THE BRAVE ONE
都会にはさまざまな貌がある。
例えば慣れ親んだ東京ですら、新宿あるいは池袋などに行くと日本語が聞こえないコトがあったり。
日本に限らず、先進国のどの都会も経済至上主義の潮流により、激しく変貌し続けている。
知らず知らず住む人が変わり、気が付けば大きく様相が異なってたりね。
すぐ隣に住んでる人物の素性も知らないとかサ。
今やもう東京だけの現象ではなく、日本は世界一安全な国という神話は遠い昔のコトのようになってきた昨今、それはまるでニューヨークのような「何でもありの怖いところ」、危険は至るところに潜んでいる。
昨日観た「ブレイブ ワン」は、そうしたニューヨークの街角で起きた事件を契機に展開する都会の暗黒面を描いた問題作だ。
ジョディー・フォスター扮するヒロインは、ニューヨークの街角の息吹をラジオで語るパーソナリティ。
混沌とした都会の魅力を語り続ける彼女が、皮肉にもセントラルパークで婚約者と散歩しているときに、3人の暴漢に遭遇し、婚約者を殺され、自らも瀕死の重傷を負わされる。
回復した彼女にはもはや愛すべき都会にいるという実感はない…
恐怖と不安にかられた苦悩の末、彼女は闇で拳銃を手に入れ、ふりかかってくる危険に対して“一線を越える”
最初は護身の行為、それが次第に“悪を殲滅する”行為に変わっていく人格変換への違和感やその内面変化の経緯を追求している。
被害者が犯罪者に牙を剥く構図だけど、ソコにはモラルの問題が横たわるよね。
警官が犯罪者を射殺するコトはおおよそ正義だけど、一般人が犯罪者を射殺するのは殺人なワケだ。
アメリカの場合、市民が武装する権利を認めている。
日本と決定的に違うところ、殺人という行為における法治の条件が違うのは指摘しておこう。
映画を観る者の大半は、自衛の行為を行使するヒロインに感情移入すると考えるのは想像に難くない。
聡明なジョディー・フォスターが演じ、舞台をニューヨークが幾多の貌を持つジャングルとして描き、リアルでスリリングな寓話となった“映画”だからだ。
一昨日あった茨城県土浦市での無差別な通り魔事件、「誰でもよかった、人を殺してみたかった」との理不尽な凶行…
こうした事件は連鎖が起きがちだが、すでに翌日、千葉でも男性が刺され、名古屋では通り魔に突然、女性が刺され重傷。
映画の題名「ブレイブ」には“勇敢な”という意味もあるが、ネイティブアメリカンであるインディアンの「戦士」という意味がある。
“インディアン”という言葉に彷彿される時代ではなく、紛れもなくこの現代で連日のように起きてる出来事には怒りを覚える。
“怒り”とは、生きる権利を脅かされた時などに起こる動物の本能で、ソレを制御しうるものなどこの地上にいないのかもしれない…
映画では、圧倒的な怒りに立ち向かい“勇気ある戦士”になろうとした1人の女性を描いているが、はたしてソレが答えだろうか?
