3月14日(月) | のだま(野球)カンタービレ

3月14日(月)

O地区、R地区に向かう道は津波で洗われ、、通常20分で着く場所がギリシャ文字のオメガ(Ω)状に迂回しなければならず、1時間かかけてやっと到着。

薬が全く無いとの情報だったけど潰れた診療所から可能な限り薬を引き揚げ、数日は持つとの事。

医師も無事。

山に突き刺さった漁船を横目に市役所へ戻る。

本部に報告を入れ、チームは一度解散。

そこで市内の被害を免れた調剤薬局に薬の供給があり、稼動し始めたとの情報。

しめた、院外処方箋が使える!

急ぎ、担当避難所のO中学校へ向かう。


暗い体育館で診療しながら懐中電灯で照らし、処方箋を書き上げていく。

当初の情報では薬が必要なのは10~15人。。

ところが処方箋を書くより行列が長くなるスピードの方が早い!

いつの間にか50人は超えている!

ここで有り難かったのが家を流され、ここに避難している看護師のHさん。

テキパキと患者さんを誘導し、体調のチェックをしてくれる。

もう一人、

「看護師辞めて14年になるけど少しでも役に立つなら…」

と手を挙げてくれたOさん、

貴重な、本当に貴重な戦力となってくれました。

この人、現役時代も真剣に仕事と向き合っていたんだろうな…

そう思わせる良い仕事。

これで一気に診療のリズムが上がり、終了。

しかし患者さんが個々に10キロ以上離れた薬局に車を出すのは不可能。

車を流された人も多く、何よりガソリンが全く供給されていない。

結局、書きあがった処方箋を避難所の代表が薬局に持ち込み、持ち帰った薬を皆に配る事として解決。

よし、受け持った3ケ所の避難所はこのパターンで廻そう。

Hさんに炊き出しのおにぎりをいただき、晩御飯。

私の食事は市役所か避難所で配給をいただくパターンとなってしまった。

おにぎりを食べていると遠野市まで行くと携帯が繋がるポイントがあるらしいとの話。

え、ホント?

でも遠野市まで40~50キロはあるよな。

ガソリンも乏しいし…

仕事が落ち着いたのは夜11時過ぎ…

家族の安否を確認したくて気が付いたら車を走らせてました。

遠野市に通じるトンネルを抜けた瞬間…

携帯が生き返ったように光り、着信音が鳴りはじめました!

路肩に停め、確認すると…

家内からの無事を知らせる11日付けのメール!

マンションは一時退避となり、友達の家にお世話になっていると…

他にも沢山のメール。

留守電を聴くと「生きているのを信じてる!」とか「頼む、何でもいいから無事を知らせてくれ!」とか、友人達、先輩方の声!

20時間以上続いた仕事の疲れが一気に吹っ飛びました!

最低限、必要な方に無事の連絡を入れてから大船渡市に戻りました。

未だライフラインが全く復旧せず、

真っ暗な部屋。

とても寒くて部屋の中でも息が白い中…

少ししか寝る時間がとれないけど…

明日もやるぞ!

もう誰も死なせない!