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怖い話します(選集)

ここはまとめサイトではなく、話はすべて自分が書いたものです。
場所は都内某所にある怪談ルーム、そこに来た人たちが語った内容 す。

※ このブログでコメント等にはお返事できません。
お手間ですが、「怖い話します(本館)」のほうへおいでください。

じゃあ話していきますんで、よろしくお願いします。
・・・最近のことじゃあないんですよ。昭和30年代です。
だからもう60年ちかく昔の出来事なんです。それでよろしければね・・・
当時わたしは中学生で、天使園で暮らしてたんです。
天使園ってのはご存知でしょう。キリスト教の養護施設です。
今も全国にあるんですけど、カトリック系が多いんです。
でもね、わたしがいたのはプロテスタントの教会が主催してるところで、
牧師さん、わたしらはミスターをつけて名字で呼んでましたが、
みんなアメリカ人だったんですよ。戦勝国だったアメリカからわざわざ来て、

日本の孤児を世話してくれた。いや、感謝してますよ。夜間でしたけど
高校まで出してもらって、人並みの人生を送ってこれたんですから。

 

ああ、わたしはね、まるっきりの孤児ってわけじゃあなかったんです。
親父はいました。けど太平洋戦争の傷病兵でして、片手片足が
不自由だったんです。あと、親戚はほとんどが空襲で焼かれてしまって、

それで福祉のはからいでっていうか、天使園にあずけられたんです。
あの、作家の井上ひさしさんってご存知でしょう。
あの人がちょうどわたしと同じ、プロテスタント系の天使園で育てられて、
そのときの体験をいろんな作品に書いてるじゃないですか。
当時の暮らしは、まさにあれと同んなじでしたね。今思えば懐かしいですよ。
ああ、園の生徒はみな男でしたよ。女の孤児はまた別の、

修道女がやってる施設があったんです。でも、男だけって言っても、それは
みな色気がついてくる年頃でしたから、生活はいろんな意味でたいへんでした。


一つの部屋に2段ベッドが3つギチギチに詰め込まれてまして、
ただ寝るだけじゃなくて、ベッドの上が自分のプライベート空間でした。
だからね、仲間はみな周りをシートで囲んで、外から見えないようにして、
服や学校の教科書なんかもそこに置いてたんですよ。
下着なんか数枚しかなくて、園の洗濯機で全部自分で洗ってたんです。
ああ、すみません。思い出話が長くなってしまいました。
で、その天使園の同じ中学2年生の仲間に吉田ってやつがいたんです。
当時はみな栄養状態がよくなかったんですが、吉田は特にやせてまして、
腕なんて枯れ枝みたいだったのを覚えてますよ。
やせているせいか目がぎょろっと大きくてね。髪がサラサラっとして、
なんか日本人離れした顔立ちでした。色も真っ白だったし。

でね、天使園の子は、園から小中学校に通っているんですけど、
部活動というのはできなかったんです。それは一つには、
野球だったらグローブとかスパイクとか、何をやるにしてもお金がかかるでしょ。
でも園がそんなお金を出してくれるわけもなく。あとね、
放課後に園に帰ってくると、それぞれ役割が決まってて作業があったんです。
裏地に畑を作ってました。そこに豆や芋、かぼちゃなんかを植えてたんです。
これ、収穫したらわたしらの食料になるんです。
天使園の運営資金は、基本は寄付です。日本とアメリカからの寄付。
ですから自給自足が奨励されていまして。わたしら生徒だけじゃなく、

牧師さんたちも作業着を着てクワをふるってましたね。でね、
畑の他にも鶏小屋と豚小屋がありまして、これもわたしらの食事にするんです。


吉田は鶏小屋の担当だったんですけど、それが、学校が夏休みだった8月のある日、
首を吊って自殺しちゃったんです。木造の鶏小屋の梁にタオルをかけて。
それだけじゃなく、鶏小屋に20羽はいた鶏が全部、首をねじられて死んでたんです。
わたしは見てないですけどね、吉田の足元には、それらの鶏が積み上げられて
たってことですから、吉田があの細い腕でやったとしか考えられない。
自殺の原因・・・それは、はっきりとはわからないんです。

このあと最後まで顛末を話しますんで、みなさんに想像していただく
しかないですよ。ああ、イジメなんかじゃあないです。

そんなイジメなんてする余裕はありませんでした。
もう自分自身が生きるのに必死でしたからね。
でね、もちろん警察も来ましたし天使園は大騒ぎになりました。

自殺ですからねえ・・・キリスト教だと、自殺することは禁忌になってまして、
葬式をやってもらえなかったりするんですが、ただし厳しいのはカトリックのほうで、
園ではちゃんと吉田のためのプロテスタント式のミサもやりましたよ。
で、警察は深くは介入せずに、しばらくすると園も落ち着きを取り戻したんですが・・・
1週間後くらいに、木造の鶏小屋の壁におかしなシミが浮き出したんです。
ええ、小屋の中のほうです。最初に見つけたのはわたしでした。