“怒り”の本能を制御できるのは「信念」という、人間だけが持ちうるドワイルドな至高の力なのではと深く考えさせられた。
dowild.s
SCHWINN
今日はあいにくの天気(´Д`)それでもだいぶ春らしくなってきましたね^^
桜も花を開いたし♪
昨日は、穏やかな太陽の陽射しを全身に浴び、花や草木の新しい息吹を感じながらジョギングをし、実に爽快な気分だった♪
ついついアップテンポになってしまい、額から流れる汗を心地良い風が優しく撫でてくれてね…
こんな日はジョギングもいいけど、自転車にでも乗って少し遠出したいなって気分に駆り立てられたよ^^
masayaが最近、チャリンコ、チャリンコ言うもんだから(笑)ついつい^^;
そこでちょっと真剣に考えてるドワイルドな俺流チョイスは、やはりアメリカの「シュウィン」だ♪
他社のブランドモデルはもとより、MTBやBMXにも多大な影響を与えたシュウィンの“ビーチクルーザー”
その歴史を語るには1891年まで遡る。
当時、産業で栄えていたアメリカはシカゴの街に、ドイツからひとりの自転車工が移住してきたのがすべての始まり。
自転車工の名は“イグナス・シュウィン”そして彼のドイツで培った精巧な製作技術に目をつけたのが、資本家の“アドルフ・アーノルド”という人物。
この二人が協力し合って「アーノルド・シュウィン・カンパニー」は設立された。
20世紀初頭にモーターバイクの会社を買収するなど、それなりに発展を遂げたが、1930年代にアメリカを襲った大恐慌で、初代イグナスは引退を余儀なくされてしまった。
その彼の志を受け継いだのが、息子の“フランク・W・シュウィン”なんだ。
父を凌ぐ才覚で、シュウィン・ブランドの名を瞬く間に全米へと轟かせていった。
フランク・Wの偉大な功績のひとつに'33年に発表した“B10E”がある。
コレは後にシュウィンの代名詞となったバルーンタイヤを採用した初のクルーザーモデル。
クルマのタイヤと同様に、インナー&アウターという2種類のチューブによって構成されたバルーンタイヤは、既存のモノよりはるかに耐久性に優れており、修理も簡単だった。
バルーンタイヤとともにシュウィンモデルを語る上で忘れてならないのが、美しい流線形が特徴の“コンチレバーフレーム”だ。
この芸術品ともいえるフレームに、パンクしにくいタフなタイヤが融合して、華麗かつ頑丈な初期型クルーザーが誕生したというワケ。
その後も漸進なコンセプトで革新的なモデルを次々と生み出していったシュウィンは'70年代の中盤までアメリカ自転車業界の頂点に君臨し続けた。
ちなみに、今日あるMTBのルーツは1970年代初頭のカリフォルニア州にある。
このエリアの山々には山火事消火用に設けられたダートな小道があるんだが、ソコを自転車で駆け下りて楽しんでいた若者の中にゲイリー・フィッシャーという青年がいた。
そう、MTBの名付け親であり、世界に広めた張本人。
その彼がベースにした自転車こそ、シュウィンのビーチクルーザーだったんだ♪
シュウィンが世に放った自転車の中でも、爆発的なヒットとなったのが'49年に発表された“BLACK PHANTOM”というモデル。
バルーンタイヤ&コンチレバーフレームのお馴染みのパーツにスチール製のフレーム、クロームメッキのダミータンク(バイクのよう^^)やチェーンカバー、フェンダーと付属のライトなど、とことんディテールにこだわっていた(20kg以上あって重たいんだけど…^^;)
もはやクルーザーの範疇を超えて、20世紀の工業デザインを代表する1台であるといえよう。
またブランドの繁栄に一役買ったのが、なんとハンフリー・ボガードやロナルド・レーガンらのハリウッドスターだった。
特に'40年代は彼らを広告に頻繁に登場させて、その地位を揺るぎないモノとした。
この時期にはその名も“HOLLYWOOD ”や映画のタイトルに関連したネーミングのモデルも多く、ユーザーたちのスターへの憧れを巧みに掻き立てていったんだ(笑)
