そもそも、どうやってドラマセラピーを知ったんですか?
最近そんなことを質問されました。
確かに、ドラマセラピーという、あまり知られていない分野を目指すには、その存在を知らなければいけませんよね。
私が「ドラマセラピー」という言葉を初めて聞いたのは、
多分1997年頃だと思います。
イギリスの大学で演劇を勉強していたのですが、その大学の授業の中には、「ドラマセラピーとドラマ教育」というクラスがありました。
私自身、すでに「魂を癒すような演劇」を目指していたのですが、当時は特に人に教えることやセラピーをすることに興味を持っていなかったので、もちろん、その授業をとることはせず。
でもその言葉は、きっと、私の頭の中で、ちゃんとメモされていたのでしょう。
その後何年か経ち、
どうやって演劇を癒しにつなげた仕事ができるだろうか・・・?
と考えていました。
そして、本当に、突然に、ひらめいたのです。
名前だけしか知らなかった、
ドラマセラピー
という言葉が、私の頭に戻って来たのです。
今では私のライフワークなのに、大学生の時には、興味も持たなかったなんて、とても不思議ですが、
私にはドラマセラピーと本当の意味で「出会う」ためには、
何年かの時間が必要だったようです。
頭の中のメモ帳
にメモしておいて、よかったです。
準備ができると、そのときに、メモ帳は、大切なメッセージを教えてくれるのかもしれません。
2002年8月、
ドラマセラピストになる!と決めて、サンフランシスコ到着。
飛行機から降り、カリフォルニアの太陽を浴びるつもりが・・・・
寒い!!
8月のサンフランシスコは、寒いということを、ご存知ですか?
マーク・トウェインが
「私が過ごした最も寒い冬は、サンフランシスコの夏だ」と
言ったくらいです。
そんなことも知らず、軽装で、サンフランシスコ到着。
実は私は「ドラマセラピストになる!」とイメージから決めただけで、
ドラマセラピーそのものを全く知りませんでした。
もっといえば、あの日の私は、
住む場所だって決まっていなかったし、
どんな勉強をするのかも分かっていなかったし、
そもそも、サンフランシスコの基本情報だって知らなかったし・・・
私は、とにかく
「ドラマセラピー」を学ぶことが、自分の将来の仕事になる!
ということだけを信じて、サンフランに着いたのです。
イギリスで演劇を学び、
「演劇と癒し」という考え方に夢中になったのに、
ロンドンでパフォーマンスをしていた頃に、
逆に、心を壊してしまうような体験をしてしまったことがあります。
またロンドンでは癒しに関連して、ひょんなことからやることになった
魔女修行でも、精神的にぼろぼろになってしまいました。
日本にもどり、どうやって生きていけばいいのか分からずに、
とにかく就職。
ロンドンの後遺症で精神的にも不安定な上に、
なれない日本の社会人生活の中、
体調はどんどん悪くなり、
冷房病と自律神経失調症と、
原因不明の両足の痛みに苦しむようになりました。
その当時の私は
「好きなことをやるなんて、わがままだ」
と思っているところがありました。
だから、
なかなか飛び出せない反面、
自分の心に嘘をついているようで、自分を責めてもいました。
思うように身体を動かせず、ひどい痛みに耐えながら、
「身体がこんなになるまで、頑張る必要はない!」
ようやくそう思えるようになり、OLをやめることができました。
でも、足の痛みは、その後3年くらい続きました。
私にとって、この体験は、
「自分の思いを大切にすること」を教えてくれたのだと思います。
そして
大学院に入れるように、
ロータリーの奨学金を頂けるように受験したり、
ちゃんと勉強をしたことがなかった、心理学の基礎を
放送大学でとったりして、準備し、なんとかCIISという大学院にある、
ドラマセラピー協会が認定しているプログラムの入学許可がおりました。
授業が始まるたった1週間前に到着。
これから住む部屋を探さなくちゃいけません。
最初は、ロータリークラブの方のお宅に泊めて頂いていたのですが、
それはサンフランからバスで2時間半、さらにそこから車で1時間というすごい場所・・・。
大学院が始まったら、結構厳しそうだし、
なんだか色々やることがあるらしい・・・。
私のサンフラン生活は、本当に何も分からないまま始まりました。
ドラマセラピストになる!と決めて、サンフランシスコ到着。
飛行機から降り、カリフォルニアの太陽を浴びるつもりが・・・・
寒い!!
8月のサンフランシスコは、寒いということを、ご存知ですか?
