LOCKHEED MARTIN -SKUNK WORKS-
今日はちょっと女性には退屈させちゃうかな?^^;
女の子でも興味あったら遠慮なく食い付いて下さいね♪
大空への憧れというのは男女問わずいろんな想いもあるコトだろう。
しかし、それが直接“ヒコーキ”だ“パイロット”だとなると少年の永遠の憧れではなかろうか?
ドワイルドな諸君ならご存知だと思うが、世界最大の航空宇宙企業「ロッキード・マーチン社」俗に言う“ロッキード社”のコト。
その中枢を担うのが、少数精鋭の頭脳集団「スカンク・ワークス」という存在だ。
レーダーで捕捉できない超音速高度偵察機(最大巡航速度マッハ3以上)“SR-71”とはあの有名な「ステルス戦闘機」のコト。
そんな航空機の常識を覆し、世界の兵器市場に革新をもたらした数々の名機を開発したのが、世界の航空宇宙産業の頂点に君臨するスカンク・ワークスなんだ。
簡単に言っちゃうと、ロッキード・マーチン社の設計開発チームのひとつなんだが、「設計室が 工場に面していて異臭に満ちていた」とか「人を寄せ付けないという意味」を持つなど、そのネーミングの由来には諸説ありミステリアスな部分も多い。
正式名称「LOCKHEED MARTIN ADVANCED DEVELOPMENT PROGRAM(ロッキード先進開発部門)」
約12万人の社員を擁するロッキード社の中から、最も優秀な選りすぐりのエリートだけが入るコトを許される世界最高峰の頭脳集団なワケだ。
その誕生は今から約60年前、航空機設計の第一人者“ケリー・ジョンソン”が指揮をとり、組織を作り上げた。
彼が作ったのは小規模、少人数で本社機能から独立し、上層部からの指示、命令をほとんど受けるコトなく自由に研究開発を進める、いわば非公認の研究集団だった。
1943年、ケリー・ジョンソン率いるスカンク・ワークスがまず最初に手掛けたのは、米軍初の実用ジェット戦闘機となるP-80(シューティングスター)
それまでのプロペラ機とは比べモノにならないほどの高い運動性能を持ったP-80だったが、開発に与えられた時間はたったの180日。
それをわずか143日で完成させたという記録からも、彼らの開発能力の高さが伺えるだろう。
そして1981年、遂にそれまでの兵器の図式を変えてしまう世界初のステルス戦闘機F-117(ナイトホーク)の開発に成功した。
現在彼らは次世代スペースプレーンや、2010年の実用化を目指して8人乗りの超音速ビジネスジェットの開発に着手しているという。
我々一般人にも、そう遠くない未来、彼らのドワイルドな技術を肌で感じられる日がやってくるかもしれない…。
ドワイルドは、兵器やら戦闘機やらの存在必要性を肯定するものではありません。あしからず^^
dowild.s
MARGARITA
1926年、ネバダ州バージニア・シティーへ狩猟に出かけた若き恋人がいた。
狩りを楽しむはずが、不運にもその流れ弾が彼女にあたり亡くなってしまう。
彼女の名前はマルガリータ。
恋人を失ったジャン・デュレッサーが、その哀しみから彼女を偲んで作ったカクテルが「マルガリータ」なんだ。
天国の恋人に捧げたカクテルだから、彼女の故郷メキシコの酒テキーラが使われている。
ロサンゼルスのレストラン「テール・オ・コック」のバーテンダーであった彼が創作したこのカクテルは、1949年のUSAナショナル・カクテル・コンテストで3位に入選した。
塩でスノー・スタイルにしたグラスにテキーラとライム、ホワイト・キュラソーをミックスし注いで出来上がるカクテル。
多少ライムの酸味が強く、爽やかな口当たりと気品ある香りが溶け合った豊かな味わいは最高なんだ♪
左手の人差し指と親指で半切りのライムを持ち、その親指の付け根に塩を乗せ、ライムを一口齧って塩を舐め右手に持ったショットのテキーラを喉に流し込む・・・。
これがメキシカン・スタイルだ。
(今ではトマト・ジュース片手にテキーラを飲むのが一般的。)
そのスタイルをシェイクする事でマルガリータは飲み易く仕上がっている。
また、南国のビーチ・バーやメキシカン・バーではクラッシュド・アイスをミキサーでシャーベット状にしたフローズン・マルガリータが一般的。
と言うのも、元祖のレシピはテキーラ45ml、ライムジュース30ml、レモンジュース30ml、ホワイトキュラソー7mlをミキサーにかけたフローズン調に仕上げたものだったそうだ。
前に作ってみたことがあったんだけど、かなりドライで酸味の強いマルガリータだった(笑)
これが世界に広まるうちに、酸味を抑えたレシピに変化していったのは必然だったんじゃないかな?
