Hat History
ほんの半世紀ほど前まで「帽子」は職業や地位を表す道具として被られてきました。
少なくとも徒歩や馬車が交通手段だった19世紀までは、間違いなく紳士にとっての必需品だったのです。
まだ階級がハッキリしていた1920年代頃のロンドンの写真集なんかを見ると、裕福な階級の人は立派に見えるボーラーやホンブルグハットなどを被っている姿が多く、対して労働者階級の人々はヨレヨレのフェルトハットかハンチング(キャスケット)という、まさに肉体労働に適した帽子姿がほとんどなんです。
つまり、それ以前から帽子は階級を表す道具でもあったというコトが伺えるんですね。
やがて自動車の普及に伴い、モータリゼーションが加速すると人々の頭から帽子は消えていきました。
帽子が廃れた原因のひとつに、ジョン・F・ケネディが1961年の大統領就任式の際にシルクハットを被らず、手に持つだけで済ませたからとも言われています。
実際、当時の写真を見ると、公式の場に大統領は必ずと言っていいほど帽子を備えていますが、彼はソレを被っている姿よりも、手に持っている姿の方がほとんどなんですよ。
社会的地位を表す道具としての名残は続いていたワケですが、むしろ、帽子=保守的というイメージを恐れ、意図的に被らなかったのかもしれませんね(^.^)b
少しハナシが逸れますが、以前、ボタンダウンシャツはアメリカ社会における階級層の歪みを反映したアイテムのひとつとして記しました。
ケネディはWASP(アングロサクソン系の清教徒)でなかったコトから、その象徴であるボタンダウンシャツを着用せず、スーツもスリーピースではなくシングルの2つボタンのツーピースで若々しさをアピールしたんです。
ヘアースタイルもポマードべっとりではなく、清潔感を残しながらもサラサラとしていました。
シンプルでナチュラルなスタイルを好んだ彼にとって、もはや帽子は必要としなかったのかもしれませんね。
やがてヒッピーの時代になると、長髪になった若者に体制を表す伝統的な帽子は似合わず…というか必要とされず(笑)、その後ミュージシャンらがパロディでシルクハットを被るくらいでした^^;
現在、若者がカジュアルなスタイルで、例えばホルブルグハットを被っても違和感はないし、帽子が社会的な地位を表すコトもなくなりました。
つまり帽子はファッションの一部になったという証であり、ストリートファッションにおいては、帽子のヒエラルキーも崩れ、何を被ってもコーディネイトさえ合っていれば構わないワケです。
山登りをしなくたって、ピーター・アーツのようにチロリアンハットを被ってもイイんです^^
そんな帽子の自由化によって様々なカタチの帽子が生まれそして広まり、世の中の視線から解放され、個人で楽しむドワイルドな時代となったんですね☆
dowild.s
ATH-PRO5
愛用していたイヤホンが壊れたので、新たにヘッドホンを買いました♪
今まで外出用には持ち運びに便利なイヤホンを使用していたんだけど、知り合いが持っていたヘッドホンを聴かせてもらったらやっぱり迫力が違うんだよね。
イヤホンでは聴こえないところまで聴こえるし、音の広がりが豊かで思わず世界に引き込まれてしまう…。
で、購入したのがこのヘッドホン、オーディオテクニカの"ATH-PRO5"
コレね…、実は前にも持っていて愛用していたんだ。
ヘッドホンを買いに行ったら懐かしいコレが売ってて「まだ売ってんだ~!」なんて。
もちろん試聴機をいろいろ聴いてみたんだけど、やっぱりPRO5が俺には合っているらしく2度目の購入^^
この機種、実は個性的でサウンドもクセがあり、重低音がとても強くて結構聴く音楽を選ぶのかもしれない。
繊細なクラシック音楽…、まずダメだろうな(笑)
でも、いつも聞いている50~70年代の古い音源では自然な低音を豊かに表現してピッタリとハマるんだよね。
1995年の発売から10年以上も売れ続けている人気のモニター向けヘッドホン"ATH-PRO5"
プロのDJやミュージシャンにも長年愛用されている定番ヘッドホンなんだよね。
最新機種とも比べたんだけど、やっぱりその迫力は負けてないし、何よりずっと変わらないシンプル地味な古めかしいデザインがイイじゃない。
そして何より"軽い"というのがポイントで、持ち運びや長時間の使用にもストレスを感じないんだ。
昔の黒電話を彷彿させる(笑)カールコードは太く、高音質と信頼の証だと思う。
軽くて安っぽいけど丈夫な作りなんだよね、ちょうど腕時計でいうところのG-SHOCKのような。
ハードなプロフェッショナルの現場でも耐えうるヘヴィデューティー仕様は間違いない。
これから外に持ち運びガンガン使おうと思ってるPRO5、タフでドワイルドな相棒との数年ぶりの再会なんだよね。
P.S. ところで、こうして見るとipodが小さくて頼りなく見えるのは気のせいかな?