'50年代に入るとライトウェイトモデルの“TRAVELER”ミドルウェイトモデルの“CORVETTE”など、新しいクラスの開発にも力を入れ、その市場を着実に広げていった。
そして'63年、全米の子供たちを熱狂させた“Sting-Ray”を発表。
20インチホイールとチョッパー状のハンドル(通称エイプハンガー)、サドルメーカー「パーソンズ」製のバナナシートが組み合ったこのモデルは、後にBMXやローライダーの原型となった。
こうやってアメリカ自転車業界を常にリードしてきたシュウィンだが、'70年代後半になるとMTBやBMXの新興ブランドやヨーロッパから輸入されたロードレーサー勢に徐々に市場を奪われていく。
'80年代には生産技術面でも他社の後塵を拝す形となり経営状態も悪化、'90年、アメリカ自転車界の巨頭はついに破産状態に追い込まれるコトとなる。
ところが…ブランドの風格や、20世紀をリードし続けたスピリットは時代に葬られるコトはなかったんだ(^^)v
'93年には投資家グループに買収され、翌'94年には本拠地を開発テストに適したコロラド州ボルダーに移転。
豊かな自然に囲まれた新天地で、現在もビーチクルーザーはもちろん、BMXやロードスターなど様々なモデルをリリースし続けている♪
100年以上走り続けてきた老舗ブランドは間違いない♪ドワイルドなハートをがっちりつかんで離さないんだ☆
dowild.s
Personal Air Vehicle
「スターウォーズ」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、「フィフス・エレメント」といった近未来を描いたSF映画では必ずといっていいほど登場する"空飛ぶ自動車"
そんな夢の様な乗り物なんて、まだかなり先の話だと思うんだけど…。
2004年にアメリカNASAでの組織改編で、大気圏内の乗り物を研究するビークル・セクションの中に空飛ぶ自動車を開発する為のパーソナル・エアー・ビークル部門が加えられた。
それまでのビークル・セクションでは、超音速飛行機や音速以下の飛行機の開発が主役だったのだが、今後は個人向け空飛ぶ自動車に主眼がおかれることになったんだ。
この部門では10年後にはプロトタイプを、20年後には量産化をする事を目標としているそうだ。
手始めにNASAが開発を始めた空飛ぶ自動車は「グリッドロック・コミューター」と呼ばれる1人用で、座席後部のプロペラと開閉する翼が特徴。
そのプロペラにより高さ76mまでの浮揚力と空中での推進力を発生させる。
また、NASAとは別にアメリカの航空機会社のモラー・インターナショナル社の発明家兼起業家のポール・モラー博士は「スカイカー」を開発し、実際にテスト飛行までも公開しているんだ。
ロータリーエンジンを8基備え,プロペラで飛ぶスカイカーの最新モデル「M400」。
但し、この実験では法律上の規制があり安全のためにケーブルを上部にかけられて行なわれた簡単なものに終わっている。
モラー社の公開スペックによると、最高速度350マイル(時速600km)、1回の給油で900マイル(1500km)の距離を飛行できるという。
まだ飛行実験が許可されていないから、あくまで推測スペックなのだが…。
燃料はガソリンでもプロパンでも、例え油でも燃えるものなら何でもOKだそうだ。
ちなみに道の上では電気モーターで時速50kmで走行できるんだとか(笑)
今からほんの40年先の2050年にはそんな空飛ぶ自動車が普及する、と予想されている。
その頃には運転も完全コンピューター制御だから運転免許も不要、なんでも空には渋滞も事故も起こらないとか。
輸送には依然として車が使われるだろうが、個人的な移動の80%以上は空飛ぶ自動車になるだろう、と。
"運転の楽しさ"っていうのが無くなっていくのは寂しい気もするけど、着実に快適な未来に向かっているんだね^ ^
この先、どんなドワイルドな未来が待っているのだろう?