また、塩でデコレーションしたスノー・スタイルはマルガリータには欠かせないポイント。
「腕の立つバーテンダーのスノー・スタイルは塩が立つ」という言葉を聞いた事があるかな?
決して塩をたくさん付け過ぎず、そしてベタ付いていない、サラッとした塩が均等に付いているスノー・スタイルは必須なんだ。
バーテンダーの腕の見せ所・・・、俺もバーテン時代にはこだわったな~。
ギリシャ語で「真珠(margarite)」という意味から、スペイン語の女性人名になったマルガリータ(英語のマーガレット♪)。
今は亡き恋人に捧げた悲哀のカクテル"MARGARITA"
そんな想いが込められた一杯のカクテルを、大切な人に捧げてみてはいかがですか?
きっと素敵な夜が過ごせる事でしょう・・・、もちろんドワイルドな☆
dowild.m
JOHN MUNG
今からほんの140年前、1867年に大政奉還するまでの日本は江戸幕府によって日本が統治されていた江戸時代だった。
そして「日本人の出国や外国人の入国を禁じ、外交・貿易を制限」という鎖国の政策が行なわれていた時代でもあったのだ。
それにより日本独自の文化を形成することができ、また西欧で発達した技術や文化を受け入れられず世界の潮流から取り残される事にもなった。
結果的に西欧諸国の植民地になる事もなく、国内が一体化をし長い平和が続いた。
そんな中、アメリカの歴史に最初に名を残し、日本にアメリカを始めて伝えた一人の日本人がいた。
それは中浜万次郎(中濱万次郎)、そう「ジョン万次郎」だ。
日本人として始めてアメリカに渡り、最初の国際人として激動の幕末に多大な影響を与えた人物なんだ。
1827年、土佐国中浜村の貧しい漁師の次男に生まれた万次郎。
14歳の時に仲間と共に漁に出るが嵐にあい遭難してしまい、5日間の漂流の後奇跡的に太平洋に浮かぶ無人島の鳥島に漂着。
彼らは過酷な無人島生活を送った後、143日目にこの島にやってきたアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号によって発見されようやく助けられた。
ところが当時の日本は鎖国の時代、外国船は日本に近づくことさえ難しく、万次郎たちは日本に帰ることが出来なかったんだ。
そこでホイットフィールド船長は日本人の漂流者たちを安全なハワイへと連れて行くが、万次郎は1人アメリカへ渡る決心をしていた。
万次郎を気に入っていたホイットフィールド船長はその申し出を快く了解し、そのまま一緒に帰途の航海に出た。
航海中の万次郎の鋭い観察力と前向きな行動力は船長らに認められ、彼らから船名にちなんで「ジョン・マン(John Mung)」の愛称をつけられた。
そして救出されてから2年後、船はマサチューセッツ州に帰港。
万次郎は日本人として始めてアメリカ本土の土を踏んだのだ。
当時のアメリカは西部開拓の時代。
ホイットフィールド船長は誠実でたくましく働き者の万次郎を我が子のように愛し、故郷のフェアーヘブンに連れ帰った。
学校にも通わせてもらい英語、数学、測量、航海術、造船技術などの教育を受け、英語も完璧に話せるようになった。
仲のいい友だち、そして家の近所に住むキャサリンという婚約者もでき、万次郎のアメリカ生活は充実したものになっていった。
やがて学校を卒業した万次郎は、米国一流の捕鯨船フランクリン号の航海士として乗船し大西洋からインド洋まで文字通り「7つの海」をかけ巡った。
そしてアメリカでの生活の6年目に一等航海士副船長となる。
