Perfecto by Schott Bros.
そんなシーズンだし、久しぶりに革ジャンの話でもしよう♪
創業以来、世の中の安易な大量生産の風潮に背を向け、変わらぬ製法、変わらぬ精神で数々のレザープロダクツを生み出してきた「ショット」
振り返れば、生まれて初めて買った“ライダースジャケット”はショットだった^^
ガキの頃、付き合ってた彼女からもらったスタジャンは未だ持ってるくせに(笑)残念ながら最初のソレは後輩に譲ってしまい今はもう手元にない★
少年から青年へとなったばかりの俺にも十分手が出せるプライス、それでいて無駄のないデザインと機能性、間違いのない確かなクオリティを持ち合わせる、言い方はアレだけどソコソコな感じが最大の魅力のブランドだ♪
ライダースジャケットは1950年代にはアウトローバイカーの正装として、1960年代にはロックミュージシャンのアイコンとなり、1970年代にはヒッピーカルチャーの流行と、時代に合わせて歴史を刻み続けてきた。
無論、丈夫で保温性に優れたレザーは、冬でも風を切って走るライダーには欠かせない存在だ。
1913年、アーウ゛ィン・ショットとジョン・ショットの“ショット兄弟”が、ニューヨークのマンハッタンの地下工場でスタートしたレインコート店…それが今やライダースジャケットの代名詞とも呼べる「Schott社」の始まり。
1928年、ファスナーで開閉するライダースジャケットを世界で初めて開発したのもココんち。
そのエポックメイキングなジャケットに、アーウ゛ィン愛用のキューバ産シガー「Perfecto」の名を付けたという、なんともクールな誕生秘話ではないか。
当時の価格は5ドル5セント♪
やがてショルダーエポレットに星型☆のスタッズを配した伝説のモデルを発表するコトになる。
ソレこそが映画「ワイルドワン(乱暴者)」でマーロン・ブランドが着用した通称“ワンスター”と呼ばれるモデルなワケだ。
冒頭の写真は、10年ほど前に'50年代当時のワンスターを完璧に復刻したモデル(忘れてしまったが、世界限定ウン百着ってヤツ)。
現在でも復刻版のワンスターはリリースされているが、タグをはじめ細部までのディテールをパーフェクトに再現したモノはこのモデルが今のところ最初で最後のようだ。
聞けば、親子三代にわたってショットのファクトリーで働いている者もいるという。
'60年代から始まった大量消費、大量生産の大きな波…
人の手をほとんど必要としない工業化された昨今のファクトリーの現状を鑑みると、ソレってまさに驚くべきコトではなかろうか。
父から子へ、そして孫へと、ショットを貫く一本の太く揺るぎない“屋台骨”は、こうした職人たちがガッチリと支えている。
リリースされたモデルは常に時代の空気を映し出し、歴史の一部となってきた。
ショットがなければライダースジャケットの興隆もなかったといっても過言ではないだろう。
今日もその揺るぎないスピリットで、レザーにドワイルドな命を吹き込み続けている。
dowild.s
AVOCADO
「森のバター」と呼ばれるアボカド、美味しいよね。
ちょっと前までは「アボガド」って言っていたんだけど、それは間違いだ!とshigeにつっこまれ(笑)アボカドって言いにくいな~、なんて思ったのは数ヶ月前。
いまだに言いにくい・・・、日本ではアボガドでいいんじゃない?
ちなみにabogadoはスペイン語で弁護士の事だそうだ(注意!)
アボカドは栄養価が高く、脂肪分が豊富であり、かつその脂肪分のほとんどが不飽和脂肪酸であるため血中コレステロールを下げてくれるんだ。
夏には体力増強、冬は乾燥肌対策、若返りのビタミンE、美容効果、太りにくい体質作用、血行促進、動脈硬化の予防・・・。
「最も栄養価の高い果物」としてギネスブックにも載っているんだよ。
特に最近ではアボカド・オイルで美容用も発売されているから、素敵な女性の方も注目だね^^
もともとが南アメリカ北部からメキシコ高地が原産だったアボカド、ご存知のように日本に輸入されているほとんどがメキシコ産。
チリ産やアメリカ産、ニュージーランド産も多少は流通しているが、味や品質はメキシコ産が一番だそうだ。
まだアボカドが日本でこんな一般的でなかった頃、当時よく行っていたメキシコ料理店で使われていたアボガド・ディップが初体験だったかな?