dowild.m
FIREFIGHTER
アメリカでの「憧れの職業」や「尊敬される職業」、そして「最もセクシーな職業」でダントツの人気を誇っているのは、以外かもしれないが"消防士"だ。
ここ日本ではちょっと違う印象かもしれないが、アメリカでは消防士といえばまさにヒーローといった存在なんだよね。
さしずめ"市民を守る勇敢な戦士たち"といったイメージで、彼らにはアメリカの星条旗がよく似合う☆
映画「バックドラフト」や実際に起きた「NY同時多発テロ」のニュースを見るとよく分かるけど、その使命感を背負った勇敢さには本物のカッコよさを感じたものだ。
人の命を助ける為に自らの命をかけて危険に立ち向かう、それゆえ訓練され鍛えられたマッチョな体…。
そんな彼らの姿が、ことアメリカでは"セクシー"な職業イメージであり、ニューヨーク消防署が制作している消防士セクシーカレンダーなるものも人気なんだよね。
もちろん消防署の公式カレンダーで何故か上半身を脱いでいるマッチョな消防士がモデル(笑)、この収益は寄付されるそうだ。
ところで、アメリカでは消防隊員が救急隊員を兼ねている地域が多い。
消防活動はもちろん、災害や事故の救助や救急活動など、建築物や道路、森林地帯、地下鉄網など幅広い場面で出動する消防士。
アメリカでは大規模な森林火災もよく発生するよね。
時には、伝染病等の措置や化学物質や放射性物質の除去など行なっているんだ。
はたまた、木から降りられなくなった猫もハシゴ車でやってきて救出したり^ ^
ちなみに他の仕事をしていながら、休日や夜間にボランティアで参加している消防士(消防団)が多いのも特徴。
アメリカの消防士のうち約80万人はボランティアで、職業消防士は約30万人だそうだ。
9.11同時多発テロで見た報道番組で映し出された、彼らの真剣でリアルな姿には心を打たれた。
その時に活動をしていたのはニューヨーク市消防署"The Fire Department of New York City(FDNY)"
様々な種類の事件や事故による災害救助活動を行なってきた経験から、ニューヨークの消防士は「ニューヨークで最も勇敢な消防士」というモットーを持っているんだ。
「大きくなったら消防士になりたい」とアメリカの多くの子供が憧れ、医者と同様に名誉ある職業である消防士。
現代において、そんなドワイルドなヒーローってどれだけ存在するのだろうか?
dowild.m
LEY
リゾートとして訪れるハワイってホント魅力的だよね♪
リピーターとして足繁く訪れるうちに、この地がもつ別の魅力にも気がついてくるものだ。
ソレは自然であり、歴史であり、文化であり…そこから漂ってくる空気感が訪れる者を穏やかで、安らいだ気分にさせてくれる^^
ご存知のようにハワイは、海を渡ってこの島々に移り住んだ人々が暮らす移民の島。
それぞれの移住者は母国を出る時、母国の産物を持ち込み、ハワイに伝えた。
やがてソレはハワイの中で混じり合い、原形を受け継ぎながら新しいモノへと変わっていったんだ。
そうした自然や文化の混合により、うまく花を咲かせたモノの1つに「レイ」がある♪
レイの風習は、実はハワイの歴史よりずっと古いと言われており、遠く南太平洋の島々をポリネシア人が彷徨ううちに習慣となり、ハワイへと持ち込まれたようだ。
彼らは「チャント(詠唱)」や「踊り」といった様々な新しい文化を運んできた。
その中の1つとして“レイ作り”があり、ハワイの人々に伝えられてきたワケだ。
ある神話の一説では「火山の女神ペレ」の妹「ヒアカ(最初にフラを踊ったとされる女神)」が、姉ペレのためにプナの海岸でレフアの花を捧げたのが始まりで、その家族や友人、フラの神などに機会ある度々に捧げられたと言われている。
そういった意味でも、ハワイでのレイは単にアクセサリーや衣装の一部というワケではなく、歴史・文化・祈り・宗教・思いなどが含まれた神聖で奥深いモノ。
もともと自然を神として崇め、海のモノ、山のモノ、そのひとつひとつに神が宿ると思われてきたからこそ、植物の葉、花、木の実、貝殻、鳥の羽、動物の骨や歯など自然のあらゆるモノから作ったレイを神の分身と思い“お守り”や“魔除け”として身につけられてきたんだ。
