FC多摩ジュニアユースが、FC東京むさしを下し、U-15クラブユース選手権全国大会出場を決めたみたいです。
おめでとうございます!
極秘にして参りましたが、実は私はラーメン好きです。
結構、食べまくって来ました。
福岡にいた頃は、博多ラーメンを、
東京に出てきてからは、荻窪、吉祥寺、三鷹、西荻窪、中野、代田橋、九段、神楽坂、飯田橋、神保町、早稲田、高田馬場、新宿、渋谷、池袋……西に名店ありと聞けば、400ccのバイク(HONDAのCB-1)を駆って、東に新規オープン店があれば、地下鉄を乗り継いで。
昔はあっさりしながらも、しっかりした醤油味のラーメンが東京のラーメンだったように思います。荻窪の丸長、丸福、春木屋、西荻窪のはつね、神保町のピカ1、早稲田のメルシー……いずれもそのような傾向のラーメンでした。あっさりの逆を行く、ホープ軒なども一方の雄として大きな存在でしたが。
しかし、時代を経て、しっかりした、うまみの厚い、脂の多いものが出てきました。環七の土佐っ子や一番ですね。背脂系です。
こうした状況に、池袋の大勝軒や横浜の家系が増殖し、現在のラーメン戦国時代を迎えているように思えます。
年を取ってくると原点回帰したくなります。
あっさりした醤油系を探し求めるようになります。
で、見つけました。
神楽坂駅の早稲田寄の改札を出て、右手はすむかいのもつ焼き屋です。夜は人気のもつ焼き屋です。ラーメン好きのご主人が36年の研鑽を経て、これはという昔ながらの鶏ガラ醤油ラーメンを開発し、夜の常連客に裏メニューとして供していたのですが、何人もの常連さんが、「このラーメンは、そこら辺のラーメン屋が土下座するすばらしい鶏ガララーメンだ。是非、昼も出してくれ」という声に押され、いよいよ、昼間のみ(11時半~13時半)、ラーメン店になったそうです。本職はもつ焼き屋ですから、鶏ガラは新鮮な最高級のものが手に入ります。あっさりしすぎても現代の嗜好に合わぬだろうからと醤油だれはしっかりめの味付けになっています。
麺は、細めながらコシのあるものを何種類もの中から試行錯誤しながら、これはというものを麺工場に出張って厳選採用しています。

さっそく、行ってきました。
メニューは、
鶏ガララーメン 600円
のみです。男らしいです。質実剛健です。
トッピングは、
チャーシュー(1枚)
のり
もやし
味玉
がそれぞれ100円です。他にライス(100円)があります。
ラーメンにのりともやしと味玉をトッピングしてもらいました。
それがこれです


結構、食べまくって来ました。
福岡にいた頃は、博多ラーメンを、
東京に出てきてからは、荻窪、吉祥寺、三鷹、西荻窪、中野、代田橋、九段、神楽坂、飯田橋、神保町、早稲田、高田馬場、新宿、渋谷、池袋……西に名店ありと聞けば、400ccのバイク(HONDAのCB-1)を駆って、東に新規オープン店があれば、地下鉄を乗り継いで。
昔はあっさりしながらも、しっかりした醤油味のラーメンが東京のラーメンだったように思います。荻窪の丸長、丸福、春木屋、西荻窪のはつね、神保町のピカ1、早稲田のメルシー……いずれもそのような傾向のラーメンでした。あっさりの逆を行く、ホープ軒なども一方の雄として大きな存在でしたが。
しかし、時代を経て、しっかりした、うまみの厚い、脂の多いものが出てきました。環七の土佐っ子や一番ですね。背脂系です。
こうした状況に、池袋の大勝軒や横浜の家系が増殖し、現在のラーメン戦国時代を迎えているように思えます。
年を取ってくると原点回帰したくなります。
あっさりした醤油系を探し求めるようになります。
で、見つけました。
