ちと、腑に落ちないことがあり。
私のブログ含めて、発信する媒体はどれもそうですが
【万人に対して受ける】ものを書けることは不可能だと思う。
それを前提として
過去記事に何度か
【持論展開は自身のブログでやってください】と書いている。
コメント覧に
こちらが意図しないことに、ものすごい勢いでツッコミをいれてきたり、
誤字脱字の指摘(これはホント、読み手側として気になるのはわかるのだが仕事じゃないのですいません)、
親切心、ご心配から来るであろう「○○について調べてみてください!間違ってます」「これを調べたらもっと状況が変わります」的なものも。
これは、書いた本人はそこまで考えないだろうが、こちらとしては、
【私の問題に対して、自分都合の答えを求められても困る】。というのが実際ある。
なんで私がこれをスルー出来ないのか。と言う話。ちょいと語らせてください。
アドラー心理学に
【課題の分離】というものがある。
下記参照。
「課題の分離」とは
「他人の課題に介入しないこと」、
そして
「自分の課題に他人を介入させないこと」と考える思考法。
これは、
「人間関係のトラブルは、“自分の課題”と“他人の課題”がごちゃまぜになっている状態から引き起こされる」とするアドラー心理学に基づいた考え方。
ここを飛び越してこられるのが【負担】なんです。
私が抱える問題を綴って
「 そうじゃないだろー!!このやりかたが正解なんだー!!」 というのは
他人の領域に勝手に介入してきて
持論をぶつけられても。
となる。
断定的な言葉や、
【アドバイスですけど】も同じ。
おそらく、親切心から来るものでも
自身が迷い、悩んで出した結論や
気持ちの吐露をして
それって違うだろう。と言われたら
大半の人がやられたら嫌だと思う。
あるフォロワーさんが家計収支を記載していて、
「キャリアスマホを格安スマホにしろ。まだ節約余地あるだろ」とコメント来て、
「居住地に格安スマホの電波が安定供給されない」と記事にしていたのがまさにそれで
背景知らずに、命令口調、上からの言い方されたら憤慨するのはすごくわかる。
自分の考え方が絶対!と言うのは微塵もなく暗中模索している中で
選択している。
なので、他者の意見は聞かない。ということもない。
自分の課題解決のための情報収集、最終結論は、自らの意志でやる。これなんです。
これを他人に介入されたくない。
こちらから質問を投げかけていない状態で、一方的な意見を投げらるから軋轢が生まれる。
なんというか、自分から突っかかってきて、相手にされないと逆ギレするのと似ているというか。
「意見を聞きたいんだけど」「他の人はどう感じるのか」「相談なんだけどね」「アドバイスが欲しい」と問いかけた中でのやり取りではない。
日常生活も同じで、大抵相手に対して不満が出るのは相手の問題に勝手に介入しているからだと思う。
自分にとって相手の行動に捲き込まれ、
被害がある場合は、
自分の問題解決の部分のみ対処する。
それだけ。
相手を変えようと思う時点で疲弊する。
自分の問題は自分で解決する。
相手の問題は、相手が解決する。
このブログのトップページに
【こんな事象もある。という参考になれば】
というような文言を書いているのはそのため。
課題の分離が出来ないコメントをわざわざ相手のブログに乗り込んで書いているのはそこらじゅう氾濫しているのは事実。
【共感コメントしかダメなんですか!】【人の意見を聞かないって偏ってますよね!】と来るのだろうけれど、
それこそが、課題の分離。