現在はこの意味よりも、誕生日や結婚式での祝福の意を込めたり、空港でかけてもらうような歓迎の意を込めた“愛情”を象徴するモノとして広く親しまれている。
面白いモノではウィスキーのミニチュアボトルが沢山ぶら下がったレイやドル紙幣で作られたレイ、キャンディのレイなんてのも♪
さらには、ハワイの人が考え出した最高の民族芸術品、鳥の小さな羽を布に縫い付けた「フェザーレイ」というモノもある。
この鳥の羽のレイは、古くは位の高い女性のみに着用が許されたそう。
フラの時に着けるレイにも意味がある。
手や足に着けるのは、手足がうまく動いて上手に踊れるように…
頭に着けるのは、習ったコトが思い出せるように…との思いが込められているんだ♪
フラのダンサーは、大会や発表会の前に自ら山に入り、神に祈りを捧げてから葉や花を摘みレイを作る。
もちろん必要な分だけしか摘まないし、踊りが終わったら編む時に使用した糸や紐を外して自然に帰すんだ。
自然に対する尊敬と感謝を忘れないコトが大切なんだよね^^
ずいぶん前のブログにも書いたんだけど、古代のハワイのレイは、マイレという蔓性植物やティーリーという植物を使った、緑一色のモノだけだった。
外来の様々な花を使って作り始めたのは、ずっと後の19世紀になってからのコト。
このマイレやナウパカなどのグリーンの葉にククイナッツを使ったレイは男性にも大人気だ♪
女性にはプルメリアやランが一般的だけど、白い小さな花で甘い香りのピカケや、繊細な香りのジンジャー、小さなバラのつぼみを繋げたロクラニなども^^
現在のようにハワイの花々だけで作られていたレイを、外来の花々を加えてより美しく仕上げたのは、チャイニーズや日系人が考え出したコトもすごく多い。
多数の文化や自然が混じり合った先にある虹色の楽園ハワイって、ドワイルドなロコ・カルチャーの誕生地でもあるんだ。
MAHALO☆
dowild.s
SNYDER'S
普段、自分でお菓子を買って食べるというのはほとんどしないんだけど、やはりこのブログを始めてからかな、その辺にも興味を置くようになったのは^^
もちろん、スーパーやコンビニで見かけるひととおりのもんは知ってるし、食べたコトはあるよ^^;
そんな中で唯一進んで定期的に!?買ってくるお気に入りが「スナイダーズ」のプレッツェルなんだ♪
コレもね、昔っから食べてたくせにお菓子自体に意識がなかったから、ブログやってて再認識させられたんだ(笑)
1年ほど前、いつも名前出させてもらっちゃうが^^;momoちゃんのブログ読んだ時「何ソレ?」「そんなにビールに合うお菓子なの?」って言っちゃうくらいそのネーミングすら忘れてた^ロ^;
日本に入ってきて10年くらい経つのかな?当時、知り合いの女の子が新発売のコレ美味しいのよ♪なんて言ってたのも思い出したし、すでにそれ以前、海外旅行行ったときに何気に食べてたコトも^^
でもね、自ら買ってよく食べるようになったのはホントここ1年の間なんだよ。
他のお菓子との比較はあまりできないけど、絶品だと思う。
なにがイイって、ビールのツマミに最高♪
“止まらない、やめられない♪”は、日本じゃかっぱえびせんなんだろうけど(笑)アメリカではこのプレッツェルなんだ(^^)v
西暦610年頃にフランス南部やイタリア北部あたりて始まったとされるプレッツェルの歴史…
歴史家たち曰く、証明するコトは出来ないが、1620年にメイフラワー号でアメリカに渡ったと信じているそう(笑)
ハード・プレッツェルはペンシルバニア州のとあるパン屋から始まった。
見習いがソフト・プレッツェルを焼いていた時にうたた寝をしてしまい、火は次第に消えていたのに、ハッとして目を覚ました彼はまだ焼けていないと思い、再び炉に火を着け必要な時間の2倍焼いてしまったそう^^;
見つけた師匠は激怒したものの好奇心からソレを食べてみた…カリカリしてとっても美味しかったんだ^^
さらに偶然の産物だったコレは、今までの柔らかいプレッツェルよりも新鮮さを長く保てるメリットも♪
今でもアメリカのプレッツェルの歴史の中心は、1861年に最初の“プレッツェル・ベーカリー”ができたペンシルバニアのLititz(リティツ)という小さな村にある。
