こんにちは!

いつだって猫がお手本♬

ひろちゃんのあるがままライフへようこそ!

このブログの目的はこちら

 

私のブログは、ノンデュアリティ的な記事も多いですが、

実質、ノンデュアリティは卒業し、探求も終わっています。

 

でも、ノンデュアリティで学んだことで、大事にしているものはいくつかあるので、

それを簡単にまとめたのが、こちら

このブログの、ノンデュアリティ系の記事は、

この記事を踏まえた上で、読んでいただくと、

さらに分かりやすいいのではないかと思いますので、

よろしかったらどこかで一度、読んでみてください♬

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「自分」がないを出発点とした新しい「願望実現」や「引き寄せ」の考え方の良い点

前回の記事の最後に書きましたが、

「自分」がいないんだったら、

「何でもなりたいものになればいいじゃん!」って喜ぶ人は、

スピリチュアルでも結構多いですし、

最近、そういう本もチラホラ見かけます。

 

ただ、結論から言ってしまうと、残念ながら、

今の状態以外の何かに「なろう」としている以上、

やっぱり「今のじぶん」や「今の状態」がつまらないから、いやだから

「何かになる」っていう発想が、必ずどこかにあって、

 

「ダメな自分」と「なりたい自分」の間を、

思考上でグルグルするのに変わりはないと思います。

 

でも、他でも時々書いていますが、

思考上でグルグルしたり、思うような結果が得られなかった時でも、

そんなに悩まず、明るく前に進んで行かれる人というのも、

世の中にはたくさんいるんです。

 

最初からそこそこ自己肯定感があったり、

スタミナも根性もたっぷりで、

結果を考えずに(または結果を最初から諦めながら)、

どこまでもファッション感覚で、なりたい対象を変えながら、どんどん進んで行かれる人。

 

多少の空しさが残っても、プロセスだけを楽しんで行こう、

「それが人生だ」という、生き上手さんが、

もちろんスピリチュアルにも、たくさんいて、

 

それはそれで、とてもポジティヴで、素敵な生き方だと、私は素直に思います。

実際、私にもそういう友達はたくさんいるし、

本人が先に進めなくなるほど、苦しくならないのなら、それで全く問題ないんだと思うんです。

 

「自分」がいないを出発点とした新しい「願望実現」や「引き寄せ」の考え方の難点:自己肯定感の問題

 

ただ、じゃあ、私もそんな風に生きられるかというと、

そこは分けて考えないと、ダメなところで💧💧💧

 

以前の私のように、ものすごく苦しんでいる人とか、

本気で探求を終わらせたい人とか、

何でもとことん追求する性分で、とにかく真実を知りたい!

みたいな人にはやっぱり、

「何でもなれる」っていうのは、最終的な解放にはつながらないと思います。

 

「なりたい自分になる」だと、やはりどこまで行っても、

思考の上で循環するというのはすでに言いましたが、

 

それだとまた同時に、必ずどこかで

他人のモノサシ、

世間や社会の価値基準に縛られ、

そこから本当の意味で解放される時は来ないです。

 

「なる」をめがけてやっている限り、

一向に自己肯定感が得られないし、

下手をすると、さらなる自己嫌悪を呼ぶ可能性もあると私は思います。

 

私がここで言う自己肯定感というのは

理想の自分になって(なったと思って)

スゴイ!って思えるようになるのとは違い

(この類いの自己肯定感は他人基準なので、何かあると、あっという間に崩れます💧)

 

嫌なところも良いところも全部含めて、

「な〜んだ、このままで良かったんじゃないか」って、まるっと受け入れられることなんです。

(自己肯定感については、以前書きましたので、こちらこちらを参考にしてください。)

 

「『自分』はいなくて

感情も思考も全部『自分』のものではなくて

『自分』では何一つやっていない」という世界観になってくると、

 

今ここの自分の様子や、眼の前で起きていることによく注意が行くようになるし、

 

そこで思考と距離を取るのが上手くなると、

何でも起きるようにしか起きていないから、

自分の思考や感情や言動を、そのまま受け入れるのが上手くなる

・・・というより、そうせざるを得なくなります。

 

この思考と距離を取るというのは、

ちょっとコツが要って、練習が重要になりますので、

そこはまたいずれ書いて行きますが、(思考と距離を取る入門編はこちら)

 

とにかく、それが上手く出来るようになると、

自分のことを、他人か何かのように、

淡々と見ることが出来るようになるので、

あるがままの様子を、受け入れるのがラクになります。

 

そんな風に自分を受け入れられること、

欠点があっても、不完全でも、

今のあるがままの状態で安心していられることを、

自己肯定感っていうのだと知ったのは、最近の話で、

 

逆に、極論を言ってしまえば、

自己肯定感があって、他人のモノサシに振り回されないようであれば、

「自分」のいないことが、分かるかどうかなんていうことさえ、

関係ないんじゃないかと、私は思うぐらいです。

 

個人的に「あるがまま」が、「願望実現」や「引き寄せ」よりスゴイと思える理由:納得の行く夢の叶い方

 

