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THE CATCHER IN THE RYE


THE CATCHER IN THE RYE


アメリカのみならず、世界中の若者達に与えた影響ははかりしれない、そんな青春のバイブル的存在がJ.D.サリンジャー著の「ライ麦畑でつかまえて(THE CATCHER IN THE RYE)」である。


1951年の刊行以来、累計発行部数は世界で6000万部を超えるベストセラー小説だ。


前に読んだことがあるって方は多いんじゃないかな?


16歳の主人公ホールデンが3校目の高校を退学させられた後、寮を抜け出し実家に帰るまでニューヨークを彷徨い歩く3日間の出来事。


ホールデンが君(読者)に語りかける感じの、ブロークンな口語体で話が進んでいく。


純粋で傷つきやすい思春期の少年が出会う人々の事・・・。


現実社会に溶け込めない不器用な少年は、回りの人々を「インチキ」だと批判し反発する。


そのくせ孤独を恐れ、心のつながりを求めるピュアな少年の姿もある。


子供の夢と現実社会の間に生まれるギャップ・・・、10代の頃には誰もが通る道であろう。


俺は高校生の頃に初めて読んだんだけど、当時はミョーに共感したもんな~(笑)


もう何回も読み返しているのだが、また先日読んでみたんだ。


それは、村上春樹氏が訳したという「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の存在を知ったから。


THE CATCHER IN THE RYE


2003年に発刊されていたとは・・・、知らなかったよ。


こちらはまだ読んでいないのだが、その前にもう一回前のを読んでおこうって思ってさ。

(せっかくなら比較したいじゃない?)


フィッツジェラルドの作品をはじめ、翻訳でも定評のある村上春樹氏。


きっと素晴らしい内容になっているに違いない。


「ライ麦畑でつかまえて」については色々な話がある。


1980年にニューヨークでジョン・レノンが射殺された事件。


犯人のマーク・チャップマンは犯行後、警察が到着するまでの間、「ライ麦畑でつかまえて」を読んでいたそうだ。


また、1981年には当時大統領であったロナルド・レーガンが狙撃された。


幸い命に別状は無かったが、その犯人ジョン・ヒンクリーは女優ジョディ・フォスターの関心を引くために事件を起こし、所持品の中には彼女に宛てたファン・レターと共にボロボロになるまで読み込まれた「ライ麦畑でつかまえて」があったという。


かなりヤバいエピソードだ・・・(汗)。


その内容や影響力から、未だに禁書として扱われているところがあるそうだ。


ま~、人それぞれの捉え方の違いだよね。


大人になってから読むと、若い頃とはだいぶ違った印象を受ける。


なんだか"懐かしい"そんな気持ちが起こってくるんだ。


ホールデンの口癖である「これには参ったね(That killed me.)」というセリフなんて微笑ましくってしょうがない(笑)


発表から半世紀以上たった今なお、世界中の若者たちの心をとらえつづける名作「ライ麦畑でつかまえて」。


ドワイルドな永遠の青春小説である。


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BRUCE SPRINGSTEEN


BRUCE SPRINGSTEEN


今日は俺の大切な仲間であるend氏のリクエストを受け、彼が大好きだというブルース・スプリングスティーンについて。


エルヴィス・プレスリーにつぎ最もアメリカ的なロック・ミュージシャンであると言える、ブルース・スプリングスティーンはもちろん俺も大好きだ♪


熱いライブパフォーマンスと魂の叫びは世界中の人々を魅了し、夢中にさせるドワイルドなパワーがある。


彼が影響を受けた世代、50~60年代のRock'n Rollやブルース、カントリー、ポップソングを受け継ぎ、良い形で次世代に継承しているミュージシャンだ。


1949年にニュージャージーで生まれ育ったブルース・スプリングスティーンは、エルヴィスに憧れてギターを始めバンドに参加する。


1973年にソロデビュー、1795年のサード・アルバム「BORN TO RUN(明日なき暴走)」が大ヒットし一躍有名に。


精力的にコンサート活動を行い、その圧倒的パフォーマンスは彼の評判を高めていった。


1980年5thアルバム「THE RIVER」では初めてアルバムチャート1位を記録。


そして、1984年7thアルバム「BORN IN THE U.S.A.」をリリースする。


BRUCE SPRINGSTEEN


言わずとも知れた彼の代表曲「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」。


力強い歌声と印象的な歌詞「Born in the U.S.A.♪」で"アメリカ万歳"的に誤解されがちだが、実はこの曲はヴェトナム帰還兵の苦悩を題材にした内容なんだ。