今日、プレッツェルはパーティなんかでもアイスクリーム、ソーダ、スープ、サラダそしてメインディッシュとも一緒に置いてあったりする。
どんな形や大きさでも、味付きでも味が付いてなくても、すべてスタンダードなアメリカで1番人気のあるスナックの1つなんだ♪
美味しいお菓子としての伝統は、1909年に創設者であるハリー・V・ウェアヒムが始めた「スナイダーズ」が作ったワケ。
彼は親しみを込めて“ハリーおじいちゃん”として知られており、1つのレシピ「ハノーバー・オールド・タイム・プレッツェル」で『ハノーバー・プレッツェル・カンパニー』を始めたのがそのルーツ。
今や全米スーパーマーケットの95%以上の店で販売されてるプレッツェルNo.1ブランドであり、新発売されるフレーバーのどれもがことごとく大ヒットする超メジャーなスナックなんだ^^
ひとかけの大きさがバラバラなのも特徴で、ガリガリしたハードな食感がGood♪
俺を虜にしたドワイルド・プレッツェル「スナイダーズ」コイツはやめられない(笑)
う~ん、チェダーチーズもハニーマスタード&オニオンも捨てがたいが…やっぱり一番は人気のクリーミーカラメルかなぁ(*^_^*)
天気悪いね…今もプレッツェル食べながらビール飲んでブログ書いてました☆
dowild.s
HIBISCUS
ハワイや沖縄といった南国に降り立つと、出迎えてくれるのはギラギラの太陽とむせ返す程のムアッとしたあの空気、そして青い空・・・。
そして、そこに力強く咲いている美しい花々がその風景をより華やかなものにしてくれるよね♪
もろ定番だけど、青い空と緑に映えるハイビスカスの濃厚な色彩のコントラストを見ると「南国に来たな~」としみじみと感じてしまう^ ^
そういえば植物だけでなく、魚や鳥、虫など南国で生きているものって色彩が鮮やかだよね。
太陽のエネルギーをいっぱい浴びているからなのか、生命力溢れて力強い印象を与えるんだ。
南国ムード満点の花といえば真っ先ハイビスカスを思い浮かべるんじゃないかな?
ハイビスカスはアオイ科フヨウ属の低木の総称で、和名ではブッソウゲ(仏桑華)と呼ばれている。
一般にハイビスカスという場合は、5,000以上ある熱帯性花木の交雑種を含めたモノを指している。
と言うのも、一口にハイビスカスといってもオールド系・ハワイアン系・コーラル系と3系統に分類されるんだ。
ハイビスカスの基本種である小振りな花のオールド系、主にハワイで交配されたハワイアン系(ニュータイプ)、そして柳のように枝が垂れて小さな花をたくさんつけるコーラル系、と。
中でも色彩が鮮やかで大きな花が咲くハワイアン系が一般的なハイビスカスのイメージだよね?
品種改良が盛んに行なわれたハワイでは、1911年にはハイビスカス協会が設立され、1923年に赤いハイビスカス"コキオ・ウラ"がハワイ州花として認定。
ちなみに"コキオ"とはハワイ語でハイビスカスの事を指す。
しかしこの真紅のコキオ・ウラがきわめて希少な種だった為、1988年には全体が黄色いハイビスカス"マオ・ハウ・ヘレ"が州花に変更された。
さらにマレーシアの国花、沖縄市の市花でもあるんだよね。
ハイビスカスの語源は、エジプトの美の女神"Hibis"に由来すると言われている。
また、エジプトでは秘薬として飲まれており、かのクレオパトラも美貌と若さを保つ為にハイビスカスのハーブ・ティーを愛飲していたと伝えられている。
前にハイビスカスのハーブ・ティーを飲んだ事があるんだけど、これが結構イケるんだ。
美容と健康維持、そしてリラックスの為にも、ぜひとも女性にはオススメだよ^ ^
ハイビスカスの鮮やかな色彩と美しい花は"南の薔薇"とも言えるんじゃないかな?
南国でこの花を見るたびにドワイルドな活力がみなぎってくるのも、ハイビスカスの不思議な魅力だよね♪
dowild.m
TURQUOISE
最近、天然石を扱うお店が人気なんだってね^ ^
昔から"石"には不思議な力が宿っていると言われている。
色とりどりの天然石を眺めていると別に用もないのに「この石を手に入れたいな~」と思ってしまうのは、そんな石の魅力なのだろうか?
