宿題不要論 | 非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

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過干渉・非常識・お姫様勘違い義母と、マザコン夫に追い詰めらた妻のブログ。絶縁したのは私だけ。
育児、ママ友、親戚付き合い等、子育て世代が避けては通れぬ問題にも言及。
伏線だらけの内容。回収するもしないもあなた次第。



数日前にこの記事を読んで、(でどころがYahoo!ニュースなので微妙だが、実際、研究論文は出ている)

小学生には宿題は不要論。
実は、私は賛成派。

小学生の集中持続時間は、

学年×10分。と言われている。

1年生なら1×10で10分しか持続しない。
6年生は60分。

うそーん!1年生って10分しかもたないの!?となるかもしれんが
10分ガッツリ集中できるのはむしろすごいわー!と個人的には思う。


なので、集中力が切れる時間を超えて何か強制的にやらせても構造的に意味が無い。
むしろ勉強が嫌いになる。

非科学的にやらせても効果は出ないので、
効率的に成果を求めるなら実態に即したものにあわせる。



宿題をやらないから親がイライラする→子どもは嫌々やる、もしくはズルしはじめる→ダラダラやるから軽く集中力の時間は過ぎる→それを見て親がイライラする→子どもは宿題は嫌なものと刷り込まれる。のエンドレスで
悪循環。

勉強が嫌いの習慣が付くと、後々、響く。


長男の担任が
「宿題を出さないと保護者からクレームが来る」と言う理由で、

連日、計算ドリル→漢字ドリルを交互に出してくる。


保護者も「あの先生は宿題が多い、少ない」と文句を言うが、量より質には目を向けない。宿題をすれば、なんか安心。の域を出ない中、苦情を入れる。
宿題がないと不安にすらなる人もいる。




金曜日は、3日分、
計算ドリル→漢字ドリル→自習(なんでも)

と、投げやり炸裂で
親が、計算ドリルの採点をし、丸付けして
翌朝、宿題を提出するが、
「みました」サインがあるだけ。時間が無いと確認チェックすらない。

ドリルが一周してしまうと、
印刷が不明瞭などっから引っ張り出してきたんだ…というプリントを宿題にする。

こども的には、「ドリルは1回やったら二度とやらなくていい」と学習してしまう。



自学自習をやっていってもノーチェック。
別に担任のためにやるわけではないのだが、子どもからしたら、自分が調べたことを提出しても、あまりの反応のなさに「え!!」とはなる気持ちはわかる。

小学生は朝8時半ころから15時頃まで学校にいるわけで、6時間以上、勉強やら運動やらやっている。

大人の勤務時間とほぼ同じ(爆)

大人の場合、帰宅して家事してなんやかんや色々やるわけだが、
帰宅してすぐ、やりたくもない残業の持ち帰り仕事を嬉々としてこなせるか。というと
普通はやらない…。


宿題をする意味。が、出す側と出される側で認識が一致しないからストレスになる。

ドリルをただ無意味に埋める、プリントを惰性でやるならやらないほうが結果、体力気力とも回復してスッキリする。

自学自習という宿題も最近多いが、
やり方を教えずに「なんでもいいからノートに書いてきたらマル!」だと戸惑う。

個人的に小学生は【興味関心】さえ育てば十二分で、自学自習こそ真剣に取り入れて欲しいとすら思う。



物事を達成するには「目標」があるわけで、
「宿題を終わらせること」が目標なのか、
「学年で学ばなければならないことを理解すること」「学ぶ意味を見いだすこと」が目標なのかで
【結果】が変わってくる。


漢字練習も、3回で覚える子もいれば20回書かないと覚えないなど個人差あっても、

「漢字ノートに1文字、一行すべて埋める」ルールをやられると、うちの息子はゲシュタルト崩壊してわけがわからなくなるので、
「書き順含めて覚えたら全て埋めなくていいんじゃないの」と言っても
「先生に怒られる」と、涙を浮かべながら漢字を書き続ける。

学校に期待しても無駄なので
集団行動という観点からまぁ、出された宿題はやっていこうか。の域は出ない。


 

 

 

 

 

惰性でやるほど無意味なことはないなと思う。

義務教育が不動に進化しない謎。なにもかもが中途半端な気がする。