しかし二度目の航海を経てフェアーヘブンに帰港した万次郎を待っていたのは、婚約者のキャサリンが事故で亡くなったという事実だった。
絶望した万次郎は日本で待つ家族とハワイにいる仲間の為に、日本へ帰国することを決意した。
そこに流れたカリフォルニアに起こっていたゴールドラッシュのニュース。
さっそく日本へ帰国するための資金を得ようと西部に向かい、3ヶ月ほど金鉱を発掘して600ドルを稼ぐとアドベンチャー号を購入、直ちに漂流仲間のいるハワイに向かった。
1851年、2人の仲間と共に琉球(沖縄)に上陸、漂流から実に10年ぶりの日本だった。
しかしまだ鎖国は続いており、琉球・鹿児島・長崎と繰り返し続く長い尋問を受け、ようやく故郷の土佐に戻るまでに2年の月日がかかったんだ。
土佐に帰った万次郎はその豊富な知識を認められ、最下級とはいえ士分として取り立てられ、名字帯刀を許された。
身分制度の特に厳しかったこの時代に異例の出世を果たすと共に、出身地の中浜をとって中浜万次郎を名乗ることになったのだ。
久しぶりに故郷に戻ったも束の間、黒船の出現により幕府の呼び出しで江戸へ行くことになる。
分明開化の嵐が吹き荒れる中、万次郎は様々な活躍をしていったんだ。
アメリカで身につけた学問を基に各地で講師をしたり、通訳、翻訳、軍艦教授所の教授などを行い、万次郎は激動の幕末における影の重要人物となった。
日本の歴史においてあまりクローズアップされていないのは疑問だが、万次郎は近代日本の夜明けともいえる時代に、日米の架け橋となる幾多の業績を行動をもって示してきた。
彼が伝えたアメリカでの生活事情や民主主義を元に行なわれた明治維新、そして日米の友好をはじめとする国際交流の原点だった。
まるで映画の様なドワイルドな生涯を送ったジョン万次郎は、アメリカで非常に高く評価されている日本人なんだ。
dowild.m
Sharpie
アメリカで油性ペンといえば間違いなく「シャーピー」のコト♪
手軽に使うペンとして、俺のカバンの中にはいつも必ず1本は入っている^^
日本で油性ペンというとワリと太いペン先で、カラー展開もそんなには多くないように思う。
その点シャーピーは、まるで色鉛筆のように絶妙なカラーバリエーションを誇るんだ♪
何しろアメリカ国民の約80%が愛用してると言われる「マーカー」のNo.1ブランドだからね。
それだけごくフツーに一般的で、ビジネスシーンや日常生活だけじゃなく、ハリウッドスターや一流スポーツ選手たちがサインを書いてるシーンで、このシャーピーを見かけるコトも少なくない。
油性ペン特有の嫌な臭いも少なく、無害、速乾性、耐水性、非退色に優れた高性能なインク。
たま~にインクが洩れて手が汚れるコトがあるが、それもまたアメリカンでイイ(笑)
とにかくアメリカらしいポップなデザインがキュートなのと、その種類の多さに驚かされる。
日本でも100円~200円位なモン。
色、デザインを選ぶ楽しさ、種類を集める楽しさもある^^
ワリと新しいモデルの「シャーピーミニ」なんて小っちゃくてとってもキュートだ♪
フツーのヤツの半分の大きさでたった6グラム。
キャップにリングが付いてるからブラ下げるコトもできるんだ。
近年では、全米No.1の人気を誇るモータースポーツ「NASCAR」のスポンサーや全米ゴルフツアーPGAに参加するアスリートのパーソナルスポンサーなんかにもなっている。
多くのエンターテインメントと縁のあるブランドゆえであろう。
俺はね、いつも近所の本&文房具屋で購入している。