映画「7月4日に生まれて」と同じようなテーマで書かれた曲である。


俺はこの町で小さな問題を起こし
彼らは俺の手にライフルを握らせ
外国へ送り込んだ
黄色人種を殺すために
U.S.A.で生まれた
俺は、U.S.A.の敗残者だ・・・


当時のレーガン政権の下、アメリカが愛国主義的なムードが漂っていた時代。


軽快でノリの良いこの"アメリカン"な曲は大ヒットしたその反面、ブルース・スプリングスティーンの想いとは違う捉え方をされ、たちまち一人歩きしていった。


この曲は彼を一躍世界的スターダムにのし上げた作品ではあるが、彼はその誤解を振り払うかのように、更にメッセージ性の強い作品を生み出していくようになったんだ。


自身のプライベートをはじめ、インタビューにすら応じる事の少なかったブルース・スプリングスティーン。


59歳を迎える今もバリバリ現役でコンサート活動を行い、世界に向けて歌っている。


音楽・歌だけを通じてメッセージを伝え続けるその姿は、いつまでも熱く、ドワイルドにクールだ。

BRUCE SPRINGSTEEN

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Gambling

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台風が過ぎ去ったと思いきや、またしても新潟での大地震・・・

これ以上の被害の拡大がないコトを切に願うばかりである。

その思いとこのブログはまったく別モンなんで、いつも通り気楽に読んでもらえたら幸いだ。

ギャンブルってワリとダークなイメージが強いけど(冒頭の写真じゃ余計だね笑)、ドワイルドな諸君はけっこうやるのかな?

競馬、競輪、競艇、麻雀、パチンコ、パチスロ・・・と、いろんなモンがあるが、俺はね、それのどれもこれも経験がある・・・って位に留めておこう(笑)

今日は、そんな数あるギャンブルの中でもやはりドワイルド流にカッコいい部類の“カードゲーム”に的を当ててみよう。

その最たるモノとしてハズせないのが、ポーカーじゃないかな?

他のギャンブルじゃ味わえない“密室のダンディズム”みたいなのがある・・・気がする♪

この前ブログに書いた「007カジノ・ロワイヤル」にもたっぷりとそのシーンが出てきたが、ことダンディズムを語るうえではやはりスティーウ゛・マックィーンがギャンブラーを演じた「シンシナティ・キッド」のギャンブリングシーンこそはずせない。

シンシナティ・キッド

マックィーン演じるキッドは、そのスタイルにもとことんこだわっていた。

密室のゲームにのぞむキッド流スタイルとは、地味なファッションに身を包み、無論ポーカーフェイスを装い、傍らに飛びっきりの美女をつけて勝負に臨むというモノ。

アメリカ人のとくにブルーカラーたちは、そんなハードボイルドなスタイルにシビれ、貯めた金をすべて使い果たしてもいい位の覚悟でカジノ場へと向かう。

ポーカーゲームに興じる彼らの熱はハンパじゃない。

週給700ドルの男が週末に500ドルのテーブルで一発勝負するような光景も珍しくないという。

なぜ、それほどまでに熱狂的なのか日本人には理解しづらいかもしれないが・・・

ギャンブルの歴史を綴ったアメリカの書物によると「ポーカーゲームは1803年に我が国がナポレオンからルイジアナ一帯を買収したのち、ミシシッピ川を運航する船で流行するようになった」とある。

