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怖い話します(選集)

ここはまとめサイトではなく、話はすべて自分が書いたものです。
場所は都内某所にある怪談ルーム、そこに来た人たちが語った内容 す。

※ このブログでコメント等にはお返事できません。
お手間ですが、「怖い話します(本館)」のほうへおいでください。

国内最大級の埋蔵金だろうか。土の中から見つかった大きなかめには、
推定26万枚にも上るお金が入っていた。
去年12月に発掘され、9日マスコミに公開された巨大なかめ。人が隣に並ぶと、
この大きさ。しかし驚くのは、その中身だ。入っていたのは、大量のお金。
埋蔵金と一緒に入っていた木簡に記された文字を260貫と読むと、
その数約26万枚ということになる。

埼玉県埋蔵文化財調査事業団の担当者は、「仮に26万に近い枚数になえるならば、
単独のかめとしては全国最大のものになる。」
この埋蔵金が見つかったのは埼玉県蓮田市の新井堀の内遺跡。
ここにはかつて武家屋敷が建っていて、その主が埋めたものではないかとみられている。
今のところ、埋めた理由などは不明だ。大きなかめいっぱいに詰まった埋蔵銭、

いったいどのくらいの価値があるものなのか。今回、見つかったお金のなかで
一番古いものは621年に作られた開元通宝。古銭買い取り歴30年の業者に話を聞くと、
「買い取りは10円未満だと思って頂ければ。たまに金銭もあるんですよ。
そういったものが1枚でもあれば100万円以上になります。」
(テレ朝ニュース)



今回のお題はこれでいきます。なかなかユニークなニュースですね。
「埋蔵金」をオカルトと言っていいかどうかはよくわかりませんが、
オカルト雑誌の「ムー」にはたまに記事が載ってたりします。
それにしても260貫ですか・・・ 銭1000枚で1貫です。

古銭には、骨董価値と貴金属としての価値があります。
「鐚(びた)一文」などと言いますが、引用記事で古物商が言っているように、
鐚銭(私鋳された粗悪な通貨)であれば、1枚10円にもならないでしょう。
それに、26万枚を全部まとめて買ってくれるところもないでしょうしねえ。

また、全部を鋳つぶしたとしても、金属としての価値もほとんどありません。
ただ、もしも中に金・銀の貨幣が混じっていれば話は違いますが、
調べるのもたいへんそうです。なかなか始末に困る埋蔵金です。
公的機関が発見したのなら、博物館などで展示するのが一番いいのかもしれません。

さて、日本各地に眠っている埋蔵金は、現在の価値にすれば、
合計、100兆円規模にもなると言われています。考古学的な調査でも、
つぼやかめにはいった小判などが見つかることはあります。
近世のものが多いですが、ごくたまに、中世以前のものが見つかる場合も。

考えてみれば、銀行も金庫もない時代でしたから、
銭蔵などがなければ、かめに入れて土に埋めておくのが
一番よかったのかもしれません。そして、それを埋めた屋敷の当主がが亡くなり、
そのまま忘れ去られてしまう。で、無念に思った当主が幽霊になって出てきて、
庭の片隅までいってスーッと消えてしまう。家人がそこを掘ってみると・・・
なんて怪談は全国に伝わっています。

さて、現代になって見つかった最大の埋蔵金は、昭和38年に、
東京のビル改築工事現場で、地中から江戸時代の天保小判1900枚と、
天保二朱金約7800枚が発見され、当時の時価で6000万円といわれました。
今だと、もちろん億を超えるでしょう。これは、明治時代に当地で
酒問屋を営んでいた人物が埋めたものであることが判明し、子孫に返還されています。

現代であれば、工事は建設会社がやりますし、
そこで遺跡らしいものが見つかれば、地元の教育委員会などが発掘をし、
もし金銭が見つかった場合は遺失物あつかいになり、
まず、公示から3ヶ月間、それを埋めた人(の子孫)が名乗り出るのを待ちます。
それで出てこなければ、(普通は出てこないし、先祖が埋めた証明もできない)
発見者と地主で折半することになります。
財布なんかを拾った場合と、基本的には同じなんですね。

