泳がされていると知らずに。 | 非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

過干渉・非常識・お姫様勘違い義母と、マザコン夫に追い詰めらた妻のブログ。絶縁したのは私だけ。
育児、ママ友、親戚付き合い等、子育て世代が避けては通れぬ問題にも言及。
伏線だらけの内容。回収するもしないもあなた次第。

最近、コメントやメッセージに「注意喚起」している。本来これらに触れるために綴っているものではない。


なんのために、こんな短期間に何度も

「注意喚起」をしているか。


これは、ブロガーに対し心ないコメントをすることは、不特定多数の目に触れ、それによってさらに論争に拡大、最終的に媒体の価値を下げる。

運営管理に損害を与える行為であり事実、看過しかねるからだ。


「言論の自由」と暴言をすり替える。


匿名性であるからこそ横行する誹謗中傷。



誹謗中傷とはデマ・揶揄・愚弄・嫌がらせといった「言葉による暴力」と同じ。


愚弄(ぐろう)とは、

「こばかにして、からかうこと」

 

今回、長文にてコメントが送られてきたが

愚弄、度重なる嫌がらせとして私は受け取った 。


「いろんな方法はありますが、お手並み拝見いたします。
私が経験してきたものを言うよりも、我が子を思う気持ちを尊重します。」



「私が経験してきたものを言うよりも」の前文に、既に投稿に対する全否定、持論が綴られており、さもここだけ読めば、

持論は封印しているかのように装う。


あなたに言われるまでもなく、

「我が子を思う気持ち」は、他者の信憑性・実態の証明できない経験より

当然に尊重されるべきであり、嫌味を含んだ言葉にすり替えないで頂きたい。


お手並み拝見とあおり、自分の経験値が優勢であるが、せいぜい、間違った見解を吐いていれば。との発言と解釈され問題ない。


そして、度重なる一方的なコメント。

「元の職業を公開したくないので、読むに留めて欲しい」と、勝手な要求し、承諾も得ていないのに、公開しない前提で長文の持論を何度も送ってくる。


先日も書いたが、


公にされたくないものを送ることはコンテンツの性質を考えたら答えは明白である。


一般的にこれらに対する対処法は、削除、ブロックが通常である。

コメントに反応しないことを推奨される。

ブロガー自体がこれらに耐性を持つことさえ求められる。


一方、あまりに目に余るもの、触法している場合は情報の開示を求め個人を特定する運びになるが、そこまでの費用対効果、労力考えると前者に留めることが大半で

結果、いたちごっこで終わらなくなる現実。




今回の心ないコメントは

自ら「全てに精通する教職代表」と頼んでもいないのに飛び込んできて執拗にコメントが、くり返されてきた。 


基本的に、一度の投稿で削除を行ってきているが、今回のケースは意図的に泳がせてきた。

結果、図に乗り、発言が加速していく。



何もないまま終わるはずがなかろう。

目的もなく泳がせると思うか。



私は子どもが加害にあうことは、何よりも耐え難い。


そして、自身の体験を語ってくれるフォロワーの方の気持ちに牙を剥く発言には容赦しない。

面識なくとも、その痛みの計り知れなさ。

それは、「互いに面識がない、利害関係がない」から、吐露できる特殊な環境。



✔私に向けて悪意あるコメントを放って、

それが不特定多数に公開され、我がことに置き換えてしまうことは想像できない。


✔本当に追い詰められた人間を更に追い詰めた先の責任は、匿名だから許されるものではないのを、理解出来ない。


SNSでの誹謗中傷による心身の不調、その先の選択を選んでしまう事象は多数報告されている。



「お手並み拝見」と自称、元教諭の女に煽られる。元教諭というのは免許を剥奪されたと言う意味と受け取られる。

何度も執拗に、自身の持論を投げてきた。


その結果、このブログ含め、他のブログにも自身が暇なときに、アンチコメントを投下するとアクセス数があがるとわざわざ自身のブログに公開する。

それは一般に「炎上」と呼ぶ集客の仕方。

それに利用しないでいただきたい。


自分はたくさんの校内事件の事例を見てきた。教育委員会にも属し実際の事情とは異なるとのたまう。

自分の経験値だけが全てという勘違い。

他の事例を認められず、自分の経験に全て当てはめないと満足しない。




自称であっても「元教職者として」意見してくるのなら、一番最初に口にすべきは、批判、否定ではなく、

教員として生徒、保護者にどのように向き合い、事件・事故にどう対処し、また、自責の念に駆られ苦しんだかに触れるべきであった。

それこそが「教職としての経験」である。


人を煽り、知識不足だと安直に物申すのが「教職としての経験」であれば実に残念でしかない。


被害者にも加害者にも接点を持つ立場を装い利用し、言葉を選ばずに口撃する。


自称、装う、と言う表現が適切ではないのなら資格の証明は必須である。確認できないので、他者のフィールドに乗り込んできた際は、自称が付帯される。


お手並み拝見と面白おかしく揶揄されることを私がしているのか。


同様に、元現場でも、寄り添うこともなく、常に上から目線で、心を壊された子どもや保護者を扱ってきた

自称教職歴何十年であれば

諸悪の根源に十二分に加担した。

それにすら気づかないのか。


「自分は学校の裏事情すべてに精通している」と思うのはうぬぼれである。

事象ごとに都度、異なることは経験則にないのか。


あなたのコメントに反応せず、泳がせたのは、私が現在、教員に抱える不満を文字にしてぶつけるために残した。それだけだ。



代用品。


教職代表と、頼んでもいないのに自ら飛び込んできたのだから

当然ながら反論されることは十二分にあり、

その役割を担う覚悟でさんざん、能弁を垂れ流したのであろう。


その覚悟なく、自分だけは好き放題言って、反論されることは想定外であり、こちらがあなたの意見に従うことを目的に定めるのなら、遺憾であり、この行動は強制的に排除させていただく。


加害にあうと、学校という組織、教員に対し、不信・不満は当然に出る。

これらは職業批判ではなく、関わった組織に対する感情の吐露である。


普段、敵対視していないものが、関係性が崩れた結果、そうなる。

教員、保護者の協同なくして成り立たないものを一方が裏切るから軋轢が出る。


そこに匿名性を利用しゲーム感覚でコメントを放つ。


削除、ブロックで済ませても、次々、他に狙いを定めて繰り返す。何が原因か理解出来ないから終わらない自己顕示欲。


自称であっても

自ら、その職の評価を下げる行為であると認識して頂きたい。