変わった味だな~!って思ったよ(笑)
アメリカでのカリフォルニア・ロールも有名だよね。
アボカド、キュウリ、蟹、マヨネーズ、マグロ、ワサビを巻いた、アメリカ流の寿司。
これが、なかなかイケている♪
普段はシンプルにワサビ醤油かシーザー・サラダに入れて食べることが多いんだよね。
まだ試したことはないが、バリ島や台湾ではアボカド・ジュースが人気だとか。
そして、何といっても衝撃だったのはハワイで出合ったアボカド・バーガーだ。
オアフ島ノースショアの街・ハレイワにあるKUA'AINA。
今ではクアアイナは日本でも数店舗あるしアボカド・バーガーを出す店も見かけるが、当時そんなの無かったんだよね。
ドでかいアボカドがそのまま挟まったドワイルドなバーガーは、ハワイの気候と相成ってもちろん最高だった。
ちょっと食べにくいけどね・・・(笑)
あ~、ハワイに行きたいなー!
聞くところによると、クアアイナもアノ場所からちょっと移転したんだって?
味は変わらないんだろうけど、思い出の場所だっただけになんか寂しいよね。
日本でもすっかり市民権を得た感のあるアボガド、スーパーでも気軽に手に入るようになったのは嬉しい。
店頭で並んでいるものはまだ硬く熟していないのが多いので、2,3日放置し握って弾力性がでてきた感じが食べごろだ。
熟しすぎてもえぐみや苦味が出てくるので注意、これまで何度うっかり失敗している事か・・・(汗)
ベジタブルフルーツ(野菜的果実)と言われるように、まったりとした口当たりのアボカドは調理方法によって変幻自在の表情を現す。
「森のバター」と呼ばれる野菜っぽい果物・・・、まったく不思議な食材だ。
dowild.m
Takehiko "shake" Kogre
シャケというギタリストをご存知だろうか?
レッド・ウォリアーズのギタリストだった木暮武彦、通称"シャケ"
俺はね、昔っからこの人が大好きなんだ♪
1984年にNOKKOと共にレベッカを結成しデビュー。
リーダーであり曲作りでも中心的な役割を担っていたシャケの理想は、アヴァンギャルドでロック色の強い曲調だった。
NOKKOの魅力を全面に押し出したポップな方向性を指南する当時のディレクターと全面的にぶつかり、結局バンドをクビになってしまう。
方向転換し見事に大成功を収めたレベッカにとっても結果的には良かったのかな?
その後、自分の好きな音楽をやろう、とメンバーを集め作ったのがレッド・ウォリーアーズなんだ。
"ロックの声"を持った希少のシンガーであるダイヤモンド☆ユカイこと田所豊と組んだバンドは、レベッカ時代の鬱憤を晴らすかのように豪快なロックを展開していった。
レッド・ウォリアーズはわずか4年半の短い活動だったが、曲をリリースするごとにクオリティーが上がり新しい一面を表していった。
ストレートなロックンロールに飽き足らず、クリエイティヴで幅の広いポップ・ソングにも素晴らしい曲が沢山あるんだよ。
ここがポイントで、全ての楽曲作りをしていたシャケの柔軟性というか力量。
ロック・ギタリストっていうよりは、シャケは音楽家・ミュージシャンなんだと思う。
過去のロックをリスペクトしながらも、決して真似ではなくメロディアスでセンスの良い作品を作り上げる。
素晴らしい感性の持ち主なんだと思う。
レッド・ウォーリアーズを解散した後は、すぐに単身L.A.に渡りアメリカでの活動を始めた。
オーディションでメンバーを募り、元VOW WOWのキーボーディスト厚見玲衣と共に多国籍バンド「CASINO DRIVE」を結成。
1992年にアルバム「FEVER VISIONS」をリリースしたが、ヴォーカルのケネス・アンドリューが脱退してしまい、次にリリースしたアルバム「エデンの裏口から」ではシャケが英語で歌っているんだ。
来日ライブも観に行ったんだけど、個人的には「エデンの裏口から」の世界観が好きだな~♪
L.A.での活動についての様々な思いから、1994年にバンドを解散し帰国する。
日本でのツアー中に日本で音楽をやる意味を痛感した、と。
そしてソロ・プロジェクト「PSYCHODELICIOUS」を立ち上げ、また1996年にはレッド・ウォリーアーズを再結成。
伝説が帰ってきたのだ。
今レッド・ウォーリアーズは不定期になってしまったが、富士山の麓に住みはじめたシャケはそこを拠点として音楽活動を行なっている。
2003年にリリースしたインストゥルメンタル作品「Living in Celebration」や、現在精力的に活動を行なっている「Mt.デリシャス」。
最小限の構成でありながら、ジャンルにとらわれない自由な音楽を展開している。
幼い頃から憧れ体に馴染んでいるロック・ミュージック、
そしてアメリカ生活で経験したサイケデリックの洗礼、シュールレアリズム、現代クラシック、シャーマニズム、ニューエイジ、インディアン
自然、宇宙、生命、スピリチュアル・・・。
一体この人には何が感じられるのだろうか?