PILOT、ZEBRA、Uniなど日本メーカーも使い心地いいモノはたくさんあるけど、そこはやはりドワイルドなこだわりでね♪
ごく当たり前に使ってるんで当然のコトなんだけど、ハリウッドセレブも御用達☆アクティウ゛でシャープなアメリカを象徴するドワイルドな存在、それがシャーピーなんだ。
dowild.s
CAT'S PAW
なにやら昨日から、皆さんのブログ、オジャマして「ペタ」を付けようとした所「ペタ1級です(恐竜の絵付き)」なんて称号が与えられてた!?コレって喜んでいいのかい?(笑)
さて今日はちょいとブーツの話題を広げよう♪
アメリカという国は、言わずと知れたブーツ大国だ。
特にワークブーツやアウトドアブーツのファクトリーが多く、世界的に名高いブランドも数多い。
近年、注目を集めているのはアウトドア、ハンティングなどのラインナップが充実したブーツメーカーだろう。
有名なナショナルブランドも、元を辿ればその大半はワークブーツのメーカーだった。
アメリカのブーツの歴史は大きく分けて2つに分類される。
一つは東海岸に移り住んだイギリス移民が西部開拓時代にアメリカ大陸を横断してくる中で誕生した、ワークブーツの流れ。
もう一つはメキシコから流入してきたスペイン系移民が伝えた流れだ。
前者はイギリスの伝統である“アンクルブーツ”からの派生で、後者は“ペコスブーツ”や“ウエスタンブーツ”といった丈の長いブーツのルーツなんだ。
実際問題、どデカイ荒野が広がってた大陸で、ブーツ需要が高かったのは当然の成り行きだろう。
そこで“ソール”の話となると、よっぽどのブーツ好きでもない限り、その種類はあまり知られていないのでは?
中でも「キャッツポウ」という名のブランドは、アメリカのワークブーツの歴史を語る上で欠かすコトのできないソールを作っていたんだよ。
ソールに付けられた白い円形の滑り止め、通称「ホワイト・ラバー・ドット」が、猫の肉球に似ているコトからそのネーミングが生まれた。
特に1960年代頃までのウ゛ィンテージ・ワークブーツには、キャッツポウ・ソールが装備されているコトが実に多い。
散々ブログにも書いてきたが、1960年代といえばアメリカに アウトドアブームが訪れた時代。
それまでワークブーツだけを作っていたブランドが、こぞってアウトドアブーツの生産を始め、気がつけばワークブーツ以上に生産量が増えていたなんて現象も起こった位なんだ。
そんな時代の流れの中で、キャッツポウは存在自体が人々の記憶から消え、残念ながらアメリカ本国でもすでに消滅してしまった。
しかしこれまた以前のブログネタでも紹介した、日本の誇るデュプリケイターブランドとして名高い「東洋エンタープライズ」が、なんとキャッツポウの当時の金型を発見し、「LONE WOLF(ロンウルフ)」というブランドで見事なまでの復刻を成し遂げ、そのソールに再び脚光を浴びせているんだ。
ラインナップしてるブーツの数々は、旧きよき時代のディテールを忠実に再現し、まるで芸術作品のような素晴らしい出来栄え♪
キャッツポウは、1940年代から1960年代のアメリカン・スタンダード・ソールであり、まさにアメリカならではの貴重なカルチャーだろう。
キュートな猫のマークもとっても雰囲気だ♪
その歴史にアメリカという国の発展をサポートしたブーツのドワイルドな“底力”を見た…ソールだけに^^お粗末さまでした(笑)
dowild.s
STAR WARS
a long time ago in a galaxy,far away....
(遠い昔、遥か彼方の銀河系で...)