さらにフランス語でPoque、ドイツ語でPochenと呼ばれていたゲーム名が、英語でPokerと呼ばれるようになったと付記されている。

すなわち、皇帝ナポレオンから土地を奪還したときに生まれたギャンブルであり、現在もなおアメリカという国のナショナルゲームだというワケだ。

これもまたこの前書いた映画「スタンド・バイ・ミー」での一場面、少年たちが隠れ家のツリーハウスに登り、タバコをふかしながらポーカーをやってる姿がある。

カードさえあれば誰でも気軽に楽しめる。

大人になるためにも、そしてキッドばりのドワイルドなダンディズムを気取るためにもポーカーってのは、最高のエンターテイメントだろう。

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Josh Holloway

Josh Holloway

masayaの願いが通じたか、台風もひとまず去っていったようだ。

実際の所、わずかな不快感を味わったにしか過ぎない俺だけに、直接被害に遭われた方々には本当に心よりお見舞い申し上げたい。

さて、最近やたらにジョシュ・ホロウェイ人気が高いのに驚いた。

先日、本屋に行った際もたくさんの本の表紙を飾っていた。

以前ブログにも書いた大ヒットTVドラマ「LOST」に出てる彼だ。

南の島に墜落した飛行機事故の生存者たちが無人島生活を繰り広げる本編で、ドワイルドなトラブルメーカー“ソーヤー役”を好演している、そうあの彼。

Josh Holloway

LOSTファンから見れば、出演者の人気は分かれるトコだろう。

マシュー・フォックス演じるジャックもかなりの人気を誇るし、ナウ゛ィーン・アンドリュース演じるサイードが好きだという人、ホルゲ・ガルシア演じるハーリーがキュートだという人も(笑)

なにせ10名を超すメインキャラクターたち、その中でも今や一挙一動から目が離せない存在となってるのがソーヤーだろう。

2006年のPeople誌では「50Most Beautiful in the World(世界で最も美しい50人)」のひとりに選ばれた。

ちなみに2004年の同誌の読者が選ぶ最優秀主演男優賞には、LOSTでのカリスマ性と存在感でジャックことマシュー・フォックスが選ばれている。

Josh Holloway

視聴者の反応がフレキシブルに反映されるアメリカTVドラマ界の事情を思えば、その人気が計り知れるというものだ。

実生活では2004年に結婚し、妻のいるジョシュ。

結婚前はかなりのプレイボーイだったらしいが、現在は愛妻家で有名らしい。

共演者のケイト役リリーも「彼はドアを開けてくれたりカバンを持ってくれたりと、女性が守られてると感じさせてくれる人」と、ドラマでの粗野なイメージとは対照的な一面を紹介している。

ジョージア大学で1年学んだが、モデルとしてのキャリアを求めて中退、北米やヨーロッパで活躍していたそうだ。

その後ロサンゼルスに移り、俳優として映画やTVに出演するようになった経歴を持つ彼だが、俺も知ったのはLOSTの出演からだ。

エアロスミスのPV“Cryin”にも出ているという。

ソーヤーの無人島生活での野性的部分とジョシュの私生活のギャップが女性たちを虜にして止まないのかは謎だが、“セクシー旋風”を巻き起こすジョシュ・ホロウェイのドワイルドな勢いは増すばかりのようだ。

ともあれ、現在アメリカでシーズン3のオンエアが終了したところらしい。

LOST中毒のひとりであるこの俺も、3が待ち遠しくてならない。

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Typhoon


Typhoon


昨日から今日にかけて大型の台風4号が日本列島を縦断している。


アジア名「MAN-YI(マンニィ)」と名付けられたこの台風は、960hpaと強い勢力で日本を襲い、既に一昨日から大雨・暴風の被害を西日本にもたらした。


土砂崩れや河川の増水、高波、停電による被害が次々とニュースで報じられてくる。


被害に遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。


数年前から頻繁に起こっている様々な災害・・・、温暖化現象で地球のサイクルが狂ってしまったのだろうか?


日本だけでなく世界中で起こっている大きな被害、2005年にアメリカ南東部を襲ったハリケーン「カトリーナ」はまだ記憶に新しい。


ルイジアナ州ではニューオリンズを水没させ、石油をはじめ世界中に影響を与えた強いハリケーン。


この被害をブッシュ大統領は「米国史上最悪の天災の一つ」と語った。


台風と英語で言う「Typhoon」、そしてアメリカのハリケーン。


混合しがちだが、台風とTyphoonは厳密に言うと基準が違うんだ。


最大風速が17.2m/s以上の熱帯性低気圧の事を日本の基準では台風と呼んでいる。


そして国際基準でのTyphoonとは最大風速32.7m/s(64ノット)以上の事をさす。


この国際的にはTyphoonとHurricaneは同じ基準だ。


では、同じ英語なのにその呼び名の違いとは?