その都度その都度、好きな事を自由にやっているシャケの音楽は聴いていて楽しい。
20年前から今でもシャケの作品は俺のフェイバリット、ちょっと別格なんだ(笑)
シャケの作り上げるドワイルドな音楽をこれからも期待しているよ。
dowild.m
Dehen
昨日の「Mac Beth(マクベス)」のアワードジャケット(スタジャン)は自分でもホント懐かしい^^
物持ちがイイというか^^;そういう“思い出”を未だに持ってたなんて、ちょっとそれもどうなのかな(汗)
でもね実際、自分で身に付けるモノに関しては流行に左右されず、自分の持つ価値観、自分の思う普遍性を大事にしながら手に入れてるのがドワイルド流なんだ。
毎日の出で立ちには自分なりのスタイルをしっかり持っている♪
例えばこの20年来、アンダーウェアは一貫して赤、黒、グレーのブリーフのみ…聞いてないって(笑)
そこで今日はこの10年来、愛用してるアワードジャケットを紹介しよう。
昨日、言ったようにアワードジャケットはアメリカのスタンダード。
そのアワードジャケットの中にもこれぞ“This is Award Jacket”と呼ぶべきスタンダードがある。
それが「Dehen(ディーエン)」というブランドだ。
アメリカにある多くのメーカーが、大量生産ゆえの生産性やコストの問題から、化繊を含んだウールを使い質を落としがちなのが現状。
ところがこのディーエンのボディは、24オンスのウールメルトン、リブも100%ウールが当たり前の“トップクオリティ・ジャケット”の代名詞となっている。
その歴史は1900年代初頭、創業者の“ウィリアム・ピーター・ディーエン”が、ウールニットを編む機械の輸入を始めたコトに端を発する(ここがミソ)
当初はウールセーターの製造がメインで、'30~'40年代の旧いバイクレースの写真なんかによく見られる“レーシングセーター”を製造してたんだ。
因みに当時のハーレー・ダビッドソンのセーターはチャンピオン製か、このディーエンのモノであった。
やがて'50年代にアワードジャケットの製造をスタートするコトになる。
現在では100%ウールにこだわるクオリティが全米に認められ、ハーバードやノートルダムをはじめとする超有名校のジャケットを手掛けてるほか、メジャーリーグのレトロタイプの復刻版ジャケット、さらにアメリカの高級デパート「ニーマン・マーカス」からもオーダーを受けているんだ。
さて俺の愛用してるジャケットだけど、実はあのライダースジャケットの雄「Langlitg Leathers」がこのディーエンのボディを使ってリリースしたモノなんだ♪
さすがは同じオレゴン同志^^
ベスト・オブ・ブランドのコラボと言ってもいいだろう。
尽きるところアワードジャケットの着心地はリブの感触が大きく左右する。
ディーエンの最大のウリである100%ウールのリブは、製造を始めた'50年代からずっと変わらないモノ。
編み込む機械も、今から80年前のモノをずっと使っている。
ユーザーの着心地を考えた変わらぬクオリティの秘密はココにあるワケだ。
これぞまさしくドワイルドなUSAスタンダードと呼ぶにふさわしくなかろうか。
dowild.s
Award Jacket
永遠のカレッジアイテムの1つスタジアム・ジャンパー、通称「スタジャン」
実はコレ和製英語だって、ドワイルドな諸君なら知ってたかな?