dowild.m
Licca-chan
タイトル見て笑ったのは、どこのどなたですか? -_-)
コレも立派なドワイルド話です(*^_^*)
女性の方ならば少女の頃、一度は「リカちゃん」の着せ替え人形で遊んだ覚えがあるのでは?^^
それどころか、誕生から42年という長い歴史を持つため、大人のファンやコレクターも多くいらっしゃるみたいですね。
俺は兄妹が下に妹が2人なもんで、幼い頃、確か家にもリカちゃんがいたような、いなかったような…(・・?)
そんなリカちゃんですが、実は毎年ハワイに出かけるほどのサーフィン好きだったって、皆さんご存知でしたか?!
昨日発売になったリカちゃんは、なんと日焼けしてロングボードをもって、サーファーガールとなっての登場だったんです♪(買ったワケじゃありませんが^^;)
少々の興味を抱きサイトを覗いてみたら、リカちゃんが日焼けするのって、1971年発売の日焼けバージョン「ピチピチリカちゃん」、すぐさま追加発売になったさらに小麦色を濃くした水着バージョンの「クロンボリカちゃん」以来みたいですね(合ってるのかな??)
それはそうと今回リカちゃんをハワイの海へ連れて行ったのは、日本を代表するグラフィックデザイナー、佐藤卓氏でした。
「ロッテ・クールミントガム」、「明治おいしい牛乳」などのパッケージデザインや、NHK教育テレビ「にほんごであそぼ」などのアートディレクションを手掛けた方なんですね。
またこの企画は、日本玩具文化財団が推奨する「“おもちゃの力”アートプロジェクト」の一環で、収益の一部は、ハワイの海亀保護活動に寄付されるそうな。
ならば俺もリカちゃんと一緒にハワイの海に思いを馳せようかと考えましたが…(笑)
豪華木箱入りで1000個限定、そのお値段はなんと5万2500円也(;^_^A
こりゃ完全にコレクターズプライスですね(>_<)
海亀が…の思いもむなしく、今ごろリカちゃんは、きっとハワイのお友だち「さわやかリーナちゃん」と、青い空、青い海を満喫してるんだろうなぁ…と、ドワイルドな妄想に留めたというお話しでした☆(笑)
dowild.s
Moai
太平洋の孤島イースター島。
この小さな島には有名なモアイ像があり、大小さまざまなものが立ち並んでいる。
誰が何の為にどうやって作ったのか…?全くもってミステリーだよね。
大きさは3~4mで20トン位のものが多いが、大きいものだと20m!重量は90トンに達するというから驚きだ。
この大きな石を内陸の山から切り出し、離れた海辺まで運んでいるんだけど、大変だったろうね。
イースター島の伝説として「モアイは魔力によって動かされ、ひとりでに歩いた」というのがあるんだけど、全くもって不思議なものだ。
モアイ像が作られ始めたのは12世紀で、14世紀頃に盛んに作られたといわれている。
その目的は海神、信仰、墓地と様々な仮説が立てられているが、その全てが島の外側である海ではなく内陸を向いている事から祭祀目的の島の神として作られたのだろうか?
