
☆玉村静一郎☆歌手:元タマムラ会長
私が昔いたタマムラ家電の会長
玉村静一郎氏は群馬県玉村の出で
歌手や司会者になっていた・・・
若い頃
戦争、台風、病気などで
何度も死の淵をさまよい
乗り越えてきた・・・
30歳台半ば
タマムラ家電設立・・・
チェーン店展開し
カラーテレビ販売数日本一達成!!
絶頂期に
高血圧、大腸ガンの闘病で
タマムラ家電倒産
その後妻が事故死・・・
予防医学を東大の先生と研究し
『せきずい活性法』を考案!
それを元にした
電気低周波治療器を開発し
さらに健康道場
『青春大学』主催・・・
70歳になって
オンチで声もろくに出ないのに
がんばって歌手になった!!
玉村音楽企画という
芸能事務所までつくってる・・・
生涯現役
生涯青春と一昨年言っていた!!
93歳まだ元気・・・!?
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☆タマムラ家電
タマムラ家電は、
江東区南砂町の商店街の中ほどに、
本店・本社がありました・・・。
店舗は中央区月島辺りから、
江東区、江戸川区の3区が主で、
十数店あったのではないかと思います。
チェーン店方式でしたので、
直営店もありましたが、
多くは独立採算制に近く、
社長と呼ばれる人が多くいました。
玉村静一郎氏は、
その社長を束ねる会長でした・・・。
1960年、国産のカラーテレビが発売され、
1969年、
まだカラーテレビの世帯普及率10%位のとき、
タマムラ中央(株)は設立されました。
1970年大阪万博を機に、
カラーテレビは飛躍的に普及して、
5年位の間に普及率80%を超えました。
その勢いにも乗り、
タマムラはカラーテレビ販売数日本一を達成し、
テレビ朝日や日本テレビ『11PM』などで、
『成長率200%驚異の企業』
『型破りの敏腕社長』などと取り上げられ、
評判になり、
全国から講演依頼が殺到したそうです。
私がタマムラ家電にいたのはその後で、
22歳からの数年間でした・・・。
初めは江戸川区西瑞江4丁目の店舗で、
新店オープンで葛西店に移り、
最終的に、
江東区潮見のサービスセンターに移りました。
配送からアンテナ工事、エアコン工事、
テレビなどの修理に携わりました・・・。
カラーテレビの売上自体は
それほどではなくなっていたと思います。
しかし、
普通トラック数台で毎日配達するほど
家電は売れていました。
三洋電機(サンヨー)を主に、
各メーカーのを扱っていました。
社員旅行は岐阜で、
三洋のテレビ工場を見学し、
長良川の所に泊まって、
鵜飼いを見ました・・・。
なんと、
その三洋のテレビ工場には、
10年以上経ってから、
別の仕事で行くことがありました。
まさかまた来るとは、
思いもよりませんでした。
さらに、
三洋電機は松下の同族会社で、
最終的に松下に吸収されましたが、
その本拠地である大阪門真市の三洋工場にも、
行くことがありました・・・。
3年前の2023年に大阪・京都へ行ったとき、
36年ぶりに、
高架の電車から門真を見下ろし、
とても懐かしく思ったものでした・・・。
新年会は、
赤坂のホテルニューオータニの、
回転ラウンジのレストランで、
何人いたかわかりませんが、
社員全員で食事しました・・・。
タマムラ家電や玉村静一郎氏のことは、
2025年04月13日の記事、
『<ビスケット工場見学>どこかわかった!!』
https://ameblo.jp/dousou-ns-m5/entry-12893778335.html
に、
ある程度書いていますので、
今回は重複する内容もあるかもしれません。
なお、
当時は「タマムラ電器」と書いていますが、
50年以上も経って、
記憶が定かではなくなっていますので、
今は「タマムラ家電」の方が、
合っているように思います・・・。
☆業務無線とポケットベル
会長は初物や目立つことが好きだったのか、
新しいものを取り入れていました・・・。
業界でも初めてか、
タマムラ家電では、
タクシー無線のような業務無線を、
営業の車から修理・工事、配達関係、