ただし、文化財として価値がある場合は、国か地方自治体に所有権がうつり、
発見者と地主には報奨金が支払われることになってたはずです。
昔も、地中を掘ったらお宝が見つかったという例はけっこう文献に残ってて、
ここ掘れワンワンの「花咲か爺さん」の民話にもなっていますね。

歴史的な意義が高かったのは、お金ではないですが、
九州の現・博多市で見つかった、国宝「漢委奴国王印」でしょう。
当時の黒田藩は、発見者の甚兵衛に白銀五枚の褒美を与えています。
ただ、この発見時の状況がありまいなため、金印偽造説は根強く残っています。
これ、自分は本物だと考えていますが、そのことはいずれ記事に書きたいと思います。



さて、各地にある埋蔵金伝説で最も有名なものは、「徳川埋蔵金」でしょうか。
1867年に江戸幕府が大政奉還した際、密かに地中に埋蔵したとされる、
幕府再興のための軍資金で、西郷隆盛と勝海舟の会談で、
江戸城の無血開城が決まったとき、小栗上野介らによって持ち出されたとされます。



額は360万両と言われることが多いですね。これは、勝海舟の日記に、
「幕府再興の軍資金が360万両あり云々」と書かれていることによります。
小判なのか金塊なのかはわかりませんが、
その価値は、現在のお金で3000億円~20兆円とされ、
埋蔵場所は、当時の状況から、群馬県の赤城山中と考える人が多いようです。

この発掘は明治時代から行われていますが、いまだに見つかってはいません。
一族で代々発掘を続けている有名な人がいますし、
コピーライターの糸井重里さんも、TV番組の企画で、
超能力者をやとって発掘したりしてましたね。古謡の「かごめ歌」には、
徳川埋蔵金のありかを示すヒントが隠されているなどとも言われます。

さてさて、この他にも埋蔵金伝説は、あちこちにあります。
ロマンがあるところでは、岩手県平泉町にある「金鶏山」。
これは、源頼朝に滅ぼされた奥州藤原氏の3代秀衡が築かせた人工の山で,
山頂部に、経典 とともに雌雄の黄金の鶏を埋めたと言われています。

言い伝えをたよりに埋蔵金発掘にのりだした者も、全国に多数いますが、
土地を買ったり、重機をそろえたりしないといけませんし、
家業がおろそかになり、破産するというのが定番です。
ここから、埋蔵金の呪いと言われたりします。

埋蔵金には、埋めたものの執念や、金そのものが持つ魔力がこもっていて、
それを探す者は不幸になる、というわけです。
ただ、埋蔵金が出なかったかわり、温泉を掘り当てたなんて人も中にはいますね。
ということで、今回はこのへんで。

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あ、どうも。俺、山本っていいます。高校を中退してから、
ずっとプー太郎をしてたんだけど、最近、就職したんです。
といっても、自動車会社の期間工だから、いつまで仕事あるか
わかんないですけどね。まあでも、俺ももう25過ぎたんで、
そろそろ真面目にやんなきゃマズいと思い始めて。
気持ちが変化したきかっけですか。この間、同居してた
じいちゃんが亡くなったんです。死因は肺炎でしたけど、
86歳でしたから大往生って言っていいかと思います。
はい、入院してた先の病院で。それでね・・・これから話を
するのは じいちゃんのことじゃなく、その連れ合いだった
ばちゃんのことです。ただ、ばあちゃんは、俺が生まれる前、

30代で病気で他界してるんですけどね。だから顔は遺影でしか、
見たことがありません。昔の白黒写真だけど、きれいな人だった
ってことはわかります。和裁の先生をしてたんです。
もう壊しちゃったけど、じいちゃんが建てた家の一間に
お弟子さんを集めて。あ、じいちゃんは大工でした。
ほら、大工仕事は安定しないから、ばあちゃんの収入でずいぶん
家計の助けになったみたいです。それで、話はね、ばあちゃんの
湯呑のことなんです。どこにでもあるような白地に花の模様の
ついた湯呑。いつもそれでお茶飲んでたみたいです。
この湯呑、ばあちゃんが急死して、葬式なんかのどさくさのときに
見えなくなっちゃったんです。ひと段落してから探したけど、