吉田のかわりに養鶏の担当になりまして、鶏も新しく買い入れて、世話をしようと
入っていきましたら、むき出しの木の壁に黒い影が焼きついてたんです。

それがね、ちょうど人が首を吊ったとしか見えない形だったんです。
前の日までは間違いなくなかったですよ。それが急にね。
驚いて叫んでしまいました。それで上級生を呼びにいったんです。
 

上級生が数人きて見ても、やはり首吊りのシミはちゃんとある。梁から
下がったタオルの下でだらんとしてる華奢な姿格好は吉田そのものだったんです。

シミは焼きごてを押しあてたように黒ぐろとして、寒気がするほど不気味でした。
でね、騒ぎを聞きつけたのかミスター・トンプソンがやってきました。
当時40代でしたでしょうか。この人は、農場全般を担当しているんですが、
わたしら園の生徒にはあまり好かれていませんでした。
陰気な感じがしたんですよ。生徒に話しかけることもあまりなかったし。
そのくせ何かと生徒の体をぺたぺた触りたがったんです。

今にして思えば、そういうことがあったから、生徒と触れる機会が多い
園の中じゃなく、外回りを担当させられていたのかもしれないです。

でね、小屋の中に入ったミスター・トンプソンはシミを見て顔色を真っ青に変え、

すたこら走って園長を呼びに行きました。
で、話を聞いた牧師さんたちがだんだんに集まってきまして、
やはりシミを見ては驚愕し、頭を寄せて相談を始めたんです。
そのときに生徒の一人が「悪魔ばらい」って叫んだんです。
そしたらわたしを含めた、そこにいる生徒が口々に「悪魔ばらい」って。
まあねえ、当時は「悪魔ばらい」って意味はみなわかってなかったんですけどね。

それに、映画で有名になったけど「悪魔ばらい」をやるのは
カトリックだけなんです。プロテスタントではふつうそういうことはしません。

でもね、騒いでるわたしらを見て、園長先生が、
「とりあえずミサをやりますから。聖書を取りに行ってきますね」
そう言ってその場を離れました。

鳥小屋の前に集まってた生徒は、草の上に並んで座らせられまして、
園長先生が分厚い聖書を手に戻ってきました。でね、鶏小屋の戸を開け放ち、
園長先生が、どの部分か覚えていないですけど聖書の一節を詠唱し、
他の牧師が両横に並んで、それをくり返しました。
しばらく続けていると、列の端にいたミスター・トンプソンが「ううっ」と
うめき声をあげました。見ると、顔中汗だらけになって目を固くつむって・・・
それには他の牧師さんたちは誰も気がつかず、さらに詠唱が進んで、
そしたらミスター・トンプソンが「熱い!」と叫んで両膝をついたんです。
すぐに両手で頭を押さえたんですが、その前に、

ミスター・トンプソンの額から青黒い煙があがっているのを
見てしまったんです。まあこれで、話はだいたい終わりです。

 

ミスター・トンプソンは救急車で病院に運ばれまして、こっからは
噂でしかないんですが、額の真ん中に焼け焦げができていたそうです。

それは十字架の形だったという話もありますが、どうですかねえ。
そのまま園に戻ることはなく、アメリカ本国に送還されました。
それと鶏小屋のシミのほうは、園長先生の祈祷でも消えなかったのか、
しばらくして解体され、別の場所に建てなおされたんです。
そうしてこの夏は終わりました。それ以後、おかしなことはなかったと思います。
わたしは、高校を卒業するまでこの天使園で過ごして就職しました。
はい、園はまだありますし、わたしも余裕があるときは差し入れを持っていったり、

寄付をしたりしています。・・・こうして、みなさんに話を聞いていただけて
ありがたい。なんだか胸のつかえが降りたような気分ですよ。

 

 
 
 
 
 
 
 

これ、俺が小学校の5年生のときの話なんですよ。

だから、子どもが見た夢みたいなものかもしれないし、実際、証拠になるような
ものは何一つありませんし。それを、あらかじめ断っておきます。

当時ね、すり抜け遊びってのが、男子の間で流行ってたんです。
ほら、道路で、民家のコンクリの塀ぎりぎりに電柱が立ってる場所ってあるでしょ。

そこを自転車ですり抜けるんです、スピード出して。すき間の幅は
せまいほどいいし、自転車も速ければ速いほど勇気があるって言われる。

ああ、もちろん危険ですよ。転んだり壁に激突するやつもいました。
でも、そんな大事になったことはないですね。学校はまだ、
そういう遊びが流行ってるのは知らなくて、禁止されるってこともなかったです。
で、ある日の放課後、友だち数人とこのすり抜け遊びをやってまして。

