目の前に現れ、指揮を執ってくれる事を信じていた。

いや、まだ遺体が確認された訳ではない。

信じよう。


落ち着いて、

今必要な事を、

確実に…

3月14日(月)

O地区、R地区に向かう道は津波で洗われ、、通常20分で着く場所がギリシャ文字のオメガ(Ω)状に迂回しなければならず、1時間かかけてやっと到着。

薬が全く無いとの情報だったけど潰れた診療所から可能な限り薬を引き揚げ、数日は持つとの事。

医師も無事。

山に突き刺さった漁船を横目に市役所へ戻る。

本部に報告を入れ、チームは一度解散。

そこで市内の被害を免れた調剤薬局に薬の供給があり、稼動し始めたとの情報。

しめた、院外処方箋が使える!

急ぎ、担当避難所のO中学校へ向かう。


暗い体育館で診療しながら懐中電灯で照らし、処方箋を書き上げていく。

当初の情報では薬が必要なのは10~15人。。

ところが処方箋を書くより行列が長くなるスピードの方が早い!

いつの間にか50人は超えている!

ここで有り難かったのが家を流され、ここに避難している看護師のHさん。

テキパキと患者さんを誘導し、体調のチェックをしてくれる。

もう一人、

「看護師辞めて14年になるけど少しでも役に立つなら…」

と手を挙げてくれたOさん、

貴重な、本当に貴重な戦力となってくれました。

この人、現役時代も真剣に仕事と向き合っていたんだろうな…

そう思わせる良い仕事。

これで一気に診療のリズムが上がり、終了。

しかし患者さんが個々に10キロ以上離れた薬局に車を出すのは不可能。

車を流された人も多く、何よりガソリンが全く供給されていない。

結局、書きあがった処方箋を避難所の代表が薬局に持ち込み、持ち帰った薬を皆に配る事として解決。

よし、受け持った3ケ所の避難所はこのパターンで廻そう。

Hさんに炊き出しのおにぎりをいただき、晩御飯。

私の食事は市役所か避難所で配給をいただくパターンとなってしまった。

おにぎりを食べていると遠野市まで行くと携帯が繋がるポイントがあるらしいとの話。

え、ホント?

でも遠野市まで40~50キロはあるよな。

ガソリンも乏しいし…

仕事が落ち着いたのは夜11時過ぎ…

家族の安否を確認したくて気が付いたら車を走らせてました。

遠野市に通じるトンネルを抜けた瞬間…

携帯が生き返ったように光り、着信音が鳴りはじめました!

路肩に停め、確認すると…

家内からの無事を知らせる11日付けのメール!

マンションは一時退避となり、友達の家にお世話になっていると…

他にも沢山のメール。

留守電を聴くと「生きているのを信じてる!」とか「頼む、何でもいいから無事を知らせてくれ!」とか、友人達、先輩方の声!

20時間以上続いた仕事の疲れが一気に吹っ飛びました!

最低限、必要な方に無事の連絡を入れてから大船渡市に戻りました。

未だライフラインが全く復旧せず、

真っ暗な部屋。

とても寒くて部屋の中でも息が白い中…

少ししか寝る時間がとれないけど…

明日もやるぞ!

もう誰も死なせない!