それは発生した場所によるもの。


太平洋北西部に位置する大型の熱帯性低気圧をTyphoonと呼び、大西洋北部の西インド諸島や太平洋東部で発生するものをHurricaneとしている。


大雑把だが実際には緯度経度まで決められた、厳密な区分けがされているのである。


ちなみにTyphoonの語源は、ギリシア語の「Tuphoon(風の渦巻)」やギリシャ神話に登場する怪物「Typhon(テュポン)」から由来していると言われている。


日本では台風の事を古くは「野分(のわき)」と呼んでいたが、Typhoonが日本に伝わると「颱風(たいふう)」→「台風」となっていったそうだ。


ハリケーンは、スペイン語の「Huracan(暴風の神)」やアメリカ先住民タイノス族の「Huracan(怒れる神)」から由来したとされている。


また、インド洋で発生した熱帯性低気圧はCycloneと呼ばれる。


これらの大型熱帯性低気圧、北半球では反時計回りで回転するのに対し、南半球では時計回りであることは有名な話だ。


台風、ハリケーン、サイクロンと場所は違えど、その性質や被害はどれも一緒だ。


早くも台風4号で相当の被害を被っているが、本当の台風シーズンはこれから。


どうかこれ以上の被害が起こらないようにと祈るばかり・・・。


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Billiard

Billiard

おとといShigeと車に乗っていた時のこと。

ナビをしていたShigeが「ほら、あのROUND1の交差点を左に」

「・・・、あれ?ROUND1ってこないだボーリングのブログで書いていたやつですか?エッ???」

そのブログには「最近、“ROUND1"流行ってるね♪」って書いてあったから、すっかり俺ボーリングの新しいゲーム方法なのかな?なんて思っててさ・・・(汗)

そっか、ROUND1ってボーリング場のチェーン店の事だったんだ~。

車内でのドワイルドのショート・コントでした(笑)

ボーリング同様に馴染みのあるGAMEといえば、何といってもビリヤードだね。

かつて中学生の頃、ポール・ニューマンとトム・クルーズの「ハスラー2」の影響か、あちらこちらにビリヤード場やプール・バーがオープンした時代だった。
(その3年後にはどれもがカラオケボックスに変わったんだけどさ。)

「ハスラー2」に刺激を受けた中学生は部活帰りに自転車で通ったよ、仲間と毎日のように。

常連だった俺はそこのマスターに誘われて、そこのビリヤード大会に参加したりさ。

もちろん優勝は出来なかったんだけど、結構いい線までいったんだよ。中学生のくせに(笑)。

さすがにMYキューは買えなかったが、店のお気に入りのハウスキューを自分専用にキープしてもらったりしてたな(笑)

お馴染みのナインボールをはじめエイトボール、よっぽどの客以外は遠慮がちなポケットの無いキャロム台にも入り込みスリークッションや四つ球までプレーしていた。

好奇心旺盛な若者は吸収も早く、そして図々しかったんだ(汗)

