”特殊詐欺が生み出す家族のメンタル不調の連鎖とは?” | 非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

過干渉・非常識・お姫様勘違い義母と、マザコン夫に追い詰めらた妻のブログ。絶縁したのは私だけ。
育児、ママ友、親戚付き合い等、子育て世代が避けては通れぬ問題にも言及。
伏線だらけの内容。回収するもしないもあなた次第。

たくさんのコメント有難うございます。
初めてコメント頂いた方が多く、驚きました。

メッセージを送ってきた方に対して、私が激しく不快感をあわらにした理由を書きます。

正直、傷つき、もうこんな嫌な思いが続くならブログはやめようと思いました。



突然ですが。
こちらの精神科医の方。
時折、私のブログにいいね!を残してくださり、拝読したのですが。
まさに、今の心境が綴られている。

私の場合、「詐欺」の被害(騙されての金銭的被害は無い)は、屋根やら排水溝やら色々経験はしていて

やはり、1対1で対峙すると「恐怖心はないか」と問われたら「死ぬほどある」。 ブログではひょうひょうと綴っているが。

相手が凶器を持っていないとも限らないし、逆恨みで襲われる可能性もある。

加害児童は詐欺ではないが、やはり犯罪被害という括りは同じ。

当たり屋も然りで、
詐欺だとわかっていても、示談を望んだ理由は、執行猶予ないし実刑くらった後に逆恨みから狙われ続けるのは嫌だ。
これ以外ない。
示談や調停、民事裁判でなら恨まれないかと聞かれたらそんなことはない。
だが、なんらか決断しないといったんは終わらない中で、リスクが低い選択をしたい。
だが、こういう人に関わってしまった以上は何を選んでも恐怖がつきまとう。


刑事裁判の結果、逆恨みで子どもが狙われたら
後悔どころか、立ち直れずに生きていけない。
ここがあるので1年も放置していた。

正直ね、逆恨みをかって子どもが狙われるなら当たり屋との過失割合なんかどうでもよく一刻も早く関わりを絶ちたかった。
だが、夫が、「正当な示談ではないと納得しない」と言い始める。
本文では触れていないがここでかなり揉めたのも事実です。
私の名前で交渉をしながら夫の意見を取り入れないとならない。
相手がマトモなやつではないから正義を求めても意味は無い。と言っても、いや、そうはさせるか!と逆に熱くなる。
夫婦で言い争っても事象は変わらないので諦めて傍観者側にまわることに決めた。
夫のやりたいようにさせ、譲れない場所のみ意見をする1年。
法廷に立つのは当事者の私であるのに夫の望むものを勝ち取らなきゃならない。
その後のリスクは考えずに。
弱音を綴らないから、頭でっかちで常に強気の負け知らずであろう。と思われたとしても、自身を鼓舞するために極力、弱音を挟まないで来ています。
実際は、メッセージ送信者に起訴と告訴の違いを軽々しく言われる程、そんな低次元の心境ではないのです。


私の場合、実際、犯罪に対してトラウマは強い。
娘が教員から盗撮を受けPTSD発症、リスカを目の当たりにして
私自身がそれに耐えきれず、だが娘を守らなければならない中で
精神安定剤を服用しながら闘ったわけだが。これがいまだにトラウマすぎてつらい。

娘がカッターを使う音(刃を出すカチカチ音)や、机にカッターが置かれているだけで心拍数が爆上がりする。
3年半事件から経過してもいまだ、学校側との交渉は終わっていません。
事実なんてそんなものです。小説のごとくきれいさっぱりはいかない。でもそこまで書いても私にはメリットがないので綴らない。



当たり屋がなぜ起訴までされたのかは前回、書く気にならなかった。
長男の件があり、手放すものとして当たり屋は扱い、あまり思考に置きたくない。 
急遽 、こちらの意に反して刑事事件化となり、とりあえず、今、こんな状況に変わったと言う備忘録程度に留めたかったのが正直ある。 

あんな重箱の隅をつつくメッセージが来ると思わなかったのと、《当たり屋を起訴しました》の主語に《検察が》と入れなかったからなのか、
《私が起訴した》と解釈して、それは告訴であり誤表示だというくだらない噛み付きと愚問が書き殴られた。
こんな小さいことに目くじらたてて長文を送ってくる。

コメント欄に公開したくない持論を私的に送りつける。ここに腹が立った。
皆には見られたくないが私には物申したい願望は止められない。なんなのこの自己中心的な思考。

備忘録程度なので書かなきゃよかった。と激しく後悔している。気持ちにゆとりがあるならスルー出来るものを、今は、出来ない。


先日、えぐられるほど傷ついたコメント(削除済み)が
「長男のチックが再開したのは、加害児童と関係なく、栄養失調から来るもの。サプリを摂れば治る」
これは正直、愕然とした。
栄養失調というパワーワード。

夜中にうなされ、泣き出すようになったのも私が息子に適切な栄養を満たす食事を与えていないから。 
鬱、不登校、統合失調症、癌、ありとあらゆる病気や不調、人間関係の原因は栄養失調。
このコメントが来てから加害児童の記事を書けなくなっている。

