ペットとして飼っていたカニのカーニバルを朝、息子たちと庭にお墓を作りに行った。
紫陽花の下にそっと埋める。
そろそろつぼみがふくらみはじめていて
開花しそうな季節。
「カーニバル、かわいそう」
「虫に食べられませんように」
と息子たちが登校前に穴を掘り
まわりに庭に咲いていたお花を添えていた。
朝起きて、
「カーニバル、おはよう」と元気か確認し、
寝るときも
「カーニバル、おやすみ」と声がけが日課で
息子たちもかわいがっていた。
学校から戻ってくるとランドセルのまま
「カーニバル、大丈夫かなぁ」と庭に見にいっている。
生き物が死んだときの喪失感って
つくづく、その存在を実感する。
母方の祖母が夏に亡くなり、
生前から祖母が自ら準備して買っておいた墓に、
「墓にいれたくない」と大騒ぎした
叔母(母の弟の鬼畜嫁)と、その子どもたち。
住職を怒らせ、49日もバックレて
ありえない痴態をさらしたわけだが、
葬儀トラブルは近年、実際多いというのは身を以て体験した私ではある。
そんな中で
カニ1匹を、当然にお墓を作って
お花を探してきて供える感覚を
小学生の息子たちが当たり前に持ち合わせ、行う姿をみて
なんだか、祖母の葬儀であれだけ揉めた人間の汚さを改めて思い起こした。
祖母の墓は、鬼畜叔母の自宅と目と鼻の先で、
クソ叔母はあの後、祖母の貯蓄を全ておろして行方をくらまして、
叔父はアル中に戻り、近所に迷惑をかけ通報されたりしている中、
祖母の墓参りに行きたくても行けない。
と言うのが、本音。
鬼畜叔母の居場所はわかっているし、
子どもたちも結婚して家を出ているので
常に祖母宅に常にいるのは酒浸りの叔父だけなのだろうが、
近くに行くことでまたいらぬ難癖をつけられるのが面倒くさい。という気持ちが強い。
墓はあっても行けないという
なんとも滑稽さ。