身体表現性障害。と言うのはあまり一般的に知られていないように思う。
我が父、長年、大腸が痛い。
本人曰わく、「死ぬほど痛い」。
昔、腸捻転で手術をし、こちらは成功。
本人は、「15年近く前の腸捻転の手術で腸が癒着している」と訴え、
大学病院を転々とし、様々な検査をしても異常が見つからない。
夜、寝ている間は、痛みはなく
日中、朝から寝るまで「死ぬほど痛い」を連発する。
元々、超がつくほど神経質。
この原因不明の痛みが出たのが
母が癌の手術をしてから。
大学病院を転々とし、名医と言われる医師に入院して、最新技術を以て診て貰うも
【原因不明】
でも本人は、QOLだだ下がりで
【痛みで生きているのが辛い。死にたい】と言う状況で、私に死にたい、死にたいと電話をしてくる。
これだけ多くの病院を受診し、
どこからも原因不明と言われて
とりあえずの薬を出されても効かない。
私は医師でも医療従事者でもない中で
父から腹が痛くて死にたい死にたい言われてもどうにもならん。
…と調べてこれでは。と行き着いたのが
【身体表現障害】
母の癌の看病と気疲れで、
今までしたこともない家事やら
母の体調急変やらで気が抜けず、
相談、話し相手もおらずストレスの矛先が自分の身体に痛みを生じさせているのでは。
身体表現障害は、検査しても原因となるものが見つからないが、本人はひたすら痛がる。
なんなら、目が見えない、歩けないなど症状様々。どんどん薬ばかりが増えていき、結果治らないので医療不信になる。
父の性格的に「腸捻転で手術した」
これを理由に、意識をそこに持って行ってしまうのでは。
病院たらい回しにされて、診断名が出ない、でも死ぬほど痛い。その理由がわからないからこの痛みは腸捻転に繋がってまた大手術するか、手遅れでは。と恐怖心が余計強くなる。
そんな気がして、ひたすら説得し、精神科に
受診。
そこの医師が初診、2時間、ひたすら父の通院歴から、原因不明と為す術ないこと、でも本人はもう死ぬんじゃないかと思うほど痛い。という話を延々聞いてくれ。
医師が傾聴、共感を連発し、その2時間、ひたすら父の独壇場で話している間は痛みはない。(普段は座っていられない、数分ももたずうずくまるほど強い痛み)
医師が、1週間後にまた来て下さい。となり、「必ず、よくなります」の太鼓判。
毎週毎週、受診に付き合い、
医師と話している間は無痛。会計、薬局待ちになると痛がる。
「身体に異常がなくても脳が痛みを発生させる」ことを本人に自覚させることは本当に時間を要して大変だったが
半信半疑。というところまでこぎつき、
精神安定剤を嫌がる父に根気強く、安全性、副作用を納得させ、わずかづつ、増量。
結果、「痛いが死にたいはなくなった」状態になるのに数ヶ月。
医師の患者に
父とまったく同じ部位を痛がり、転げ回るほどの痛みで病院を転々とし、安定剤で回復し、「痛いながらも日常生活は送れる」という同年代の男性の話を聞き、一気に希望の星となる。
いまだに、「なんで腸の痛みが精神科なんだ」と言うが、最初ほど口調は強くなく、
次の診察日にはきっちり自力で行き、自身の変化を報告するようになる。
現在、月イチ受診で減薬のままステイ。
精神が身体の痛みを作り出す。
これの経過を目の当たりにし、
不思議だ…。というのが実感。
だが、人間、イヤなことがあれば胃痛や頭痛がしたり実際あるわけで。
こんな病気もあるんだなぁ。と、付き添いから解放されてつくづく思う。