当時、その紳士的なゲームの世界に憧れ、夢中だったんだよね。

ビリヤードの魅力は「メンタル・スポーツ」である事。

力や体力でやるスポーツではなく、頭でやる数少ないスポーツだよね。

何度も球を撞いて身につくテクニック、そしてその経験から生まれる思考力、イメージ力が何より重要な技術だ。

英語で"Billiard"と言うと、スリークッションなどで使われるキャロムを指す。

ナインボールなどで使われるポケット台で"POOL"や"Pocket Billiard"と呼ばれ、アメリカ流ビリヤードだ。

ビリヤードの発祥は紀元前400年にまでさかのぼり、ギリシアで円錐型の物に丸い石を棒で突き当てる競技であった。

14世紀には屋内競技としてヨーロッパで普及、ルイ14世も楽しんだそうだ。

1853年にはニューヨークで初めての公式競技が開かれる。

そんな長い歴史をもつビリヤード、映画の影響かギャンブル的なイメージが強いが、間違いなくれっきとしたスポーツだ。

1998年にはWCBS(世界ビリヤードスポーツ連合)がIOC(国際オリンピック委員会)で認可団体として認められている。

実際、プロのビリヤード・プレーヤーは集中力を持続させる為にも、そうとう体を鍛えているそうだ。

ちなみに、ビリヤードの台を傾けキューを右下に固定したものがフランスで作られ、愛用した貴族の名をとって「バガテル」と呼ばれた。

後に「バガテル」はアメリカに渡り、進化を遂げてフリッパー・ピンボールとなった。

また、「バガテル」はアメリカから日本に入ると「スマートボール」となり、これが発展して生まれたのが「パチンコ」である。

ビリヤードには酒、煙草、ギャンブル、女!?といったドワイルドなイメージが強いが、クールで知的な数少ないスポーツだと思う。

たまにはドワイルドに紳士を気取って、ビリヤードを真剣に興じてみる夜を過ごすのもいいんじゃないかな?

集中力を失わない程度にバドワイザーをやりながら・・・。

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Casablanca

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この映画ほどメロドラマの古典的名作はないだろう。

単なるラブストーリーではなく、ハードボイルドな要素も加わった魅力溢れる一本だ。

ハンフリー・ボガードことボギー扮するリチャード・ブレイン、愛称は“リック”。

粋なトレンチコートに身を包み、カッコいい男をクールに演じた。

リックは第二次大戦中のカサブランカで“カフェ・アメリカン”という酒場を営んでいる。

そこへかつて自分を捨てた不倫の恋の相手、イングリット・バーグマン扮する若く美しいイズラ・ランドが現れた。

「世の中に酒場なんていくらでもあるのに、よりによってこの俺の酒場に姿をみせるとは・・・」

ことのほか観る者を唸らせる名セリフの多い本作品だが、このセリフこそまさにメロドラマの本質を言い当てた名言だろう。

次のは聞いたコトある諸君も多いんじゃないかな?

イズラに昨夜はどこにいたか?と聞かれて「そんな昔のコトは覚えていない」とか、今夜会える?と聞かれれば「そんな先のコトはわからない」って、クサいセリフ・・・そこはさすがボギー、ニクいほどサマになってる。

そして忘れてならないのが「Here's to looking at you,kid」の一言。

二人でワインを飲むシーンでリックがイズラに言う。

そう、「君の瞳に乾杯!」だ。

名曲「As time goes by(時の過ぎゆくままに)」とあいまって、全編に渡り雰囲気は最高レベルの作品に仕上がってると思う。

まぁ俺がとやかく言わずとも、そりゃそうだ歴史に残るアカデミー賞作品なんだもんな(笑)

ちょっと余談だが、これは65年前の映画、時は1942年、第二次世界大戦まっただ中なワケだ。

こんな映画作る余裕のある国アメリカって、やっぱドワイルドだ☆

しかし、プライベートじゃこんな歯の浮くセリフ使ったコトないが!?この場を借りてなら言える気がする(笑)

今夜は、いつもブログ見てくれてるドワイルドな女性諸君、その素敵な億千万の瞳に乾杯だ♪


Casablanca


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Menehune

menehune


dowild-ha☆

今日もジメジメうっとおしい天気だね★

気分を紛らすために久々ハワイのお話しを♪

ハワイに行ったコトある諸君なら「メネフネ」印のミネラルウォーターのペットボトルご存知じゃないかな。

menehune


ハワイの人々に愛されているメネフネの伝説・・・

メネフネとは、カウアイ島の森の中に住んでたといわれる小人族のコトなんだ。

身長は普通の人間の半分くらいしかないが、筋骨隆々のたくましい姿。

森に住み、昼間眠って夜働くという習慣を持っていたそうだ。

性格はとってもシャイで、滅多なコトでは人間にその姿を見せなかったという。

また、彼らは土木工事に関してとても秀でた技術を持っており、たいていの建造物ならたった一晩で作り上げてしまう。

ただ、一晩で間に合わなかったトキはそのまま放置して去っていくらしいが・・・(笑)


そんなカウアイ島には彼らが作ったといわれる道路や水路、養魚池などが残っている。

民族学的に言うと、メネフネは6世紀頃にカウアイ島に移住してきたハワイ先住民ではないかと言われているが。

ちなみにタヒチにも「マナフネ」というある種の蔑称で呼ばれた人々の伝説が残っている。

ハワイ諸島各島の古代の寺院(ヘイアウ)の建築様式などを見ると、カウアイ島だけが他と異なっていて、人種としてのマイノリティが「小さな人々」というドワイルドな言い伝えに変わっていったのかもしれないという。