マーク・トウェインが
「私が過ごした最も寒い冬は、サンフランシスコの夏だ」と
言ったくらいです。
そんなことも知らず、軽装で、サンフランシスコ到着。
実は私は「ドラマセラピストになる!」とイメージから決めただけで、
ドラマセラピーそのものを全く知りませんでした。
もっといえば、あの日の私は、
住む場所だって決まっていなかったし、
どんな勉強をするのかも分かっていなかったし、
そもそも、サンフランシスコの基本情報だって知らなかったし・・・
私は、とにかく
「ドラマセラピー」を学ぶことが、自分の将来の仕事になる!
ということだけを信じて、サンフランに着いたのです。
イギリスで演劇を学び、
「演劇と癒し」という考え方に夢中になったのに、
ロンドンでパフォーマンスをしていた頃に、
逆に、心を壊してしまうような体験をしてしまったことがあります。
またロンドンでは癒しに関連して、ひょんなことからやることになった
魔女修行でも、精神的にぼろぼろになってしまいました。
日本にもどり、どうやって生きていけばいいのか分からずに、
とにかく就職。
ロンドンの後遺症で精神的にも不安定な上に、
なれない日本の社会人生活の中、
体調はどんどん悪くなり、
冷房病と自律神経失調症と、
原因不明の両足の痛みに苦しむようになりました。
その当時の私は
「好きなことをやるなんて、わがままだ」
と思っているところがありました。
だから、
なかなか飛び出せない反面、
自分の心に嘘をついているようで、自分を責めてもいました。
思うように身体を動かせず、ひどい痛みに耐えながら、
「身体がこんなになるまで、頑張る必要はない!」
ようやくそう思えるようになり、OLをやめることができました。
でも、足の痛みは、その後3年くらい続きました。
私にとって、この体験は、
「自分の思いを大切にすること」を教えてくれたのだと思います。
そして
大学院に入れるように、
ロータリーの奨学金を頂けるように受験したり、
ちゃんと勉強をしたことがなかった、心理学の基礎を
放送大学でとったりして、準備し、なんとかCIISという大学院にある、
ドラマセラピー協会が認定しているプログラムの入学許可がおりました。
授業が始まるたった1週間前に到着。
これから住む部屋を探さなくちゃいけません。
最初は、ロータリークラブの方のお宅に泊めて頂いていたのですが、
それはサンフランからバスで2時間半、さらにそこから車で1時間というすごい場所・・・。
大学院が始まったら、結構厳しそうだし、
なんだか色々やることがあるらしい・・・。
私のサンフラン生活は、本当に何も分からないまま始まりました。
こんにちは。
ドラマセラピストのSACHIです。
私がドラマセラピーと関わり始めて10年以上が経ちます。
今まで講座を受けてくださった方たちの中には、
「私もドラマセラピストになりたい」
と言ってくださった方がたくさんいます。
現在日本で活動する、
北米ドラマセラピー協会認定のドラマセラピストは
私を含めて4人。
10年前からその数字はずっと変わっていません。
それは、日本では、ドラマセラピストの資格を取ることが
できなかったからです。
しかし
日本にいても、私たちと同じアメリカの資格を
取得する可能性が見えてきました。
(詳細は4月以降にご紹介いたします!!)
ドラマセラピストになる道のりは、短くはありません。
でも私にとっては、
ドラマセラピストになるための、
その過程が、宝物のように大切な時間でした。
たとえ、ドラマセラピストになれなかったとしても、
セラピストになるためのトレーニング体験は、何にも代え難いほど、
私の人生に重要だったと思っているほどです。
これからしばらく、
ドラマセラピストになるまでの、私の道のりを、
このブログでご紹介していきたいと思います!
ドラマセラピストのSACHIです。
私がドラマセラピーと関わり始めて10年以上が経ちます。
今まで講座を受けてくださった方たちの中には、
「私もドラマセラピストになりたい」
と言ってくださった方がたくさんいます。
現在日本で活動する、
北米ドラマセラピー協会認定のドラマセラピストは
私を含めて4人。
10年前からその数字はずっと変わっていません。
それは、日本では、ドラマセラピストの資格を取ることが
できなかったからです。
しかし
日本にいても、私たちと同じアメリカの資格を
取得する可能性が見えてきました。
(詳細は4月以降にご紹介いたします!!)
ドラマセラピストになる道のりは、短くはありません。
でも私にとっては、
ドラマセラピストになるための、
その過程が、宝物のように大切な時間でした。
たとえ、ドラマセラピストになれなかったとしても、
セラピストになるためのトレーニング体験は、何にも代え難いほど、
私の人生に重要だったと思っているほどです。
これからしばらく、
ドラマセラピストになるまでの、私の道のりを、
このブログでご紹介していきたいと思います!