俺、これ、かなり得意だったんです。まあ、自慢にもなりませんけど、
他やつらが尻込みするくらい幅のせまいとこでもできたんです。

ちょっとしたコツがあって、みな、上半身をぶつけるのを怖がるけど、一番
ぶつかりやすいのはペダルと足なんです。両方のペダルが通り抜ける幅があれば、
あとは足を内股にして突っ込む。最初に自転車の通るコースをちゃんと
見定めてね。ああ、すみません。遊びの話ばっかしてしまって。

で、そのときやってた場所ってのが、お寺さんだったんです。
墓所をぐるっと囲んだコンクリ塀の角のあたり。だから、変なことが起きたのは

そのせいかもしれません。ただね、そのお寺では、みなよく
遊んでたんですけどね。おかしなことが起きたのはその1回だけです。

でね、そのときも幅はかなりせまくて、やろうってやつがいなかったんですが、

俺はできると思いました。だから、「なんだよ、お前らやらねえのか、勇気ねえな」
なんて言って、10m以上は離れたところから自転車を漕いで、
勢いよくそのすき間にとびこんだ・・・まではよかったんですが、
カツンと、片方のペダルの端が電柱にあたって、
俺は反対側に大きくよろけて、肩からコンクリ塀に突っ込んだ・・・
と思ったんですが、ねちゃっとした感覚があったんです。
まるで粘土みたいでした。「え?」 思わず目をつぶって、また目を開けると、
塀の中の墓地が見えたんです。体はまったく動かず、痛いところもなし。
目だけを動かして自分の下のほうを見ると、驚いたことに、
塀から自分の体の腹から上が、斜めになって墓地の塀から生えてたんです。
言葉で上手く説明できないんですが、これ、想像できますかね。

自転車と下半身が塀の外の道路、上半身が塀の中ってことです。
大声で叫ぼうと思いました。仲間がいるんで、助けてもらおうと思って。
でも、声が出なかったんです。そのままどんどん時間が過ぎていって、
かといって、仲間が塀の内側に回ってきて助けてくれる様子もない。

そのうちに、変なことに気がついて。「あれ、俺、息してないんじゃないか?」
って。いや、息を吸ったり吐いたりしてなかったんです。

だから、当然声も出ないですよね。で、そのまま長い時間がたって、
そのとき、もしかしたら自分は死んだんじゃないかって考えたんです。
ずっとこの格好のまま、永遠にいなきゃいけないんじゃないかって思ったら、
すごく怖くなって。でも、どうしようもないんで、
目の届く範囲の墓地の中を見てるだけでした。そしたらです。

奥のほうのお寺の建物から、こっちに向かって歩いていくる人がいて、
坊さんの格好をしてました。そこのお寺は、俺の家の墓もあって、
住職のことはなんとなく覚えてました。かなりの年寄りだったはずですけど、
その坊さんは若かったんです。で、すごい鋭い目つきの怖い顔でした。
もちろん、助けてもらおうと思ったんだけど、声も出ないし、体も動かない。
坊さんは俺のほうを見ようともしなかったです。
手に桶と柄杓を持ってました。で、ある墓の前に行って、そこで黙って立ってる。
すると不思議なことが起きたんです。その墓の下のほうから、
スーッと黒い影が出てきたんです。人の形とまではわかるんだけど、

前身黒くて透けてるので、目も鼻も、男か女かもわからない。それが坊さんの
前で立ち上がろうとすると、すかさず坊さんが桶から柄杓で水をくんで、


それの頭からかける。2、3回かけると黒い影は消えちゃいました。
で、坊さんは別の場所に行って、また出てきた黒いやつに水をかける・・・
これをくり返しました。さっきも言ったように、
時間がどのくらいたってるかはわかんないんですよ。どうしようもないんで、
坊さんが十数人に水をかけるのをずっと見てたんですが、
墓から出てくるやつがいなくなると、坊さんは朗々とお経を唱えだしたんです。

で、そのまま俺のほうに近づいてきて目が合いました。すごい怖い
目つきでしたよ。坊さんは俺の顔のすぐ近くまでくると、「何でここにいる?」
って聞きました。でも、声も出ないし答えられなかったんです。

坊さんは、こっちが何も反応できないのに、「そうかわかった、自転車のいたずらか、
 いたずらには罰を与えよう」そう言うと、人差し指を伸ばして、

俺の両方のまぶたに触ったんです。それから、両手をパンと合わせて・・・
気がついたら病院にいました。後からわかったんですが、
俺はお寺の塀に強く頭をぶつけて倒れ、仲間が騒いでるところに通りかかった人が、
救急車を呼んでくれたんだそうです。それでね、頭のぶつけたとこは痛かったですが、
両方の目が見えなくなってたんです。頭の中に出血してたんですね。
病院では、しばらく自然に血腫がひくのを待って、