どっからも出てこない。だから、ばあちゃんがあの世へ持って
いったんじゃないかって、当時は話してたそうです。
けどね、それ、ときどき出てくるんです。はい、俺も見てます。
恥ずかしい話だけど、そのことも後で言いますよ。
最初に湯呑のことが出てきたのは、ばあちゃんの弟子の
お針子さんのところからです。その人、いき遅れたっていうか、
30歳過ぎても独身だったんですが、縁談が来たんです。
で、飛びついちゃったんだけど、それね、結婚詐欺だったんですよ。
恋愛結婚が少ない昔のほうが多かったみたいですね。
相手の詐欺師の男が、お弟子さんの家に来て両親にあいさつした。
そのとき、ガラスコップでサイダーかなんかを出したのに、

見ると白い湯呑を持ってる。でほら、そのお弟子さん、
通いだったから、家でばあちゃんがそれでお茶飲んでるのを何度も
見てるんです。「え、あれ?」と思ってるうち、
男は中のものを飲み干し、そしたらトロンとした目になって
呂律が回らなくなり、そのまま家を飛び出していったそうなんです。
それからどうなったと思います? そいつ、駅前で路面電車に
飛び込んだんです。まあ、死ぬまではいかなかったみたいですけど、
それまでの悪事が露見して、警察病院に入院です。
その後、湯呑は、どこを探しても見つからなかったということです。
うちの母親は、この話をお弟子さんから聞いても信じなかったそうです。
まあ、そんなことがあるわけはないと思いますよね。

なんかの間違いだろうと。ところが、次にその湯呑を見たのは
母親自身なんです。今の自宅になってからのことです。
その日はじいちゃんも父親も仕事で、俺はまだ生まれてまもなかった。
母親が赤ん坊の俺と家にいた午後に、訪問販売が来たんです。
当時はまだ押し売りって言葉があって、風体が悪い相手なら
母親も警戒したんでしょうが、びしっとスーツを着たサラリーマンで、
居間に上げてしまった。言葉もすごい巧みで、催眠術にかかったように
高価い仏具を買わされそうになったって言ってました。
でね、お茶は出してたんです。でも、そういう訪問販売は
出されたものに手はつけないですよね。ところが、ふっと見ると、
白い湯呑を持ってる。母親はすぐにばあちゃんのだって思ったそうです。

青い水仙の花の模様でわかったって。で、訪問販売はのものを
一口飲むなり、ぎょっとしたような顔になって、パンフレットだけじゃなく、
自分のバッグまで置いたままにして、急に出ていったんだそうです。
いや、その後どうなったかまではわかりません。ただ、その会社は
ひじょうに評判の悪いとこだってのが判明しました。それで、しばらく
間があって、次が俺です。最初にずっとプー太郎をやってたって言ったでしょ。
高校中退してから、たちのよくない仲間とつき合ってました。
ほら、定職についてないもんだから、みんな金なくてピーピーしてて。
で、ある日ね、俺と仲間の数人が金融業者から高いクラブに誘われたんです。
金融業者っても、筋者です。そこで出た話が、オレオレ詐欺メンバーの勧誘。
俺、そんなとこに来たことなくて、きれいなオネーチャンはいるし、

ぼうっとなって話に乗ってしまうとこだったんです。もちろん仲間も
同じですよ。筋者もそのときは愛想がよかったし。で、グラスで
シャンパンを飲んでたんですけど、ぐっと飲んだら味が変わってたんです。
なんと言えばいいかなあ、あの世を覗いたような味って言えば
わかってもらえるか。いや、変な例えだけど、そうとしか表現できないです。
「ええ?!」と思って手の中を見ると、青い花の模様のついた茶碗。
その後のことは記憶にないです。俺、ぶっ倒れたみたいですから。
タクシーで家に送られて、それから3日くらい気分悪かったです。
オレオレ詐欺の会社は俺が寝込んでる間に発足して、結局、
メンバーにはならなかったんです。よかったですよ。1年たたないうちに
摘発されましたから。ああいう犯罪は判決が厳しいんですよね。