先住民は18世紀に先進国に発見されるとほとんどが奴隷として連れて行かれ、そのほとんどが無事には戻れず島民は絶滅寸前まで追い込まれたので、記録も言い伝えも全く残ってないんだよね。
孤島に残されたモアイ像、永遠に解明されないドワイルドなミステリーだよね。
このユニークな顔、好きだな~☆
dowild.m
LISTERINE
仕事での名古屋行きだったのですが、バッグの中にはシャキっと心を奮い立たせるため、そして毎朝の必需品でもある「リステリン」を忍ばせていきました♪
これ1本でリフレッシュ&オーラルケア、“ブクブク”するのが病みつきになるほど圧倒的な刺激の強さの理由は、その誕生の背景に如実に現れているんですね(^.^)b
19世紀半ば、産業革命による飛躍的な技術発展を遂げていたイギリス。
その一方で、作業中の事故で大ケガを負う人が後を絶たず、消毒技術も確立していなかった当時ですから、手術が成功しても傷口から細菌に感染して死に至る可能性も高かったんです。
そんな医療の現場を憂い、ジョセフ・リスター博士が消毒液の研究に取り組んだのが事のはじまりでした。
1865年に世界で初めて消毒液を使った外科手術を行い、重症患者を救うコトに成功します。
その後、アメリカのローレンス博士と薬剤専門家のランバード氏が、リスター博士の手法に基づいて新たな消毒薬を研究。
完成した琥珀色の消毒薬に先駆者への敬意を表して名付けたのが“リステリン”だったんですね。
当初は外科手術用の消毒薬として利用されていましたが、後に口の中を殺菌する効果があるコトがわかり、1885年に世界初の口内洗浄液として歯科医向けに供給され、1914年にはアメリカで一般消費者向けにも販売を開始しました。
以降、研究改良が続けられ、誕生から約120年を経た現在、世界中で愛用されるマウスウォッシュのパイオニアとなったワケです♪
そういえば…まだ日本で発売になってない時期、ハワイへ行っては“シートタイプ”を大量に買ってた思い出もありますよ。
何かと不安な気持ちにさせるニュースの多い昨今、ひとりでも多くの人を助けたいと願ったリスター博士のドワイルドな思いは、カタチを変え日常のスタンダードとしていまも受け継がれています☆
ドワイルドな皆さん、毎朝ちゃんとブクブクしてますか?^^
dowild.s
adidas vs PUMA
アディダスの創設者アドルフ・ダスラーとプーマのルドルフ・ダスラーが実の兄弟であることは有名な話だ。
靴工房を運営していた父の影響で、1920年ドイツ・ニュルンベルク近郊の町ヘルツォーゲンアウラッハに兄弟は「ダスラー兄弟靴製造工場」を設立した。
靴職人としての才覚のあった弟アドルフが開発・生産を、兄ルドルフが販売部門を取り仕切っていた。
当時、靴紐の代わりにゴムの付いた体育館シューズ(今でもお馴染みだよね)を開発、地元の体育協会から1万足の注文を受け、その利益で工場の増設が図られたという。
その後、ルドルフはサッカー用シューズや陸上用シューズの開発にも着手していき、世界恐慌になりかけていた1928年には8,000足を売上げ、この年に行なわれたアムステルダムオリンピックでも参加者の多くはこのダスラー社の靴を使用していたといわれているんだ。
思慮深くものづくりに集中するアディと外交的なセールスマンであるルドルフの兄弟は、正反対の性格でお互いの個性を補う良いパートナーだった。
しかし、アディとルドルフの共同経営は長くは続かなかった。
ともにナチス党員だった二人は第2次大戦の勃発とともに徴兵されてしまい、アディだけはわずか1年で郷里に戻ることを許されるが、ルドルフは米軍の捕虜となってしまい解放されるまでに長い年月がかかってしまった。
戦後、経営方針をめぐり兄弟仲が悪化、1948年にルドルフは従業員13人を引き連れて会社を出ることになったんだ。
ルドルフが工場を去って「ダスラー兄弟」の名が消え、アディは残った従業員47人と共にアディダス社を設立。
一方、ルドルフはそこから川を隔てて数百メートル離れた地にルーダ社を立ち上げた。
その翌年ルーダ社はプーマへと名前を変更、アディダスの因縁の競合ブランドとして今日に至っている。
枝分かれしてしまったダスラー兄弟だが、お互いを意識しあいながらそれぞれの道でドワイルドな伝説を作っていったんだよね。
dowild.m
Shake Shack
よっぽど縁があるのかな?って、そのハナシは一先ず置いといて(笑)
ココ何年かでニューヨークへ行ったコトある方ならご存知ですよね?!