それでダメな場合は開頭手術って言ってたそうです。ベッドでは、両親の声は
聞こえたけど、それ以外の人は面会謝絶だったみたいです。でね、頭を打った
せいかわかりませんけど、ずっと眠ってて、同じ夢ばかり見てたんですよ。

夢の中で目は見えました。一本道があって、どこまでも果てしなく続いてて、
両側は野原みたいなとこでした。でね、道のわきにいくつもお堂があったんですよ。

地蔵堂でした。幕がかかってて、中には一つだけ地蔵様があったんですが、
必ずどっかが欠けてるんです。鼻とか頭とか、顎のところとか。
で、この地蔵様たちにちゃんとお参りしなきゃいけない、って強く感じたんです。
だから、手を合わせてお祈りしたんですよ。頭を治してください、
目が見えるようにしてくださいって。地蔵堂は数十mおきに、
道のどっちかの側にありました。それらすべてに立ち止まって、
お祈りしてからまた道を進んでいく、そういう夢をずっと見てたんですね。
それ20日ほども続いたんです。でね、その夢の内容が、ある日変わったんですよ。
まず、進んでいく道の先の空が曇ってました。ええ、行く先が黒雲におおわれてて、
これ以上進んじゃいけないって気がしたんです。また地蔵堂があったんで、
立ち寄って幕をめくると、いつものように地蔵様があったんですが・・・

それ、俺の顔にそっくりだったんです。これ、俺なんじゃないかって思いましたが、

ただ、はっきりそうとも言い切れなかったのは、両方の目にあたる部分が
欠けてなくなって、中の白いとこがむき出しになってたんです。

とにかく、それまでと同じように手を合わせてお祈りをしました。
すると、後ろでシャランと金属の音がしました。ふり返ると、
白装束で笠をかぶった人が立っていて、あれ、お遍路さんの格好でしたね。
その人が、持ってた錫杖を突いたみたいでした。
でね、こう言ったんです。「よく、ここまで来たな。修行はもう足りただろう。
 戻りなさい、ご両親も心配している」その声が、
墓地で水をかけてた坊さんに似てた気がするんだすけど、
笠で顔が見えなくて、同んなじ人だったのかはわからないです。

心底ほっとした気持ちになって、われに返ると病院のベッドで、
天井が見えたんですよ。「ああ、見える」って思いました。頭は動かないように
砂袋で固定されてたので、見えたのは天井だけでしたが、

うれしくて涙が流れてきました、で、病室に看護師さんが来たんで、「見えます」
って言ったんです。それから、さらに1ヶ月病院にいて退院しました。

まあこれで、話はだいたい終わりです。学校では、俺のせいで
すり抜け遊びは禁止になってましたね。ということで、もとの生活に戻ったんですが、

二度と危険な遊びはしませんでしたよ。それから2年して、同居してた祖母が
亡くなり、例のお寺に行きました。そのとき、広い客間に通されたんですが、

鴨居の上に歴代の住職の写真がかかってまして。その中の一人が、
墓地で見た坊さんに似てた気がするんです。まあ、違うのかもしれませんけども。






 

 

 

bigbossmanです。今回はひさびさに、霊能力者のKさんとお会いした
ときの話です。ご存知の方も多いと思いますが、Kさんは50代後半、
本業は実業家で、貸しビルや高級飲食店を手広く所有されています。
そのほとんどは経営を人に任せてて、本人はボランティアで
全国を飛び回り、霊障事件の解決にあたられてるんです。以前は
神戸のほうにご自宅があったので、ときどきお会いしてたんですが、
去年、石垣島に転居され、ご一緒する機会が少なくなりました。
これは、つい1週間前、本土に出てこられたKさんと、ホテルのバーで
飲んだときのものです。「ところでbigbossman、祠ってあるだろ、
 あれ、どういうものなんだ」 「祠ですか、うーん、語源は、
 もともとは神倉(ほくら)って言ったみたいですね。

 弥生時代の遺跡で、厳重な環濠に囲まれた中に、小さな高床式の
 建物が見つかったりしてます。人が住める大きさじゃなく、
 種もみの倉庫ではないかという説が有力で、そんなのが祠の
 源流なのかもしれません」 「ふうん、じゃあ、神道のものなのか」 
「それが、そうとも言いにくいんです」 「どうして?」 
「神社の場合、御祭神がはっきりしてます。天照大神とか大国主とか」
「ああ、そうだな」 「けど、祠は、何が祀られてるかよくわからないんです。
 神道の神社なら、どんな小さなものでも、かけ持ちで担当する神職がいて
 お世話をしてますが、祠の場合は、その近くの家の人が世話してたり
 します。ですから、もし世話してたお年寄が亡くなったり、
 転居した場合、祠は放置され、そのまま朽ちていくことも」