余談だけど、高校生の時「マクベス」というメーカーの“スタジャン”を当時つき合ってた彼女からプレゼントされたんだ^^
袖は革でサ、時代は別としても16位の子供だよ、とってもとっても高価なプレゼントに感激しまくって、高校3年間やってた朝の新聞配達のアルバイトで(意外かな^^)スーパーカブ乗るのにずっと愛用してた思い出の1着なんだ☆
さてそのスタジャンだが、アメリカではスポーツの大会や試合などで優秀な成績を納めた者だけが着用できるコトから「アワード(称賛)ジャケット」と呼ばれるのが一般的なんだよ。
もしくは「レターマンズジャケット」「ウ゛ァーシティジャケット」などとも言う。
アメリカの学生が着るアワードジャケットは、胸にチームの頭文字やマーク、袖には卒業年度もしくは自分のゼッケンナンバーを縫い付けているんだけど、コレを「シニール」と呼ぶ。
フェルト地にパイル地のワッペンを縫い付けたモノが多い。
このシニールは、大会や試合での参加賞や賞品として配られ、ソレを学生たちが自分のジャケットに縫い付け、誇らしげに着用するというワケだ♪
このイカしたジャケット、何も学生だけのモノではない。
アメリカの人気スポーツであるフットボールやベースボールはもちろん、バイクレース、あるいはボクシングやサーフィンなど、幅広いジャンルで思い思いにデコレートしたアワードジャケットが着られている。
まさにアワードジャケットはアメリカのスタンダードなんだよ♪
高校時代…人生の中でもっとも楽しく短い祭りの季節、甘酸っぱく切ない黄金の日々…
25年以上クローゼットの奥で眠ってた1着のアワードジャケットに懐かしいドワイルドな思いが甦った。
dowild.s
JERKY
先日、友人の旅行のお土産でビーフ・ジャーキーをいただき、久しぶりに食べたんだ。
東北方面の国産牛タン・ジャーキー、何度か食べたことはあるんだけどコレが最高に美味しい♪
牛タンではなかったが、かつて海外のお土産の定番として人気だったビーフ・ジャーキー。
数年前から狂牛病の問題で、残念ながら日本への持ち込みが厳しくなってしまったが・・・。
ビールのツマミに最高のビーフ・ジャーキー、苦手な人ってあまりいないんじゃないかな?
噛めば噛むほど牛肉の旨みがでて、適度な塩分やスパイスが効いていて後を引く味なんだよね。
最近ではスタンダード以外にもブラック・ペッパーや激辛ハラペーニョ、甘口のテリヤキ、柔らかいドライドビーフなどラインナップも広がり選ぶ楽しみが広がった。
いつも手にとってしまうのはブラック・ペッパーかな?
もともと保存食として生み出され、重宝されていたジャーキー。
日干しにした食料の事なんだけど、主に牛肉の事を指すんだ。
塩や醤油、香辛料などを漬け込む事により肉の腐食を防ぎ、また燻製をして香ばしさや旨みを引き出している。
人々がまだ狩猟生活を営んでいた大昔から、洞窟の中での焚き火によって燻製技術が生み出されたという。
これにより捕った獲物を長期間保存することができ、そのうえ美味しく食べることができたのだ。
これがネイティブ・アメリカンの保存食であり、素材は主にバッファローの干し肉であった。
その後にアメリカの開拓時代からは、長期間の移動や馬上で働くカウボーイにとっても欠かせない保存食となったんだ。
今のような牛肉のビーフ・ジャーキーが現われたのはまだ最近の事で、1960年頃にアメリカ全土に広がったそうだ。
ダッチ・オーブンで簡単に燻製も作れるので、何度か牛肉から作ってみた事があるんだけど、これまでビーフ・ジャーキーに失敗は無かった(笑)
脂身の少ない牛モモ肉のかたまりを厚めにスライスし、醤油と塩、胡椒、ニンニク、玉ネギ、唐辛子、酒・・・など適当なモノを混ぜた漬けダレに数時間漬け込む。
風通しのよい日陰で数時間干してから、十分に燻製させる。
燻製させたらさらに乾燥させて出来上がり。
適当に作っても美味しく作れるのがビーフ・ジャーキーの素晴らしいところだ(笑)
ちょっとした工夫で、自分なりの美味しいレシピも生み出せると思うよ。
たまにはバーボン片手にジャーキーを齧りながら、アメリカのドワイルドな開拓時代を想ってみてはいかがかな?
