太秦をウズマサと読める人は少ないだろう。難読地名の一つだ。
京都の人間は普通に読んでいるが…。
現在では東映と松竹しか残っていないが、昔はいくつもの撮影所があり、出演者たちも時代劇の扮装のまま、街を闊歩していたらしい。
地名の由来は渡来人の秦氏の拠点であたことや、秦氏によってもたらされた絹織物からつけられたものらしい。
聖徳太子が生きていたころ、この地は秦河勝という人が治めていたらしい。
世阿弥の「風姿花伝」によると、この秦河勝が芸能を日本で紹介しそれが申楽、後には能の原型となったという。
その秦河勝が聖徳太子より仏像を賜り、安置するために建立したのが広隆寺の前身蜂岡寺。
芸能とかかわりの深い土地なのだろうか。
現在の東映撮影所も所在は蜂ヶ岡だ。
近くには車折神社があり、境内社の一つ「芸能神社」はたくさんの有名芸能人が参拝に訪れることで有名。
芸能神社に祀られているのは、秦河勝ではなく、日本古来の芸能の始祖「天宇受売命」。
一応芸能人の端くれとして、私も毎年初詣に行ってます。