「なるほどな。中にはどんなものが祀られてるんだ」 「それはいろいろで、
 その地の人が尊いと思ったものです」 「え、どういうこと?」
「うーん、例えば、山の中で人の顔が浮き出して見える石を拾って
 持ち帰ってきた。で、それを近所の人に見せたら、祀らなきゃいかんと
 言われて祠を作ったとか、あとはそうですね、白蛇の抜け殻とか、
 洪水のときに流れついた仏像とか」 「仏像?」 「はい、庶民の間では、
 神仏は習合してましたから」 「そうか」 「だから、ひと口では
 言えないんですよ」 「で、もし祠が祀られなくなったらどうなる」
「それは、その祠がどれだけ信仰を集めてたかによると思います。
 例えばある一家だけで祀られてたようなのは、放置されてもまず何も
 起きません。けど、たくさんの人の信心を集めてた場合、

 捨て置かれるようになると祟りが発生したりします」 「それは何となく
 わかる気がするな。人々の信仰心そのものが実体を持つということだろ」
「そうです。あと、めったにはないんですが、その祠に祀られてたのが
 強力な呪だった場合、やはり祟りが起きたりしますね」 「つまり、
 祟りを鎮めるために 地域みなでお祀りしてた」 「そうです・・・Kさん、
 何か祠にまるわる事件に関わってられたんですね。話を聞かせてください」
「うん、そのつもりで聞いたんだ。けど、発端はずいぶん昔、今から
 28年前のことだ」 「というと1993年あたり」 「そうだ、
 あの頃はちょっとしたオカルトブームだった」 「わかりますよ。
 テレビでもけっこうオカルトな番組をやってましたが、1995年の
 地下鉄サリン事件で、みなパッタリと消えちゃいましたよね」

「うん、その少し前の話、3人の男子大学生がいて、オカルト研究会所属」
「はい」 「その子たちが、ある廃村に1泊でビデオ撮影に行った。
 学祭で流すつもりだったそうだ」 「なるほど、その廃村の場所は」
「それは言えんが、東北の〇〇県だよ」 「で」 「林業が盛んなころは、
 かなり栄えてた村だが、廃村になって15年ほどたってた」 「はい」
「大学生たちは夏休みに車で行き、小さいテントを張って泊まったんだ。
 日中は廃村の中を撮影してまわり、生活感のある家の内部なんかを
 撮ってな、夜はライトを使って、改葬で放棄された墓地なんかも」
「で」 「テントを張ったのは村外れで、そこに奇妙な祠があった」
「どんな」 「それが、一つ一つは小さいが高さのある祠が、
 4つ四角に向き合う形で建ってた」 「向き合う?」

「そう、つまり四角形の対角線にそれぞれ祠があって、全部が内側を
 向いてる」 「珍しいですね。その祠は真ん中にある何かを封印
 してた?」 「そうだ」 「中は確かめたんですか」 「ああ、その
 大学生らは怖いもの知らずで、わざわざ扉を開けてみたが、
 すべて空だったらしい」 「罰当たりですねえ」 「うん、さらに
 もっと罰当たりなことに、テントを張ったのがその中心の場所」
「うわ」 「当然、何かが起きたと思うだろ」 「はい」
「大学生らは焚火をしてな、その回りで持ってきた酒を飲んだ。
 寝たのは12時過ぎだったらしい。夏だから寝袋もいらずごろ寝」
「で」 「その日、日中はいいお天気だったのに、彼らがテントに
 入ってから雨が降り出した。土砂降りなら車に戻るが、

 そこまでの雨でもない」 「で」 「だいたい2時ころ、全員が
 寝入ってると、突然突風が吹きテントが飛ばされたんだ」
「ははあ、で」 「起き上がると、自分たちの頭上に何かが飛んでる」
「何が?」 「それが、4つの火の玉だったそうだ。円を描きながら、
 まるで互いに追いかけっこするようにぐるぐる」 「それ、
 焚火の火が風に乗ったんじゃ」 「いや、焚火は寝る前に消した。
 それに火の玉と言っても、青白い光だったそうだ」 「うーん」
「何かの電気的な現象かとも思ったそうだが、怖くなって車に入り、
 そのまま大学のある地元まで逃げてきたそうだ」 「で」
「でもな、その後、彼らには特に何が起きたというわけでもなかった」
「え、じゃあKさんが依頼を受けたのはいつです?」