その静かなメッセージの後、「STAR WARS」のタイトルと共にテーマ曲が流れる、印象的なあのオープニング。
このシーンを観ると思わずワクワクしてしまうんだ^^
R2-D2やC-3PO、そしてダース・ベイダーといったお馴染みの個性的なキャラクター達。
そしてジェダイや人間、アンドロイド、発達した動物を含めた壮大な戦いが描かれてる物語だ。
シリーズも6部構成の大作で、2005年の「エピソード3 シスの復讐」によって先に公開されたエピソード4,5,6と繋がり、シリーズの完結を迎えた。
初回作は1977年に公開された「スター・ウォーズ エピソードⅣ」
もう30年前になるのか・・・。
当時マニアックでB級映画としてしか認識されていなかったSF映画への評価を完全に覆し、世界的にSFブームを巻き起こした。
まだ今と違ってCGの技術が乏しかった時代、監督であり製作総指揮であるジョージ・ルーカスが非常に高い理想を持って作った作品なんだ。
「アメリカングラフティ」で新進の監督として高い評価を受けていたジョージ・ルーカス。
この「スター・ウォーズ」の製作にあたり、極端に予算が少ない状況であったが、ルーカスは一切妥協することなく見事に完成させている。
苦労とあまりの忙しさの余り、ルーカスは製作途中に入院したほどであったとか。
DVDのスペシャル・コンテンツに当時の製作風景が入っていたのだが、ほとんどアナログのやり方で張りぼての模型や着ぐるみを使って撮影していたんだ。
1977年から1983年にかけてエピソード4,5,6が発表されたが、ルーカスの理想はもっと高く当時のSFX技術が自分のイメージを表現できない、として製作を中断した。
しかし1993年のスティーヴン・スピルバーグの映画「ジュラシック・パーク」におけるCG技術を見て、まずエピソード4,5,6をCG技術を用いて化粧直しとシーンの追加を行い、特別篇として再編集。
そしてその時に培われた技術を応用、発展させてエピソード1,2,3の製作を開始したって訳だ。
そのエピソード1,2,3によって今まで知らなかった過去が明らかになった。
昔からのファンにとってはなるほど、というストーリーだよね♪
さすがに現代の映像技術、多少CGによる違和感を感じるが素晴らしい映像に仕上がっている。
これまで映画の撮影では常識だったフィルムからデジタル・ビデオカメラでの撮影に変更し、コンピューター・デジタル技術による特殊効果を本格的に駆使している。
デジタルが良いかどうかは別として、その映画のスタイルだね。
さて、このスター・ウォーズの原点と言えば、黒澤明監督の「隠し砦の三悪人」というのは有名な話。
ストーリーはともかくキャラクター的に影響が見られ、これはルーカス自信も認めている。
日本の文化や侍をリスペクトし、映画に登場する建物やアンドロイドは歴史感および生活感のある汚れが細かく施しており、黒澤明監督も「この映画は汚れがいいね」と評価したそうだ。
現代技術を駆使しながらも、そのようなリアリティーを徹底して追及した所なんかもルーカスのこだわりを感じる。
また、スター・ウォーズも多くの映画やアニメ作品に多大な影響を与え続け、映画の世界を発展させた。
宇宙戦争という壮大な物語の中で、派手な戦闘シーンだけでなく人間味あるれるドラマが展開していくスター・ウォーズ。
ジョージ・ルーカスの頭の中に描かれていた構想がそのままのイメージで表現された、ドワイルドなスペースオペラ作品なんだ。
dowild.m
The Sound Volume
これまでのブログでも書いているように、ちょっと古いロック音楽が大好きなんだ♪
小中学生の頃にビートルズの「Twist&Shout」でのジョン・レノンのシャウトに鳥肌が立ち、ローリング・ストーンズの「Satisfaction」でキースのギターとミックの悪戯っぽい歌声で完全にヤラれてしまった感覚は今でも忘れられない。
そして、16歳の時に初めて行ったコンサートはエアロスミスの来日公演での武道館ライブ・・・。
当時のコネを駆使して何とステージの真ん前・最前列のチケットを手にしたんだ。
ステージに手が届く席でのエアロスミスは超・刺激的だったんだ。
間近で演奏しているメンバーが現れれば倒れそうなくらい感動したし、何といってもステージ最前列=目の前に巨大なスピーカーが積んであり超大音量で流れる演奏。
バスドラとベースの低音がズンズンと風のように体に鼓動を与え、鋭いスネアとギターの音が耳を刺激し、シャウトするたびに耳をつんざくスティーブン・タイラーのあのシャウト声・・・。
そんな若かりし頃の記憶や刺激が今でも基準になってしまっているのかな?
