こんな大きなテントを折り曲げるとコンパクトな円形になる。
しかし畳むのにコツが必要で苦戦する。
ぶっちゃけ私はワイヤーの跳ね返す力に負けて一度では畳めない。
上記のテントをこの丸型にするのはコツをつかむまでは「壊れるんじゃないのか」と思う勢いで挑む。↓
あれほど、娘からこき下ろされていたので「何も出来ない」のかと思えば真逆。
テキパキしている。
その間、周りの荷物を夫と祖父が楽しそうに会話しながら秒殺でしまっていく。
その会話のなかで、
祖父母からしたら女の配偶者は、
お婿さんになるわけだが、
きちんと「○○さん」と呼び、
「娘が、いつもあんな攻撃的な調子で本当に申し訳ないです。○○さん、嫌な気持ちになりますよね。ごめんなさい」
と声を掛ける。 娘のしでかしていることにきちんと認識はあり、
結婚相手に敬意をもって接している。わざとらしさのカケラも無く。
旦那さんの方も
「大丈夫ですよ。それより、お義父さんは今は趣味のなんとかは~」と自然に話が繋がる。
よく、【嫁にもらった。婿にもらった】と、やたら上から目線の物言いをする義両親はいて、
タメ口は当たり前、ガンガン距離を詰める、常に自分の実子の味方というのが多い中、
娘の非を本人に代わり、結婚相手に詫びる。という姿勢が
「ある意味、出来た親だ」とつくづく思った。
あんなバカ娘に育ってしまったのがもっともたる所以なので「ある意味」がついてしまうが。
この両親の気配り、謙虚さが
あれだけ病的で自己中心的な女でも離婚されずにいられる要因の1つであり、
他人同士の義両親と娘の配偶者が
うまくいくコツなんだろうなと。
視点を変えてみれば
あんな他に貰い手がつかないバカ娘を
見捨てないでもらうために親心でそうしているのかもしれないが
(その親心がバカを増長させる結果でもある)
結果、どちらにしても
祖父母の配偶者に対する態度は
今のところ、プラスに作用してはいる。(馬鹿女に、自身の言動がおかしいことに気づかせるのが本来、一番だが今さら感はある。)
その先は知らんけど。
それでね。
運悪く、あの馬鹿女のとなりになってしまってつくづく感じるのだが。
周りに人がいても一切気にせず、相手に文句や罵声を浴びせる人っている。
なんなら、周りに見せしめているのか?と思う。
あからさまに不機嫌を撒き散らし、相手を萎縮させるわけだが、
「外でもそれを平然とやってのける」タイプは、喧嘩っ早い。
「聞いていて不愉快です。TPO、場所をわきまえてください」なんて言おうものなら、
「何だとテメー!」となるのは容易に想像が付く。
「自分は気分が悪いのだから、それを見た人はオレをケアをして当然」と言うのが彼らの持論で、
当たり散らすことで、構ってもらい相手に甘える。
馬鹿女のように、【親や子、配偶者に何言っても許される】
と勝手に甘えてくる。
上司や同僚でもよくある話し。
とんでもない。
勝手に甘えて不機嫌を押しつけ、
結果、やられた他人は去って行く。
しかしながら
その辺を許す親(血縁者) はいつまでも馬鹿娘に好き放題、やられて耐える。
「次はゴールデンウィークに実家に行くんだから!わざわざ遠いのにホント、面倒!」と言っていたが、親はそれに対して無言。来て欲しくない様子だった。
親は寛容でいつまでも自分を見捨てない存在であり、罵詈雑言はき、イライラを全面的に出しても受け入れてくれる。との前提で、
この女は加速する。
そしていつもは見下す親に、なにかあれば「あいつにこう言われた」「私はこんなに頑張っているのに認められずにつらい」と延々、泣きつき、助けを乞う。
ここでも相手に対して答えは決まっている。
傾聴、受容、共感以外は却下。
相手に対して選択肢のない質問をし、
答えさせて、全否定する。
答えないと延々、聞くに堪えがたい言葉を連発し
不機嫌を当たり前に突き通し、「機嫌を取れ」と相手に威圧する。
どれほど滑稽で大人げないかなんて客観視出来ないから、終わらない。無意識で行われるから。
全く赤の他人の前でも
不機嫌を撒き散らす人は、他人にも甘えているとも言える。
オレは不機嫌なんだから他人のお前は黙ってろ!聞きたくないならお前がいなくなれ!という甘え。冗談じゃない。
その場の空気を壊す達人に遭遇すると、離れる以外の解決策はないのだが
物理的に逃げられない場合、(例えば職場、満員電車や、座席指定のものなど)
聞くに堪えないものを延々聞かされていると
不機嫌が伝染する。
一方で、常に周りを明るくする人は存在し、
場が和む。
話したいな、関わりないなと思う。
マイナスムードをプラスの言葉や雰囲気でガラリと変える力もあれば
口数少なくでも絶対的に信頼がおける人もいる。
この差が生き方、考え方の違い。
どんな状態でも最後に発する言葉で決まる。
ここを意識するかしないかで結果はついてくる。
日よけ対策は真夏になる前にしたい。
相手や周囲に発した言葉が
「最期の言葉」になることなんて往々にあり、その言葉に後悔したくないなと昨日、つくづく感じたわ。