「その8年後のことだ。3人はそれぞれ就職し、時期は違うが結婚して、
 同じ頃に最初の子が生まれた、3人とも女の子だった」 「で」
「この3人をABCとしようか。ABはもう亡くなってるが、その日が、
 2人とも自分の娘の4歳の誕生日だった」 「え?」
「もちろん日は違うが同じ年。Aは交通事故、Bは突然の病死」
「うーん、じゃあCは?」 「このCから俺が依頼を受けたんだよ」
「ああ」 「大学時代の友人仲間で、まだ親しく交流があった2人が
 急に亡くなったわけだ、そりゃ怖いと思うだろ」 「ですね」
「で、俺はCと会って、いろいろ話を聞いたが、そんな中で、
 この廃村の祠の話が出てきたんだよ。本人は半分忘れてたけどな」
「うーん、Kさん、調査に行ったんですね。その祠、8年後にも

 残ってたんですか」 「ああ、かなり朽ち果ててたが、倒れたりは
 してなかった」 「どんな調査を?」 「祠自体は中身がないんだから、
 それが衞ってる中心地にレーダー調査を入れた」 「地中レーダーですか、
 さすがですね」 「知り合いにその手の会社をやってるやつがいたから。
 結果は、そう深くないところに金属のものが埋まってると出た」
「掘ったんですね」 「ああ、重機を頼んで」 「わくわくしますね、
 何が出てきたんですか」 「金銅製の坐像、かなり傷んでたが、
 地蔵菩薩だった。頭を下にして逆さの形で」 「で」
「中が空洞になってて、調べてみたら4体分の子どもの骨が出てきたんだ。
 性別ははっきりしないが、女の子っぽい。年齢は3、4歳。
 大学の先生に見てもらったら、江戸後期だろうということだった」

「うーん、すると、江戸時代に、何らかの理由で子ども4人が亡くなり、
 遺体を地蔵像の内部に入れて逆さの形で埋められ、その周囲に祠を
 建てた!? よくわかりませんね。あ、その子たちの死因は判明したん
 ですか」 「はっきりはしてないが、骨に刃物のすり跡があって、
 肉を削いだんじゃないかという話だった」 「う」 「その地方は
 江戸時代、ひどい飢饉が続いてたから」 「うう」 「この骨が
 障りをなしてるのだろうと考えて浄霊をしたよ。それが功を奏したか
 わからんが、Cは娘さんの4歳の誕生日には死なず、娘さんともども
 健在だ」 「なるほどねえ」 「だが、事件はまだ解決してない」
「え、どうして」 「埋められた子どもは4体、大学生は3人、
 1体がどこかをさまよってる。それをずっと追い続けてるんだよ」
 

キャプチャ

 

 

 

 

 

dert (2)
 

今回はこういうお題でいきますが、歴史というほどたいそうな
内容でもありません。さて、「肝試し」は怪談を書く上での
重要な素材の一つですね。学校の合宿などでやる場合もありますし、

心霊スポットと言われる廃墟などに探索に行くのも、一種の肝試しです。
 

ここで、肝試しの「肝」って何でしょう。字からすると「肝臓」
を指しているようにも思えますが、古典での使い方を見れば、
内蔵全体や心臓、心などを表してる場合もあり、一様ではありません。

まあこれは、しかたのないことでしょうね。
 

五臓六腑などと言いますが、1774年に杉田玄白らが、
『解体新書』を翻訳するまで、日本では、人間の内臓が
どうなってるかはよくわかっておらず、医師などでも、
経験に基づいた治療しかできなかったんですね。ですから、
「肝」という言葉の意味内容が混乱するのもいたしかたありません。


五臓 陰陽五行説からきたもの
dert (1)

とはいえ、慣用句には「肝が太い」 「肝が冷える」などがあり、

「肝」は、その人物の勇気や豪胆さをつかさどる体内の臓器と
考えられてきました。「肝試し」が最初に文献に現れるのは
『今昔物語』ですかね。源頼光四天王の一人であった
平季武(たいらのすえたけ)が、真夜中に
産女(うぶめ)が出るという川を渡る話が載っています。


たくさんの武士が、ある夜、詰所に集まっていろいろ話をしていると、

ある侍が、川の渡し場に産女という怪しのものが出て、
「これを抱いてくれ」と赤ん坊を渡してよこすという話をし始めます。

皆が「こんな夜中にはとても見に行けない」と言い合っていると、
武勇自慢の季武が、「俺が行ってみせる」と言います。

平季武と産女
dert (3)
 

あまりに季武が「できる、できる」と言うので、
ついに皆と賭けをすることになり、武士たちは鎧兜や弓矢、
馬などを賭けの品としてその場に積み上げます。季武は、
「確かに行ってきた証拠として、俺の鏑矢を向こう岸に差してくる。