好きな音楽を聴くときははBGMではダメ。
音楽は音量をかなり上げて、まるで読書のように集中し聞き入るのがスタイルなんだ。
高校生の頃は近所迷惑だったんだけど(汗)、部屋でエレキギターをマーシャルのアンプでガンガン弾いていた。
マーシャルのアンプって一定の音量以上にしないといい音が出ないし、弾いていて気持ちイイんだよね。
練習スタジオでもライブでも音だけは大きいのが自慢だった、うちのバンドは・・・(笑)
演奏中はみんな勢いとアイコンタクトだけで何とかやって、後で録音テープを聴いて反省会をしたり、と。
最近では車のカーステレオやipodで毎日音楽を楽しんでいるんだけど、やっぱり大音量なんだ。
BGMではなく大きな音量で集中して聴くことで、感じる事はかなり大きいと思う。
(ボリュームを徐々に上げていくと、急に音が大きくなる音量以上がポイント・・・、スネアの音が鋭くなる所)
そして家でも気兼ねなく聴きたい時にはヘッドフォンが欠かせない。
音楽だけでなく、映画もヘッドフォンで鑑賞すると最高だよね。
深夜でも近所迷惑を気にすることなく、どんなサラウンド・システムにも負けない臨場感でスクリーンの世界にドップリ浸かれるんだ。
シビアに鳴り響く足音や車のエンジン音など細かい情報まで入ってきて、まるで映画館で観ているようにソノ世界に入り込んでしまう。
一人なんだけどドワイルドに"ツイスト&シャウト"な気分の夜は、ヘッドフォンでもイヤフォンでもいい
周りを気にする事なく、大音量でエンターテイメントしてみるのも最高だよ♪
p.s. 電車の中でイヤフォンを大きな音でシャカシャカさせるのは止めましょう。
周りの人への気遣い、マナーを忘れないようにネ。
dowild.m
DEHNER
ドワイルドなスタイルに欠かせないのがなんといっても足元のオシャレだろう。
俺のワードローブの中でもかなりの割合を占めるブーツたち。
大概のブランドなら知ってるし、所有もしてる(大部分はアメリカ限定^^)
それでも知らなかったモノが出てくると、嬉しくもなりまたそのルーツを知りたくなるのがdowild.sなんだな(笑)
そして購入に至っちゃうと周りからは、同じようなの持ってるじゃないですか!なんていつも言われてしまう…同じようなモノじゃダメなワケだ、ズバリ、ソレじゃないと^ロ^;
まぁそんな話はさて置き、先日、知り合いのショップに足を運んだ際、靴の話題になってその存在を知った。
「ザ・デェィナー・カンパニー」
1962年にNASAが、マーキュリー計画に続く有人宇宙飛行計画第2弾として実施したジェミニ計画。
その時に招集された宇宙飛行士たちの記念写真を見ると、彼らの足元には現在の一体型とは違い、一見すると市販モデルのようなレースアップのブーツを履いている。
よ~く見ると、ソレは着脱が容易なようにジップで上げ下げ出来るディテールを持っているんだ。
今でこそそのスタイルのブーツは、ミリタリーブーツの代表的なスタイルのひとつとして知られているが、実は、このスタイルのブーツを初めて手掛けたと言われているのが、ネブラスカ州オハマに本拠を構える「デェィナー」なんだよ。
現在は、カスタムメイドの乗馬靴の製造を主な生業としているが、かつては軍の将校など士官クラスの特注ブーツも数多く手掛けていた。
今でもそういった注文にも応えているんだが、前述の“ジップアップブーツ”は、もともとは有名な将軍からの依頼で、60年頃に生まれたモノだった。
その依頼主の名は“カーチス・ルメイ”
日本では対日焦土作戦の立案者として悪名高い人物なんだが、第二次世界大戦で多くの爆撃作戦を成功させ、最終的には空軍参謀総長にまで登りつめた男。
