2023年4月4日のFacebook記事です。
注意!
こんなことを書くと、とてもキレイな家に思われるキケンがありますが、
それは大きな誤解です。爆
【homeな感覚②】
「自己肯定感」再考
昨日の記事の補足です。
homeの感覚を自分に認めてくつろいだら、何が起きたか、
どういう風に人の目が気にならなくなったかを、
もうちょっと具体的に書きますね。
変わったことはたくさんあるんですが、
一番大きかったのは、
自分の好き嫌いがハッキリ分かるようになったことなんですね。
そうすると、その基準でやりたいこと、やりたくないこともキッチリ分けることが出来るようになるので、
当然行動もどんどん変わったんです
まずイヤなこと。
例えば、私は掃除と料理にまるで興味がないんです。
でも、汚いのは当然気持ち悪いし、健康には気を使っているから、
かける時間は最小限に出来るよう、徹底しています
掃除だったら、まず、
管理できる範囲まで、モノを徹底的に減らしました。
その上で、掃除のために、まとまった時間を取るのがもったいないから、
汚れたなって気付いた時に、ササッとやる「ちょこっと掃除」で済むように、
ものの置き方や掃除道具のしまい方まで工夫したり
優等生主婦から見たら、とんでもないやり方なんだろうけど、
私はその最低限の労力で家が回って行くのが楽しくて仕方ないんです。
掃除と料理は嫌いでも
そこをミニマムにする努力は惜しまない
好きなことについても、
自分の感覚で決めてます
以前なら、ソーイングを始めたら、
仕事になるぐらい上手くならなくちゃ、やる意味がないだの、
どこかに習いに行かなくちゃいけないんじゃないかだの、
余計なことばかり考えて、結局楽しくなくなっちゃうことが多かった。
でも、homeの感覚を大事にしていると、
私がソーイングをするのは、
ファッションに敏感だからでも、服が好きだからでもなくて、
夢中で集めた猫の可愛い生地で、
ただただ身を包んでいたいんだっていうことが、ハッキリしたんです
だから、ちょっとぐらい縫い目が曲がろうが、
Jojoのシャツの前立ての長さが合わなかろうが、
私が可愛いと思えれば、着て出掛けちゃう~
しかも、自分の手で作ったモノに身を包まれるって、
これほどまで安心感があるのを、私は知りませんでした
こういうのを、「自己肯定感」っていうんだって知ったのも、
homeの感覚で生活が変わって、大分経ってからのこと。
まるで答え合わせが出来たようで、ちょっと嬉しかった
少し前の心理学系の本だと、
自己肯定感を育てるためには、
もっと自信をつけましょうとか、
自分を褒めましょうとかいうことばかり書いてあって、
そんな本は掃いて捨てるほどあるけど、
いくらそれをやっても、私はな〜〜んの効果も感じなかった 笑笑
それどころか、スピで自分褒めが流行った時、
周囲で急に極端なナルシシストが多発して、
怖くなって逃げ出したことがありました
でも、最近読んだ自己肯定感の本によると、
例えば、太っているのがイヤで、ダイエットして、キレイになって自信が持てたとしても、
それは太っているのがイヤな人と変わりないんだって。
頑張って東大に入って自信をつけたとしても、ハーヴァードの人を前にしたら、
また自分を小さく感じちゃうのも同じこと。
きっと、「褒めたり頑張ったりして自信をつける」だと
他人の価値基準で自分を判断しているという土俵が同じだからなんでしょうね。
上が出て来て、自分を下に感じるようになったら、途端に劣等感がフラッシュバックするのでしょう。
そうじゃなくって、
本当の自己肯定感っていうのは、あるがままの自分を、まるっと受け入れられることなんだって。
長所も短所も、出来ているところも出来ていないところも。
それがナルシシストと違うところなんだそうです。
やっとそういうことをハッキリ言ってくれる人が出て来て、
最近の心理学って、すごいなって、感動しました
私の言葉で言うと・・・
私も自信が欲しいと思っていたこともあったけれど、
実は自信が欲しかったんじゃなくって、
人の目や評価が気にならなくなりたかったんだって言うのが、これも最近気付いたこと。
自信を持とうと思って
ホンッとに色んなことを試したけど、
そんな努力なんて何も要らなかった。
ただ、ある時から、全てを手放すような感覚で、
自分の感情や思考や体感などを淡々と見ていったら、
段々homeの感覚が出て来て、
そこを大事にしたら
こんな風に生活が変わって、
気付いたら、人の目が気にならなくなっていったっていうのは、昨日も書いたところ。
それが自己肯定感なんだっていうのも分からないぐらい、当たり前のものなんです。
そうやって、他人や世間の価値基準に振り回されることがなくなると
価値基準というのともまた違う、
優先順位みたいなのが勝手に出てきて
それを元に行動するうち
毎日が何となくしっくり来たり、
生活が整ったりして
淡々と生活しているだけなのに、
何だか理由もなく楽しい。
もちろん、それは私だけの優先順位だから、人に分かってもらえないかもしれないけど、それで良いんです。
当然、この充実感やしっくり感と引き替えにしてまで、
人の基準に合わせて、評価されたいという気持ちが起きなくなった
…それも昨日書きました。
そんな時間とエネルギーがあるんだったら、私にはもっと、やりたいことがある
音楽の話になると、内容がマニアック過ぎるので割愛しますが、
このhomeの感覚が、私の音楽に大革命を起こしたことは、言うまでもないでしょう
・・・と言っても、私が大事にして行こうとしているものの価値を分かってくれるのは、
日本だとほんの一握りのジャズ・ミュージシャンだけだろうなって言うのも分かっているんです。
それでも、その歯がゆさより、
そのほんの一握りの中に、
我らがピアニスト、諸戸さんが入ってくれているのは、何物にも代えがたい喜びで
音楽を続けて行く上で、この奇跡を何よりも大事にして行きたいという、
この気持ちだけは、誰にも容易にご理解いただけるのではないでしょうか
homeの感じ方とか、こういう展開は、もしかしたら、私独特のモノかもしれません。
それでもヒントにしていただけることはあるかもしれませんので、
よろしかったらご参考までに。
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