dowild.m
CARS
のんびりとしたノスタルジックな時代、そして最も輝かしい時が過ぎ、すっかり"アメリカン"という文化が確立した今の姿。
アメリカ合衆国が歩んできた歴史は、短いながらも興味深い。
そんな過程がチョットだけ垣間見れた、実にアメリカンな雰囲気の映画がウォルト・ディズニーの「カーズ」だ。
似合わないかもしれないけど(笑)、ディズニー作品は大好きなんだよ^ ^
ミッキーも初期作品からほとんど観ているし、最近のCGで描かれたアニメも公開される度に楽しみなんだ♪
最近の作品の中ではこの「カーズ」は良かった。
登場するのは人間ではなく車であり、全てがエンジンのついている乗り物を擬人化したキャラクターによる物語。
レーシング・スポーツの最高峰、ピストン・カップに出場する若きレーサー、ライトニング・マックィーン。
ルーキーながら、その天才的素質によって、彼は既に多くのファンを獲得していた。
レースで優勝することだけが目標だった彼は決勝レースが開催されるカリフォルニアに向かう途中、思わぬトラブルに巻き込まれルート66沿いにある寂れた街"ラジエーター・スプリングス"に迷い込んでしまう。
狙うはピストン・カップ史上初となる新人チャンピオン。
早くレース場に到着しなければならないマックィーンだが、自らが滅茶苦茶にした道路の補修工事を命ぜられ道路の補修を済ますまで町に足止めされることに。
しかし、ラジエーター・スプリングスで過ごすうちに、マックィーンは徐々に住民たちに親しみを感じ始めていた。
それは、自分だけが勝つことしか考えなかった独りぼっちの彼が知らなかった"家族のような温かい関係"だった・・・。
いい映画だよ、ラストには思わず感動して涙してしまったりして☆
この映画を製作するにあったって、監督であるジョン・ラセターは実際にルート66を旅してこの映画のインスピレーションを得たという。
ルート66はかつてアメリカを横断する主要な道路であり、沿道の住民は旅行客相手に商売を営んでいたんだ。
ところが州間高速の建設で彼らの生活は一変する。
バイパス道路がもたらした町の運命は辛いものだったという。
州間高速が出来る前は休暇といえば車の旅だった。
早朝に出発をし、寄り道をしながらノンビリと次のモーテルに向かう。
道に迷おうがゆっくり休もうが自由であり、目的地よりも旅の中身が大切だったんだ。
ところが現代においての"旅"とは?
俺自身も大好きな旅・・・、この映画を観ていろいろと考えさせられたよ。
また、世界中の車種が登場するキャラクターたちも興味深かった。
フォードGT、シボレーインパラ、ポルシェ911、ハドソンホーネット、フィアット500、ダッジ、キャデラック、ダッジ、リンカーン、フォルクスワーゲン・バス、アーミージープ、そしてフェラーリ・・・。
個性豊かで、実にマッチした"顔"の表情を持ったキャラクターが勢ぞろいしているんだ。
この映画の製作者達はホント車好きなんだろうな、でなければこんな表情は描けないよ~。
あと、今のCGの技術も全く凄いもんだ!
コンピューターでこんな映像を作り出しちゃうんだもん、馬鹿には出来ないよね?
