情報が錯綜する①自作自演 | 結婚生活のリアル。子育て世代取扱説明書

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育児、ママ友、親戚付き合い、夫婦のこと等、子育て世代が避けては通れぬ問題にリアリティー溢れる痛快な切り口で言及。
試行錯誤しながら、前向きに生きていきたい!

私がこどものいじめに反応する理由。




加害にあえば泣き寝入りすることが大半で、

事象から目を背けたことや、やり残したことに背徳感や、後悔の念を生涯持ちつづける。


個人交渉だって大抵の親はする。

学校を、加害者を相手に。

公になるかならないかの差だけであり

限界まで我が子を守る選択をする。


少数だが、立ち向かう人はニュースに取り上げられ、

プライバシーを侵害されながらも

心が砕け散ろうとも親はたたかう。

我が子に何が起きたのか、真実を知るために。

加害者の本当の言葉を聞くために。


悩み苦しむのは、被害にあった我が子であり、その親だ。


これは創作でも推理小説でもない。






長女が小6の1年間、

犯人がわからない、いじめにあい。


私は「いじめ」というなんだかふわっとした言葉は本意では無い。本来であれば「人の心を殺す行為」と表現したい。



正直、12ヶ月もの間、犯人がわからないことに対して

「自作自演なんじゃないか」と娘を疑った時期がある。

我が子の言葉だけは真実。と思えるほど、実際はない。親の心もかなり揺れる。

軸として信じながらも、整合性に欠ける部分には違和感は感じる。


しかし、整合性に欠けるのが「いじめ」の特徴でもある。

相手の言い分、本人、教師、取り巻く環境、それぞれがその立ち位置から見えるモノだけを口にする。




最初は複数の女の子がターゲットになり、

服や水着(これは教員もしくは侵入者じゃないか。子どもではなく犯人は大人かと思った。)文房具が

入れ替わり立ち替わりなくなる。


【絶対になくなったモノが出てこない】

【見ている子どもがいない】


ここがブレない点。


普通、スクール水着がなくなるなんて変質者の域でしょう。

この水着を取られた子どもの母親は、これを公にしないで欲しいと内々に処理した。

内々で処理することをどうこう触れる気はない。だが、それらが始まると更に混乱を極める。



一クラス、約40人近く子どもたちがいて、

【誰にも見られずに1年間、単独か複数犯で誰かのものを隠す(取る)】


週に1~2回の頻度で、【女の子】のみ、一人一人、なにかを取られた。


それが後半から

ターゲットが娘と他に2人に絞られた。


異常事態だろう。と、警察を定年退職した学校の警備員は常にクラスを見張っていた。


学校もクラスの保護者会を開いた。


犯人は子どもだけに限らず、教員を含む学校に出入りする人間全て。

と定め、モノがなくなる度に、誰がどこにいたかのかアリバイまで調べるようになった。


あまりの異常さに警察に捜査を依頼したが、話を聞くにとどまった。


依頼者は校長、自ら。


当時、深刻に学校は受け止めていたと私は解釈する。

しかしながらその先に進まない(第三者委員会発足や重大事件認定等)ことには歯がゆさがあった。


中学受験を控えた保護者が公にすることをヨシとしなかったのと、

学校側もその先を望まなかったのだろう。



被害はずっと止まらなかった。


途中から、被害者の一人だった女の子が自作自演で「ノートに死ねって書かれた」と始まり、

その後は、「○○さんの机に○○さんが何か入れているのを見た」と言い出し、担任が机を開けると、やはり「死ね」と書いたメモが挟まっていた。


これらは普段からのこの女児の言動にかなりの虚言癖があったため、【おそらく自作自演】となり、釘を刺したら収まった。


この、中途半端に情報を混乱させる子どもが他に出てきて、結果、全員が疑心暗鬼になる。


「他人ごとだから面白い」のか、

「それに関わることでなんらか注目を集めたい」のか。  



それでも、手品のごとく、

誰の目にも触れずにモノが消える。


男の子の被害はなく、男児の保護者は他人ごとでいた。

「なんか息子からは聞いているんだけど。男の子だから詳しく聞いてこなくてさぁ」と。


我が子は関係ない。という物言いには実際、聞こえた。

これだけ騒ぎになっても被害を受けるのとそうでない方の温度差は如実に出た。


一方、女の子の保護者はかなり敏感にはなっていて、父親が保護者会に参加する率は男児の親の比ではなかった。



6年生になって急に始まったのかと言えば実際、違う。

関連性をたどれば、実際はだいぶ前から予兆はあったと後から気づく。



3年生の時にすでに犯人が見つからないままもの隠しは1年間、続いた。

その時のターゲットは一人だけ。

やはり狙われたのは女児で定期的にモノが消えた。



それを当時の担任は

「学校は警察じゃない。犯人捜しはしない。」こう言い切った。


3年生の時、娘は被害にあわなかったが、

娘や、その被害者の女の子の母親から話を聞いてはいた。


当時まだ、長男が2歳になるかならないか、次男妊娠中だったので身体が動かず。

それほど詳細に触れることはあえてせずに

様子を見ていた。



「学校は警察じゃない。犯人捜しはしない。」

この言葉を担任が頻回に使うことで、

子どもたち同士で犯人捜しが始まってしまい、収拾の付かない事態になる。



教室でモノがなくなるたび、子どもたちは反応する。

それを3年の時の担任は怒鳴って威圧し、事なかれ主義を貫き、異動していった。


4年、5年はクラス替えでそのようなことはほぼなかったが、

「消えろ」「バカ」など書かれた紙がやはり、女児の机にだけ入れられる事態は続いてはいた。


そこから我が娘は、

「学校に犯人がいてつかまらない」ということに恐怖心が芽生え、

このまま地元中学に進んだら犯人も進級することが怖い。と、

中学受験を意識しだした。



 

 

 

 

 

そのクラスに居合わせてしまったから捲き込まれるもの、親同士の関係がこじれて仲間はずれ、年単位で実は点と点が繋がるもの。

パターンは色々あるが

関わった者の温度差は如実に出る。