神楽坂駅の早稲田寄の改札を出て、右手はすむかいのもつ焼き屋です。夜は人気のもつ焼き屋です。ラーメン好きのご主人が36年の研鑽を経て、これはという昔ながらの鶏ガラ醤油ラーメンを開発し、夜の常連客に裏メニューとして供していたのですが、何人もの常連さんが、「このラーメンは、そこら辺のラーメン屋が土下座するすばらしい鶏ガララーメンだ。是非、昼も出してくれ」という声に押され、いよいよ、昼間のみ(11時半~13時半)、ラーメン店になったそうです。本職はもつ焼き屋ですから、鶏ガラは新鮮な最高級のものが手に入ります。あっさりしすぎても現代の嗜好に合わぬだろうからと醤油だれはしっかりめの味付けになっています。
麺は、細めながらコシのあるものを何種類もの中から試行錯誤しながら、これはというものを麺工場に出張って厳選採用しています。

さっそく、行ってきました。
メニューは、
鶏ガララーメン 600円
のみです。男らしいです。質実剛健です。
トッピングは、
チャーシュー(1枚)
のり
もやし
味玉
がそれぞれ100円です。他にライス(100円)があります。
ラーメンにのりともやしと味玉をトッピングしてもらいました。
それがこれです

噂に違わぬ、あっさりしっかりの鶏ガララーメンです。
夜の酔っ払いに出すスープと昼のしらふのお客さんに出すスープは、配合変えているそうです。
つるつるしこしこの細麺にしっかりした味付けのあっさり鶏ガラスープがみごとにマッチします。家系や二郎系にはまった若者にはあっさりしすぎていると思われるかもしれませんが、清く正しいラーメンとはこういうものをいうのだよといいたくなる正統派ラーメンです。
黄身がトロトロの味玉、ぱりぱりのノリ、もやし、厚切りのチャーシューも絶品です。
あっという間に完食してしまいました。

昼時に、神楽坂にご用事のある方は、オススメです。
場所はここ。人気の 「la kagu 」のすぐそばです。
ボトルネック (新潮文庫)/米澤 穂信

¥500
Amazon.co.jp
この作品を救いのない、凄まじい「自己否定」の物語と見る人がいますが、そうではありません。
私たちの受け入れなければならない現実がみな、そうなのです。しかし、このひどい現実はすべてあなたのせいではないし、彼のせいでもない。もちろん私のせいでもありません。
それと同じように、この物語の中のすべての登場人物、非登場人物もそれぞれが複雑に有機的につながりあっているのであって、単純な三段論法的な因果律の中にすべての出来事が封じ込まれることなどあり得ないのです。
最後の母親の電話は、彼女が主人公を必要とする有機的つながりの声であり、あの声で主人公は、ほとんどすべてに気づくはずなのです。ツユは「考えろ」と電話してきたじゃないですか。考えれば気付くはずなのです。
素晴らしい傑作です。

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この作品を救いのない、凄まじい「自己否定」の物語と見る人がいますが、そうではありません。
私たちの受け入れなければならない現実がみな、そうなのです。しかし、このひどい現実はすべてあなたのせいではないし、彼のせいでもない。もちろん私のせいでもありません。
それと同じように、この物語の中のすべての登場人物、非登場人物もそれぞれが複雑に有機的につながりあっているのであって、単純な三段論法的な因果律の中にすべての出来事が封じ込まれることなどあり得ないのです。
最後の母親の電話は、彼女が主人公を必要とする有機的つながりの声であり、あの声で主人公は、ほとんどすべてに気づくはずなのです。ツユは「考えろ」と電話してきたじゃないですか。考えれば気付くはずなのです。