「走り続けた人生に、置き忘れてきたものは。」
現代の技術によって描かれた、アメリカのノスタルジックだった時代を想わせる「カーズ」。
最高に心温まるヒューマン・ドラマ、ならぬドワイルドなカーズ・ドラマなんだ^^
dowild.m
Keep on Rockin'
ジョン・レノンがNYに住み始めたのは70年代に入ってからのコトだ。
過熱化し、年々売り上げを倍加するレコード・セールス。
そんな'70年代を象徴するのが'76年に未曾有の1千万枚という大ヒットを記録したイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」
ガキだったくせに、一丁前にこの曲にはリアルタイムな甘く切ない思い出があったりする^^
ディランのバックバンドを卒業して“カントリー・ロック”の隆盛をもたらした「ザ・バンド」
美しいハイ・ハーモニーで“ウエスト・コースト・サウンド”の祖となったスーパーグループ「CSN&Y」
彼らのサウンドを取り入れたイーグルスは、キャロル・キング、ジェームス・テイラー、ニール・ヤングという“シンガー・ソングライター・ブーム”の第二波と言えるジャクソン・ブラウン、トム・ウェイツらを抱えた新興レーベルのアサイラムからデビュー。
情熱的で洗練されたアルバムはアメリカン・ロックをピークへと導いたが…
商業主義に反感を持つ若者たちは、セックス・ピストルズやザ・クラッシュのもたらしたパンク革命に呼応し、ラモーンズ、パティ・スミス、トーキング・ヘッズらに、あるいはジャマイカからやってきたボブ・マーリーとウェイラーズのレゲエ・ミュージックに歓声を上げるようになっていったんだ。
'80年代に入ると、ブルース・スプリングスティーンがアメリカン・ロックの“良心”を示したが、気が付けばMTV時代の到来だ。
マイケル・ジャクソンにプリンス、マドンナにシンディ・ローパー…
人々は、そして時代はよりファッショナブルでラディカルなルックスを持つ「スーパースター」を求め出した。
そんな流れに一石を投じたのが、LAのインディーズ・レーベル・クラブシーンを中心に人気を得ていったガンズ&ローゼズやレッチリだ。
さらにはよりクールなカレッジ・チャートで人気を博し“オルタナ・ロック”の系譜を生んだR.E.M.やカート・コバーン率いるニルウ゛ァーナというグループだったワケ。
そしてサンプリングを駆使して、ヒップ・ホップという新たなブラック・ミュージックの流れを作ったグランドマスター・フラッシュ、RUN-D.M.C.等々。
デッドにインスパイアされたフィッシュはデイウ゛・マシューズ・バンドらジャムバンド・グループの隆盛…
1956年に火が着いたソレは、'60年代に爆発、進化を遂げ、'70年代に一気に溢れ出て、'80年代にセレブ化し、'90年代そして現在へと新たな揺り返しを見せる。
今日、ジョン・レノンの命日に原点回帰そしてキープ・ロッキン☆
アメリカン・ロック…若者たちにドワイルドハートな熱ある限り、その音は途切れるコトなどない。
dowild.s
American Rock 50s~70s
“You ain't nothin' but a hound dog
Cryin' all the time”
当時、ラジオから流れるエルビスの歌声にティーンエイジャーたちはみな心奪われれた♪
少年たちはまるでジェームス・ディーンのような反逆者気分になってシビれ、少女たちはステージで腰を振って歌うセクシーなエルビスに下着を振って答えた(*^_^*)
また、チャック・ベリーを聴いて楽器店に走った子供たちは、一生懸命に“ジョニーB・グッド”のギターリフを真似たろう。
1950年代に誕生したロックンロール、その過激さに眉をひそめた大人たちは、甘いポップ路線に音楽の軌道修正をしようとした。
そんな折り現れたのが、イギリスの港町リウ゛ァプールから来たオカッパ頭の‐真正ロック・キッズ4人組‐「ザ・ビートルズ」だ。
その社会現象たるやアメリカの、いや全世界の若者たちを興奮のるつぼに叩き込み、'60年代ロック史の流れを決定的にシフトした。
彼らに続いてキンクス、ザ・フー、ローリング・ストーンズらのブリティッシュ・バンドが席巻する中、唯一ビーチ・ボーイズが奮闘し、一方でデトロイトの小さなレコード会社モータウンからダイアナ・ロス&シュープリームス、ミラクルズ、マーウ゛ィン・ゲイらが登場。
ソウル、R&B音楽のメッカとしてブラック・ミュージックの魅力を人々に知らせていた。
そんな沈滞気味のアメリカに'60年代初期のフォークブームの波の中からギターの弾き語りスタイルで、ベトナム戦争や人種差別問題を取り上げたプロテスト・メッセージ・ソングを歌い、若者たちの心を捉えた天才詩人がいた。
そう、ボブ・ディランだ。
彼がそれまでの他愛のないラウ゛・ソングとは違う、自立する若者の孤独と疎外感、社会への怒りをシュールな詩に編み込んで、エレクトリック・ギターを手に歌い始めたんだ。
これにより、ロックは全てが可能な若者たちの表現手段として新たな高みへと到達していった。
こうしてビートルズとディランによってもたらされた“ロック革命”の中から多くの才能が生まれた…
エリック・クラプトンのいるクリーム、あるいはジミ・ヘンドリックスという新しいサウンド・クリエイターたち、またあるいは“ラウ゛&ピース”を合言葉にサンフランシスコにヒッピー文化を誕生させたサイケデリック・グループ、グレイトフル・デッドやブルース・ロックの歌姫ジャニス・ジョプリン等々。
溢れるほどに才能豊かなミュージシャンが次々に登場し、不滅のビートルズ・アルバム「サージェント・ペパーズ…」が鳴り響く'67年のモンタレー・ポップ・フェスティバルで、あるいは'69年のウッドストックで、世界に“ロック音楽文化”の何たるかをドワイルドに告げたんだ。
dowild.s
RED WARRIORS
今まで自分達の好きなことや好きな物だけを書いてきたこのドワイルド・ブログ。
これからもずっとこんな感じでやっていくつもりなんだけどサ^ ^
なんだけど、今までどうしても紹介できなかったあるバンドがあるんだ。
何故って?