除隊後には副大統領候補にまでなったアメリカの伝説的英雄のひとりなんだよ。
そのルメイ将軍から「10分以内に着脱できる靴を」と、デェイナーへ依頼され…10分もありゃまずどんな靴でも着脱出来るとは思うが(笑)
ジップアップというアイデアで応え誕生したブーツは「ALERT-BOOTS(アラートブーツ)」と名付けられた。
“アラート”とは空襲警報や機敏の意味を持っており、まさにこのブーツが警報発令や緊急指令に即座に対応できる機能を備えているコトをそのネーミングが示している。
当時、戦闘機内では休憩中にブーツを脱いでくつろぐパイロットが多かった。
それゆえルメイ将軍オーダー、デェィナー発案のこのブーツは、革新的で現場で大絶賛されるコトになる。
やがてその評判がNASAにも伝わり、宇宙飛行士のブーツとして採用されたワケだ。
当時の宇宙飛行士の多くは、空軍の優秀なパイロット出身者であるという背景があったからこその賜物だろう。
アメリカの大空へ、そして宇宙へと舞い立った英雄たちが誂えた、ドワイルドな傑作ミリタリーブーツが満を持していよいよ日本上陸♪
気になる発売は、2008年1月中旬だそうだ☆
dowild.s
PETER MAX
日本ではあまり知られてないが、1960年代のサイケ文化の最重要人物を紹介しよう。
「ピーター・マックス」…サイケデリアな作品群を60年代中盤から精力的に発表し、ビートルズと共に様々なジャンルにおいてサイケ大爆発なムーブメントの基礎を創造した20世紀を代表するビッグアーティストだ。
アメリカでのその人気は、アンディ・ウォーホルをも凌ぐ勢いなんだよ。
彼のサイケ宇宙は、単なる紙ベースのグラフィック・アートを超え、家具、電化製品、洋服、嗜好品etc.と、ありとあらゆる分野のデザインを手掛けた。
まさに日常空間が美しいモノ、ポップなモノで満たされていれば、人々の美意識も高まり、人間性の豊かな社会に繋がっていくという発想だったワケだ。
アーティストが日常生活品にこれほど深く大量に関わった例はかつてない。
ピーター・マックスこそアプライド・アートの先駆者であり実践者と言えるだろう。
ファッション雑誌はよく見るんだが、現在とかくファッション・シーンに取り上げられ人気の「ピーター・マックス」、どうもソレは一過性の評価にしか過ぎないように思うんだが…。
ピーター・マックスの世界を語る上で最も重要なのは、そのバックボーンにある。
彼は、1937年にベルリンで生まれ、少年時代は上海で過ごす。
その後、チベット、イスラエル、南アフリカ、フランス等の国々を転々とし、1953年にニューヨークに移り住んだ。
やがて天文学者になろうと志すも、高校時代に絵画、デザインに興味を持ちデザインの専門学校へと進む。
そして1962年、念願であった自身のデザインスタジオを持ち、瞬く間に数多くのデザイン賞を獲り、多方面から注目される存在になったんだ。
彼の60年代の作品に見られるシンメトリー主義はまるでサイケ曼茶羅だが、こうした世界は「少年時代に過ごしたアジア圏の伝統文化に大きくインスパイアされた」と、本人は語っている。
もう一つ大きなテーマであるスペイシーな世界は、少年の頃、頭の中で無限に広がったサイケ宇宙、見えないモノを具現化したのに違いない。
その世界観は縛られるコトなく、彼の凄まじいまでの強烈な色彩感覚、激しく力強いポップ感覚に人々は目を眩まされ、それぞれの価値観を見出していったのだと思う。
旧態然とした観念への破壊衝動は以前紹介した、その後の“ジュリアン・シュナーベル”など、それぞれの時代に様々な形で存在したが、60年代後半のソレは閃光の如く七色に輝き、あっという間に燃え尽きてしまったのだろう。