で、そんときは俺、あの湯呑がばあちゃんのだって知らなかったんです。
だんだん話を聞いてるうちに、ああ、あれがそうだったんだなって
納得したっていうか。これが最後の話になります。3ヶ月前、
じいちゃんが起きてこなかったんです。いつもは朝早くに新聞を
取りに行ってたのに。母親が見に行くと、大汗をかいててすごい熱。
意識もなかったんで、救急車を呼びました。肺炎はかなり進んでて、
年も年だし、危ないってことだったんですが、一時は回復して
意識が戻ったんです。それで最初に言った言葉が、
「俺の湯呑を持ってきてくれ」・・・最初、言い忘れてましたけど、
ばあちゃんの湯呑って、夫婦湯呑だったんです。模様が同じで
大ぶりなのをじいちゃんは持ってて、ふだん使わずしまってたんです。

それで、病院にじいちゃんの湯呑を持ってたんですが、
やはり使わないで病室のテレビ台に置いてたんです。俺が見舞いに
行ったとき、「じいちゃん、これ使わないのか」って聞いたら、
「いや、まあ、準備しとく」みたいなことを言いました。
意味わからなかったけど、酸素の管つけてるし、それ以上は
聞けなかったんです。で、俺が帰るとき、じいちゃんはボソッと、
「俺が浮気しようとすれば、民子の湯呑が出てきてなあ」って。
民子ってのはばあちゃんの名前ですよ。ただ、浮気と言っても、
ばあちゃんは亡くなってるわけだし、じいちゃんが再婚しなかったのは
そのためかって、これも後になって考えたことです。
じいちゃんはそれから、お粥を食べられるようになって

退院が見えてきたんですけど、ある晩、胃液を誤嚥しちゃったんです。
それで肺炎がもっとひどくぶり返して親族が呼ばれ、
翌日亡くなったんです。入院の荷物を整理してて、一番最初に
気がついたのは母親でした。「あっ!」って。もうわかりますよね。
テレビ台の上に夫婦湯呑が2つ揃ってあったんです。
はい、ばあちゃんの湯呑はもう消えたりしませんでした。それでね、
じいちゃんの火葬のとき、陶器だからいいだろうってことで、
セットで棺に入れてもらったんです。お骨上げのときには、
どっちもほぼ灰になってました。まあ、こういう話なんですよ。
で、家に戻る途中の車の中で母親が、「お義母さまは情の
 強(こわ)い人だったから・・・」ぽつりとこう言ったんです。


 

 

 

 

 

 

小学校のときのことなんだけど、たいして怖い話でもないのでここに投下。
3年生のときの同級生でよく嘘をつくやつがいたんだよ。
そいつとは家が近かったんで、
低学年の頃は何度かいっしょに外で遊んだ記憶もある。
小学生は意地をはったり見栄をはったりして、
他愛もない嘘をつくことがあるけど、そいつのはいかにも突飛で、
しかも確かめればすぐばれるようなのばかりだった。

例えば虫取りが流行ってたときには、
15センチもあって角が三つに分かれたカブト虫を山で捕まえたとか言う。
今にして思えば、
図書館で図鑑に載ってる外国のカブトを見たとかなんだろうけど、
空の水槽に入れて飼ってるというんで、このときは信じた子供もいた。
放課後、見せてもらおうと後をついてそいつの家に行くと、
先に家に入ったそいつが、
いかにもがっかりした顔で出てきて目尻をぴくぴくさせ、
そこ以外は無表情に「逃げられてたよ」と言う。まあそんな感じ。

他にも、そいつは片親でボロい木造家屋に母親と住んでるんだけど、
実は親父は外国に長期出張してる有名な会社の社長だとかなんとか。
しかしそうでないことは、いくら小学校3年生でもすぐわかった。
勉強もスポーツもできず、
小遣いを持ってることも少なく話しても何も面白くない。