中でもターコイズ(トルコ石)の、「ターコイズ・ブルー」と呼ばれる大空や海を思わせる緑がかった青色は溜め息が出るほど美しい☆
12月の誕生石であるターコイズは人類が最初に掘り起こした鉱石の一つなんだ。
トルコ石といってもトルコが産地というわけではなく、アトラス山脈周辺の砂漠で産出されたものが貿易でトルコ経由でヨーロッパに伝えられた事からトルコ石と呼ばれるようになったとか。
その美しい色合いのために古代より世界の各地で神聖なる石とされ、装飾されていたターコイズ。
エジプトではオシリスとイシス両神に捧げられ、チベットでは三大医療石のひとつとされ、ペルシャでは新月の下でターコイズに願いを託すと幸運を呼ぶとされてきた。
また"成功"の象徴とされ、旅の安全や仕事の成功を保証するという事から、ヨーロッパだけでなくアメリカでも「旅の護り石」としてターコイズは重宝されていたそうだ。
ネイティブ・アメリカンの間ではターコイズを"スカイストーン"と呼び、「地球をつつむおおいなる空」を表す石、そして「命に力を与える宝石」として、儀式や旅の安全を祈願するお守りとして古くから使われてきた。
ホピ族の伝説ではターコイズの装飾品を身につけた若者が地下世界から地上に現れ、それがホピの祖先だと語られているんだ。
インディアン・ジュエリーで多く見られるように、彼らにとってターコイズはそんな特別な石だったのだろう。
ターコイズの鉱床はとても小さいうえに多くの鉱床は既に枯渇している為、ターコイズの希少価値は高まり価格も年々上がっている。
また、ジュエリー市場ではたくさんの加工品や模造品が出回っているので注意が必要だ。
天然であるナチュラル・ターコイズは多孔質の石ゆえ、使っているうちに人の脂が染みだんだん色が濃くなっていく。
身につけていくうちに世界に一つだけのパーソナル・ストーンになっていくなんて、ホント素敵な石だよね?
古くから災難の身代わりになる石とも伝えられているんだ。
また、古来より人から贈られたターコイズが一番そのパワーを発揮するとも言われている。
身に纏った瞬間に特別な宝石になるドワイルドな青い石"ターコイズ"
大切な人へのプレゼントに最高じゃないかな?
dowild.m
GAS Station
面白いもので、書こうと思った瞬間たまたまつけてたTVから情報が入ってきたりする^^
ご存知の方も多いかもしれないが^^;「ガソリンスタンド」とは和製英語で、アメリカでは「ガス・ステーション」と言う。
昨日、こんなコトぼんやり考えてたら「アッコにおまかせ!」で偶然同じコト言ってた(笑)
そんなワケで昨日の続き♪
20世紀に入ってまもない頃、アメリカの自動車登録台数は8000台を超えた。
コレには、1882年のエジソンによる電球の発明に端を発する“経済的自動車製造ライン”の確立も大きく関係している。
電球というと、家庭用の照明ばかりを想像しがちだが、工場などの“業務用”として利用された場合、どれほどの能率が高まり、生産性がアップしたかを想像するのはたやすいコトだろう^^
自動車製造業者の競争心をさらに熱くさせた“大陸横断ツアー”が行なわれたのもちょうどこの頃だ。
そして1903年、ドクター・H・ネルソン・ジャクソンという人物が、大きな事故も故障もなくサンフランシスコからニューヨークまで63日間の冒険旅行を成功させた。
これがキッカケとなり、年に一度のバケーションをエキサイティングな自動車旅行にする人々が一気に増えたんだ♪
自動車での遠出は特殊な冒険ではなくなり、給油需要も成長を遂げガスステーションらしきモノがあちこちにでき始める。
卸売業者が小売店にガソリンを輸送する交通手段はまだ馬車であったが…(笑)
やがて大きな温水器を思わせるようなタンクにホースを付けた近代的な給油システムも発明される。
コレが現在使われているシステムの起源のようなモノだ。
道端で目立つため、ドライブ・イン型のガス・ステーションが主流となり、1920年代には全米でおよそ1万5000ものステーションが存在するまでになった。