明日の朝行って、見てくればよかろう」こう言い放って出発します。
 

季武が渡し場まで来て川に馬を乗り入れると、
いつしか近くに不気味な女がいて、「これを抱いてくれ」
と泣いている赤ん坊をさし出すので、「承知した」と
赤ん坊を袖の中に入れて馬の足を速めると、女が後ろから
走ってついてきて、「さあ、もう赤ん坊を返してくれ」と叫ぶ。


「いいや返さん」季武は女を振り切って詰所まで戻り、

「どうだ、産女の赤ん坊を取ってきたぞ」と言います。
ですが、袖の中を見ると、いつのまにかたくさんの木の葉に
変わっていた・・・皆が季武の勇気を褒めたたえ、季武は、
「当然のこと」と賭物を取らずに返した。こんな話が載っていますね。

 

まあ、季武は武士ですし、武士階級というのは貴族に代わって
戦いを受け持つためにできたものなので、「武勇」という
言葉があるように、勇気を示すのはきわめて大切なことでした。
かといって平時に戦いをするわけにいかず、肝試しの習慣は、
そんな中からできあがっていったのかもしれません。


藤原道長
dert (4)
 

また、貴族であっても、肝試しをする場合もありました。
『大鏡』には、花山天皇の時代、みなが夜に集まって、
これまでに体験した怖ろしい話をしていると、天皇が、
「こんな夜中に宮殿内を回ってくることはできるだろうか」と言い、

藤原3兄弟に肝試しを命じます。この言葉を聞いて兄2人は顔色を変えて
震えだしましたが、末の藤原道長だけは「やってみせます」と言う。

結局、3人ともが肝試しに出たが、2人の兄はすぐに逃げ帰ってしまい、

道長一人だけが大極殿まで行き、実際に来た証拠として、
柱を小刀で削り取り持ち帰った。翌朝、それを柱の傷と
比べてみるとぴったり合っていた・・・こんな話が出てきます。

ただ、これが実際にあったことかどうかは何とも言えないですね。

後に名をあげる人物には、若いころから優れていたことを示すための、

こういうエピソードはつきものです。余談ですが、道長は深く仏教に帰依していて、
62歳で亡くなる際には、阿弥陀堂にこもり、阿弥陀仏像と自分の手を
5色の糸でつなぎ、西方浄土への往生を願いながら、
僧侶たちの読経の中で息を引きとったと言われます。


平忠盛と怪しい法師
dert (5)
 

あとはそうですね。肝試しとはちょっと違いますが、
平清盛の父、忠盛が北面の武士だった時代。夜中に愛人の
祇園女御のもとへ行こうとする白河法皇の警護につき従っていると、
前方にぼうっと光る怪しい化け物がいて、頭に多数のトゲが生え、
しかも手に小槌のようなものを持っている。(「一寸法師」に
 
みるように、当時、槌は鬼が持つ武器と考えられていました。)

他の武士たちが怖れ騒ぐ中、忠盛だけが冷静に前に進み出て、

その者をとらえてみると、辻の灯籠に油を注ぐ法師だった
ことがわかります。法皇は、弓で射殺してしまわなかった忠盛の
勇気を褒め、褒美として祇園女御を与えます。そうして生まれたのが平清盛。
 
つまり、清盛は法皇の子だったということになります。
この話も、どこまで本当かわかりませんが、成長した清盛が
異例の出世を続けていったのは事実です。

最後に、これも肝試しとは少し違うんですが、水戸黄門として

知られる徳川光圀が、若い頃に辻斬りをした話。
 
酔って友人と歩いていた光圀は、「人を殺す勇気があるかどうか」
で言い合いになり、神社の床下に刀を抜いて潜っていき、
そこで寝ていた浮浪者を刺し殺したという記録が残ってますね。
非道い話ですが、これは実際にあったことのようで、
今でいうホームレス狩りに近いものです。


徳川光圀
dert (1)

さてさて、今回はエピソードのご紹介で終わってしまいました。

ということで、現在、面白半分に行われている肝試しとは違って、
昔の武士にとって、胆力を示すことは、そのまま出世につながる
ケースが多かったんですね。逆に言えば、臆病者とされるのは、
武士の存在意義にかかわる、たいへんな恥辱だったわけです。
では、今回はこのへんで。




 

 

 



えー今日は表題のようなお話をしてみたいと思います。
当ブログでは物理学的な内容の項もけっこうあるんですが、ヒッグス粒子、
重力波観測、超弦理論と余剰次元、タキオンなどについて、
自分のわかる範囲でそれなりに真面目に書いているつもりです。

今回はそれとは違いまして、エセ科学というか、眉唾な話になりますので、
どうかそのつもりでお読みください。
さて、タイムトラベルで未来に行くことは可能です。というか、
みなさんは実際に未来へのタイムトラベルを何度も経験しているはずです。