素晴らしい傑作です。
河口俊彦先生が急逝した。将棋ライブ中継の控室の描写などでついこの間まで、お元気そうなご様子がちらほら窺えていたので、本当に信じられない。
河口先生とのお付き合いは、20年前からだ。
河口先生のご著作を文庫化させていただいたのがご縁だった。その本は将棋エッセイとしては異例の売れ行きを示した。20万部売れた。
将棋のルールこそ知ってはいたが、矢倉も美濃囲いも知らなかった私だったが、これでは河口先生に申し訳がたたないと思い、一念発起して、将棋を勉強することにした。
週刊将棋、将棋世界、近代将棋を購読し、詰め将棋を三手詰五手詰から解き、当時、プロアマ問わずバイブルと言われていた『羽生の頭脳』を読んだ。数ヶ月で2級くらいになった。
河口先生に指導将棋をお願いした。四枚落ちをお願いしたが、河口先生は、「二枚落ちが一番力がつく」とおっしゃって、何番も二枚落ちで指導して下さった。
半年ほどして、初めて入った。対プロ二枚落ち初勝利だった。
以降、銀座の高級クラブ「マンクマ」で月に一度開かれる「銀河会」に呼ばれるようになった。アマ五段、四段クラスの猛者ばかりが集まって、将棋を指す会だ。河口先生は必ず、一人棋士を呼んだ。青野九段、田中寅九段、屋敷八段、谷川女流、大庭美夏女流などなど。アマ同士の手合いは河口先生自ら差配なさった。
ある時、河口先生が、「君は、Nさんと指してみなさい」とおっしゃった。私は河口先生が私に当てたくらいだから、Nさんは、初段程度の方なんだろうと思って、特に硬くもならず指したのだが、指運よく中押な感じで勝った。駒落ちの指導将棋をなさっていた先生が将棋の終わって水割りをぐびぐび飲んでいた私を認めて、「どうだった?」と結果報告を求められた。私は、「緩めていただきました」とお答えした。先生は驚いた顔をして、「Nさんは五段だよ!」とおっしゃった。後にも先にも、五段の人に平手で勝ったのは、これだけだ。というより手合い違いだったのだ。
河口先生は、名人戦にも連れて行って下さった。
当時、小学館の雑誌で「月下の棋士」という将棋漫画が連載されていたが、河口先生は監修としてそれに携わっていた。その漫画家の能條先生とその担当編集者の某氏と一緒の四人旅だった。
伊香保の名旅館「福一」で行われた、米長名人対羽生挑戦者の一戦だった。検討の控室に出入りさせていただいた。検討陣の佐藤康光竜王やボヤキの石田九段など歴々に、河口先生は私をいちいち紹介して下さった。
順位戦の行われている将棋会館に連れていって下さったのも河口先生だった。牢名主のように君臨する真田六段の命でかいがいしく各対局の途中経過を入手していたのが、当時19歳の大平奨励会員だった。
数々の得難い体験をさせていただいた。それもこれも河口先生のおかげだった。
私は文芸編集者として、20年以上修行した。その私から見て、河口先生の文章は本物の文章だった。将棋界には、文章の書ける人が多いが、河口先生は図抜けていた。
河口先生は30歳で四段になった人だ。つまり、30歳まで奨励会員だった人だ。
先生は20代の頃、新日本文学の編集会議に出入りしていた。将棋修行と並行して文学修行もしていたのだ。
クラシック音楽の造詣は、音楽評論家はだしの超絶なレベルだった。
囲碁は将棋界最強の一人で、神奈川県代表にまでなった。
ゴルフはシングルプレーヤーだった。
河口先生がよくおっしゃったのは、「僕は、将棋の才能だけがなかった」ということだ。将棋の才能のない人が、昇り竜状態だった谷川浩司五段に土をつけて、谷川先生の昇級昇段を遅らせることなどできるはずはない。