マディソン・スクエア・パーク内にある名物、行列のできるハンバーガー・スタンド「シェイク・シャック」を♪
なにやら昨年秋、今度はレストラン形式でアッパーウエストサイドにもオープンしたというニュースを聞いたので、興味深々です^^
せっかちなニューヨーカーが「並んで待つのは、郵便局とココくらい!?」なんて、ジョークも飛び出すくらいに絶品な味なんですよね(^.^)b
常に長蛇の列ができているので、30分以上並んで待つのは必至です^^;
俺的には、ごくごくシンプルなニューヨーク・ドッグもハズせませんが、やっぱりシェイクといったらハンバーガーでしょう。
定番の「シャック・バーガー」は、見た目には単なる“チーズバーガー”ですが、パテには上質なサーロインが使われ、トマト、レタス、チーズとともに、ほのかに甘いバンズに挟まれており、なんといってもガーリックの利いた特製ソースがキメ手ですね♪
本当に美味しくって、アメリカンなワリには小ぶりなサイズもあってか、2つはペロッといけちゃいます(*^_^*)
たしか、そんな方ため用にパテのダブルもあったハズですよ。
そのどちらかと言うと上品で深い味わいはまさに、グルメ・バーガーと呼ぶにふさわしい逸品です♪
それもそのハズ、シェイク・シャックは、NYで何軒もの人気レストランを経営するあの「ユニオン・スクエア・カフェ・グループ」が手掛けているからなんですね。
東京ミッドタウンに、一昨年の春オープンした「ユニオン・スクエア・カフェ・トーキョー」の本店といえば、馴染みがあるでしょうか?!
そもそもは、マディソン・スクエア・パーク管理局の発案で生まれた店なので、店を作る段階から公園保全、環境保護が考えられていました。
席は店前に置かれたテーブルとイスですから、まんま自然の中のオープンテラスなワケです。
運営に使用する電源は100%風力発電を利用しているエコぶり。
店舗デザインは、環境に配慮した建築家集団SITEによるモノで、蔦の絡まる外観は公園の木々に調和し、屋根は公園脇にあるフラットアイアンビルの雰囲気を模していて、店舗自体がマディソン・スクエア・パークのミニチュア版のように設計されています。
ふと、日本にも支店ができればなぁなんて思いがちですが…そうなるとやはり何かが違うんです。
クアアイナが日本上陸した時も思いましたが、美味しいんですけどちょっと違うんですよね^^;
今や日本にも美味しいハンバーガー屋はごまんとありますし。
その土地、その場所に行ってこそ食べれる楽しみが減ってしまうと、旅の醍醐味がありませんからね(^.^)b
NYの街中にオープンしたのは百歩譲っても、やっぱりマディソン・スクエア・パークの中の花と緑に囲まれながら、公園のベンチでドワイルドに食してこそ絶品で、ニューヨークNo.1バーガーなんだと思います☆
P.S 明日、明後日と仕事で名古屋に行ってきます^^
名古屋地区のdowild.kさん、dowild.hさん、ヨロシク♪…って、何を?!(笑)
dowild.s
Wunder von Bern
あのお馴染みの"3本線"、アディダスのシューズの歴史はそのままスポーツの世界大会の歴史と重なっている。
アディダスの名を世界に知らしめる事になったのが、1954年スイス・ベルンで開催されたサッカー・ワールドカップだった。
当時、高度成長が始まってもまだ敗戦による鬱の気分が残っていた西ドイツ、戦後のワールドカップにドイツのチームが出場するのは初めてだった。
監督は戦前にドイツ帝国チームを率いたことのあるゼップ・ヘアベルガー。
巧みな戦略により決勝進出を決めたが、相手は強敵ハンガリーで誰もが西ドイツチーム不利と予想していた。
決勝戦の前日。
監督は雨が降りしきる練習グラウンドに記者団を集め「明日も降る」と言ってトレーニングを公開した。
選手たちが履いているのはアディダスの創業者アドルフ・ダスラー(通称Adi Dassler)が作った靴で、世界初のサッカーシューズだった。
これには靴底に取り外しができるクリートがはめ込まれ、選手の滑る足元をしっかりと支えていた。
アドルフは試合会場に自ら足を運び自らが作った選手たちのスパイクがフィールドに合うよう、試合中もハーフタイム中に靴底を取り替えていたんだそうだ。
彼の思惑通り、大雨の中ぬかるんだグランドに苦戦をしたハンガリーチームに対し、グリップのしっかりしたアディダスのシューズのお陰で西ドイツチームは誰も予期しなかった逆転勝利を収め初優勝を果たしたんだ。
