ジェームス・ボンドの生みの親、イアン・フレミングが愛用した
50年代製の「ロレックス エクスプローラーⅠ」が今年の夏、
ランカスターにあるNational Watch & Clock Museumに展示された。
彼は、自身が所有していたロレックスからヒントを得て
ジェームズ・ボンドの時計を「ロレックス・サブマリーナ」に設定した。
同博物館には彼の時計と共に、ショーン・コネリーが「Dr.No」で身につけた
数点の「ロレックス・サブマリーナ(初期モデル)」も展示されていると言う。
何やら、フレミングのロレックスは彼の死後20数年間、
銀行の金庫の中に保管されていたそうだ。
こういう地味な今となってはサラリーマンでもちょっと無理すれば買える時計は、
メンズ雑誌であまり取り上げられない。でも、まっとうに働く男の時計
という感じがして好感がもてる。
しかし、広告出稿欲しさにウン百万もする時計を頻繁に取り上げる男性ライフスタイル誌を、
不景気で右往左往している日本の男性諸氏はどう見ているのだろうか。
私自身、もうウンザリという気もするのだが。
その年老いた女性は両手をペンギンのようにブラブラさせて
道路の脇を歩いてきた。本人は懸命に走っているつもりであることが
見て取れるのだが、老齢による脚の不自由さが手伝ってヨタヨタと
前のめりの格好で近づいてくる。手には首から掛けたカードを必死に
道路の向こうにかざしている。どうしたんだろう、と思いながら
その気の毒そうな姿を眺めていた。
するといきなり、クルマが行き交う道路を倒れるように横断した。
バックミラーでその80歳を過ぎているであろう女性を確かめた。
あっ、バスだ。女性はバスに乗りたかったのだ。手に持って遠くにかざしていたのは、
老人用の乗車パスだった。不幸にもバスの運転手は彼女に気づかず、発車してしまった。
道路をおぼつかない脚で横断した老女はバスに置いて行かれ、ガードレールを越えることもできず、
道端で呆然としていた。憤りも照れ笑いも見せず、悲しさも滲ませず、ただ無表情で呆然としていた。
今日2時頃の炎天下を、次のバスが来るまでバス停で待つのだろうか。
とてもあの年齢ではキツいに違いない。おそらく30分に1本のバス路線だろう。
何とかしてやりたいと思ったのだが、狭い道路で後続の往来を考えると前に進むしか術はなかった。
老女はその後どうしたのだろうか。距離を歩けない一般の高齢者の移動手段はバスぐらいしかない。
金持ちならタクシーという手もあるだろう。しかし、誰もがそういうわけにはいかない。
これだけ技術が進んでいるのなら、乗車パスに発信機でも内蔵させて、バス停周辺の搭乗者の
有無をドライバーが確認できるようにしたらいいのにと思った。
同時に、やがて自分もバスに乗り遅れる老人になることを
覚悟しなければならないと思った。
未来というのは想像しているうちが幸せ。
いざ現実に近くなるといろんな軋轢が生じる。
それというのも、科学や化学は進化しながらも
肝心の人間は太古から同じ形態、同じ脳機能しか持ち合わせていないわけで、
つまり人間は進化していないから、いろいろ問題が起こる。
数千年・数万年前に設計された人間と、新世紀に設計されるものがフィットするというが
そもそもおかしい。確かに人間もアップデートしているけれども、
それも限界がある。愛の形態は源氏物語やシェイクスピアの時代から変わらないし、
数学もピラミッドの時代からそれほど様変わりしたとは思えない。
どんなに技術が進んでスピードが速くなっても、
人間が耐えられるスピードは決まっている。
この人、高校時代の友人の奥さん。
モノマネもすばらしいけど、私は「みどり役」が大好き。
対談やバラエティなどでの受け応えも嫌味がなくて素敵。