例えば飛行機に乗ること。特殊相対性理論によれば、速度の速い乗り物に
乗った人の時間は、乗ってない人に比べて遅れることになっています。
ですから、みなさんが飛行機に乗って降りれば、ごくごくごくわずかなんですが、
そこは未来になっているはずです。ただし、ほんのわずかでしかないので、
未来に来たことを体感することはできないでしょう。

では、過去に行くことは可能でしょうか。これは現時点では
不可能と考えられることが多いんです。もちろん思考実験として、
過去に行くための方法もいろいろ考えられていますが、
存在するかどうかもわからないワームホールや宇宙ひもを使った
非現実的なものばかりです。



かのホーキング博士は「時間順序保護仮説」を提唱して、
もしも時間の流れが狂うような事態が起きようとした場合、
何らかの量子的な効果が働いて、
それを防いでしまうのではないかと述べています。

まあしかし、それだと話が進みませんので、方法はわからなくても、
過去へのタイムトラベルが可能になったとします。
そうすると出てくるのが、有名な「親殺しのパラドックス」ですね。
過去に遡って、自分が生まれる前の両親のどちらかを殺してしまう。

そうすれば当然ながら自分も生まれることができないので、
過去に戻って親殺しを実行することもできない・・・ただSF的には、
このパラドックスを回避するための方法がいくつか考えられています。
一つには平行世界を利用するものです。
平行世界はパラレルワールドとも言います。

パラレルワールドをうまく説明するのは難しいですが、例えばあなたが、
A子さんとB子さんのどちらと結婚するか迷った場合、世界が、
A子さんと結婚した世界と、B子さんと結婚した世界の2つに分かれます。
そしてそういう選択は無数にあるので、
無数のパラレルワールドが存在することになります。



その中には、あなたが今暮らしている世界に酷似しているものもあれば、
まるで違ったものもあると思われます。もしも平行世界が
ほんとうにあるのなら、これは夢が広がりますよねえ。
A子さんと結婚したあなたは、A子さんの浮気に悩まされて離婚してしまった。

平行世界を自由に行き来できるのであれば、
B子さんと結婚して幸せに暮らしているもう一人の自分と
入れ替わることができるかもしれません。いやいや、また別の平行世界では、
A子さんは浮気などしない貞淑な妻なのかもしれません。
さらに別の平行世界では、あなたはまだ花の独身・・・

ちなみに、自分が好きな、マンガの『ジョジョの奇妙な冒険』は、
パラレルワールドを認める世界観でした。
例えば、第七部のスティール・ボール・ランでは、敵役の大統領は、
平行世界を自由に行き来できるというスタンド能力を持ってましたね。

さて、親殺しのパラドックスですが、タイムトラベルで過去に戻るときに、
すでに別の並行世界に入っていると想定すれば、そこで親を殺したとしても、
帰ってくるときに元の世界に戻ってしまえば、パラドックスは生じないわけです。
なぜならその世界の過去では、あなたの親は殺されてはいないんですから。
この考え方はたいへん便利なので、いろいろなSF作品で用いられています。

キャプチャ

パラドックスを防ぐための考え方はもう一つあります。
それは、時間は連続体ではない、とするものです。でもこれ、直感的に
理解しにくいですよね。だって、みなさんの部屋の時計は電池が切れないかぎり、
ずっとぐるぐる動いているわけだし、過去をふり返ってみても、
昨日、一昨日・・・と、つながって存在しているとしか思えないじゃないですか。

でももし、時間は連続しているのではなく、極小の単位でブツブツと切れている、
としたらどうでしょう。例えば、映画のフィルムを考えてみてください。
あれは一コマ一コマごとになっていて、
前のほうのフィルムを切り取ってつなげたとしても、
それで、後のほうのストーリーが変わるわけではないですよね。

もしかしたら、実際の時間もフィルムのように断続的になっている
可能性というのはあるんです。天才ロジャー・ペンローズが提唱した、
「ループ量子重力理論」というのがありますが、
じつはこの考え方にたいへん近いものなんですね。

プランク時間という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
これは、5.391×10の-44乗秒というひじょうに短い時間で、量子力学の
不確定性原理との関係上、これが時間の最小単位と考えられています。
これよりも短い時間は存在しない(というか原理的に観測できない)んです。

われわれが体感する時間というのは、じつはこのプランク時間が
ずらずらっと並んだものなのかもしれません。プランク時間の一つ一つが、
フィルムの一コマ一コマにあたると考えてもいいでしょう。ですから、
過去で親を殺したとしても現在に影響はおよばないのかもしれません。

ただしこれ、原因があって結果があるとする因果律を否定することに
なりかねません。つまりあなたの人生は、
もうすでに終わりまで完成してしまった映画のように、
どうやってもストーリーを変えることができないかもしれないんです・・・
この考え方ってけっこう怖くないですか?