ゴドーを待ちながら | 平岡秀幸 ・ ブログで読む演技論

平岡秀幸 ・ ブログで読む演技論

京都を中心に演劇活動をしています。
演劇、特に演技について、
また世の中のことなど気になること、
考えたこと、思ったこと、見たこと、やったこと…。
色々発信していきます。

 サミュエル・ベケット作「ゴドーを待ちながら」

 演劇愛好家なら、ほとんどの人が知っているだろう。

 過去の演劇概念をひっくり返した、或は20世紀最大の演劇的事件と言われている作品だ。


 演劇は、舞台上で何かが起きることによって成り立っている。

 しかしベケットはそれを逆手にとって芝居を作った。

 舞台では何も起こらないのだ。

 何も起こらなければ人間はどうなるのか。

 何かをしようとするだろう。しかし何も起こらない。

 そうなればただ待つしかない。

 何を待つのか・・・。

 待った先に何がやってくるのか・・・。

 そんなことはどうでもよい。

 何も起こらなければ、何もすることがない。

 することがないから、ただひたすら待つ。

 「待つ」ということをするのだ。


 二人の登場人物、ウラジミールとエストラゴンは、ただひたすらゴドーを待っている。

 それだけの芝居だ。

 二人はゴドーが何者かも知らない。

 他に三人の登場人物がいるが、これも正体不明。

 二人の幻覚のようにも見えるが、これらの人物が登場時だけ舞台に時間が流れる。

 それ以外の時間は、ただ待っているだけの二人が居るだけ。

 舞台上の時間は止まっている。


 この芝居は、まだ二十代の頃に、当時所属していた「劇団くるみ座」の公演として出演したが、私にとっては不条理劇であり、非現実の芝居だった。

 しかし今の境遇から見れば、こんなに現実的な芝居は無い。


 ここの所仕事が無い。

 役者は舞台やカメラの前に立たなければ、役者でなくなってしまう。

 このまま腐っていきそうな恐怖にかられる。


 いきなり話が現実的になってしまったが、

                   まさに「仕事を待ちながら」だ。

 

 ただし、俳優として言えば、待っている時間をいかに過ごすかということが大切だ。


 しかしつい虚無的な気分にもなってしまう。

 だったらそれを利用すればいい。


 今ゴドーをやれば、すんなりとその世界に入れるかもしれない。


 売れない俳優仲間よ、ゴドーを目指せ!


 そう考えると、少し希望が湧いてきた。

 だが希望を持つと、この芝居は理解できない。

 この芝居、夢も希望もないんですよね。