すべての車に取り付けていました。
誰かが免許を取ったか、
認可を受けていたのでしょう・・・。
同じチャンネルはいくつかの企業が使い、
埠頭の関係とか、
運送会社のトラックとかのやり取りも、
聞くことができました。
修理や配達が1件終わると、
無線でサービス本部に報告し、
次のお客に連絡してもらっていました。
今のような携帯電話などなかった時代、
とても便利だったと思います・・・。
また、1968年に、
ポケットベルが日本に入ってきましたが、
採用第一号の会社になっています。
忘れていましたが、
西瑞江店でも、
営業の人が持たされていたのを、
思い出しました・・・。
黒いポケベルをいくつも、
充電ホルダーにセットしていたのも、
思い出しました・・・。
ある営業マンは、
何度もポケベルで呼んでも、
連絡のないことが度々あったということも、
思い出されました・・・。
なかなか連絡できないことも、
ありますよね。 。 。
☆終宴・・・
そんな順風満帆のタマムラ家電でしたが、
破綻のときが迫っていました・・・。
売上が低下しはじめ、
配達も少なくなっていったように思います。
人件費も重くなっていったようです。
決定的だったのは、
玉村会長の体調不良でした・・・。
40歳頃から高血圧があった上、
大腸ガンにかかり、
わかったときは、
末期に近い状態だったといいます。
故郷の群馬県玉村から、
親戚の人も入社していましたが、
会社を支える人がいなかったのか、
1976年(昭和51年)、会長43歳のとき、
あえなく倒産してしまいました・・・。
再起をかけていくつか会社を興しますが、
失敗と苦難の連続で、
家族にも苦労をかけたそうです。
挙句の果て、
奥さんを交通事故で亡くし、
絶望したとのこと 。 。 。
☆『せきずい活性法』
ある日、
自分が失敗したのは、
体を大切にせず、
大病にかかってしまったからで、
経営者をはじめ世の中の人々が、
同じような失敗をしないように、
『予防医学』を広めることが、
自分の使命だと思ったとのこと・・・。
研究・開発に励み、
やがてたどり着いたのが、
『せきずい活性法』でした。
東大病院で実用化され、
『奇跡の療法』と話題になっていたものです。
一時は東大病院に患者が押し寄せたようですが、
医療保険上の問題が生じ、
病院では治療できなくなってしまったそうです。
『せきずい活性法』を、
何とか誰でもできないものかと、
奥さんの生命保険金をつぎ込み、
ようやく『電気低周波治療器』を、
開発することができました・・・。
さらに、
『予防医学』と、
『電気低周波治療器』を使った、
『せきずい活性法』を広めるために、
『青春大学』という講座を始めました。
卒業生は、
2万人ほどになるとのこと・・・。
低周波治療器等の電気治療器は、
現在ではかなりコンパクトになり、
多くのメーカーから出ています。
EMS(Electrical Muscle Stimulation)
などのように形を変え、
シックスパッドSIXPADとかも、
出ていますね・・・。
肩こり等の改善や、鎮痛作用の他、
筋肉を増強したり、
引き締めたりするなどの効果があり、
家庭用・個人用の他、
エステ用や医療用まで、
いろいろなものが出ています・・・。
1965年に提唱された、
『ゲート・コントロール理論』では、
低周波電流が神経に作用し、
痛みを和らげる上、
脳脊髄液内へ『鎮痛物質』が誘発され、
鎮痛効果もあるということです。
さらに、
血流が悪いと『発痛物質』が発生し、
痛みを生じますが、
低周波電流で痛みが和らげられ、
筋肉がほぐされると、
血流がよくなって、
『発痛物質』も抑えられます・・・。
一時、
私の家内も『電気治療器』に、
ハマったことがありました。
スーパーマーケットなどに行くと、
無料の電気治療のコーナーがあり、
ソファー的な椅子だったか、
リクライニングシートだったかで、
時々利用していたようです・・・。
もしかしたら、
玉村氏の関係だったのかもしれませんね。
玉村氏本人もいた可能性もあります・・・。
☆70歳で歌手!!