それに母親が夜の仕事で忙しいせいか、
そいつのことをろくにかまってなくて、
毎日忘れ物はするし同じシャツを着てきて汗臭いしで、
まずクラスの女子がそいつを嫌がり、
男子もだんだんと話をするやつがいなくなって孤立状態になった。
ただし、いじめられてるというわけでもなかったけどな。
子供なりにそいつが自分のヘマや嘘で、
追いつめられたときに見せる無表情さに、
一種の不気味さを感じていたんだと思う。

4年生になってクラス替えがあり、俺はそいつとまたいっしょのクラスになった。
俺の行ってた小学校は大規模校だったんで、
それまで同級だった子よりも知らない子のほうが多く、
春休み明け始業式の日は子どもなりに緊張して迎えた。
朝ちょっと早めに登校すると、
そいつのまわりに何人か人が集まり「うえー」「本当かよー」とか言ってる。
そいつが何かの紙切れを、寄ってくるやつに見せてるんだな。

それで、俺も近づいてみると、
「◇◇(俺のこと)この写真見て、今まで一人っ子だと思ってただろうけど
じつは小さい頃は双子だったんだ」と言ってくる。
そいつが持ってる紙には、シャム双生児というのかな、
体がくっついてて手が4本、
足はどうなってるのかわからないような幼児が写っている。
頭は一つで奇妙にねじ曲がっていて片目がつぶれてて、
残った片一方の目で、悲しいような恨めしいような感じにこっちを見ている。

「これオレなんだよ。弟といっしょにくっついて産まれたけど、
小さい頃手術して切り離したんだ」しかしそうは言うものの、
手に持ってるのは写真ではなく、
雑誌か何かから切り抜いたと思われる紙切れだし、
写ってる顔はどう見ても日本人じゃない。
ああいつもの嘘だな、と思って俺はその場を離れた。
これ以降、そいつもクラス替えで精神状態が高ぶっていたのか、
毎日のように様々な嘘をつき、
そして3年生のときのようにあっという間に孤立した。

ただし今回は学年で鼻つまみのいじめっ子がクラスにいたこともあり、
たんに孤立では済まないようだった。
俺はそのイジメには加わっていなかったし、そいつの味方をしたこともない。
クラスではただひたすら離れていた。
それに4年生からはスポ少に入ることができ、
俺は野球部になって放課後は遅く帰ることが多くなった。
そいつは運動は苦手で、用具などをそろえる金もなかったのかもしれないが、
下校時間になると一人で帰っていた。

その日は練習がなかったんで俺が普通の下校時間に一人で歩いてて、
角を曲がるとそいつが前にいた。
どうやら帰りの掃除の時間にでもイジメを受けたらしく、
いかにもとぼとぼとした感じで歩いてる。
ちょっとかわいそうになったので追いついて、
「いっしょに帰ろう」と言うといつもの無表情でこっちを見た。

けど何の話題もない。そのままただ歩いていると、
唐突に「オレ転校するんだよ、明日からこの学校には来ない」と言う。
でも、転校するなら必ず先生がそのことを言うはずだし、
今までは転校する子が出ると簡単なお別れ会を開いてた。
そういうことがなかったので、ははあまた嘘だなと思った。
リアクションを返せないまま押し黙って歩いてそいつの家の前まで来ると、
そいつがやはり無表情のまま、
「今までありがとうね」と言って玄関に入っていこうとした。

そいつが後ろを向いたとき、ランドセルの蓋がパンと強くはね上がり、
中から幼稚園児くらいの大きさで細長くねじけた頭が飛び出した。
頭は俺のほうを見ると、苦しそうに顔をゆがめ、
いくつにも切れた唇からしぼりだすような声で「あ・り・が・と」と言った。
始業式の日にそいつが持ってきた切り抜きに写っていた、
シャム双生児の顔だと思った。

次の日そいつは学校には来ず、数日して先生が、
「◯◯君は急な事情で転校しました、
みんなにお別れが言えずにとても残念がっていました」と説明した。
親たちの噂話では、どうやら夜逃げのようだった。
それから今まで一度も会っていないし消息もわからない。 

 

 

 