引き寄せや願望実現の話が出て来たので、改めて考えてみると、

探求が終わって、あるがままに淡々と生きていると、

まず、すごく心が安定して、あまり大きな夢や希望を持たなくなってしまったように思います。

 

それで以前、「私、夢も希望もなくなっちゃったの」って言ったら、

友達に心配をかけてしまったことがあったのですが🤣🤣🤣

人生に絶望したのじゃなく、

今が幸せだから、夢も希望もいらなくなっちゃったんですね🤣🤣🤣

 

「今のままで大丈夫で、満ち足りている」って思えるって、

本当に幸せで、嬉しくて

毎日の小さいことが、一々楽しくなってしまったりするので、

欲しいモノとかも、あまりなくなってしまったり。

 

なのに、引き寄せをやっていた頃に比べ、

絶妙なタイミングで良いことが起きたり、

望む前から、望ましい状況が叶ったりしているしていることもあって、驚くことが多いです。

 

それは、ノンデュアリティの友達も同じように言っていて、

多分、「『自分』で何かやっているようで、実は何もやっていないのが分かっているので、

流れに任せるようになるからなんじゃないか」というところで、見解が一致しました。

 

また、叶えようとしなくても、

いつの間にか、勝手に叶っているというか、

願っていたことさえ、気付いていなかったこともあって、

 

そういう時は、往々にして、

以前思い描いていたようなのとは違う形だったりもするのですが、

 

でも、「夢」を追っていたら、

意識さえできていなかったかもしれない、

自分の願いの本質的な部分、

「これだけは絶対外したくない」みたいなところをしっかり押さえて、

ものすごく納得の行く形で実現していたりするので、これも、びっくりします。

 

手前味噌になりますが、私の音楽の話をすると、

「自分」はいないことに気付くずっと前の、引き寄せとかをやっていた頃なんですが、

私は一時、プロにならなくてはいけないと思って、悶々としていた時期があったのでした。

 

普段は、決めると何でも行動が早いクセに、

ライブハウスのマスターに「もっと、色んなお店紹介してやろうか?」って、

向こうから声をかけてもらって、

ものすごく感動しながらも、

気付くと丁重にお断りしてしまっているという不可解なことがありました。

 

頭の中では、

良い音楽=売れなくちゃいけないという公式が勝手に出来上がっていて、

プロにならなきゃいけない気がしていたんですね。

(実のところ、人気の音楽は、ほとんど好きじゃないくせに🤣🤣🤣)

 

でもその一方で、

元々ニンゲン関係がそんなに得意でなく、

何でもじっくりやらなくては気のすまない私が

 

知らない人の前で歌うだけならまだ平気なんだけど、

 

夜の酒場で、知らないお客さんと上手に話したり、

音楽だって、その日に顔合わせしたミュージシャンと、さっとリハーサルして、

右から左へ、どんどん数をこなして行くみたいな仕事は無理だという気持ちがあったんだと思います。

 

(「自分」という実体がなくても、キャラとか、個性とかは「脳の働き癖」として、死ぬまでありますからね🤣🤣🤣)

 

でも「自分」に実体のないことに気づいて、「プロになる、ならない」を手放したら、

一時、多少の不安や寂しさを感じたことはあったけれど、

以前の何倍も音楽が楽しくなったんです。

 

元々私は、英語屋さんで、言葉を人一倍大事に歌うところがあるのですが、

気がつけば、それを誰よりも理解してくれるピアニストさんと、いつも練習できて、

(ジャズってそういうミュージシャンは珍しいんです。)

 

そしてまた、そのピアニストさんが、私と練習する時は、

「納得行くまで曲を作り込めるから楽しいし、勉強になる」と言ってくれるのがすごく嬉しくて、

 

ある時はまた、「ひろこさんは、プロでも羨ましがるような、

いい環境で音楽が出来ていると思うよ」と、

ぼそっと言われたこともあり、

 

それを聞いて、私がやりたかった「良い音楽」というのは、

「売れる音楽」じゃなくて、

「納得の行く音楽」だったんだなと、改めて気付かされたんですね。

 

プロにこだわって、なれたとしても、

あのままじゃ、音楽をやめていたか、体を壊していたかもしれない。

でも、今なら、体が許してくれる限り、ずっと続けて行かれる自信があります。

 

引き寄せのような華やかさや、キラキラはないけど、

まるで臨む前に叶ってしまったような願いがたくさんあって、

充実度、納得度、何より幸福度は半端ないです✨️✨️✨️

 

もちろん、上に書いたように、生き上手な人は

引き寄せも上手だったりしますし、

元々引き寄せが、体質に合っていると人というのもいると思います。

 

でも、それが上手く出来ないという人も、

確実にいると私は考えていて、

そういう人は、私のように、

目の前のことだけ、コツコツとやって行くという方法もありなんだと思います。

それだと、何より、結果が出る出ないに関係なく楽しいし、

(勝手に)出た時は、ものすごく嬉しいものになっていると思うからです。

 

ボクが わるいこと してて、「コラッ!」て いわれても

いいこに おすわり すると、

パパと ママの なでなでの あめが ふって きます♬

 

キミほどの、引き寄せ上手も、にゃかにゃか いにゃいと思うよ、コラ!

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