長きにわたった奨励会員時代、有名棋士の「ゴーストで100冊は書いた」とおっしゃっていましたっけ。将棋界の諸先生方よりも、文章においては河口先生の方が上でした。私たち編集者は、将棋の強弱よりも、文章の巧拙で尊敬するか否かを決めます。
断言します。河口先生、あなたは私たち出版界において、紛れもなく最高の棋士でした。大山先生よりも、中原先生よりも、米長先生よりも、谷川先生よりも、羽生先生よりも、森内先生よりも、佐藤康先生よりも、渡辺先生よりも、糸谷先生よりも。
将棋界最後の教養人だったのかもしれない。
将棋が強い棋士はいくらでもいる。ゴルフの上手いプロゴルファーはいくらでもいる。しかし、河口先生ほど、文学、音楽、諸芸に通じた教養人はいなかった。彼ほどの教養人は、もう出ないだろう。
ひとつ事に際立った職人に、私たちは敬意を持つ。
しかし、本当に凄いのは諸芸に通じた教養人だ。
教養人の見立ては間違わない。
時の政権やイスラム国対処の判断や児童殺害頻出の時代性など、河口先生のご意見を伺いたかったことがたくさんある。
河口先生は、担当著者、将棋の師匠というのを超えて、人生の師だった。
師の死に対して弟子はどう振る舞えばいいのか。
河口先生、教えて下さい。
私は生きる指針を失いました。
残念です。猛烈に辛いです。
先生は将棋界の宝だった。日本の宝だった。私の宝だった。
今日、横浜の妙蓮寺に、先生のお通夜に行っ参りました。野月先生がスタッフとして立ち働いていました。佐々木勇気五段と並んで几帳カードを書きました。鈴木大介八段と並んでお焼香をさせていただきました。
盤寿前の投了、辛いです。教えていただきたいことは山ほど残っていたのに。
ご冥福をお祈りします。
ひたすらお祈り申し上げます。
河口先生とのお付き合いは、20年前からだ。
河口先生のご著作を文庫化させていただいたのがご縁だった。その本は将棋エッセイとしては異例の売れ行きを示した。20万部売れた。
将棋のルールこそ知ってはいたが、矢倉も美濃囲いも知らなかった私だったが、これでは河口先生に申し訳がたたないと思い、一念発起して、将棋を勉強することにした。
週刊将棋、将棋世界、近代将棋を購読し、詰め将棋を三手詰五手詰から解き、当時、プロアマ問わずバイブルと言われていた『羽生の頭脳』を読んだ。数ヶ月で2級くらいになった。
河口先生に指導将棋をお願いした。四枚落ちをお願いしたが、河口先生は、「二枚落ちが一番力がつく」とおっしゃって、何番も二枚落ちで指導して下さった。
半年ほどして、初めて入った。対プロ二枚落ち初勝利だった。
以降、銀座の高級クラブ「マンクマ」で月に一度開かれる「銀河会」に呼ばれるようになった。アマ五段、四段クラスの猛者ばかりが集まって、将棋を指す会だ。河口先生は必ず、一人棋士を呼んだ。青野九段、田中寅九段、屋敷八段、谷川女流、大庭美夏女流などなど。アマ同士の手合いは河口先生自ら差配なさった。
ある時、河口先生が、「君は、Nさんと指してみなさい」とおっしゃった。私は河口先生が私に当てたくらいだから、Nさんは、初段程度の方なんだろうと思って、特に硬くもならず指したのだが、指運よく中押な感じで勝った。駒落ちの指導将棋をなさっていた先生が将棋の終わって水割りをぐびぐび飲んでいた私を認めて、「どうだった?」と結果報告を求められた。私は、「緩めていただきました」とお答えした。先生は驚いた顔をして、「Nさんは五段だよ!」とおっしゃった。後にも先にも、五段の人に平手で勝ったのは、これだけだ。というより手合い違いだったのだ。
河口先生は、名人戦にも連れて行って下さった。