これ、俺が小学校から中学校にかけてのことだから、今から30年ちかく前の話だよ。
その頃、俺は田舎に住んでて、小学校は学年2クラスしかなかった。
その小学校はすでに廃校になってる。でな、同じ学年に種村ってやつがいたんだ。
家もわりと近くだったから、ふつうは幼なじみとして遊んでるはずだけど、
俺がそいつといっしょに遊んだ記憶は小学校以前から中学校まで一切ないんだ。
まあ、体が弱かったから、学校に行く以外は外に出ないで家にこもってたんだと思う。
他のやつらには、種村だから「たねぼん」って呼ばれてた。
体が小さくて髪が坊ちゃん刈りだったから、イメージぴったりだったな。
で、すげえ無口なやつだったんだ。小学校6年間でたしか4回同じクラスになったが、
口を聞いたのは数えるほどしかないよ。自分からは絶対に話しかけてはこなくて、
俺が何かしゃべっても、「ああ」とか「うん」とか言うだけ。

他のクラスメートとも同じだったよ。要するに、いるかいないかわからないような
やつだったわけ。勉強はふつうにできたけど、
体育は体が弱いせいか見学してることが多かったな。
あと、給食を食べなかった。いつも家から弁当を持ってきてたんだ。
肉アレルギーだってことだった。どんな肉も一切ダメで米と野菜しか食べられない。
ああ、弁当の中身は見たことがあるよ。野菜の煮物やプロッコリーなんかが、
きれいに詰められてた。それを弁当のフタで隠すようにして、
いつも恥ずかしそうに食べてたっけ。でな、中学生になったんだが、
中学は町に一つで、3つの小学校から生徒が集まってくる。
俺のいた小学校はその中で一番小さかったから、
中1のときは知らないやつが多くてかなり緊張したのを覚えてる。

まあでも、俺はバスケ部に入って、友達もできてだんだんに慣れてったけどな。
で、2年のクラスでたねぼんといっしょになったんだよ。
相変わらず体が小さくて、小学校中学年といってもとおりそうだった。
あと無口なのも変わってなかった。そんなだから、あからさまにいじめられてなくても、
何かにつけて軽んじられて、掃除のときなんかは嫌な仕事を押しつけられたりしてた。
昼は小学校のときと同じで一人だけ弁当だったよ。それと、今思い出したが、
給食当番の仕事がなぜか免除されてたんだよな。もしかしたら、
盛りつけをするときなんかの肉のにおいなんかもダメだったのかもしれない。
でな、秋に体育祭があって、そのときはクラス全員が弁当で外で食べたんだ。
たねぼんは木の下で、いつものように一人で食べてたんだが、
ほら、弁当のときはおかずを交換したりってのをやるじゃない。

で、クラスの不良っぽいやつが何人か、たねぼんのところに行って、
一人が、たねぼんの弁当の中身と自分のウインナーを交換しようとしたんだよ。
まあ、たねぼんが肉を食えないのを知ってての嫌がらせだよな。
これも今にして思えば、そのときはたねぼんが珍しくクラス対抗の全員リレーに出て、
走るのが遅くてかなり遅れ、俺らのクラスがビリになったのを怒ってたのかもしれない。
たねぼんは、そいつが爪楊枝に刺したウインナーを見て、ただ黙って首を振って。
それでそいつがますます怒って、たねぼんのアゴをつかんで、
口に無理やりウインナーを押し込んだらしいんだ。
いや、俺は見てたわけじゃない。後でそいつからここまでの話を聞いたんだよ。
「うわ~~~」という悲鳴が上がって、そっち見たら、たねぼんが草の上に倒れてたんだよ。
それが、仰向けの状態で、ブリッジするみたいに体がエビ反りになっててな。

「うわー、うわー」って大きな声で叫んでたんだ。
それからビョンと跳び上がり、たねぼんは四つん這いになって走り出した。
ありえないような速さでな。まるで犬が走ってるみたいだった。
みなが驚いて見ている中、たねぼんはグランド中を四つん這いのままジグザグに走り回って、
先生方も止めることができなかったんだよ。たねぼんは俺の近くも通ったが、
そのとき、口を大きく開けてよだれを垂らしてた。
あと、目がどっちも白目になってたような気がする。で、たねぼんは5分近くも走り続け、
無理やりウインナーを食わせたやつのに近づいて、首に噛みついたんだよ。
さすがに先生方が集まってきて引き離したから、
そいつは血も出なかったし、たいしたことはなかったんだ。
引きはがされたたねぼんは、横向きに倒れて、体をひくひくと痙攣させてたな。

