前回に引き続き、とうとうギリシャ語(現代ギリシャ語)の参考書を買ってしまった!これで、古代ギリシャ語ないし古典ギリシャ語に手を出すのは時間の問題と化してしまった。
これでまた、本業の「社会科学」の研究から一歩離れてしまうわけだ。ふぁあぁ( °д°)
ところで、わたしの外国語オタッキィ遍歴も一見支離滅裂なように見えて個人的には有る程度筋を通しているつもりである。
くどいようだがわたしの専門領域は社会科学に属する一分野である。ところが、その当該学問の領域で研究するというよりは、当該学問を研究する、いってみれば学問の学問をやっているのである。
そーなってくると必要となるのは、社会科学ではなく人文諸学に属する哲学の知識。何故ならば、知とは何か?理論とは何か?という根源的問いについて考え抜く学問だからである。
そんで、ここからが本題なのだが、哲学の素養を身につけるには、精々哲学の教科書を読めばよいのだが、少なくとも哲学そのものを研究するまでもなく、哲学の知識を活用しようとすれば、ドイツ語やフラ語の知識が必要となる。
カントやショーペンハウエルというドイツ人の名前は聞いたことがあるだろう。また、
ジョン・ポール・サルトルやフランス実存主義といったようにフランスでも哲学が旺盛で有るということが分かるだろう。
それゆえに、ドイツ語とフラ語はひつような道具だ。
しかし、そこで終わりではない。ドイツにしてもフランスにしても哲学の知識をかじっていけば、それが西洋哲学の潮流に有ることが分かる。そーなってくれば、西洋哲学の伝統である、ラテン語や古代ギリシャ語を無視することはできない。それゆえに、これらの知識もあればなおベターなわけだ。
そんなわけで、趣味と実益を兼ねて外国語をやっているわけだ。