年齢を重ねてくると
ずーっと同じ見え方か。というと
考え方、体力や、立ち位置って
30代、40代と自然に変化してくる。
…というか意識して変化していかなきゃならない。
私は30代で義母から、監視、過干渉かつ、とんでもない発言やら色々されてきていて
こころが完全に悲鳴を上げていたんですね。
産後というのもありガルガル期に近い状態もあり。
今ならスルーできるものが、当時は一字一句、
そのまま受け止めてしまい、
「二度と関わってくれるな!!」と言うのが実際。
義母はヒマ炸裂、こちらは3人子ども抱えていてゆとりがない。
暇だからちょっかいだす→出された方はキャパオーバーという図式。
しかしながら
最近、よく書いているのが
「老いは必ず平等にくる」
ここを考えるようになった。
私は昨年の夏に95歳の祖母を亡くした時、あまりにも弱り小さくなった身体をみて
「これが老いの現実か」
と痛感した。
義母は今、70代で病気ひとつせずに
相も変わらず、独立した息子の監視に命を懸けていて、
友達もおらず、趣味もなく
噂と悪口にかけては右に出るものはいない。
ユーモアもなければ、柔軟さもない。
義父にも相手にされないのもなんのその。
というパワフルさで、後先考えずに爆走してますけど
この人の最期をみなきゃならないのは
避けては通れない現実なんですよね。
今の、鼻息荒い元気バリバリな状態は
放っておいてなんら問題ないので一切、関わってません。
この現状を毎日みて
憎しみを日々募らせるより、
客観視できる距離にいて
自分が義母の老後に関わらなきゃならなくなったときに
1つでもイヤなエピソードを増やしておきたくない。
嫌い→見るのもイヤなほど嫌い→早くのたれ死ねばいいのに!という状態で
尻拭いに突入したら絶対に毎日が不満しかないと思う。
嫌い→まだやってるww →ババアもついに老いたか。
こちらの方がまだ、気持ちの消化ができそうというか。
夫にやらせりゃいいじゃん。とは実際あるが
介護が必要になったときに
「私には義母の扶養義務はないので知りません」を実際、自分が貫ける性格ではないのは
自身がなんとなく自覚していて、
弱っていく人間にたいして
「積年の恨みをいま、晴らしてやる!!」なんて流れにはならない。
積極的には関わりませんが。
ただ、前記事の最後に触れたように
おそらく負債になるであろう、義父の会社と、
義父母を施設に入れたとして
最後はまた自宅の処分やらの一切に関わらざるを得ない。
夫も、夫の弟2人もあてにならないのは
いままでの経験上、思っていて
でも、法的に期限は決まっているなかで
夫の尻を叩きながら処理していかなきゃならない覚悟を持っておかないと
いざというときに「無理やり巻き込まれた」という気持ちを持ちたくないというか。
LINEをブロックしちゃえば簡単なのは百も承知ですが、
収集つかない状態で
丸投げされるのは避けたいので
一人で暴走しているうちはまだ安心というか。
なにも考えずにブロックしないわけではないんですよね。実際。
他人が愚問を投げ掛けるほど
人間の心理なんて簡単にはいかないものです。