「課題の分離」に触れた記事はその人宛に綴ったものである。



私に完璧性を求め、いかなる誤字も許されず、プライバシーの全てを逐一記載するように言われ、意図的に省いたものに対して公開を要求し、栄養失調やら思春期に対する扱いがひどすぎると是正を求めることを平然とやられることが頻発するとうんざりする。

仕事でやっているわけではないのでスルーするにも限界はある。



この精神科医が綴っているように、
特殊詐欺を受けるとメンタル不調は思いっきり出ます。

弁護士とやり取りしている中で、当たり屋の暴言や意味不明な請求を聞くのも見るのも苦痛。もちろん、頭の中には常に《逆恨み》が浮かぶ。
実際、暗中模索の中で選択していて、これくらいお前なら平気だろうと扱われる。
平気なわけあるか。


周りから責められる被害というのは本当にあって、
「当たり屋は厄払いしたらいい」も、グサッと来る。
厄払い、祈祷で当たり屋と関わりきれる範疇なら遠隔でもなんでもやってください。


「起訴と告訴は違う」そんなのは言われなくてもわかってる。

「警察に働きかけて検察まで動かしたのか」との質問。

これを聞いて何を答えたら満足なのか。


どうしても知りたいそうなので簡潔に当たり屋の起訴の経緯をまとめる。
他に複数被害者が判明して、本格的に動き出した。
もちろん、我が家は被害届は出さない。との選択肢もあるが、諸事情でこの選択をした。
ここを書かないのが今回、メッセージ送信者の誤解を生んだと主張するなら、何も書けない。

これを知って、満足なさったか。



 ----キリトリ---



夫に愚痴やら不安やら言っても共感どころか論破されて癪に触って終わるので、
だったら文字で書く。感情の赴くままに。
今までそうしてきた。

しかし、投稿する度になんらか難癖を付けられる事が増えてきた。

もう、全部削除でいいや。めんどくせ。と思う。

が、基本、寝て食って寝て「嫌なことは忘れる」ことを意識的にしているので 
なんとなく戻ってきたが
書くエネルギーが完全に枯渇している。




「この世の中を! ウグッブーン!! ゴノ、ゴノ世のブッヒィフエエエーーーーンン!! ヒィェーーッフウンン!! ウゥ……ウゥ……。ア゛ーーーーーア゛ッア゛ーー!!!! ゴノ! 世の! 中ガッハッハアン!! ア゛ーー世の中を! ゥ変エダイ! その一心でええ!! ィヒーフーッハゥ。縁もゆかりもないやつに言われてぇぇぇ!やってらんないですよぉーぉーーぉ

デーーヒィッフウ!! ア゛ーハーア゛ァッハアァーー! ッグ、ッグ、ア゛ーア゛ァアァアァ。」


なんてなりふり構わずしていいなら野々村議員バリに泣きてぇわ。


 

 



事件の当事者になると実際、負担や苦痛は想像を絶する。これだけは確かです。

全部書け、さらせの要求は応じません。

校正チェック報告も不要です。  


加害を受けた後に再発したチックは栄養失調と言われたら傷つきます。子どもに関することは自分の事を批判される比ではないほどにキツいです。



軽いテンポ、口調でポジティブに綴ると


「ホントはたいしたダメージ受けてないでしょ」所詮、他人ごと。となり、

お前の知識不足、間違った言葉使いに物申してやる。

なんなら間違いを正してあげているから感謝しろ。と思う輩がいるのは承知です。 


加害にあった人間は、常に暗く悲壮感丸出しでツラいを連発し、何かに盲目的に傾倒していかないとダメなのでしょうか。


当事者はそれでも日常が続いて、子どもたちを、生活を、守らないとならない。

気丈に振る舞っていないと潰れてしまう中で、投稿する度に揚げ足を取られるとやはりへこみます。


「読んでいてスッキリ爽快です!」「元気をもらえます!」そう言って頂くのは実に嬉しいです。

暗いテーマを意識的にポジティブに書き換えていく事で、自分自身が冷静に現状を認識できるからあえてそうしています。


心理戦、駆け引きもあらためて文字に起こすことで、やり取りの脆弱箇所に自身が気づく。

「あ、ここは相手方から攻められかねん」と俯瞰して次の策を練るために使っている。


結果、それが読み手の爽快感、こんなやり方があるのか等に繋がるなら相互利益として機能する。

だからブログは存在すると言っても過言ではない。


その一方で、前提として

常に策士的でなにかと闘っている訳ではないので、気の抜けた本来の姿も綴りたく、別枠で書いている。


ブログ自体が衰退して末期のオワコン、

ありえないほど瑣末な駄文が横行していて、SNSで稼ぐためなら手段を選ばない。

本来の姿からかなり逸脱しまくりな現状のなか、


それでも長年の活字好きが集まる媒体ではある事実。


一発屋はすぐに消えていく。


長く続くものには必ず相互利益(いわゆる、Win-Winの関係)がある。


相互利益がなければ読者は離れる。

逆に、書き手側も理不尽な要求ばかりされたら書くのをやめる。

リアルな人間関係と同じではなかろうか。



 

 

 

ブログは「三方よし」で成り立つと思う。

本来は「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の経営理念的な意味だが、


「書き手よし」「読み手よし」「世間よし」が

私の中での「最適解」であり、崩れたときに需要と供給のバランスが破綻して終わる。