kuronekoさんが映画「YASUKUNI」上映中止問題からか、靖国関連のエントリーを続けてあげている。
靖国は国が祭神を決め…るのですよ。 うむ。
靖國に額づく
靖国 感情の錬金術
そこはかとなく不自由
靖国を敬わないのか国のために死んだ英霊に感謝しないのかとキイキイうるさい議員の皆さんの祖霊がどうだかは知らないが、
うちの父の祖父方からは二人、祖母方からは一人の戦死者が出ている。
母方の祖母は戦争未亡人で、戦死した夫の弟と結婚して後に生まれたのが母である。戦死した人は母にとっては伯父であり、母の上の兄弟たちにとっては父であったりする。
それで、うちでも遺族会には入っていたりするわけだが、
靖国に英霊として奉られてある戦死した人は、ちゃんとうちの菩提寺に弔われており、うちの「先祖代々の墓」(といっても祖父がこちらに移住してきた折に建てたものだが)には戦死した祖父の兄二人の名前がきちんと刻まれている。(この墓に入っているのは祖父の母一人のはずで遺骨などは帰ってこなかったようだ)
10年ほど前、50回忌で弔い上げがすんだはずだ。
祖父は昭和天皇陛下のことは「無駄な戦争を終わらせた、立派な人だ」(左派から見たら事実誤認と思われようが、老人の敬慕なので許せ)と尊敬して、よく皇居には行っていたが、靖国には詣でたことがない。自身が戦争経験者でもあるので戦死者を「国の礎になった」などと奉り上げることを快く思っていないようだ。
その代わりというか、二番目の兄が戦死したという南方には何度か赴き、遺族会が記念碑の前に並んで撮った写真が、仏間に飾ってある。まだ体が丈夫だった時期はいつか遺骨を捜しに行きたいようなことも言っていた。
父方の祖母は仲のよかった兄を中国でなくした。祖母の実家で何回忌かの法要をした年に俺が生まれ、偶然にもその兄(俺から見たら大伯父)と同じ場所に痣があったので、祖母はよく俺のことを自分の兄の生まれ変わりだと言った。俺が何かするごとに「兄と同じことをする」と懐かしがった。祖母にとっては自分の兄が国のために戦って死んで永遠に神として奉られるよりは、生まれ変わって生を謳歌している、と考えたほうが慰めになったのかもしれない。俺が覚えている祖母が若いーといっても50代くらいだがー頃には彼女はいっぱしの反戦家で、事あるごとに「戦争ほどつまらないものはない」と先の大戦を全否定していた。「戦争に反対する母の会」とかいうのにも参加していたように思う・・・といっても孫二人は自衛官になってしまい、「二度と日本の若者が戦争に行くことのないように」との願いに関わらずそのうちの一人は戦場に行ってきたわけだが。
前々から言っているが、「先の戦争で国のために死んだ人に感謝しろ」とうるさく言う人たちが、
先の戦争で「国のために命を捨てろ」と言って戦争に国民を大動員した支配層と重なることに、何故「戦死したものの無念」を一番感じなければならない遺族が気がつかないのだろうか。
以前うちにTBをくれた人のブログで、「マルクスを読むアカの青年だった祖父が徴兵され戦死して靖国に奉られる無念」という記事を読んだことがあったが、
仏教徒として、俺に繋がる祖霊の方々に、奉らなければ祟ると魂をいつまでもこの汚れた地にとどめるような真似を、それに連ならない、彼らを悼みもしない人が勝手にやるのは非常に不愉快な行為であると思う。
うちから出た戦死者は、ちゃんと遺族に悼まれ、弔われ、法要もして成仏して、来世で報われるのだ。
そのほうがずっといいじゃないか?
そして、他国の戦争被害者に対して、「60年前のことをいつまでもこだわらないで未来を」などとほざくのに、
何故自国民に対して「60年前の戦死者にいつまでも感謝を」と言い続けるのか。
戦争にこだわり続けているのは誰なのか。
- 天外魔境 ZIRIA ~遥かなるジパング~
- ¥7,140
- Amazon.co.jp
「招魂」で思い出すのはこのゲームだな。
(教えを信じれば救われると教徒を騙して魂を集め、マサカド復活のエネルギーに利用する。)
靖国教は大門教。