当時、小学館の雑誌で「月下の棋士」という将棋漫画が連載されていたが、河口先生は監修としてそれに携わっていた。その漫画家の能條先生とその担当編集者の某氏と一緒の四人旅だった。
伊香保の名旅館「福一」で行われた、米長名人対羽生挑戦者の一戦だった。検討の控室に出入りさせていただいた。検討陣の佐藤康光竜王やボヤキの石田九段など歴々に、河口先生は私をいちいち紹介して下さった。
順位戦の行われている将棋会館に連れていって下さったのも河口先生だった。牢名主のように君臨する真田六段の命でかいがいしく各対局の途中経過を入手していたのが、当時19歳の大平奨励会員だった。
数々の得難い体験をさせていただいた。それもこれも河口先生のおかげだった。
私は文芸編集者として、20年以上修行した。その私から見て、河口先生の文章は本物の文章だった。将棋界には、文章の書ける人が多いが、河口先生は図抜けていた。
河口先生は30歳で四段になった人だ。つまり、30歳まで奨励会員だった人だ。
先生は20代の頃、新日本文学の編集会議に出入りしていた。将棋修行と並行して文学修行もしていたのだ。
クラシック音楽の造詣は、音楽評論家はだしの超絶なレベルだった。
囲碁は将棋界最強の一人で、神奈川県代表にまでなった。
ゴルフはシングルプレーヤーだった。
河口先生がよくおっしゃったのは、「僕は、将棋の才能だけがなかった」ということだ。将棋の才能のない人が、昇り竜状態だった谷川浩司五段に土をつけて、谷川先生の昇級昇段を遅らせることなどできるはずはない。
長きにわたった奨励会員時代、有名棋士の「ゴーストで100冊は書いた」とおっしゃっていましたっけ。将棋界の諸先生方よりも、文章においては河口先生の方が上でした。私たち編集者は、将棋の強弱よりも、文章の巧拙で尊敬するか否かを決めます。
断言します。河口先生、あなたは私たち出版界において、紛れもなく最高の棋士でした。大山先生よりも、中原先生よりも、米長先生よりも、谷川先生よりも、羽生先生よりも、森内先生よりも、佐藤康先生よりも、渡辺先生よりも、糸谷先生よりも。
将棋界最後の教養人だったのかもしれない。
将棋が強い棋士はいくらでもいる。ゴルフの上手いプロゴルファーはいくらでもいる。しかし、河口先生ほど、文学、音楽、諸芸に通じた教養人はいなかった。彼ほどの教養人は、もう出ないだろう。
ひとつ事に際立った職人に、私たちは敬意を持つ。
しかし、本当に凄いのは諸芸に通じた教養人だ。
教養人の見立ては間違わない。
時の政権やイスラム国対処の判断や児童殺害頻出の時代性など、河口先生のご意見を伺いたかったことがたくさんある。
河口先生は、担当著者、将棋の師匠というのを超えて、人生の師だった。
師の死に対して弟子はどう振る舞えばいいのか。
河口先生、教えて下さい。
私は生きる指針を失いました。
残念です。猛烈に辛いです。
先生は将棋界の宝だった。日本の宝だった。私の宝だった。
今日、横浜の妙蓮寺に、先生のお通夜に行っ参りました。野月先生がスタッフとして立ち働いていました。佐々木勇気五段と並んで几帳カードを書きました。鈴木大介八段と並んでお焼香をさせていただきました。
盤寿前の投了、辛いです。教えていただきたいことは山ほど残っていたのに。
ご冥福をお祈りします。
ひたすらお祈り申し上げます。
森内俊之竜王に、糸谷哲郎七段が挑戦する第二十七期竜王戦七番勝負第五局が十二月三、四日に行われました。七番勝負ですから四勝すれば竜王位を戴冠することになります。
森内竜王一勝、糸谷七段三勝で迎えた第五局。糸谷七段が勝てば竜王位が糸谷七段に移ることになります。先手糸谷七段ではじまりました。