俺が近寄って見にいくと、たねぼんの顔から手から、服から出てるところが
すごい蕁麻疹が出てぼこぼこに腫れてるのがわかった。そのうちに救急車が来て、
たねぼんは病院に運ばれていったんだよ。翌日、担任から話があって、
たねぼんはひどいアレルギーでしばらく休むってことだったんだ。
で、それから3日くらいして、担任から、たねぼんの家にたまったプリントを
届けるように言われた。どうやら入院はしておらず、自宅にいるみたいだった。
俺が一番家が近いということだったが、家の場所がわからなかった。
その日は部活がなくて帰ったのが4時ころ。家にはじいちゃんしかいなかったから、
じいちゃんにたねぼんの家の場所を聞いた。じいちゃんは「種村・・・さんか。
 そのうちは裏山の中腹にあるが、お前何しに行く? 学校のプリントを届ける?
 ・・・そうか、じゃあそれ渡したらすぐに戻ってくるんだぞ」

こんな調子で、なんだか俺が行くのを心配してる感じがしたんだ。
「種村さんて、仕事何をしてるの?」こう聞いてみたら、じいちゃんは、
「昔は馬をたくさん飼ってたが、今は何してるかわからん。
 まだ家の前には大きな馬小屋が残ってたはずだがな」そんなふうに言ってたな。
で、裏山の坂をのぼって、言われたとおりに横手の道に入ったら、
古くて大きな屋敷があったんだよ。高い塀についてるでかい門のインターホンを押したら、
しばらく雑音があって、「・・・誰ですか?」って子どもの声がした。
たねぼんの声だと思った。用件を言うと「開いてるから入ってき」
戸を引いたら、きしみながら開いた。それで一歩中に入ると、すごい生臭い臭いがした。
動物の臭いとも似てるようだが違う。俺は吐き気をこらえながら玄関まで歩いてったんだ。
右手のほうに、馬小屋らしいかなり大きな建物があった。

で、急にその馬小屋の戸の片側少しだけ開いて、小さな人が出てきたんだ。
たねぼん・・・だと思ったが、顔も手も包帯でぐるぐる巻きになってた。
そいつは、ややくぐもってるものの、たねぼんの声で、
「プリントがあるならよこし。もうすぐ、お父さんが帰ってくるから
 早く戻ってけれ」早口でそう言ったんだよ。かなり暗くなってきてたし、
俺も気味悪くなって、プリントの入った封筒を手渡して戻ろうとした。
そのとき、ギュリン、ギュリン、ギュリンという機械の音が馬小屋の中から聞こえてきた。
「あ、いけない」たねぼんはそう言うと小屋に戻っていこうとしたが、
小屋の戸口の低いところから何かが頭をのぞかせたんだ。
人間・・・・なのかどうかわからなかった。髪はまばらで、
体育祭のときのたねぼんのように、顔中が親指くらいのできもので覆われてた。

その生き物が出てきたら、生臭い臭いがいっそう強くなった気がした。
地面から50cmくらいの高さだったから、這った状態で戸口から頭を出したんだと思う。
たねぼんはそれの頭を「こらあ!!」と叫んで蹴りつけたが、
小さな体には似合わない力がこもってた。そいつは「ギャン!」と鳴いて引っ込み、
たねぼんは俺のほうを見もしないで小屋に入ってったんだ。
中でギャリン、ギャリンという機械の音が激しくなり、
俺は小走りになりながら門から走り出た。すると、
坂道を1台のトラックが上ってくるのが見えたんだ。せまい道だったので、
山側によけたら、トラック・・・今にして思えば冷凍車だな。
それがすぐ横を通り過ぎていったが、車体の横に小さく「種村畜業」って書いてあった。
まあ、これでほとんどの話は終わりだよ。