そんな彼らの姿、メネフネウォーターのキャラクターもそうだが、やっぱり一番しっくりくるのはかつてユナイテッド航空がプロモ用に作った人形だろう。

menehune


もともと売り物だったワケじゃないので、少数生産でなかなか手に入らないレアなアイテムなんだよなぁ。

いつか手に入れたいもんだ♪

さて、人々とはあまり交流のなかったメネフネたちだが、それでも年月の経つうちに混血の人々も増えたそう。

このままでは純粋なメネフネの数が減ってしまうと危惧したメネフネの王は、カウアイ島から去っていくコトを計画した。

彼らは持てる技術の粋を尽くして「3層の浮島」を作って旅立ち、その後、ハワイにはいっさいの痕跡を残していないというエピソードもある。

ハワイ諸島西北の彼方にあるネッカー島やニホア島にはメネフネがしばらく立ち寄ったコトを示す建造物が残っているそうだ。

ミステリアスハワイ・・・ドワイルドな伝説とロマンがまだまだ多くある。

やっぱり好きにならずにはいられない。

menehune


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Andy Warhol


Andy Warhol


「アンディ・ウォーホルについてすべてを知りたいなら、僕の絵と映画、僕の表面を見るだけでいい。そこに僕がいる。裏には何もない」


その発言でも分かるように、徹底して芸術家の内面などといったものを排除し、表面的なアート・スタイルを貫いたアンディ・ウォーホル。


鮮やかな色彩を使ったシルクスクリーンの技法を用い、コマーシャルな作品を大量生産した彼の作品はアメリカのアートを開拓した。


資本主義のもつ商業的な大量消費をストレートに表現し、キャッチーな作品は豊かなアメリカ社会を体現しているようだ。


彼は「コークはいつでもコーク。大統領の飲むコークも僕の飲むコークも同じだから」と語っている。


色彩やサイズを変え、同一イメージの反復・繰り返しを行い、「ファクトリー」と呼ばれるアトリエで増産する製作法。


派手な色彩のシルクスクリーン版をルーズにずらしたり、はみ出させたりして、現れる"歪み"を狙った作品には様々な表情が生ませるんだ。


1928年ピッツバーグで生まれ、カーネギー工科大学に入学し広告芸術を学んだアンディ・ウォーホル。


卒業後1949年にニューヨークに移り、商業デザイナー・イラストレーターとして活躍をする。


「ヴォーグ」や「ハーパース・バザー」などの雑誌のイラストや広告、ティファニーのウインドウ装飾などを手がけ、1952年には新聞広告美術の部門で「アート・ディレクターズ・クラブ賞」を受賞するほどに。


しかしアンディ・ウォーホルは富と名声を求めてアーティストを目指すようになり、作品の方向性を模索するようになる。


そして1962年、「キャンベル・スープ」を発表。


Andy Warhol

いつも身近にあり、彼自身20年間毎日飲んでいたという程、大好物だったキャンベル・スープ。


この作品でアンディ・ウォーホルのポップ・アートが誕生した。


その後、シルクスクリーンを用いて作品を量産するようになり、アメリカ資本主義が生み出したモチーフ、商品や有名人など大衆的で話題性に富んだものを生産していった。


1962年マリリン・モンローの突然の死亡を聞くと、彼は即座にモンローを題材にした作品を作り始めた。


Andy Warhol

アメリカの巨大なマス・メディアが作り上げたセクシーな"女性"、マリリン・モンローという形の虚像。


アンディ・ウォーホルは彼女自身ではない、そんな表面的なイメージを表現した。


従来の難解な芸術作品と違い、ポピュラーな彼の作品はそのモチーフ同様、大衆に広く支持された。


また、彼は当時のアーティスト達に影響を与えたことでも知られている。


ロック・ミュージシャン、作家、俳優、モデル・・・。彼のアトリエでありパーティー会場であった「ファクトリー」には様々なアーティスト達が集まっていた。


そして、彼自身もまた前衛的な映画を手掛け、ロック・バンドのプロデュースを担当するなど、マルチな活動を行なっている。


また、1969年にはインタビューで紙面を構成する雑誌「インタビュー」誌を創刊。


そんな活動を通し、アンディ・ウォーホルはマスコミ、ファッション界、社交界でも注目を浴びる存在となり、彼自身がメディアになったのだ。


昔、TDKのビデオカセットのCMで「アカ、アオ、ミドリ、グンジョイロ・・・キレイ」と呟く姿は印象的で、まだよく覚えている(笑)