ビートルズの有名なレコードジャケットで、よく雑誌に書いてる「イエローサブマリンの絵を描いた」というのは大きな間違いだ。
あれはマックスの絵の大ファンだったアニメーターのハインツ・エーデルマンという人物が描いたモノ。
実際にビートルズを始め、60年代のビッグ・アーティストたちとの親密な交流や、彼自身もサイケロックが好きだったので、ミュージシャンを題材にした作品も多く残している。
ピーター・マックスは、自由、世界規模の自由、そして平和というような現代あるいは、どの時代にも重要な問題に対して語り合っていける、そういうアートの永続的な能力に対して世界の人々を注目させた偉大な人物であり、現代アメリカ文化の一部として全米国民に認められているドワイルドな存在なんだ。
dowild.s
Alanis Morissette
先日のブログで書いた映画「CITY OF ANGELS」の切ないエンディングに流れ、この映画をよりドラマティックに締めくくった曲がずっと耳から離れなかった。
それはアラニス・モリセットの「Uninvited」。
ワールドワイド・デビュー・アルバム「Jagged Little Pill」がリリースした時にアラニス・モリセットを知り、大好きな女性シンガーだったんだ。
その1stアルバムは96年のグラミー賞で4部門を独占、全世界で2,800万枚という驚異的なセールスを記録。
デビュー・アルバムの最高売上記録としてギネスブックにも記載されることになった。
アラニスはわずか1枚のアルバムで世界の頂点に立ったのだ。
1974年にカナダのオタワで生まれたアラニス・モリセット、そのアルバムをリリースした時は21歳という若さ!
6歳の頃にピアノを覚え、9歳で既に曲を書き始めていたそうだ。
10歳の頃からカナダの子供向けTV番組にレギュラーで出演し、その稼いだお金を資金にしてレーベルを設立し自主制作シングルをリリースした。
そういった活動から14歳で音楽出版契約を交わし、17歳でデビュー・アルバム「ALANIS」をリリース。
この作品でカナダのグラミー賞と言われるジュノー賞の最優秀女性新人賞を受賞した。
その後19歳で単身L.A.に移り、マドンナが主宰するマヴェリック・レコーズと契約を交わしレコーディングを開始、それがこのアルバム「ジャグド・リトル・ピル」という訳だ。
このアルバムからの1stシングルとなった「You Oughta Know」では、自分を捨てた恋人に向けて辛辣なメッセージを全身全霊を込めて歌い叫び、男どもを圧倒させる(汗)
いい曲が揃っているんだ、このアルバムには・・・
って言うより、アラニスの曲はどれも最高だよ♪
そして1998年に2ndアルバム「Supposed Former Infatuation Junkie」をリリース。
アラニス本人が一糸まとわぬヌードを披露したビデオクリップが話題になった、このアルバムからのシングル「THANK U」はスマッシュ・ヒットを記録した。
今日までリリースされている4枚のスタジオ・アルバムを始め、MTVアンプラグドや積極的なコンサート活動、映画出演等女優としての活躍も見逃せない。
「The Collection」っていうベスト盤も発売されているから、よく知らないって方は一度聞いてみては?
緊張感あふれるメロディを、力強く表現力豊かにドラマティックに歌い上げるアラニス・モリセット。
彼女の作品は純粋に自分の気持ちを表現している"セルフ・ポートレート"なのじゃないかな?
常にポジティブな姿勢と圧倒的な歌唱力で自分の道を切り開いていく、そんな最高にドワイルドなミュージシャンなんだ。
dowild.m