角換わりの将棋でした。糸谷七段は考慮時間も短くテンポ良くぽんぽんと指します。また、歩き回って考えるタイプらしく一手指すごとに立ち上がってどこかに消えます。森内竜王は落ち着きません。
普通の棋士なら少し時間を使って安全を確かめてから潜る、9九への玉の移動を、糸谷七段は時間を使わずに指しました。穴熊を指向した手な訳ですが、金駒(金将や銀将)との密着が一瞬離れるのでよくよく考えて、攻められても大丈夫という確信が出来てから指すべき手です。
流石に森内竜王は猛然と攻めに出ます。糸谷穴熊も一瞬崩れたかに見えましたが、持ち駒の金銀をどんどん埋めて穴熊城を再構築に努めます。このまま防戦一方では竜王に分があるなと多くの棋士が竜王優勢を意識しはじめた時に、糸谷七段は受けの手を指さず(竜王の攻撃を放置し)、森内玉を攻めに出ます。いわゆる攻め合いです。ノーガード的な。
糸谷七段の的確な攻めで森内城はみるみる解体されていきます。受けていても苦しいと判断した森内竜王は最後、死力を尽くして糸谷玉に攻めかかります。しかし、糸谷七段は難解な終盤でしっかり正解手を繰り出し続け、竜王の攻めをいなしきってしまいます。一六一手で森内竜王投了。新竜王が誕生しました。エッジの効いたニューキャラクターが竜王という頂点(賞金的な意味ですが)に上り詰めました。森内竜王、無念です。
棋譜
森内竜王一勝、糸谷七段三勝で迎えた第五局。糸谷七段が勝てば竜王位が糸谷七段に移ることになります。先手糸谷七段ではじまりました。
角換わりの将棋でした。糸谷七段は考慮時間も短くテンポ良くぽんぽんと指します。また、歩き回って考えるタイプらしく一手指すごとに立ち上がってどこかに消えます。森内竜王は落ち着きません。
普通の棋士なら少し時間を使って安全を確かめてから潜る、9九への玉の移動を、糸谷七段は時間を使わずに指しました。穴熊を指向した手な訳ですが、金駒(金将や銀将)との密着が一瞬離れるのでよくよく考えて、攻められても大丈夫という確信が出来てから指すべき手です。
流石に森内竜王は猛然と攻めに出ます。糸谷穴熊も一瞬崩れたかに見えましたが、持ち駒の金銀をどんどん埋めて穴熊城を再構築に努めます。このまま防戦一方では竜王に分があるなと多くの棋士が竜王優勢を意識しはじめた時に、糸谷七段は受けの手を指さず(竜王の攻撃を放置し)、森内玉を攻めに出ます。いわゆる攻め合いです。ノーガード的な。
糸谷七段の的確な攻めで森内城はみるみる解体されていきます。受けていても苦しいと判断した森内竜王は最後、死力を尽くして糸谷玉に攻めかかります。しかし、糸谷七段は難解な終盤でしっかり正解手を繰り出し続け、竜王の攻めをいなしきってしまいます。一六一手で森内竜王投了。新竜王が誕生しました。エッジの効いたニューキャラクターが竜王という頂点(賞金的な意味ですが)に上り詰めました。森内竜王、無念です。
棋譜
将棋界にはタイトルが7つある。順不同で、
名人
竜王
王将
王位
王座
棋王
棋聖
の七ツである。この七ツに限っては、タイトル保持者を除く棋士がトーナメントやらリーグ戦やらを戦って、勝ち残ったたった一人が挑戦者となってタイトル保持者と戦うのである。タイトル戦は五番勝負なら三勝、七番勝負なら四勝で決まる。
これらのタイトル戦以外にも、トーナメント方式の棋戦がある。それらは前回覇者も(シードなどはあるが)基本的に他の棋士と最初から戦う。
それぞれ、持ち時間に特徴がある。長いものはそれぞれ9時間が持ち時間というタイトル戦(二日制になる)もあるし、4時間の持ち時間で1日でやってしまうというタイトル戦もある。
タイトル戦でない棋戦には、持ち時間が1時間を切るような早指し戦もある。