「ベルンの奇跡」といわれたこの試合、このドワイルドな伝説を機にアディダスの世界ブランドとしての黄金時代が幕を開けたんだ。
dowild.m
Honokaa Boy
「おくりびと」が米アカデミー賞受賞の歓喜に沸いたちょうどその頃、ハワイ島の小さな劇場でも、日本映画が盛大なスタンディングオベーションを受けました♪
舞台にもなった1930年開館の「ホノカア・ピープルズ・シアター」でエンドロールが流れ始めると、館内は約600人いた観客の称賛の声と拍手の嵐に包まれたそうです^^
熱狂的なファンをもつ原作「ホノカアボーイ」(著・吉田玲雄)の実体験をもとに、すべてハワイ島ロケで、実在するホノカアの町を舞台に作りあげた映画のプレミア試写会が行われたんですね(^.^)b
もう15年くらい前のハナシになりますが、俺もハワイ島のホノカアタウンを訪れたコトがあります。
ひと昔前までは、ヒロに次ぐビッグアイランド第二の町として栄えてましたが、シュガーケーンビジネスのクローズで静かな町に変わっていました。
3ブロックしかない町の中は、道の両側に昔ながらの建物が残されていて、まだ観光地化されてないオールドハワイアンな雰囲気がとても良かったんです♪
ヒロサイドから行く町の入り口には、ホノカアハイスクールがあり、そのキャンパスの前には、町の小さなライブラリー、ポリスステーション、ファイヤーステーションが立ち並び、ピザパーラー、ヘルスフードストア、ギャラリー、アンティークショップ、70年以上続いているジェネラルストアなど、昔のプランテーションタウンの面影を残していました。
その町の真ん中に、ホノカア・ピープルズ・シアターは昔のままの姿で残っているんです。
ココでは1992年のリノベーション以来、毎ウィークエンドにアメリカ映画が上映されています。
ポップコーン片手に田舎町で観るハリウッド映画もオツなもんでしょうね。
いやいや、実際にこの町で起こった物語をその場所で観た観客こそ、感激も一入だったコトでしょう^^
《ホノカアのつぶれそうな映画館で働く、どこか繊細なレオ(岡田将生)は、風変わりなこの町の人たちと不思議な時を過ごす。
イタズラ好きで料理好きで純粋な日系人のおばあさんビー(倍賞千恵子)と暮らしたかけがえのない日々。そして別れ…
夏の終わりに淋しくなる理由がわかった。》
―どうして僕たちは何かを失って、
大人になるんだろう―
ハワイ島の静かな町で、一体どんなドラマがあったんでしょうね?
間違いないのは、優しいほどにドワイルドな時間が流れていたコトでしょう(^.^)b
14日の公開が楽しみです♪
MAHALO☆
dowild.s
TONY ROMA'S
先日、とあるアメリカンダイナーに行ったんだけど、そこのスペアリブとオニオンリングが美味しくてね^^
思わず、ハワイに旅行に行った時よくディナーで利用していたトニーローマのアノ味を思い出してしまったんだ。
ここ最近ハワイにはすっかりご無沙汰なんだけど、何年ぶりかに味わったこの感じ、やっぱり最高だわ。
日本でも六本木や青山に支店があるというトニーローマだが、未だ行った事が無いんだよね…。
やっぱりさ、シチュエーションが違うじゃない(笑)
気軽に行ける場所であっても、不思議と日本では行く気がしないんだよね。
思わず思い出してしまったんだけど、豪快にガブッと頬張るあの骨付きリブの柔らかさ、しつこ過ぎないバーベキューソースの味は最高♪
そして、この店で忘れてはならないのがオニオンリング。
タワーのように積み上げられたカラッと揚げたスライスオニオン、これだけでかなりのボリュームなんだけど、ビールと共にこの店では"とりあえず"オーダーしてしまう逸品なんだよね。
本場アメリカで「バーベキューリブの代名詞」と呼ばれるトニーローマ。
その30年にわたる歴史はレストランビジネスのベテラン、トニー・ローマ氏がシェフ、デイビッド・スミスと共に、1972年フロリダ州ノース・マイアミに自分の名前をつけたリブ専門店をオープンした時に始まる。
明るく楽しい"これぞアメリカのレストラン!"というカジュアルな雰囲気の中、気取らずに手づかみでドワイルドに食べるバーベキューリブの美味しさ。
この話題が話題を呼び次々と支店がオープン、現在では世界30ヶ国なんと約190店舗もあるそうだ。
いつになるか分からないけど、今度ハワイに行ったら絶対に行って久しぶりのアノ味を堪能しよう。
でも、その前に我慢できなくなったら六本木店か青山店に行っちゃうかも(笑)
dowild.m


















