嫁姑問題はそもそも起きない。捲き込まれない方法 | 非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

非常識義母と絶縁した。子育て世代取扱説明書

過干渉・非常識・お姫様勘違い義母と、マザコン夫に追い詰めらた妻のブログ。絶縁したのは私だけ。
育児、ママ友、親戚付き合い等、子育て世代が避けては通れぬ問題にも言及。
伏線だらけの内容。回収するもしないもあなた次第。


嫁姑問題は古来からくさるほどある話だが
昨日の夫のひと言がきっかけで
渦中に引き戻された。

このブログは、あまりにも理不尽な要求をする浮かれまくった義父母と
マザコンの夫に本気で追い詰められて
書き始めた。

結婚して恋人枠から家族となり
妊娠、産後の通常とは違うホルモンバランス、環境、体調の中で
容赦なく一方的な持論と事後承諾が相手方からくり返される。

各家庭、内容に違いはあれど
争点は「双方が納得いかないものを無理矢理一方の主張を通す」結果、軋轢となる。

考え方の基準がズレているので
永久に溝は埋まらなく、接点が増えれば増えるほど一方の主張が強まり、他方は我慢、もしくは無関心を貫くようになる。

ここで特筆すべきは

婚姻とは、

当事者がお互いに夫婦関係という法律関係に入ることを合意する契約であって,戸籍法に定める届出がなされないとその効力が発生しないもの。
同居義務」(一緒に生活する義務)や「協力扶助義務(生活保持義務)」(協力し助け合う義務)を負い,夫婦は配偶者に対して「貞操義務」を負い,配偶者以外の男女との間で不貞な行為をしてはいけない

と謳われている。

どこにも夫婦関係において「配偶者の親」には民法は触れてはいない。
ここに鬼の首を取ったかのように登場してくるのが「配偶者の親」

新たに戸籍を作り,婚姻の際に夫又は妻の氏を名乗るもの。と言う定めとおり
「新たな戸籍」と、親は無関係である。

そこに親戚なんだから従うのは当たり前だ!
嫁(婿)に貰ったという勘違い

新たな戸籍であり、都合上どちらかの姓を名乗っているだけで貰っても貰われてもいない。

義父母が年上だから一般常識的に敬語で話すだけであり、上下関係はない。

将来的に親が自分だけで生活がままならなくなった際は、介護義務が発生するが、親の介護義務は、親の兄弟姉妹、子ども、孫。
との定めで、子の配偶者は関係ない。

なので、同居して嫁に面倒見させるのが当然!離れて暮らしていても関わり合うのが当然!は

勘違い以外の何ものでもなく、

日々の生活に干渉される筋合いもなければ権利もない。
双方がそれを望み合意するならお好きにどうぞの世界。

ここを平気で無許可で乗り越えてきて
過剰な要求をし、拒まれると逆上する。
そもそも、土俵違いの場所で因縁付けられているのと同じ。

かつて、私は義父母に
「夫と結婚しただけであり、あなた方と私は他人だ」「夫婦には協力扶助義務があり、互いを支え合う義務がある。」と何度も伝えてきた。

夫婦関係に亀裂を与えても尚、親子でいる権利を主張するなら本来、結婚すべきではない。そこをはき違えるなと思う。

夫は妻が、義理の親から何かされて悩んでいる、心身に異常をきたしたと訴えた場合、対処する義務がある。逆も然り。

そこを、何を勘違いしているのか
母親の擁護に走る。

離婚理由に、義母が原因と書いても離婚は認められない。
まず、問われるのは
一方が義理の親からの攻撃で悩んで心身を壊した場合、配偶者が対処や調整の役割をきちんと担ったか。そこが問われる。

昔の記事で、義母に慰謝料請求は可能か。というものを書いた。
結論から言えば可能である。

それほど、ドライな世界なのだ。

これだけハッキリと婚姻しても相手の親とは他人であると言える根拠があるのに
何故か、捲き込まれる。

悩む必要も本来無い。
苦手な人と距離を置くのと同じで、私のテリトリーに他人が勝手に侵入したら関わりを絶つ。

話しても無駄な相手に労力を割きたくない。


イベントバナー





義父母に心を乱されるほど無意味なことはなし。分かり合えない人と戦っても、イラついても相手は変わらない。


相手にするだけ百害あって一利なし。

割り切り、大事。



他人同士うまくいくには、双方がモラルと自制心が必要で、相手の領域には侵入しない線引きと、 気遣いありきだと思う。

ふだんいがみ合っていて最後の始末だけはヨロシクは通用せず。


義母の行動がおかしいと感じたならそこをわざわざあげつらう必要も無く、


おなしな人枠で客観視するしかない。


いちいち、真っ向から叩きのめそう、さらしてあざ笑おうとしても結果、自分が惨めになるだけ。


良好な関係を築けないのは、一方、もしくは双方、プラス、潤滑役の配偶者が機能しないから。


義母がこんな馬鹿なことしてました!と声だかに叫んでいても、なにか得ることはない。


馬鹿なことと思えても本人はそれが普通で、そのような生き方しかできない。

そこに捕らわれずに、淡々と我が身と我が家庭を守る。


最後は常識の範囲内で見送ってやるのも、やらないのも自身が納得すればそれでいい。


人間、その時にならないと気持ちの変化が出ないものもあるので

先をあまり考えても意味なし。

金銭問題もそうだが、なるようにしかならない。自分の家庭を壊してまで親の介護費は出せないので親自身がそれらの用意がないなら行政に託すしかない。


自分が毎日、充実していれば十分。

そこに心を乱されるほど無意味なことはないから。


毎日、義母の観察をするのが生き甲斐ならそれでもかまわないが、賢い生き方とは思えない。