さて、将棋の強豪といえば誰が頭に浮かぶだろうか。以下、私の思うスーパーな棋士を持ち時間ごとに掲出してみたい。
長時間制
渡辺、羽生、森内、深浦、広瀬、豊島
中時間制
羽生、渡辺、広瀬、中村
早指し制
羽生、糸谷、渡辺
というようなイメージか。
将棋界で最高の賞金額を誇るタイトルは、竜王で、竜王はシステム上、名人とは違って、強ければ、若手でも挑戦者になれる(名人はいくら強くても挑戦までに5年かかる)。
その竜王位を長く守ってきたのが渡辺だった。歴史的棋士、羽生が何度か挑戦したが、防衛し続けた。その竜王位を渡辺から奪い取ったのが、羽生のライバル、森内である。
今期の竜王戦は、森内竜王に挑戦することになる。
さてその挑戦者レースだが、若手の強豪糸谷(いとだに)と史上最強の羽生(はぶ)が勝ち残った。両者は、竜王戦挑戦者決定戦三番勝負を行い、ニ勝した者が竜王への挑戦権を得る。
糸谷は、広島出身の棋士。棋士をしながら、阪大、阪大院で哲学を学んだ変わり種。その圧倒的な力強い指し回しと風貌で、同郷で同じ森門下の兄弟子であった夭折の天才棋士村山聖のあだ名を受け継ぎ、デビューしばらくは「怪童」と呼ばれていた。村山聖は類い稀な棋才に恵まれながら、先天的に重い腎臓病を背負い、最期はガンで亡くなった伝説の棋士だ。20代後半で亡くなったはずだ。羽生に勝ち越していたほとんど唯一の棋士だった。
その村山を彷彿とさせる糸谷と羽生の三番勝負である。
第一局目は、先手番の糸谷が勝った。
第二局目は、羽生が先手で制した。
第三局目が、今まさに行われている。糸谷の先手である。
プロ同士になると、先手番はもうそれだけで若干有利と言われている。
糸谷が勝てば、初めてのタイトル戦登場となる。
羽生が勝てば、毎度お馴染みの森内-羽生戦になるが、羽生が竜王位に付けば、規程の条件を満たすので、「永世竜王」の称号を得ることになる。
連続○期とか都合○期などそれぞれ条件は違うが、タイトルには「永世称号」がある(一部「名誉○○」と呼ばせるタイトルもあるが)。羽生は七大タイトルの六つでこの永世称号を得ている。残りは、竜王だけなのだ。
待ち受ける森内は、好不調のある棋士だが、羽生より早く、永世名人になった大棋士である。持ち時間の長い将棋は滅法強い。
糸谷なのか、羽生なのか。
そんな大勝負が、今日、9月8日、粛々と行われている。
横歩取りから、飛車交換となり、飛車を打ち込んだ糸谷に対し、羽生は角を打って対抗。糸谷はその角に角を合わせて、羽生の手を潰して……という攻防が続いている。
名人
竜王
王将
王位
王座
棋王
棋聖
の七ツである。この七ツに限っては、タイトル保持者を除く棋士がトーナメントやらリーグ戦やらを戦って、勝ち残ったたった一人が挑戦者となってタイトル保持者と戦うのである。タイトル戦は五番勝負なら三勝、七番勝負なら四勝で決まる。
これらのタイトル戦以外にも、トーナメント方式の棋戦がある。それらは前回覇者も(シードなどはあるが)基本的に他の棋士と最初から戦う。
それぞれ、持ち時間に特徴がある。長いものはそれぞれ9時間が持ち時間というタイトル戦(二日制になる)もあるし、4時間の持ち時間で1日でやってしまうというタイトル戦もある。
タイトル戦でない棋戦には、持ち時間が1時間を切るような早指し戦もある。
さて、将棋の強豪といえば誰が頭に浮かぶだろうか。以下、私の思うスーパーな棋士を持ち時間ごとに掲出してみたい。
長時間制
渡辺、羽生、森内、深浦、広瀬、豊島
中時間制
羽生、渡辺、広瀬、中村
早指し制
羽生、糸谷、渡辺
というようなイメージか。
将棋界で最高の賞金額を誇るタイトルは、竜王で、竜王はシステム上、名人とは違って、強ければ、若手でも挑戦者になれる(名人はいくら強くても挑戦までに5年かかる)。