それは思い入れが強すぎてさ・・・。
そのバンドは「RED WARRIORS」、日本のロック・バンドだ。
再結成を含めて今まで何回コンサートに足を運んだろう?
青春時代にドップリ経験した、俺にとってはいまだに特別な存在なんだ。
レベッカを創り、そして追い出されたギタリストの木暮"shake"武彦が改めて自分の好きな音楽をやろうと理想のメンバーを集め1985年に結成されたレッド・ウォーリアーズ。
DIAMOND YUKAIこと田所豊をヴォーカリストに向かえ、アメリカンロックを彷彿させる豪快なサウンドとライブ・パフォーマンスは瞬く間に評判となり、1986年に1stアルバム「LESSON 1」でデビュー。
女性のヌード写真のジャケットに、ジャケット帯には「SEXよりも気持ちいい。」だって(汗)
耳障りの良いサウンドを求めた当時のミュージックシーン、そしてどんどん幼稚化していった日本の歌謡曲への反動といったところか。
当時たまに歌番組にも出演していたんだけど、彼らのジョーク交じりの過激な発言やハイテンションのステージ・パフォーマンスに呆気に取られていた他の出演者達の表情は印象的だった(笑)
自分達の信じる"ハートで感じるRock'n'Roll"を日本に伝えたかったという。
だから60~70年代のロックに傾倒しながらも、歌詞は日本語にこだわっていた。
「SHOCK ME」から始まるこのアルバム、サウンドの雰囲気もゴツゴツしていて刺激的だったな~。
飛ぶ鳥を落とす勢いで活動を行い、デビュー前には渋谷公会堂ライブを成功、デビュー後わずか1年半で日本武道館から西武球場まで満員にするほど人気を集めた。
「LSEEON 1」から「CASINO DRIVE」、「KING'S」といったイカしたロック・アルバムや、「ルシアン・ヒルの上で」や「Still of the Night」、「Lady Blue」というシングル曲も次々とリリースしていったんだ。
当時、日本では空前のバンドブーム。
巷では数あるバンドが軒を並べていたが、レッド・ウォリアーズは他のバンドとは一線を画す存在でね。
華やかで勢いのあるステージ、魅力的な演奏と歌声、そしてメロディアスでセンスの良い楽曲を兼ね備えた最高のロック・バンドだったんだ。
シャケの個性的なギターはカッコよかったな~♪
そしてラスト・アルバムとなった「Swingin'Daze」を1989年に発表。
解散が決まってから作られたこのアルバムは前作までとは一風違った雰囲気なんだ♪
SWINGIN DAZE は 君をそそのかす悪魔のささやき。
SWINGIN DAZE は 脳髄をぶっ飛ばす快楽のド-パミン。
SWINGIN DAZE は 愛するロックのお葬式。
一筋縄ではいかない巧みなアレンジがされた古き良き雰囲気のポップソング・・・。
どの曲も最高だし、はっきり言ってレベルが高いよ。
バンド結成から4年半、デビュー後ちょうど3年という短くも濃厚な活動だった。
ライブハウスからスタジアムまで猛スピードでサクセス・ストーリーを築き、上り詰めた所で突如解散。
その理由はバンドをここまで引っ張ってきた木暮武彦のアメリカン・ドリームだった。
本当はこのままアメリカ進出したかったのだが、メンバー全員の賛成は得れず、結局バンドは解散して木暮武彦は単身L.A.に渡っていった。
最後まで"らしさ"を貫いたレッド・ウォーリアーズ・・・。
当時から現在に及ぶまで唯一で絶対的な個性は他の追随を許さない、ドワイルドな"ニッポンのロック・バンド"なんだ。
dowild.m



