銀髪のカツラがトレードマークであったポップ・アートの巨匠アンディ・ウォーホル。


"Andy Warhol"ブランドとも言える彼の作品や軌跡は、アメリカ文化を象徴するドワイルドな存在であるんじゃないかな?


Andy Warhol

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The Velvet Underground


The Velvet Underground

かつてアートの中心地であったニューヨーク・ソーホー。

洗練、はたまたカオス、そしてアヴァンギャルドな前衛芸術や熱い詩。

アーティスト達は他との差別化を示す為に、身を削り工夫をして、個性を主張した時代があった。

時は1963年、ニューヨークに移ったブルックリン出身のミュージシャン、ルー・リード。

気の合うメンバーと出会い、1965年にはヴェルヴェット・アンダーグラウンドとして活動を始める。

バンドでは数多くの作詞・作曲を手がけ、ヴォーカル・ギターを努めていた。

メンバーを固定し活動を始めたこのバンドは、自分達の音楽がオーディエンスに受け入れられない状況に苛立ちながらも、とにかく何かのきっかけを求めて活動を続けていた。

一方で自分の作ったフィルムにダンサーやライト・ショウを加えたマルチ・メディア・ショーの構想を持ち、それにふさわしいロック・バンドを探していた新進芸術家がいた。

それは、アンディ・ウォーホル。

"カフェ・ビザール"で彼らのステージを観たアンディ・ウォーホルはアプローチをし、バンドのプロデュースを申し出た。

そして元女優のニコをヴォーカルとして加入させる。

そしてウォーホルのメディア・ミックスというコンセプトのもと、ダンサーや写真家、ライティング・アーティスト、映像作家などを加え、十数名からなるE.P.Iと言うアート・チームが結成された。

66年のほぼ1年間、彼らは全米中にこの画期的なマルチ・メディア・ショーをツアーした。

そして1967年、そのE.P.Iの評判もあり、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドはデビューアルバムを発表する。

The Velvet Underground

レコード・ジャケットは、有名なウォーホルがデザインしたバナナ。

バナナの皮のシールを剥がすとピンクの中身が現れるという仕掛けだった。

The Velvet Underground

当時はその斬新な内容から商業的に成功はしなかったが、後に再評価され今日では名盤と位置づけられている。

成功を確信していたメンバー達、その不満からかニコはこのアルバムに参加しただけでバンドを去った。

そしてウォーホルとも離れ、1968年にリリースされたセカンド・アルバム「White
Light/White Heat」はさらに前衛色を強めた壮絶な作品となった。

しかしウォーホルの看板の無いこのアルバムは、前作をさらに下回る結果になる。

そのフラストレーションから、メンバー内のエゴや衝突が表面化され、ベーシストのジョン・ケイルが脱退。

1969年にサード・アルバムをリリース。

この作品はルー・リード色が強く、アコースティックで叙情的なサウンドで完成度は高いが、彼らの当初の方向性とは違うものだった。

そして1970年9月、4thアルバム「Loaded」の発売の直前、ニューヨークでのコンサート最終日にルー・リードはステージでバンドからの脱退を宣言。

「Loaded」は発売前にラスト・アルバムになった。

その後ルー・リードは多彩なソロ活動をし、我が道を歩き続けている。

「早すぎたグループ」と言われるヴェルヴェット・アンダーグラウンド。

アートVSコマーシャルという葛藤と戦いながらも自らの信念を貫き通し、音楽史に残る伝説となった。

彼らがわずか5年の間に残した軌跡は、その当時より後になって認められたものだ。

そのインパクトのあるサウンドは現在でも自我を保ち、ドワイルドに輝き続けている。

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