68歳のとき、
『青春大学』の新年会で爆弾宣言をしました。
70歳を過ぎたら、
演歌歌手としてデビューします、と・・・。
しかし、
玉村氏がオンチなのは、
周知のことでした。
そしてあるとき、
大勢の前でピアノ伴奏で歌うことがあり、
いくらやっても音程も、
タイミングも合わなかったそうです。
調べてみたら、
耳が聞こえにくくなっていたそうで、
補聴器を使うようになって、
ようやくフツウになったようです。
そしてある先生の指導を受け、
見事、立派な演歌歌手になりました。
2002年にはデビューし、
大手の日本クラウンから、
『男富士』が発売されました・・・。
その後、
2005年から、
『玉ちゃんの青春カラオケ大学』
が、
千葉テレビやテレビ愛知などで、
放送されるようになりました。
司会を受け持ち、
自身も歌うコーナーがありました。
2007年からは、
『玉ちゃんのいきいき青春歌謡塾』
に改称され、
2014年まで続いたようです。
放映チャンネル・局も、
増えていったようです。
番組はその後も続いていましたが、
玉村音楽企画の提供は、
そこまでだったようです・・・。
当時私は、
千葉テレビを見る機会が多くありました。
その中でも記憶に残っているのが、
カラオケ番組で、
素人の人が出てきて、
先生に評価を受けている場面が、
思い出されます・・・。
その人に関係する人達も、
多く出ていて、
応援する様子も印象的でした。
私が多く見ていたのは、
そのカラオケ・スタイルでしたので、
2005・6年頃だったのかと思います。
しかし、
司会が『玉ちゃん』と呼ばれていたことも、
記憶にありませんし、
気に留めることもありませんでした。
ましてや以前いた会社の会長、
玉村静一郎氏だとは、
思いもよらなく、
気がつきもしませんでした・・・。
玉村静一郎氏には、
数えるほどしか会っていませんし、
写真では時々見ていても、
実物とは差があります。
イメージも、
当時とはだいぶ違っています。
まさか知っている人や、
関係のあった人が、
表舞台に現れるとは、
意外過ぎて、
考えが及ぶものではありませんでした。
それが玉村静一郎氏だとわかったのは、
つい数年前のことです。。。
☆鈴木惠子さん!!
玉村静一郎氏は63歳のとき、
再婚しています・・・。
それも20歳も下の、
鈴木惠子さんという方です。
この話を初めて知ったとき、
同級生で仲のよかった、
同姓同名の鈴木惠子さんを思い出しました。
そのときはまだ、
玉村静一郎氏の生年月日を知らず、
20歳下ということで、
もしかしたら同級生だった人ではないかと、
思ったりしたものでした・・・。
玉村氏の生年月日をどこかで見つけると、
なんと1932年生まれで、
私とちょうど20歳違いでした!!
世の中に同姓同名はいっぱいいますし、
「鈴木」も「惠子」も多いですし、
偶然も意外とありますが、
かといってそう簡単にはありません。
ようやく、
どこかに奥さんの写真が載っていて、
見る限りでは違うようでした。
決定的だったのは、
20歳下というのはおおまかで、
正確には23歳差ということでしたので、
私よりも3歳下ということでした・・・。
私がもらってちょうどいいい、
年齢差ですね。。。
☆接点・・・?
接点というほどではありませんが、
玉村静一郎氏が生まれ育った
深川高橋(たかばし)は、
私も少し関係がありました・・・。
高校は三ツ目通りの菊川・森下町で、
学校でケガをしたとき、
行ったのが高橋の医院でした。
同じ小名木川沿いの所で、
当時は高校の近くまで、
高橋という地名でしたが、
1971年に現在の一角だけが、
残されたようです・・・。
小名木川にかかる橋、
「高橋」からの地名のようです。
その高橋の橋のたもとに、
どじょうの『伊せ喜』がありました。
明治20年創業の老舗でしたが、
2011年建替えのため休業のまま、
閉店してしまったようです・・・。
跡地はマンションになっているようです。
昔、高橋は、
小名木川から新川を抜ける、
江戸から浦安、行徳への、
海上交通の中継地点であり、
賑わっていたそうです・・・。
亀戸の親戚の家に泊まりにいくと、
『伊せ喜』に時々連れていってくれました。
最後に行ったのは、
高校生ぐらいの頃だったと思います。
元々は川魚のお店で、
もしかしたら鯉やフナ、
スッポンなども扱っていたのかもしれません。
はじめのうちは私もどじょうを、
食べていましたが、
あるときうな重を食べてから、
ほとんどうなぎにしていました。
『高橋』というと、
何となく懐かしい感じのする、
所でした 。 。 。
☆玉村静一郎:略歴
1932年(昭和07年)東京都江東区高橋に生誕
1945年(昭和20年)東京大空襲で火の海から生き延びた
1949年(昭和24年)キティ台風で濁流に飲まれ助けられた
1950年(昭和25年)頃 結核で死にかけた
1960年(昭和35年)国産カラーテレビ発売
1969年(昭和44年)タマムラ中央(株)設立
1970年(昭和45年)大阪万博。カラーテレビ普及拡大
197?年(昭和4?年)高血圧症、糖尿病
1976年(昭和51年)大腸がん・タマムラ倒産
1982年(昭和57年)頃 妻・事故死。享年50歳
1985年(昭和60年)『健康医学研究会』発足。
1991年(平成03年)株式会社健康医学研究学院に発展
1995年(平成07年)63歳 再婚:23歳年下の鈴木恵子
同年、恵子が女子出産、先妻の長女も出産!!