こうして、ガソリンをどこでも入れられるようになると“サービス”こそが重要な仕事になっていくよね。
シェル石油やモービル石油らの大手石油メーカーもガス・ステーション経営に乗り出し、今でいうCIを積極的に行い、外観デザインやロゴ・マーク、ポンプ器具やユニフォーム、さらには接客態度まで会社として統一したんだ。
その後'30年代からは“窓拭きとオイルチェックの時代”というサービスの黄金期に入る。
'50年代には確立され、今日のスタイルへと継承されてきたワケだ。
アメリカでは'80年代から一部地域を除きセルフ・サービスの時代に入った。
日本でも、いよいよ経費削減のためのセルフが増えてきたね。
こうして、太く短い歴史を振り返ってみると、いかに味気ないモノか…
冒険が冒険でなくなったとき“道端のサービス”がスタートしていた…
ガス・ステーションの歴史は、そのままドワイルドなアメリカの歴史でもある。
dowild.s
GASOLINE
原油価格の上昇により毎日最高値を更新している今日この頃。
給油する都度その煽りを実感するよね。
まだまだ上昇は続き、ガソリンはおろか他の商品の価格高騰も避けられない様子だ(´Д`)
戦後はじめて、日本の自動車保有台数も大幅に減少したという。
さて、そんなクルマを運転する者なら100%誰もがお世話にるガソリンスタンドも、さすがにクルマのない時代には存在しようもなかった。
当たり前のコトを言ってるようだけど、19世紀のアメリカでは、単気筒エンジンの自動車がチラホラ走り始めてからもまだそれらしきモノはなかったんだ。
そもそも道路も整備されてなかったしね。
当時の大手オイル・カンパニーが主に販売していた製油は“灯油”で、ガソリンに関してはほんの一部が調理器や街灯に使用されるだけで、多くのガソリンがムダになり廃棄されていた。
一般の燃料としては危険極まるモノとしか見られなかった爆発力の高さが、大量の自動車エンジンに活かされるようになるのはもう少し先の話になる。
それでも1899年には、アメリカの自動車製造会社は30社にも上った。
しかし、その30社をしても総生産台数は約2500台とまだまだ少なく、高価な自動車はご多分にもれず、医者や弁護士、上流エリート階級たちだけのモノだったワケ。
庶民の足といえば馬か馬車の時代であり、自動車のコトを“馬無し車”と呼んでいたんだから^^
馬無し車に乗って遠出するコトは、高貴な趣味であると同時に冒険でもあった。
なぜなら旅先で確実にガソリンを手に入れるコトを第一に考えなければならなかったから。
“オアシス”を求めながら進み行く、砂漠のキャラバンさながらに…
馬無し車にとってのオアシスは、比較的人口の多い地域にあった大きな停車場で、ソコには原油の小売店があり、ドライバー、あるいは停車場の人々が試行錯誤しながらガソリンを補給したという。
現在のような便利な給油設備もなく、気化しやすいガソリンにむせ返り、気分を悪くしながらの燃料補給だったようだ^^;
火気厳禁の常識など徹底されてなかったから、爆発や火事も頻繁に起こり、危険な場所という評判が定着していった。
とはいえ、こうした停車場は少なかったゆえに、どんなところであろうとあればよかったんだよ。
まさにオアシスと呼ぶにふさわしいワケだ^^
そこにたどり着ければラッキー、さもなければガス欠…
あと数マイルで目的地というところで燃料を使い果たしてしまった馬無し車は結局、通りがかりの馬や馬車に牽引をお願いするハメになるコトしばしばだったそう(笑)
それでもやがて人々は自動車に魅せられ、時代は“脱・馬車”へと突入していく。
ほんの100年前、ガソリンは無用の長物だった…
馬無し車もガソリンも“招かれざる客”であったんだ。
自動車が先か?ガソリンが先か?
時代とはなんとも皮肉なもんで…こんな時代だからこそ真にドワイルドなオアシスを探したいと思ってしまう。
俺のガソリン、ビールを飲みながら…(笑)
dowild.s