その竜王位を長く守ってきたのが渡辺だった。歴史的棋士、羽生が何度か挑戦したが、防衛し続けた。その竜王位を渡辺から奪い取ったのが、羽生のライバル、森内である。
今期の竜王戦は、森内竜王に挑戦することになる。
さてその挑戦者レースだが、若手の強豪糸谷(いとだに)と史上最強の羽生(はぶ)が勝ち残った。両者は、竜王戦挑戦者決定戦三番勝負を行い、ニ勝した者が竜王への挑戦権を得る。
糸谷は、広島出身の棋士。棋士をしながら、阪大、阪大院で哲学を学んだ変わり種。その圧倒的な力強い指し回しと風貌で、同郷で同じ森門下の兄弟子であった夭折の天才棋士村山聖のあだ名を受け継ぎ、デビューしばらくは「怪童」と呼ばれていた。村山聖は類い稀な棋才に恵まれながら、先天的に重い腎臓病を背負い、最期はガンで亡くなった伝説の棋士だ。20代後半で亡くなったはずだ。羽生に勝ち越していたほとんど唯一の棋士だった。
その村山を彷彿とさせる糸谷と羽生の三番勝負である。
第一局目は、先手番の糸谷が勝った。
第二局目は、羽生が先手で制した。
第三局目が、今まさに行われている。糸谷の先手である。
プロ同士になると、先手番はもうそれだけで若干有利と言われている。
糸谷が勝てば、初めてのタイトル戦登場となる。
羽生が勝てば、毎度お馴染みの森内-羽生戦になるが、羽生が竜王位に付けば、規程の条件を満たすので、「永世竜王」の称号を得ることになる。
連続○期とか都合○期などそれぞれ条件は違うが、タイトルには「永世称号」がある(一部「名誉○○」と呼ばせるタイトルもあるが)。羽生は七大タイトルの六つでこの永世称号を得ている。残りは、竜王だけなのだ。
待ち受ける森内は、好不調のある棋士だが、羽生より早く、永世名人になった大棋士である。持ち時間の長い将棋は滅法強い。
糸谷なのか、羽生なのか。
そんな大勝負が、今日、9月8日、粛々と行われている。
横歩取りから、飛車交換となり、飛車を打ち込んだ糸谷に対し、羽生は角を打って対抗。糸谷はその角に角を合わせて、羽生の手を潰して……という攻防が続いている。
羽生王座に豊島七段が挑戦する王座戦の一局目。
相矢倉から先手番の羽生王座が勝った。波に乗る若手の天才豊島七段がこうもあっさり負けるとは……。分かる人がみれば、あっさりでもないんでしょうけど。
相矢倉から先手番の羽生王座が勝った。波に乗る若手の天才豊島七段がこうもあっさり負けるとは……。分かる人がみれば、あっさりでもないんでしょうけど。
王位戦第一局は挑戦者木村一基八段が先手番の羽生王位を相矢倉の激戦を制して一勝目を挙げた。今期11戦全勝と絶好調だった羽生に初黒星がついた。
木村八段もこの対局まで五連勝と好調を維持していた。
王位戦は七番勝負なので戴冠までに四勝が必要だ。あと、みっつ勝たねばならない。しかも相手は空前絶後の天才、羽生だ。
とはいえ、木村八段は後手番をブレークしたので、あと先手番が三回回ってくる。可能性はなくはない。
木村八段、頑張って!
木村八段もこの対局まで五連勝と好調を維持していた。
王位戦は七番勝負なので戴冠までに四勝が必要だ。あと、みっつ勝たねばならない。しかも相手は空前絶後の天才、羽生だ。
とはいえ、木村八段は後手番をブレークしたので、あと先手番が三回回ってくる。可能性はなくはない。
木村八段、頑張って!
飯塚先生対藤井九段戦。
これまで分の悪かった藤井九段に飯塚先生の猛攻が炸裂した将棋でした。
飯塚先生、おめでとうございます!
これまで分の悪かった藤井九段に飯塚先生の猛攻が炸裂した将棋でした。
飯塚先生、おめでとうございます!