1996年(平成08年)『青春大学』に改称。元・健康医学研究学院
2002年(平成14年)70歳 演歌歌手としてデビュー
日本クラウン『男富士』発売
2004年(平成16年)東久邇宮記念賞を受賞。
(創造的な知的財産者に贈られる)
2005年(平成17年)『玉ちゃんの青春カラオケ大学』放送開始。 テレビ愛知、千葉テレビ
2007年(平成19年)『玉ちゃんのいきいき青春歌謡塾』に改称
2011年(平成23年)テレビ愛知以外の放送をBSに移行
2014年(平成26年)提供番組放送終了
2024年(令和06年)セミナー!91歳現役「生涯青春!!」
☆玉村静一郎関連
役職:
『青春大学』学長
『健康医学研究学院』学院長
『銀座美容医学研究学院』理事長
『日本物理医学研究会』理事長
『健康科学シンポジウム21』理事長
青春大学グループ企業:
健康医学研究学院
銀座美容医学研究学院
いきいき青春倶楽部
玉村音楽企画
日本栄養科学研究所
メディカルサイエンス映像企画
タマムラ計算事務センター
健康科学センター
著書:
『脳の活性化で10歳若くなる :脳細胞活性化療法「せきずい活性法」の秘密』2004年
『50歳から始まる人生50歳で終わる人生』
『物理医学 電子治療学 応用編』(玉村静一郎) / 古書ワルツ
『これを知らなければ自律神経失調症は治らない : 自律神経失調症を治すのはあなた』1999年
『「こころ」と「身体(からだ)」の法則』
『こころのセルフ診療』
CD:日本クラウン
『男富士』発売日2002年10月23日
『夢劇場』発売日2004年04月21日
『隅田川情歌』発売日2006年09月20日
「奥美濃炎歌」 玉ちゃん(玉村静一郎)2013年06月
カセットテープ:
『男富士』発売日2002年?
VHS:
『玉ちゃんのど演歌人生 VHS 玉村静一郎』
Youtube:
『雪割草 歌:飯塚ひろゆき 2012/12/9放送 「玉ちゃんのいきいき青春歌謡塾」より』
https://www.youtube.com/watch?v=f8cPxbHZrNs
『雪割草(飯塚ひろゆき) 2013年2月17日放送「玉ちゃんのいきいき青春歌謡塾」より』
https://www.youtube.com/watch?v=-zb_kRP8Low&t=50s
『玉ちゃん 昭和のメロディ』2013年10月6日放送分『玉ちゃんのいきいき青春歌謡塾』
https://www.youtube.com/watch?v=fiPUh75xvG4
『はいから万歳-玉村静一郎さん 1/3』
https://www.youtube.com/watch?v=pxYIcWOJrA4
『はいから万歳-玉村静一郎さん 2/3』
https://www.youtube.com/watch?v=ceGA8rhOXgo
『はいから万歳-玉村静一郎さん 3/3』
https://www.youtube.com/watch?v=FY0YizgjQ68
ブログ『男富士』
http://blog.livedoor.jp/otokofuji/archives/50006590.html
『玉村静一郎オフィシャルWEBサイト』
https://e-tamachan.com/
※2025.05.にはあったが、現在消滅
→健在なのだろうか・・・?
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https://ameblo.jp/dousou-ns-m5/entry-12739245981.html
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