たねぼんはそのまま学校には復帰せず、2週間くらいたって、
担任が転校しましたって言った。まあ、いてもいなくても影響のない存在だったから、
たねぼんにウインナーを食わせたやつらも平然としてたな。
でな、それから1年ちかくたった中3の夏休み、
ふと思い立って、たねぼんの家に行ってみたんだよ。
塀と門と母屋は取り壊されて平地になってたが、なぜか馬小屋だけは残ってた。
ああ、あの生臭い臭いはもうなかったな。馬小屋の戸は鍵がかかってて、
入ることはできなかった。板戸の隙間からのぞいてみても、
中は真っ暗で何も見えなかったよ。うーん、あの奇妙な生き物は人間だったんだろうか。
今となってもなんとも言えないなあ。もしかしたら何かの動物を見間違えたのかもしれん。
とにかく、こんなことがあって、気味の悪い思い出として残ってるんだよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この間、仕事で取引先の会社を訪問して、応接室に通された。
その部屋に入るのは初めてだったが、高価そうな洋画の横に、
どす黒い不気味な像が置かれているのに気がついた。
お茶をいただいて担当者と仕事の話を始めたものの、その像がなんか気になる。
けどもいきなり関係のない質問をするのも不躾だと思っていたら、
「カタログを持って参りますので少々お待ちください」と相手が中座した。

で、立ち上がって像に近づいてみた。
口を大きく開けて吠えている猿の姿が台座にしつらえられている。
木彫りなどではなく本物の猿のように思えた。
ただし剥製のようにふさふさした毛などはなく、魚の干物のような色と質感で、
これはミイラなのだろうと思った。
高さは台座を入れて1m弱と大きくはないので、ニホンザルなのかもしれない。

しげしげと見ていたら突然、
猿の大きく開いた口の中から赤黒い芋虫のようなものが出てきた。
それは猿の体のように干涸らびてはおらず、
ぬめぬめと濡れて伸び縮みしている。
うわっ、と思って後じさったら、猿の口がしわがれた声を発した。
「ユレル、ユレル・・・アシタ、アサニユレル・・・」はっきりそう聞こえた。
そして芋虫のようなものは引っ込んでいき、それ以後一言も発しない。

呆然としていたところに担当者が戻ってきた。
「ああその猿、興味を持たれましたか。みなさんそうなんです。
なんというか、場違いですからね。
これは弊社の先代の社長が大切にしていたもので、
何でも決断に困ったときなんかに・・・予言をしてくれたんだそうです」

「・・・予言・・・。これまで聞かれたことはありますか」と俺がやっと言うと、
「はは、まさか。音一つ立てたこともありませんよ。
まあ処分するわけにもいきませんし、
これでもけっこう話題のないときには役だってくれるんです」
ソファーに戻ったらなんとか落ち着いてきた。
今見たことを話そうかと思ったが、担当者の口ぶりからすると、
下手な冗談としか受け取られないだろうと思いやめにした。
なんとか打ち合わせを済ませて社に戻った。

家に帰ってから、防災用品の確認をしたり、
風呂桶に新しい水を溜めたりいろんな準備をした。
『ユレル』という予言なら、地震としか考えられない。
かといってこれをまさかテレビ局や政府の機関に報告するわけにもいかない。
キチガイ扱いされるだけだろう。
迷ったものの会社の同僚にも話さずじまいだった。ただ、実家の両親には、
明日の朝に地震があるかもしれないから用心しろと連絡はした。
やはり信じている反応ではなかった。

緊張して眠れなかったが4時には起き、
いつでも飛び出せるよう貴重品を入れたバッグを持って待機していたが、
特に何もない。そのうちに出勤の時間になったので会社に行くことにした。
8時を回ったが何も起きない。
いつもモーニングサービスを食べるホテルに寄ったら、混雑していて相席になった。

素早く食べてしまおうとしたら、
テーブルの上のベーコンエッグの皿やオレンジジュースがガタガタ揺れたので、
「キターーーーーーー!!」と言って立ち上がった。
店内の客がいっせいにこっちを見た。
すると相席だったハゲのサラリーマンが、
「ああ、すみません、すみません。わたしの貧乏ゆすりです。悪い癖でついうっかり」
それ以後何も起きないまま一日が終わった。